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中学編

不健康女子の中三・冬至 クリスマス①

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「岩並君、岩並君、疲れてる?」
「そうだな」
「岩並君、岩並君、寝不足ですかな」
「そうだな」
「岩並君?」
「そうだな」

 岩並君が「そうだな」しか言わなくなった。

 どうした電池切れですか、朝の挨拶したあたりはまだ普通だった気がするのに。おかしい。
 勉強に根を詰めすぎじゃないだろうか。

 彼はとても真面目なひとだ。
 私は怠け者なので「別にそんなにがんばらなくても岩並君、推薦入試面接だけだよねー」とかつい思ってしまうのだけど、彼は手を抜かない。きっちり勉強して、余力で他人へ教えられるレベルである。私はその恩恵をたっぷり受けているわけだ、ありがたや。

 私が岩並君だったら、冬季講習休んでうちで読書三昧する。そして受かったら喜んでさらに読書三昧、落ちてようやく慌てはじめる。ダメな奴です。ええ。

「どう思う大野君?」
「まあなんかで頭ん中いっぱいになってんだろ」
「なんかって」
「なんか」
「うぉい!」

 なんと役に立たない幼なじみ情報。

「まあ、周囲に被害が出てないんだし、バグってる奴はほっとけばいいんじゃね?」
「ええー……?」

 知世ちゃんはまだ東京なので欠席である。ああカムバック知世ちゃん! いっぱいお話したいよう。
 親友の不在に寂しさを噛みしめつつ、ぼんやりとプリントを見つめている岩並君を眺める。

 大柄むきむき眼福イケメン、ただし心ここにあらず。なんだか寂しい。岩並君からもらったパッチン留めを触る。
 アクセ関係は気になってイライラするから付けられなかったけれど、パッチン留めぐらいなら大丈夫なのだと、岩並君のクリスマスプレゼントが私に教えてくれた。

 ショッピングモールで岩並君が見つけたというパッチン留め。
 今している、普段使いにちょうどいい、革に金銀の星がちりばめられた革の髪留めと。
 クリスマスや冬の特別な日にぴったりの、アイリッシュクロッシェの花モチーフが付いた、毛糸レースの髪飾り。

 どちらもそれはもう可愛くて素敵で、乙女の夢が形になったかと思わせるクリスマスプレゼント。
 小学生男子みたいなノリでプレゼントを渡した後だったので、その落差はなおさら私に刺さった。

 ワニあげたお返しがアクセサリーとか!
 私岩並君に、女子力で負けてるぅ!!

 だって某遊べる本屋で一目惚れだったんだよう、ワニ!
 大して物の入らないペンケース、ただのジョークグッズでありながら、気合い入ったこだわりっぷり。
 爪は白い合皮で、きちんと中から生えて見えるようミシンで縫ってあった。しかもギザギザを縫い付けて終わり、なんて手の抜き方はしていない。1本いっぽん手の形が綺麗に出るよう計算された縫い方である。
 私、手芸は趣味だけど、これ『ミシンで縫え!』と言われたら泣く。無理すぎて泣く。

 口のチャックを開けたら中が真っ赤なジャージー地なのもポイントが高かった。中まで手を抜かないこだわり。
 顔がリアル系なのも、生き物好きな岩並君にぴったりだと思ったのだ。だから中身もこれに合わせて選んだ。選んでる最中凄く楽しかった。
 岩並君も、贈ったプレゼントを目をまんまるにして見ていて、やった大成功だと喜んだのに。

 もうね、お返しは次元が違った。
 ウ〇チを棒でつついて喜ぶアホ小学生と、就職内定した大学生くらいの差だった。自分のレベルの低さにガッカリしましたよ……。
 ふ、とため息をつく。

 岩並君は、真面目に勉強しながら私へ教えてくれた上、忙しい中ショッピングモールまで足を運んでプレゼントを選んでくれたのだ。あんなに素敵なプレゼントをもらっておいて、私がうだうだしているのは失礼だろう。

「岩並君、いつも勉強教えてくれてありがとう。迷惑だったら教えてね」
「そうだな」

 岩並君の視線がこちらを向かない。
 紅茶色の眼差しを向けてくれないかと、彼の目の前で手をひらひらさせてみる。効果がない。残念、なんて思いながら手を降ろした瞬間。

 ぱく。

「へ」

 私の小指の先が岩並君の唇に咥えられた。
 何言ってるのかわからないと思うけど私もわからない。私の! 小指が! 岩並君にぱっくんされています!

 えっ、ちょ、なにこれ、違うから岩並君! 私の小指お菓子じゃないから! 美味しくない、美味しくないよ!? ねえ!?

 凍りついて動けない私の小指を、岩並君の唇は挟んだまま離さない。こちらを見ない伏せた眼差しはどこかアンニュイで、指を挟みかすかに開かれた唇が色っぽい。
 やめて岩並君、そんな色気をにゅくにゅく出さないでこういう時に! これ巻き込み事故だよね、ちょっと、岩並君!?
 暖かい呼気が手に当たってくすぐったい。歯は当たらない。でも。

「ふひっ」

 舌先が、指の腹を撫でた。濡れて柔らかな熱い感触にぞわぞわして、でも嫌悪からの悪寒とは違うようで戸惑う。
 あ。
 ちゅうって吸われた。
 ねえ岩並君今何を食べてるつもりなの。

「い、岩並君」
「そうだな」

 岩並君がしゃべった瞬間、急いで手を引く。
 指の先だけが小さく濡れているのがなんだか卑猥で、心臓のばくばくが収まらない。

 濃密な口づけに、小指の先だけじんじんしてる。

「おーし、そろったか、数学始めるぞー」

 入ってきた伊井先生が、慌てて前を向いた私を見て眉根を寄せる。

「なんだ世渡、赤い顔して。具合悪いんなら無理するなよ?」


 ◇


 岩並君は2時間目が終わった時には元に戻っていた。
 2時間目の始めあたりに、私の真後ろでガタッ! と音がしたので、きっとあれが岩並君の再起動音だったのだと思う。
 寝ぼけていたんだろう、はた迷惑なイケメンである。人を無駄にどきどきさせてからに。

 6時を過ぎたらもう外はまっ暗だ。早めに帰った方がいいのはわかっているんだけど、厚着ゆえ支度に時間がかかり、気がついたら岩並君と私しか残っていない。

「今日は永井いないだろう? 本屋まででよければ送る」
「うん、でも岩並君、ホント無理しなくていいからね?」
「無理なんてしていない」
「だといいんだけど。疲れを気合いと筋肉で何とかしようなんて思ってない?」
「なんだその偏見」
「偏見、か、なあ? うう着られない」

 コートに腕を通そうとして上手くいかない。届かない苦し紛れに手をぴこぴこさせていると、見かねたのか、手伝う、と岩並君がコートを持って広げた。後ろ向きに腕を入れると、まるで私が壊れ物のようにそっと着せかけてくれた。
 もたもたとボタンをはめているうちに首へマフラーを巻かれる。

 岩並君、お気遣い紳士を通り越して保父さんモードになってる。もうホント申し訳ない。

「ありがとう岩並君、お手間を取らせましてー」
「気にするな。寒くないようにしっかり着込んだ方がいい。せっかく今月体調がいいんだから」
「うん」

 まるで当然とばかりに私の命綱セットを持つ岩並君を、正面から見上げてみる。
 おっきい。むきむき。イケメン。眼福男子が私を見下ろしている。

「どうした?」
「岩並君、私の小指、ぱっくんしたの覚えてる?」
「え」

 岩並君が目をぱちくりさせたその瞬間。

 視界が。

 白く。

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