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中学編

中三・大寒の次候

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 会いたかった。

 だから、イコが月曜から学校に行くらしいと塾で永井から聞き、いてもたってもいられなかった。
 登校前日の日曜日なら、訪ねて行ってもそうイコへ負担がかからないだろう。幸い、その日は午後から空いている。見舞いついでにプリントを届けたいと名乗り出れば、伊井先生はイコの休んでいた間の分を渡してくれた。

「よくやるなぁお前、感心するよ」
「足で稼ぐくらいしか思いつきませんから」
「うわ、開き直った。あんまりつつくなって言っておいたのに、あいつ、つつき回したな……?」

 呆れ顔もされたが、実害がないのでよしとする。
 届けに行ってもいいかと電話をかけたらイコはずいぶんと喜んでくれ、久しぶりのその声に胸が締め付けられた。うっかり好きだと口にしそうになって、不自然に黙ってしまう。

『どうしたの岩並君』
「いや。日曜日、1時頃お邪魔します」
『はあい、お待ちしています! じゃあ岩並君、またね』
「ああ。また」

 電話を切っても、弾む声が耳に残る。嬉しそうに俺を呼ぶ声。
 どうしてそんなに可愛いんだイコ、そんな声を聞かされたら、たまらなくなるだろう。
 小さくて可愛い俺のお姫様、俺がお前を思う半分でもいい。
 俺のことを、考えてくれないか。


 ◇


 日曜日、午前中に体を動かしたせいで少し汗臭いまま、世渡家へ向かった。一応着替えはしたが、体臭は風呂に入らないと消えないだろう。少々気が引けたものの、こればかりは仕方がない。
 いつものようにジェルで手を消毒してから呼び鈴を鳴らす。

「いらっしゃい岩並君!」

 出迎えてくれたのはイコのお母さんだった。挨拶もそこそこに、中へ通される。

「ありがとう岩並君、イコちゃん退屈がっていたから喜ぶわ。金曜日にはもう登校できそうな体調だったの。念のため休ませたら、さすがにインドア派のイコちゃんも、ずっとお部屋にいるのにうんざりしたらしくて」
「お邪魔でなければよかったです」
「お邪魔どころか大歓迎よ。さあ、どうぞ」

 手洗いうがい後、当たり前のようにイコの部屋へ案内され、やっぱり気が引けてしまう。
 大好きな女の子の部屋に踏み込む気持ちは、ちょっと言語化できない。喜びと後ろめたさ、幸福と背徳……が合わさった何か。
 この気持ちを表す言葉を俺は知らない。

「いらっしゃい岩並君、来てくれてありがとう!」
「よくなったって聞いて来てみたんだ」

 待ちきれないというように、イコはドアを開け笑顔で迎え入れてくれた。チュニックにレギンス姿。普段着だ。

「なんかね、読書大好きなんだけど、ベッドでずっと本読んでるとさすがに飽きてきちゃって、退屈だったの」
「金曜日に岩並君から電話を貰って、とっても喜んでたわねイコちゃん」

 お盆にお茶とお菓子を載せて入ってきたイコのお母さんが付け加えた。

「そうだよー。知世ちゃんとも電話だけだったから、来てもらえてすごく嬉しい」

 えへへ、とはにかんで笑うイコが可愛い。この笑顔が見たかったんだ。
 ごゆっくり、とイコのお母さんが部屋から出て行き2人きりになる。俺はお茶の置かれたテーブルの前に座り、鞄の中からプリントを取り出す。

「午前中、空手の先生の所へ顔を出して、少し体も動かしてきたから汗臭いかもしれない」
「それはご褒美案件ですな! 気にしなくていいのに」

 イコまで仲良と似たようなことを言いはじめた。胸倉掴まれたり臭かったりするのがご褒美なのか。罰ゲームの間違いじゃないのか。困惑しながらプリントを渡すと、イコは「ありがとう!」と受け取り俺の横でベッドの端に腰掛けた。

 すぐ側で揺れる、レギンスをまとった細い足。まるで誘惑されてるみたいで落ちつかない。壊れてしまいそうに華奢な膝、厚手の靴下にスリッパまで履いておきながら小さなつま先。まとめて抱きしめて腕に封じ込めてしまいたい。
 気を紛らわそうと、勧められるまま紅茶とカステラをいただく。
 イコ本人は、プリントをベッドへ広げてうなっている。

「ううーん?」
「どうした」

 振り向くと、一瞬俺の顔を見て嬉しそうにしたものの、プリントに困惑顔を向けた。

「わかんない」
「なにが」
「数学がピンとこない」
「えっ」

 それは計算感覚や問題を解く勘が、休んでいるうちに鈍ったということか。1週間だろう、早すぎやしないか。よほど理数系が肌に合わないんだな、イコ……。

「いっ、岩並君!」

 イコは切羽詰まった様子でベッドからしゅるん、と滑り落ち俺のすぐ横に座った。なんだそれ! 猫か! 可愛すぎるだろう!
 俺に数学のプリントを見せるイコの目は涙目だ。

「勉強教えて!!」

 イコは俺の息の根を止めにきたらしい。俺はうるうる上目遣いに悶絶し、たやすく陥落した。教えるにあたり、俺が大きすぎて手元が暗くなるという問題があったものの、イコが座る場所を前や隣ではなく、俺の足の間に抱え込むことで解決する。汗臭いかもしれないと心配したが、イコは気にしていないようだった。

 ああ、イコ。
 大事な大事な、俺の大好きな女の子。

 正直、イコの可愛さに止まらなくなってしまった自覚はある。
 だって仕方ないだろう、腕の中でイコが笑って「岩並君、お口のカステラ可愛すぎる」なんて言いながら口元に触れてくるんだ。可愛いのはお前だ! その指に舌を絡めて食べてしまいたい。抱きしめて肩に顔をうずめて首にくちづけがしたい。
 イコへの愛しさが膨れ上がって我慢できず、一生懸命問題を解いているイコの頭へくちづけを落とした。

 くすぐったかったのだろう、何度もキスをしているうちに、イコは「ほっかむりしようか」なんて訊いてきた。自分のふわふわしたくせっ毛が俺に迷惑をかけていると思ったらしい。ごめんなイコ、悪いのは俺なんだ。イコが好きすぎて止められない。
 心の中で謝りながらイコの頭に触れる。
 何度も髪をすきながら頭をなでる。気持ちよさそうにされるがままになっているイコへ訊いてみる。

「イコはなにか、欲しいものないか?」
「健康」
「あげられたらいいんだけどな」

 本音なのだろう。毎回、切なくなる。

「どうしたの岩並君?」
「来月、誕生日だろう」
「覚えててくれたのですか! マメだね」
「ふとんの日でニートの日だろう? 忘れにくい日だな」

 イコは体ごと振り向こうとし、バランスを崩して俺のセーターを掴んだ。小さな小さな手が俺にすがりつく。ああもうなんだこれ、たまらない。俺は正気でいられるだろうか。それとももうおかしくなっているのだろうか。可愛さにもはやオーバーキルされた俺へ、イコは誕生日のお願い事を聞かせてくれた。

「町の地域文化祭、2月だよね。岩並君のおばあちゃんのお皿、さんまとレモンの文房具載せて出品されるんでしょう? 見に行きたいんだけど、行ったことないの。岩並君、連れてってくれる?」

 なんだその可愛いおねだり。
 デートのおねだり、しかもうち絡みなんて。どこまで俺を夢中にさせるんだイコ。

 俺の大好きな女の子が!
 可愛い!!

「わかった。ばあちゃんも喜ぶな、ありがとうイコ」
「こちらこそ。連れてってね、約束ね?」
「了解」

 俺にしがみつくイコの手を外し、ゆっくりと指を絡める。細く小さくひんやりした手だ。

「あ……」

 イコの唇が、震えた。潤んだ目が俺を見る。漏れた吐息があまりに艶めかしくてゾクゾクする。それも一瞬のこと、イコは自分にびっくりしたように赤くなった。

「どうした?」
「なんでもないっ!」

 慌てて横を向き赤い頬を隠すイコに笑ってしまう。
 可愛い。可愛い。
 いつまでもこうして抱えていられたら、どんなにいいだろう。
 震えた下唇を優しくくわえて、舌でくすぐってやりたい。

 わかってるよ、イコ。
 唇へのキスは恋人にしか許さないんだろう?
 イコが傷ついたりしないように、これでも抑えているんだ。
 だけど、せめてもうちょっとだけ、手をつないでいさせてくれ。


 まるで恋人同士みたいな甘い時間を、ふたりで過ごしていたいから。

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