上 下
50 / 173
中学編

中三・冬至 クリスマス②

しおりを挟む
 
 目がくらむ光。
 一拍遅れて、轟音とともに建物が揺れる。
 イコの体が衝撃に負けてふらつく。肩に手をかけ自分の体へ引き寄せると、小さな手でしがみついてきた。抱え返し、足元がおぼつかないイコの体を安定させる。

 バリバリと耳をつんざく音が鳴り響く中、世界が一気に闇に変わった。
 停電だ。

 雷の多くは山側か海側へ落ちる、平場では珍しい。光から音までタイムラグがあったので、この近隣ではないに違いない。
 ただ、変電所などに異常があったなら、停電は長引くだろう。

 腹の底を揺らし裂くような音が鳴る中、俺はそんなことを考えながら、こわばったイコの体を抱えて立っていた。闇の中ではできることもなくて、ただ雷鳴が消えるのを待つ。

 ぐっ、とイコが額を俺の体に押し付けてくる。猫みたいだ。思い切り抱きしめてくちづけたい衝動に耐える。
 怖いのだろうか、確かに耳を痛めつける轟音は、聞いていて気力を消耗する。ようやく最後の音が鳴り終わっても、イコは固まったまま動かなかった。

「世渡、大丈夫か、くじいてないか」
「大丈夫」

 返事が硬い。

「そうか、よかった。でもまいったな、こう暗いと身動きが取れない」
「真っ暗、だね」

 イコの華奢な手が、俺のコートを掴む感触がした。胸の中がきゅうっと絞られる。極力優しく抱えなおす。愛おしい、俺のお姫様。

「暗いの、怖いか?」
「ううん。そうじゃなくて……。光って、音がすごくて、急に暗くなって。目と耳に振り回されてる感じ……」
「そうか」

 きっと動揺が上手く消化できないんだろう。
 俺はそっとイコの頭に触れ、なでる。ふわふわの髪に、プレゼントした革のパッチン留めの感触。暗闇の中だからこそ、こちらにしがみついてくるイコの息づかいまではっきりわかる。

 不安に思わなくていい、イコ。俺がいるから。
 何があっても、守るから。

「びっくりしたな。大丈夫だ、雷は止んだ。ただ、天気はこれから荒れるはずだ」
「雪降ろしの雷?」
「ああ。冬場の雷は雪を落とすっていうからな。夕方から荒れる予報も出てた。早く帰った方がいいんだろうけど」

 目の端にチカッと光が走った。淡い光が、部屋の天井を左右に走り、こちらに降りてくる。

「おーい、大丈夫か、怪我してないか」
「伊井先生」

 イコが顔を上げる。
 懐中電灯を手にした伊井先生が、部屋の入り口から顔をのぞかせていた。


 ◇


「まずいな、この停電長引くぞ」

 小さなキャンプ用のライトと、古めかしい石油ストーブの火に照らされた職員室で、伊井先生がため息交じりにぼやいた。

「長引く?」
「街灯どころか信号も消えてる。すぐ道路が麻痺するだろ」
「電話も駄目ですよね」
「固定電話は駄目だな。今のは電気ないと使えないから」

 風が強くなってきた。信号も街灯もついていない道へ、イコを出すわけにはいかない。だが俺がイコの家まで無事に送れるかというと、それも怪しい。
 排水路や用水路はフタがされていない所も多い。街灯や建物の明かりがない中、荒れた天気に長い距離を歩くのは自殺行為だ。懐中電灯だって照らせる場所に限りがある。

「先生、世渡を俺のうちに連れて帰ろうと思います。確実で安全な方がいい」

 俺の腕を抱きしめたまま、イコが目をぱちくりさせた。

「えっ、岩並君のおうち? いいの?」
「当たり前だろう。世渡の家までの距離は危ない」

 先生はスマホを取り出すと、ダイヤル画面にして差し出してきた。

「まずは家族と相談してみろ」
「ありがとうございます」

 受け取って電話をかける。固定電話が駄目とのことで、母さんの携帯だ。

『……はい?』
「母さん? 丈夫だけど。今大丈夫?」
『どうしたー?』
「うち、今どうなってる? 停電中か」
『まあ電気は消えてるけど、暗いだけでいつも通りだよ』
「天気も悪くなってきたし、街灯も信号も付いてなくて、世渡を1人で帰したくないんだ。世渡も連れて帰っていいか」
『何言ってんの当たり前でしょうが! そんなことで電話なんかいらないのにダメな子だねぇ。すぐ連れて来なさい。いい、気を付けて来るんだよ? イコちゃんに怪我させないこと!』

 母さんは言いたいだけ言うと電話を切った。礼を言ってスマホを先生に返すと、イコが「ええ……?」と弱々しくつぶやく。会話が聞こえていたらしい。

「岩並君がダメな子……? そんな。岩並君がダメなら私は? 私はなんだろう……。クズ? クズかな」
「親なんてみんな、自分の子どもにはそんなもんさ。気にするな世渡」

 伊井先生は苦笑しながら、イコの方を向く。

「世渡の親御さんは携帯持ってるか」
「パパが持ってるけど、今お仕事中」
「本当は世渡の家と連絡取れればいいんだが、そっちは固定電話だけか。わかった、とりあえずお父さんの番号教えてくれ」

 メモ帳を取り出して、イコが父親の携帯番号を伝える間にも、風が勢いを増し窓がガタガタ鳴る。

「世渡のお父さんにはこちらから連絡をしておく。岩並の家に着いたら、今度は自分で電話しろ。世渡のお母さんが公衆電話なんかでお父さんと連絡を取れば、話が通じるだろ?」
「わかった」
「ようし。じゃあ岩並も世渡も、気を付けて帰れ。ひとつだけだけど、懐中電灯貸してやる」
「ありがとうございます」
「先生はどうするの? 他の人は? 寺六院さんいないね」

 未だに俺の腕に抱きつきながら(可愛い)イコが首をかしげる。

「俺1人ならどうとでもなるさ。寺六院さんは今日の講習が終わった直後に帰ったよ。夕方から大荒れの予報だっただろ? あの人長距離通勤してるからなあ」
「先生も気を付けて帰ってね」
「了解」

 先生は懐中電灯片手に玄関を出たあたりまで見送ってくれた。
 安全第一のエスコートだ、左手でイコと手をつなぎ、懐中電灯で足元を照らしながらゆっくり歩く。
 みぞれが降る中、視界が悪くなるカサはささない。イコに帽子の上からコートのフードをかぶせ、濡れないように気を配る。

「天気も悪いしゆっくり歩くから、時間がかかるかもしれないけど、距離はそんなにないから」
「うん、わかった。よろしくお願いします」

 つないだ手の、手袋越しの小ささに、切ない息苦しさを覚える。素直に身をゆだねてくるイコの信頼に応えたい。

 好きだ。イコが好きだ。

 いつだってこの小さな手を引いて歩くのは俺でありたいと、ただ、願う。


しおりを挟む

処理中です...