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中学編

不健康女子の中三・立春の次候④

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「あらあ丈夫ちゃん、今日も男前だねえ。お友達と見に来たの」
「丈ちゃん、大きくなったねえ。若いときの泰山さんにそっくりだわねえ」
「丈夫ちゃんイケメンになったねえ」

 岩並君、マダムに大人気。
 何度となく声をかけられても嫌な顔ひとつせず、「こんにちは」と丁寧に応対している。

「たけおちゃん」

 呼ばれかたと、そびえ立つ岩並君のギャップがすごい。つい見上げたら、岩並君は苦笑した。苦笑いでも可愛いとかなんなんですかあなたは。

「みんな俺が小さい頃を知ってるから」
「岩並君、おばさま達にもてもてなんだね。このマダムキラーめ!」
「やめろ、ただの近所の顔見知りだ」

 西田〇行が『福〇のプリンス』なら、岩並君は『ご近所のプリンス』だ。『ご近所の氷川き〇し』になるには歌唱力が問題のようだけど。
締まったお尻の魅惑のプリプリプリンス』なんて謎のキャッチフレーズまで脳裏に浮かんで、笑いをこらえるのに苦労する。

「プ、プリプリプリンス……ッ!」

 ツボにはまって苦しい。
 岩並君は、ひとりで面白がっている私にちょっと諦めたような一瞥いちべつをくれて、狭い廊下を先に進んだ。私は置いていかれまいと、プリプリプリンス魅惑のお尻についていく。
 待って行かないで。ついでにお尻を触らせてくださいな。

「断る」
「あ、口に出てましたか」

 しまった、ポロッと言っちゃった。

 公民館は年季の入った建物だ。
 濃い緑色したリノリウムの床材も白い壁紙も、縮み破れて端から丸まり、地のコンクリートがのぞけている。プラスチックの館内表示は、度重なる変更を何とかしようと長年貼られ続けたガムテープの跡だけが残り、黄ばんでシミになっていた。
 どこからか隙間風が入ってきてすーすーする。

 彼はイスとテーブルが並べられた部屋に入り、窓際の席へ荷物を置く。壁にはずっと置かれていただろう家具の跡だけが残り、ひどく殺風景だ。使われていない部屋を飲食のスペースとして解放したんだろう。ちらほらお年寄りが休んでいるだけで、比較的すいていた。
 これが外のテントや1階のロビーともなれば、飲食の人でごった返しているけれど、2階に上がればこんなものだ。
 みんな展示室、見に来ればいいのに。

「飲食コーナー、楽に座れてよかったな。小腹も空いてきたし何か買ってくる。イコの好きな物は?」
「えっ、えと、味のしみた豆腐とこんにゃく。ワカメにめかぶになめこにとろろ。あと、ヨーグルトとか柑橘系やベリー系の、甘酸っぱいお菓子!」

 いきなり訊かれ、イスに座ったまま思いつく端から口にすると、彼は自分の額をおさえた。

「みごとなまでに脂っ気がないな」
「ホントだね!?」

 脂が苦手だから少食なのか、少食な体だから脂が苦手なのか。とりあえず太れるメニューではないな! でも好きなんだもの。

「苦手なものも、アレルギーもないんだったか。何か適当に見つくろって買ってくる、待っててくれ」

 例によって、「イコのうちでよくご馳走になってるから、お金はいらない」と断られてしまった。彼はお財布だけを手にし、私の横を通り過ぎる途中で立ち止まる。
 どうしたんだろうと見上げれば、大きな手のひらが頬に触れた。温かくて優しいのに、息苦しくなる。唇に視線が注がれて身がすくむ。

「じゃ、行ってくる」
「い、行ってらっしゃい……?」

 なんだか機嫌よく岩並君は出かけて行った。
 びっくりした。
 キスされるのかと思った。

 ちょっと考えれば、そんなことあるはずないとわかる。彼は第一中学いっちゅうでもファンの多いイケメンさんで、私はただのガリチビだ。最近ずいぶん仲好くなったとはいえ、私が勝手に親友認定しているだけなのだ。いやあ、ないっスね! 
 ありえない、ありえない。

 ありえないのにドキドキするから困る。
 罪作りなイケメンめ!

 私は暇つぶしに窓の外を眺める。
 2階からは出店やテントの様子が見える。ここから見る限りはけっこうな人出だ。私なんかが行ったら風邪やインフルエンザをすぐに拾ってしまうだろう。
 これでも、第二中にちゅう学区の文化複合施設なんとかトピアに比べたら微々たるものなのだろうが。

 せっかくの地域文化祭だけれど、ワークショップなどの講師を呼んだイベントは公民館では行われない。そもそも大がかりなイベントに耐えられる駐車スペースがない。
 周辺も古い町並み、細い道路は一方通行だらけ。車社会となった今では不便でしかたなく、だから田んぼを埋め立てて広い土地を用意できる第二中にちゅう学区にハコモノが一気に移動したのだ。お客が減っていた商店街には大打撃だったとか。
 それでも、岩並君のおうちのように、町おこしやイベントに熱心な人たちが多くいて、第一中いっちゅう学区は伝統行事を中心に町の歴史文化を担っている。

(あ、岩並君)

 窓から見下ろした人ごみの中、その姿は大きくてすぐわかる。流れるように人の間をすり抜けている。さすが古武術男子。
 早々とトレイに食べ物をのせている所を見るに、お目当てがあったのだろう。

「あ」

 女の子。最初は2人、続いて数人が岩並君を取り囲む。
 遠くからでもわかるリア充系の人。太陽みたいに自分から熱を発しているタイプだ。
 側にいるだけでうぶ毛がチリチリして疲労してしまうから、私はリア充系の人が苦手である。なけなしの体力を吸われる気がする。
 第一中学いっちゅうの人かな、仲いいのかな。

 華やかな女の子たち。明るいキャンディカラーの服。何人かは生足だ。
 天気がいいとはいえ、寒い中で生足とか丈夫すぎるだろう。さすが、若さがはじけていらっしゃいます。お腹壊したりしないのか。
 いいな。
 改めて自分の体の情けなさを思う。

 私は岩並君が戻ってくるまでの時間を、そのまま窓の外を見つめながら過ごした。
 岩並君と仲好くなって、少しだけ変われた気がしたけれど、私はやっぱりなんにも。

 なんにも変われていやしないのだ。

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