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中学編

中三・冬至 イブ①

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 『〇〇は俺の嫁!』って叫びたくなるのはこういう時なんだろうか。

 イコがお茶をいれてきてくれた。まるで新婚のようだ。着いたばかりなのに心臓に負荷がかかる。ああ、俺は生きて世渡家から出られるんだろうか可愛い。お茶は濃いしイコが可愛い。

 用事のおかげで帰れず、コンビニで昼飯を買った。ここで食べさせてもらえたらと思っただけなのに、コンビニのおにぎりは味噌汁、煮物、漬物付きのおにぎり御膳と化して俺の前に置かれている。例によって半月盆だ。コンビニ臭はすでになく、高級感であふれている。店なら千円をオーバーしているに違いない。

「岩並君ありがとう、足を運ばせて悪いね」
「いや、おかげで昼が豪華になった」

 あれがプレゼントだろうか、荷物と勉強道具を持ってきたイコは俺の正面に座った。
 世渡家での勉強会。他の2人は欠席で2人きり。「クリスマスイブに勉強会なんて受験生! って感じ」とイコは気にしていないようだが、俺は好きな女の子と過ごせるこの偶然に感謝したい。
 夏からなんだかついているが、俺の幸運は年内で打ち止めになったりしないだろうか。年明けに受験なのに。

 今日のイコは白いアラン模様のセーターに赤いチェックのスカート。クリスマスの色づかいだ。太い毛糸で編んだセーターは羊みたいにもこもこしている。可愛い。この羊を連れて帰りたい。
 煩悩はさておきこの格好なら、プレゼントも合うかもしれない。
 鞄に忍ばせたクリスマスプレゼントへ意識がいく。イコがくれたらお返しとして渡せばいい。ただ、選んでいる間は身に付ける物をと思っていたが、こうして渡す日になると腰が引けてしまう。

 心を込めて選んだけれど、やっぱり文房具やハンカチあたりにすればよかったか?

「用事って、岩並君今日忙しかった? もしかしてデートかな」
「!?」

 危うく飲んでいた味噌汁を吹くところだった。イコが「だったら悪いことしたなあ」と呟くので慌てて否定する。

「違う、空手の先生の所に行ってきたんだ。最近顔を見せてなかったから、寒稽古の欠席を報告するついでに」
「寒稽古」

 イコはこの世の終わりのような顔をした。

「毎年成人の日にあるんだ。今年は受験直前だから欠席する」
「ちなみにどんなことを」
「膝まで海につかりながら、上半身裸で正拳突き100本」
「荒行ですかね!」
「荒行というか、『心頭滅却すれば』」
「『火もまた涼し』気分で」
「気分」

 おかしい、急に真面目な行事ではなくなった。
 イコは弱々しくかぶりを振る。

「肺炎で死ぬ! 恐ろしい、きっと参加者みんな私と種族が違うんだそうなんだ」
「みんなホモサピエンスだ」
「いやうちホ〇ットだから」

 妖精族。
 案外本当かもしれないと思わせるほどに、世渡家の人々は小さい。イコはその小さな手で、俺の食べ終わった皿を盆ごとさげる。
 歯を磨けない分、濃いお茶がありがたい。カテキンで食後感をすっきりさせたところで時計を見ると、まだ約束の時間にすらなっていなかった。

「まだ時間あるから、先に渡しちゃうね! いつもお世話になっております、プレゼントです。メリークリスマス!」

 戻ってきたイコは満面の笑みで、プレゼント袋を取り出した。紺地に銀で大小の雪の結晶模様がちりばめられた、不織布の袋だ。太い白いリボンが結ばれ、金の長靴のオーナメントが付けられている。
 外見からは普通のプレゼントだが、一体何だろう。どきどきしながら受け取る。

「ありがとう、開けていいか」
「もちろん!」

 そうっと、痛めないようリボンを外す。袋も絶対捨てないつもりだ。帰ったらきちんと畳んで机にしまおう。
 中に手を入れる。もふっとした感触。
 ひっぱり出すと、緑色の塊。

「ワニだ」
「ワニだよ!」

 口の部分に大きなジッパーが付いている、緑色のフリースでできたワニのぬいぐるみだ。牙に見立ててあるのだろう、ジッパーの噛み合わせも大きなプラスチックでできていて、つまみ部分も冗談みたいに大きい。
 上から見ると背中の突起部分が波形のフェルトで作ってあって可愛いのだが、手足はでかくがっしりしていて、しっかり1本1本爪まで付いている。
 目元も鼻の穴もリアル寄り、ふてぶてしくて怪獣じみた、女子お断りな見た目のワニだ。アゴから鞄に吊り下げられるようカラビナが付いていた。
 商品タグにはペンポーチとある。

 腹のあたりを掴むと、硬い感触とビニールのこすれる音がした。
 ジッパーを開けてみると、こだわりか、口の中は毒々しい赤い布地でできている。中から出てきたのは。

「焼き魚?」
「焼き魚ボールペンだよ! ワニが魚食べるかどうかわかんないけど」

 焼いた秋刀魚の食品サンプルボールペンだった。ビニールパッケージに入ったまま、丁寧なことにレモンの輪切り型消しゴムまで添えられている。焼き魚用の皿へ2つまとめて置いたら映えるだろう。
 ワニの腹の感触だと、まだ何か入っている。腹を揉みながら前へ押し出すと、ころん、とテーブルに落ちたのはクリアブルーの塊だった。腰が不自然に曲がっているシリコンの小さな人形だ。

「それね、そのままだと入らなかったからパッケージ外しちゃったんだけど、カップ麺のフタ押さえだよ! 熱で色が変わるの。これがあるとさ」

 イコは俺から人形を受け取り、ワニの口に入れジッパーを閉める。中途半端に閉められた口から生える、人形の上半身。

「事件になったな」
「事件だよね!」

 人食いワニ事件発生だ。

「岩並君普段、無地とか、ロゴだけとか、大人っぽくてシンプルなもの使ってるでしょう。岩並君らしいし似合うと思うけど、たまにはこういうのもどうかなと思って、私の趣味で選んでみました!」

 つまりこれは、イコセレクトの遊び心セットなわけだ。
 どれもこれもあったら楽しいとは思うけれど、自分で買うのは少しためらう品物、というあたりが絶妙なチョイスだと思う。
 しかも生き物が好きな俺に、ジッパーがついていようとリアル寄りなワニ。
 そんなワニの口元を見て気づく。

「このカラビナ」
「あ、わかった? もっと細くて頼りないカラビナがついてたんだけど、丈夫なのに取り替えましたー。登山用品のお店で選んだから、カラビナだけでも色々使えると思うよ」

 ネタ系の贈り物なのに、細かいところまで気を配ってあるのもイコらしいと思う。この細々した物を買い集める間、ずっと俺のことを考えていてくれたのか。おかしくて、嬉しくて、笑いがこみあげてくる。

 ああ、好きだ。
 小さく弱い、寝込みやすい体の持ち主なのに、俺みたいな面白みの少ない奴とは正反対で、元気なときは楽しげな女の子。
 笑うイコをずっと見ていたい。

「ずいぶん凝ったプレゼントだ、ありがとう」
「趣味に走り過ぎたかと思ったけど、喜んでくれてよかった」

 ワニをひとなでして気合いを入れる。今度は俺の番だ。

「世渡がくれるって言ってたから、お返しを用意してたんだ」
「えっ、おっぱ――――」
「違うからな?」
「画伯の絵?」
「違う」
「一緒にカラオケ」
「違う」
「お尻を」
「違う!」

 鞄から取り出して、机の上に置く。

「メリークリスマス。使ってくれたら嬉しい」

 イコの方へ押しやる。
 口が渇く。どきどきして息がしづらい。
 気に入ってくれるだろうか、身に付ける物なんてと引かないだろうか、ああ神様。
 イコの喜ぶ顔が見たい。

「わあ、ありがとう! 何だろ」

 イコはわくわく顔でプレゼントを手にする。

 手のひらに載るほどの小さな箱。折れそうに細い指が金のリボンをほどき、赤い包装紙を案外器用に剥がす。
 剥がした包装紙を畳み、外したリボンを巻き、そのまま出てきたベージュの紙箱からフタを外して。

「わ」
「えっ」


 ――――イコは急に真っ赤になった。

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