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中学編

中三・バレンタインデー①

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 イコに会えるだけでいい、そう思ったはずだった。
 まさか他ならぬ自分から、その日の夜に裏切られるとは。

「岩並君」

 イコがその細い人差し指に溶けたチョコをからめた。
 そのままとろける甘い指でちょんと俺の唇をつついて、にっこり笑う。

「はい、あーん♡」

 その指先に迷わず吸いついた。舌をからめ、甘噛みし、じれったさに手へ食いつく。

「ひゃ、わ、あ、やっ、いわなみくん!」

 狼狽するイコの声が何より甘い。

 赤くなった歯形へ舌を這わし、手のひらにくちづけ、小さく可愛い指をまとめてくわえて吸って舐めてかじって―――それこそ思う存分イコの右手を可愛がって、最終的に。

 押し倒したところで目が覚めた。
 朝から自己嫌悪で言葉もない。

 イコに焦がれて、焦がれて、頭がおかしくなりそうだなんて、俺が1番よくわかってる。
 でも、やせ我慢だってしたいときもあるのだ。
 イコの体調が1番だ、チョコなんて気にしないとうそぶいたのに、なにも自分で欲を暴かなくたっていい。

「岩並君、岩並君」

 そんなだから、いつものように弾む早口で話しかけられても顔があげられなかった。イコがチョコクリームを付けて食べるお菓子なんて広げているから、なおさら夢を思い出す。
 バレンタインデー当日だ、やっぱり塾でもチョコの話で持ちきりで、イコの質問もそれだった。誰からも貰ってないことを短く答える。

「でもおうちに女の人が3人いるでしょう? くれるんじゃないですかね」
「みんなでチョコケーキ食べて終わりだ、きっと」

 家では今年も女3人連名でチョコケーキを出してきて、男3人より余計に食べるに違いない。
 バレンタインデーって何だろうと思っては負けである。

 顔をノートから上げてイコを見る。ふわふわの髪に革のパッチン留め。クリスマスに贈ったプレゼントだ。
 付けてくれていることが嬉しくて、手を伸ばして耳元の髪をかきあげ、耳へかける。指をすべる髪のくすぐったさも愛おしい。

「それ付けてるんだな」
「うん」

 何でこれを選んだのか、こちらを見つめて一生懸命話すイコが可愛くて、触れていたくて、小さな耳の縁をなぞる指が止まらない。
 欲しいな。
 イコが欲しい。
 一体俺のやせ我慢はどこへ行ったんだろう。心も体も、イコの丸ごと全部が欲しい。
 動く赤い唇も、深い色の眼差しも、折れそうに細い首も華奢な肩もみんなみんな。

 ほら、そうやってイコが戸惑うようにこちらを見るから、教えてやりたくなる。
 イコがどんなに魅力的で、俺を夢中にさせているのかを。



「これいつもチョコ残るんだよね」とイコがチョコクリームを指に付けて舐め(夢の通り俺が舐めたかった)手を洗いに席を外した途端、離れた席の女子が机に崩れ落ちた。

「あれだけ……ッ、いちゃいちゃしといて! 付き合ってないってどういうことよおおおお!」
「巻添さんがダメージ受けてる!」
「席離れたのに!?」
「今日も糖度高いもんねー」
「でもさ、付き合ってないってそりゃあ、ねえ?」
「岩並君がヘタレだからでしょ?」
「以前よりは健闘してるだろ」
「でも世渡さんあんまり反応ないよなあ」
「岩並君は、彼氏とか好きな人とかじゃなくて……お父さん枠?」
「お兄ちゃん枠?」
「色々世話焼いてるし、おかん枠かもよー」
「それだ!!」

 例によって周りで好き勝手に話している。
 おかん枠? おかん枠は伊井先生だろう。いやでも、確かに世話は焼いているし、他の誰かにイコの世話を取られるとか耐えられないけれど。

「おかんはあんなエロく耳触らないでしょう」

 ふとこぼされた、永井の絶対零度の口調に身が縮む。
 ついイコが可愛くて手が伸びてしまう、確かに付き合ってもいない人間からすることじゃない。馴れ馴れしすぎる。

 以前から何度となく思っても、口に出せない一言がが頭によぎる。

 イコにとって俺は何だろう?



「岩並君、いつもお世話になっております!」

 授業終了後、2人きりになった教室で、イコは俺の前に立ち細長い箱を差しだした。
 イコのチョコ……! 「お世話になっております」ということは、これは義理チョコなんだろうか?

「えっと、手作りだから1週間くらいしか持たないので、できれば早めに食べてください。と言うかむしろこの場で食べてみて。美味しくなかったら私が責任持って処分するから!」

 早口で一生懸命イコが言う。
 え。
 ちょっと待て。
 俺は箱からイコへ目を向ける。

「手作り?」
「うん」

 イコの! 手作りチョコ!!
 夢見のせいで沈み気味だった気分が一瞬で浮上する。お茶会の時のペロやるりの和菓子も嬉しかったが、バレンタインデーのこれは嬉しさの質が違う。持っていたファイルを机に置いて、両手で包むように受け取る。手汗が心配になる。

 内箱をスライドさせてあければ、きれいなボタンみたいな1口サイズのお菓子が斜めに重ねられていた。
 平たく薄いチョコに、たくさんのドライフルーツが乗っている。ドライフルーツだけなら上品なのに、たまにぴょこんとアポ〇がのぞいていたりするいたずら心がイコらしい。

「きれいだな、食べるのがもったいない。この場で食べればいいのか?」
「うん、美味しくないかもしれないからね。マズかったら回収!」

 回収? そんなことさせられない。イコが俺に作ってくれたチョコだ、カケラまで余さず食べる!
 俺は手前の1枚をつまんで口にした。
 チョコの甘さとフルーツの甘酸っぱさ。甘さがしつこくないおかげて、何枚でも食べられそうだ。
 甘いものをあまり食べない俺に、配慮してくれたのか。

「……イコ」
「何? まずかった?」
「違う」

 美味しい。美味しいし嬉しいしイコが大好きだけれど、それをどう表現したらいいのかわからない。

「美味しい。クランベリーと、オレンジと、パイナップル? 後は、マンゴーか」
「当たり! すごい、1枚だけでよくわかるね岩並君」

 違う、食レポや美味し〇ぼをやりたいんじゃない! だってこの、さっぱりした甘さのチョコレートは。

「イコの心遣いだから」
「え」

 きょとん、としたイコが、ことのほか幼く可愛らしく見えて顔が緩む。

「ありがとうイコ。すごく嬉しい」

 だから教えてくれよ、イコ。
 これは一体、何チョコなんだ?
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