上 下
48 / 173
中学編

中三・冬至 クリスマス①

しおりを挟む
 

 町支部校の冬季講習は5教科で、受講するのは公立志願者ばかりだ。私立狙いの人間は本校に切り替え、冬季講習や個別講習を受けているらしい。
 そもそも町支部校へ通っている中三はほとんどが公立狙いなので、減ったのは2人だけだが。

 俺は学舎を落ちた時のことを考えて、町支部校のままにしている。
 というのは建前であって、公立受験向けだろうが何だろうが頑なに町支部校から動かないイコに会えるから、というのが強い。
 運が良ければ、大晦日と正月三ヶ日を除いた冬休み全て、イコと朝から会えるのだ。
 自分でも動機が不純だと思うので、ことさら勉強は手を抜かずに頑張っている。

「で? プレゼントはどうなった、うまくいったかー?」
「ああ……」

 隣の席に座った仲良に訊ねられた瞬間、顔を真っ赤にして照れていたイコを思い出して顔を覆う。
 顔がゆるんでしかたない。

「世渡が」
「世渡が?」
「世界で一番可愛い」
「リア充爆発しろ」

 だからリア充とは違う、と訴えるべく手を降ろしたところで、小さな着ぶくれダルマがよたよた入ってきた。
 毛糸の帽子にマフラー、ダウンのコート。マフラーに埋まりかけている口元はマスク装着。

「おはよう世渡」
「岩並君おはよう」

 イコだ。
 あまりに着ぶくれていて現実感がない。つまずいたら枝豆みたいに中身だけ飛んでいきそうな気がする。こう、黒ひ〇危機一髪並にすぽーんと。
 イコは荷物を降ろすと手袋を外し、毛糸の帽子を取ろうとした。

「んうっ」

 届かない。
 厚着したせいで肩が上がらないようだ。
 可動域が狭くなった腕を伸ばし「取れない、取れない」と呟きながら手をぴこぴこ動かす。届かない。ああああペンギンみたいだ可愛い。ぴこぴこ可愛い。
 本当にもう朝から世界一イコが可愛くて俺は一体どうすればいい。
 萌え死ぬ。

 必死にゆるみそうな顔と戦う俺をよそに、イコは帽子を外すのを諦めたらしい。先にマフラーを外しコートを脱ぐ。
 カーディガンの下にセーター、その下に多分ヒー〇テックのハイネック。下も、タイツにレッグウォーマー、厚手のスカートからは毛糸のレースが付いたニットのペチコートがのぞく。
 上も下も重ねに重ねて、タマネギみたいに層ができそうだ。何キロ着ているんだろうか。

「肩が凝りそうな厚着だな」
「うん。肩と腰に優しくない。でも寒いのはやなのですよ」

 マスク越しにもそもそしゃべる。表情が見えないのが残念だ。

「首もお腹も足と腕も、どれが冷えてもお腹痛くなるんだよ。ああ憎い、冬なぞ滅びればよいのに……!」

 着ぶくれしてころころ可愛い姿にはそぐわない、なかなか本気の呪詛だった。忌々しげにうなると、頭から帽子を外す。乱れた髪を左手の手ぐしで整え、押さえているところへポケットから取り出した髪留めをとめる。

 ぱちん。

 俺の贈ったプレゼント、普段使い用の方。
 革に金銀の糸で、小さな八角星の刺繍がちりばめられたパッチン留めが。
 ふわふわしたイコの。

 髪に。


 ◇


「ッ!?」

 ビクッと体が震えた。何が起きたかわからない、ぶわっと全身の毛穴が開いて汗がにじむ。心臓がばくばくする。

「あー、関係代名詞は文をつなげて名詞を修飾する。この場合はだなー」

 気がついたら堂料先生の授業になっていた。1時間目は伊井先生の数学だったはずなのに。こっそり回りを見渡すと、隣の席の仲良がうろんなまなざしをこちらへ向けていた。
 必死になって記憶をたどる。
 ――――そうだ。

 昨日プレゼントしたパッチン留めが、イコの髪に付けられて。

 嬉しすぎて意識が飛んだ。

 手元を見る。
 放心状態でも自動的にノートは取っていたらしい。字はひどいが数学も今の英語もちゃんと授業を受けていた、ただ記憶が薄い。
 前に座ったイコはむくむくしたふくらスズメのような姿で真面目に授業を受けている。後ろからでは髪留めまで見えないが。
 周囲の状況を確認して少し落ちつくと、再び嬉しさがこみ上げてくる。

 イコがプレゼントを付けてくれている。2つとも気に入ってくれたのか。昨日はイコがあんまり長い間真っ赤だったので、あれ以上プレゼントの話はできなかったのだ。
 真面目に勉強しているうちに俺の心も落ち着いて、幸いにも最後まで変なことを口走らずに済んだ。
 ただ。

『今日はありがとう岩並君。贈り物、大事にする』

 帰る寸前、玄関で。こちらをぐうっと見上げ、それでも足りずに上目遣いではにかみながら言われた瞬間、今度こそ死んでしまうと思った。
 イコが可愛くて嬉しくて幸せで胸が締め付けられて切なくて、自分が自分じゃなくなったように『じゃあまた明日塾で』と言う己の声を遠くに感じた。

 前の席とはいえずいぶん下にあるイコのつむじにキスがしたい。
 使ってくれて嬉しい、ありがとうと今すぐ言いたい。

 俺の方はといえば。
 うちに帰ったとたん『どんなのもらったのよ!?』と姉さんにしつこく訊かれ、家族の前でプレゼントを見せるハメになった。

『あははイコちゃん最高ー!』
『これ案外凝ってるなぁ』
『あの嬢ちゃんは冗談の通じるコだのう』
『変にぶりっ子してなくていいわねえ』
『ほほう』

 大絶賛だった。
 うちはみんなお祭り好き、面白い物が大好きなのだ。俺だけノリが悪いといつも言われている。

 中身の焼き魚ペンと輪切りレモン消しゴムを見たばあちゃんは、『ほほう』と言いながら席を立ち、『ほほう』と言いながら自分で焼いたさんま皿を持ってきて2つとも載せた。ぴったりだった。
 2月にある地域文化祭にこの状態で出品したいとか。手元に置けないのは残念だが、イコが知ったら面白がりそうだと思ったので了承した。

 イコがくれたのは物のみじゃない。
 大事にしまうだけじゃつまらないと、きっと言うだろうから。

 そんなわけで、焼き魚ペンと輪切りレモン消しゴムは今ばあちゃんの皿の上に飾られて出品を待ち、ワニは人食いワニ事件状態で俺の部屋にある。
 今度夜食のカップ麺を作るときは、あの被害者(フタおさえ)を使ってみようと思っている。

 イコがくれたクリスマスプレゼントで、話したいことがたくさんできたんだ。
 俺の贈ったプレゼントを身に付けたまま聞いて、喜んで、笑ってくれたら嬉しい。

 ああ、ふわふわした髪の、イコの後頭部から目が離せない。
 壊れそうに細く小さくか弱い体で、世界を楽しむ女の子。



 なあ、イコ。


 お前の見ているその世界を、俺にもどうか分けてくれないか。

しおりを挟む

処理中です...