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中学編

不健康女子の中三・立春の次候②

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 ペロちゃんが取り憑かれたように雪を掘り進む。

「ラッセル車……!」

 雪を蹴立てて走る除雪列車を彷彿とさせる勢いである。

 リードを外してもらったとたん、ペロちゃんは除雪され公園の端に集められた雪の塊に突進し、無我夢中で掘り進み始めた。
 掘り返すのは好きだけど地面でやると怒られる。雪なら大丈夫だと気付いた日から、冬は雪堀りの習性がついたのだとか。
 岩並君のおうち果樹農家だから、地面掘ったのは凄く怒られたんじゃないかな……。きっと普段ガマンしているぶん、雪を見てタガが外れるんだろう、そう思わせる程の熱中ぶりだ。
 ちょっと怖い。

「岩並君、岩並君、ペロちゃんあれ窒息しないのですか」
「大丈夫、動かなくなったら引きずり出す。いつものことだ」
「ワイルド!」

 お天気がよくて風がないから、外でものんびりできる。
 端の根雪は降雪シーズンの間中、除雪の分を集められ続けたもので、場所によっては5月くらいまで残る。量が多くカチカチだ、さぞや掘り返しがいがあるだろう。

 私たちはベンチに座って、ほじくり返され舞い散る雪のカケラを眺めている。なんかもうペロちゃんから「うおおおおおッ!」という雄々しい声が聞こえてきそうだ。可愛いお尻も尻尾も雪に隠れて見えない。

「ペロちゃん遊んでくれなそう……」
「飽きたらこっちに来るだろう」

 ジャージにウインドブレーカー。最近のおしゃれな姿じゃなく、ここ数年塾で会っていた気負わぬ姿の岩並君を見上げる。はじめて会った頃も大人びた男の子だなと思っていたけれど、今はもう少年の気配は消え、精悍な顔の青年だ。
 いつまでも小さくてやせっぽちの私とは真逆。

「岩並君、私、しょんぼりしてた?」
「ああ。明日でもいい要件で電話してきただろう? いつものイコはそんなことをしない、だから気を付けて聞いていたんだ」

 気付いたのはそのせいだろう、と言うと、彼は根雪の方へ目をやり眉を寄せた。

「あいつ、調子にのってるな」
「アレは伝説の、ここ掘れわんわんでは?」
「だったら散歩のたびに億万長者だ」

 小さく笑うと、岩並君は私を見下ろした。帽子の上から私をなでる。さっき「ペロを触ったから」と言って公園の水道で洗ってから改めてジェルで消毒した手。冷たい水のせいで指先が真っ赤だ。
 岩並君はこうして気を配ってくれる。
 私と会うために、そしてもしかしたら私に触れるために。

「せっかくの誕生日だろう、外に出れば気がまぎれるんじゃないかと思った。話したくないならそれでもいいんだ、ふさぎ込んでなければ」
「あのね」

 大きな手でゆっくりなでられて、気持ちよくて落ちつく。私は目を閉じてされるがままになりながら、心の中を整理していく。
 電話の時には言葉にならなかった気持ちを。

「高校を選ぶときにも言われたの。『自分のことに真剣になりなさい』って。昨日スマホを自分で探しなさいって言われたときに思い出した」

 風邪やインフルエンザの流行を考えたら、早く決まるほうがいいねって家族会議で言われて決めた志望校。
 学舎は確かに1番早く決まるけど、試験日が同じ私立の進学校は他にもあったのだ。最終的に学舎を選んだのは私。1番耳になじみがあったから。それだけ。一番お金がかかって一番厳しいところだって知ったのは、受験するって決めた後だ。
 まさか長靴や手袋まで指定されてるとは思わなかった。友達と手袋間違えたりしないのだろうか。

「パパもママも合格を喜んでくれたけど。ホントはどうでもよかったって私が思ってることを知ったら、がっかりするんじゃないのかな……、って考えてまたぐるぐるしちゃった」

 誕生日。お仕事に行くパパに慌ただしく祝われて(休日出勤!)、「お夕飯の後はケーキよ」なんてママに楽しそうに言われて泣きたくなった。
 15才になったけど、私は何も変わってない。
 胸がきりきりして、なぜだか岩並君の声が聞きたくて、気が付いたらお昼の後に受話器を握っていた。岩並君が、しょんぼりしている私に気付いてくれて、びっくりしたし嬉しかった。

「イコは今、自分のことに真剣になってるじゃないか。これでいいのかって悩んで、家族のことを考えてるじゃないか。誰もがっかりなんかしない」

 穏やかで、低く静かな声。欲しかった言葉。
 岩並君、岩並君。
 私は岩並君に甘やかされてダメになりそうです。

「何もかも急に変えるのは無理だろう。前にも言ったな、ゆっくり、少しずつ折り合いをつければいい。イコは気負いすぎるんだ。俺はイコがもっとわがままを言っても、好き勝手してもいいと思う」

 手が離れていった。寂しいな、もっとなでてほしい。そう思って顔をあげると、目の前に小さな紙袋。

「お誕生日おめでとうイコ」
「えっ、あ、ありがとう」

 受け取ると、開けてみてほしいと言われた。
 紙袋の中にはピンクの包装紙に、淡いグリーンの水玉リボンがかかったプレゼント。このリボンだけでも可愛い。汚さないよう落とさないよう、ベンチに置いた袋の中でほどき、開ける。小さなベージュの紙箱のふたを外す。

「わ……、可愛い」

 髪飾りが2つ入っていた。パッチン留めとヘアピンだ。
 大きい方、カラフルなパッチン留めに触れる。
 パステルカラーに染められた、レースモチーフを使った髪飾り。大きな薔薇のつぼみ、枝に付いた木の実、小さく咲く花が楕円のレースの上に配置されている。金の小さなリボンと、土台になったレースの枠を彩る金糸が、面積が少ないのにきらきらして素敵だ。
 春の息吹の髪飾り。
 岩並君。前回といい今回といい、岩並君の中の私は、こんなに素敵な髪飾りが似合う女の子なのですか。買いかぶり過ぎてやいませんか。

「前にあげたのが冬の髪飾りだったから、春らしいのがいいと思った。もうひとつ黒いのは、学舎でも使えそうだから」

 ヘアピンは黒のグログランリボンがピンの前面に貼られている。ピンと平行になるよう付けられたちょうちょ結びも控え目で、確かにこれなら目立たず付けていられると思う。

「付けさせてくれるか」
「うん」

 帽子を脱ぐと、手ぐしで丁寧に髪をとかされる。もう手があったかくなっていることに感心する。冷たい水触ったのに凄いね、と言おうとして彼を見上げ、その眼差しに言葉を忘れた。
 甘いはちみつ紅茶の視線が、少し潤んでこちらを見ている。緩んだ頬。とろけそうな笑顔。

「っ!」

 待って威力が強すぎる、何その笑顔。こうしているのが嬉しくて可愛くて仕方ないんだと言われているみたいで、一気に顔が熱くなる。直視できずに目を泳がせているうちに、パッチン留めを左に付けて大きな手が離れていった。

「よく、似合う」

 お礼を言うべく意を決して目を合わせ、即座に後悔する。
 甘い視線の中にどこか熱があって、反射的に体がこわばる。なぜか逃げられない、という言葉が浮かんだ。逃げる? どうして?
 こんなに優しい岩並君からなんで逃げないといけないの。

「あり、がとう」

 言葉がうまく出てこない。岩並君の眼差しに、すべて絡め取られたみたいに動けない。やたらに手が汗をかく。

「今日渡せてよかった。明日渡す予定だったけど、どうせなら、お祝いの言葉もプレゼントも誕生日の当日の方がいいだろう?」

 口調は穏やかなのに、笑顔だって優しいのに。手の甲で頬をくすぐるようになでられて体がぴくんと跳ねる。触れられていない唇が、体がムズムズする。
 なにこれ。なにこれ。岩並君これなにか知ってる? 聞いてみたいのに、そういう自分を知られたくない気がして訊けない。

「顔が赤いな」
「岩並君のせいだぁ。またこんなに素敵な髪飾り持ってきて! このイケメンめ、人をこんなにお姫様扱いして。いけないのですよ!」
「ダメなのか」
「岩並君は私を甘やかし過ぎるんだってば、ねえ笑わないの! もう! なにがおもろいねん!」
「どうして関西風になった」

 そんなに楽しそうに笑わないで岩並君。私は抗議しているんですよ、この大柄むきむきイケメン男子め! 

「だいたい岩並君はですねえ。あれ?」
「どうした」
「ペロちゃん動いてない」

 岩並君は私と同じ方向を見て呟いた。

「あいつ力尽きたな」
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