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中学編

中三・立春の次候②

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 今日のイコがすこぶる可愛い。

 前髪を編みこんで、昨日プレゼントしたパッチン留めを付けている。ふわふわ度をおさえた髪は女の子、というより乙女、という感じだ。白い額がしっかり見えて、つい目がいく。
 可愛い。おでこを触りたい。

 よく着ている、えりにファーが付いた白のダウンコートは防寒を重視しているのか長めで、こった編み方の白い毛糸タイツ(小さな草花が散っている)とショートブーツしか今は見えない。姉さんがイコに何を着せたのかちょっと心配になる。薄着をさせられていないだろうか。

 姉は「おしゃれはガマンだとピ〇コが言っておったぞ!」と、天候度外視の格好で出かけるような人間なのだ。先日の失敗でイコの体を気遣うことは忘れないだろうが、性格も性格だし、おしゃれに気をとられると他がまるでおろそかになるから信用がしきれない。

 格別可愛い格好をしたイコだ。それが似合うような場所に連れて行ってあげたいものの、今日は地域文化祭に行くという約束。少し心配したが、イコは熱心に写真を撮って楽しんでいた。
 ニコニコしているのが可愛くて、触らずにはいられなくて手を伸ばし、途中で止める。

「触ったら髪型が崩れそうだ」
「そうかも。自分じゃ直せないのでそっとしておいてくださいー」

 頭をなでるのを諦めて、柔らかな頬に触れる。
 手の甲でなでればイコはびっくりしたように、両目を大きく見開いて動きを止めた。そのまま従順になでられている。
 可愛い。可愛い。今すぐ2人きりになりたい。
 なんて思っていたら。

「岩並君も烈さんに、パンツまでトータルコーディネートしてもらってるの?」
「えっ」

 聞き捨てならない一言に、慌てて手を引っこめる。
 それはズボンのパンツではなくて、下着のパンツのことを言っているのか?

「なんだそれ」
「『おしゃれは見えないところからだよ』って、この間お買い物で選んでもらった下着も入れて、なにからなにまで、ぜーんぶコーディネートしてもらったんだけど……。岩並君は違うのですか」

 脳裏に笑う姉さんの顔が浮かぶ。ひどい悪ノリだ。イコの下着に思考が向かうのを必死で抑え、姉へ悪態をつきたくなるのをガマンして答えをしぼり出す。

「俺は、服だけだな」
「そうだよね、お姉ちゃんの選んだパンツとか気が引けるよね。私もパパがパンツ選ぶとか言いはじめたら、ママに言いつけるし、しばらく口きかないと思う」

 それ以前に。イコは、ひとのパンツにまで口をはさんだ姉さんを怒っていいんだぞ!
 世間知らずの自覚があるイコは、人の意見に耳をかたむけ過ぎて騙されやすいのだろう。
 そんなところも放って置けなくて。

 ああ。とっても、可愛い。


 ◇


 屋台や出店、外の飲食スペースからロビーまで人でごった返しているのに、1階上へ上がるだけで人が少なくなる。トレイの中身をこぼさないよう気を付けて戻れば、イコはぼんやりと窓の外を見つめていた。日の差す席で暖かいためか、コートを脱いでいる。

 ふわふわと柔らかな淡いオレンジピンクのブラウスは、首のところで黒いベルベットのリボンが結ばれている。肩からスカートのように細かいプリーツで広がり、手首の所で結ばれた袖や首回り、胸元もフリルやレースがふんだんに使われていて華やかだ。腕や首の細さが悪目立ちせず、顔色もよく見える。

 はいているのはグレーに細く大ぶりな格子模様のサロペット。布地こそ改まった雰囲気だが、ブーツと合わせ、好奇心旺盛なイコにぴったりだ。

 華やかさと活発さが相まって、本当に可愛い。

 年季の入ったイスは大きく、なおさら座るイコが小さく見える。けれどその小さな愛らしさとは裏腹に、頬杖をついて外を眺める横顔は大人びていて、不思議と女らしさが薫った。
 その耳に、横顔に、触れてキスを落としたい。

「イコ」

 声をかけると、イコが顔をあげて目を丸くする。

「おかえり岩並君。すごい、トレイに山盛りですな!」
「目に付いたのを買ってきた、一緒に食べよう。それよりイコ。寒くないのか」

 テーブルにトレイを置いて俺が向かいに座ると、イコは胸元のフリルをつまんで見せた。

「これ、シフォンブラウスだから見た目寒そうでしょう? でも裏地が付いてて、インナーと合わせるとすごくあったかいんだよ! サロペットもね、もこもこ裏地が付いていて、お尻なんか座布団敷いてるみたいなんだ。烈さんが探してくれたの」
「寒くないならよかった。パッチン留めにも合ってるし、よく似合うと思うけど……?」

 確か姉さんは、お姫様みたいにと言っていたが。どちらかというと王子様ではなかろうか。

「いくつか可愛いお姫様コーデを勧められたけど、1番動きやすくてあったかいのがこれだったのです! 白タイツだから、お姫様でもリボン〇騎士だって」
「こじつけか」

 でも、確かに姉さんの選んだ服を着たイコは可愛い。
 袖口のフリルからのぞける手が小さくて、指先の細さに胸の奥がムズムズする。触れたい。その荒れた手を拭いて消毒しながら、イコはためらいがちに訊いてくる。

「お友達のところ行かなくていいの?」
「えっ」
「さっき、窓から見えたよ。一緒にいた女の子たち、同じ第一中学校いっちゅうのひとでしょう? 私は気にしないから、岩並君ひとりで合流すればいいよ」

 悪い冗談だ。自分が渋い顔になったのがわかる。

「同じ学校だけど、友達じゃない。やたらにからかって来るから迷惑してるんだ。俺だって友達を選ぶ権利くらいあるだろう? 名乗りもせずに、声もかけずに、無断で写真を撮ってくるような人間、友達にはしたくない。大体あいつら、ひとりいると仲間を召喚して増殖するし」
「言い方!」

 でも本当に、増殖って言葉がぴったりくる増え方をするのだ。ひとりでも嫌なのに、迷惑な話だ。

「それモテてるんだよ、みんな岩並君と仲好しになりたいんでしょうな!」
「まさか。仲好しになりたいヤツが、嫌がらせなんかしてこないだろう」
「うわあ、本気で嫌そうな顔したね! そっかあ。なんか、新鮮だなあ」
「新鮮?」

 イコは楽しげにくすくす笑う。

「岩並君が、家族以外のひとに対して好き嫌いを言うの、はじめてきいたから。いつも礼儀正しくて紳士なんだもん、そういうこと言わないのかと思ってた」
「言うさ。そんなに人間できてないから」
「岩並君が人間できてないなら、たいていの人は類人猿だと思うよ! 私はなんだろ、オマキザルかな」

 イコがサルなら可愛いリスザルだろう。そう思ったが口には出さず、俺はイコにほうじ茶の紙コップを差し出す。

「褒めても何も出ないぞ」
「あったかいお茶が出てきましたな!」

 もっと褒めたらなにが出るかな、とイコは愉快そうに言葉を続ける。

「岩並君は礼儀正しくて、気配り上手な紳士です! とっても優しくて、ピンチに強いのです。不測の事態に取り乱さずに、大人顔負けの活躍をするのですよ。あと、せっかくの休みでも、嫌がらず地域のお手伝いをする働き者です。偉い!」

 褒められ過ぎて恥ずかしくて顔があげられない。

「空手も部活も勉強も一生懸命で手を抜かないし、手間をかけて動物を可愛がる優しいひとです。あとむきむきで格好いいのです! さあいっぱい褒めましたよ、なにが出ますかね!」

 俺は熱い頬を隠してうつむきながら、トレイをイコの方へ押しやった。

「あるだけやるから。もう、本当に、勘弁してくれ」
「ごめんそんなに食べられないやー。でもまだまだ言い足りないんだよ?」
「イコ!」
「あはは」

 からかわれているのだとわかっても、褒められるのが嬉しくてたまらない。イコは今日もどんどん俺を虜にしていく。俺はどこまでお前を好きになればいい?

 ああ、可愛いイコ。
 悪い奴だな、俺をこんなに喜ばして。

 もちろん、覚悟はできているんだろうな?

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