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中学編

不健康女子の中三・小雪の次候②

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 永井知世ちゃんは、社長令嬢である。
 美男美女の両親の一人娘として、何不自由なく暮らしている。
 ただし。
 商社を営むパパは、仕事もできて格好よくて女性が放っておかず、本人も女の人が大好き。
 よって四六時中女性問題の渦中にある。

 おばあちゃんは女性問題ばかり起こす自分の息子は棚に上げ、知世ちゃんのママが力不足だからと責め。
 ママは夫からないがしろにされた上、姑に責められ荒れに荒れ。
 当然のように嫁姑戦争が勃発。知世ちゃんは生まれた頃からそれを眺め、ののしりあう家族から学び、人の心をえぐるのが上手な幼女へ育ちました。

「どいつもこいつも大嫌いだった」

 同年代は積み木の取り合いで大泣きするような幼児達。知世ちゃんが直面する状況なんて理解できるわけがない。そんなのと一緒にいること自体が辛かったという。幼児達もののしられ馬鹿にされ泣かされて、知世ちゃんには近づかなくなった。

 そうして、長い間幼稚園を休んでいて久しぶりに通園となった私に会った。
 他の幼児達と離れていた知世ちゃんと、体力的に遊べず1人で本を読んでいた私。もう覚えていないけれど、誘ったのは私だったらしい。

『いっしょにほんよもう』

 なんだこのガリガリのチビは? というのが第一印象だったという。声をかけられたのさえ不快だった知世ちゃんは、散々私をののしったのだそうな。でも。

『いっぱいことばをしってるんだねえ!』

 私は大喜びだったらしい。え? 脳天気過ぎないか私。
 でも確かに私は、はじめから知世ちゃんが大好き、という記憶しかない。
 本でしか知らない言葉が知世ちゃんの口からどんどん出てくるのだ、もう大興奮。単語は知っていても発音がわからなかった言葉は、知世ちゃんの声で学んだ。知世ちゃんの語彙は嫁姑戦争によるものなので、私の語彙は永井家の不仲から作られたようなものだ。
 あんまり嬉しくて、私はママにも自慢した。

『ともよちゃんはことばをたくさんしっていて、つっこみがはやいんだよ!』
『そう、頭の回転が速いのね! 羨ましいわねえ。芸人さんでも、映画や俳優、作詞作曲、絵や小説なんて、違うこともどんどんできちゃう人たちがいるでしょう? いろんなことを知らないと、ツッコミもできないのよ』
『ふわあ、すごいんだねえ! ともよちゃんはすごい!』

 私の中で知世ちゃんは『幼稚園で最高の女の子』になったのだった。

 一方、知世ちゃんは。
 何を言ってもご機嫌な私を突き放すのを諦め、一緒には行動しないものの近くにいたところ、頭が痛いのお腹が痛いの、鼻血を出すのもどすのと、すぐに具合が悪くなる様子を見る羽目になり『こいつ放っておくと死ぬんじゃね?』と思ったらしい。
 気がついたら、私に何かあると先生を呼んでくるお世話係になってしまっていた。

「私お世話かけっぱなし!」
「別にいいよ、気にしてない」

 私の横で、天井を見ながら知世ちゃんが返事をした。
 シングルベッドの中で、狭くてもかまわないと一緒にくっついて横になりながら、とりとめもなく昔の話をする。

「あんたの隣は気が楽だから」
「えへへ。知世ちゃん大好き」

 お泊まり会はとても久しぶりだ。小さな頃は家にいたくない知世ちゃんがよく泊まりに来て、こんな風にくっついて寝ていた。
 隣にいる、肩までの髪を下ろしてメガネを外した知世ちゃんはとても美人さんだ。美男美女の娘だから当たり前かもしれない。

 両親に似た見た目で騒がれるのが嫌だからと、普段の知世ちゃんは必要以上に地味にしている。買い与えられるブランド物の服も目立つのが嫌だとクローゼット行き。着ているのは自分のおこづかいで買ったしま〇ら製品。ただセンスはとてもいい。
 知世ちゃんは前髪をうるさそうに払うと、深いため息をついた。

「どいつもこいつも大嫌いだったけど、最近はましになった。でもね、家族だけは、どうしても好きになれない」

 私は知世ちゃんに抱きつく。
 永井家の人達は、自分の望みや苦しみにばかり夢中で、知世ちゃんへ注ぐ愛情まで頭が回っていないのだ。お金は愛情の代わりまでしてくれないのに。

「私、商業受けることにした。早く資格を取って働いて、あの家を出る」
「おうちの人は、女学館に入れたがってたよね?」

 女学館。良家の子女が学ぶ全寮制の女子校、海の近くにあるミッション系私立校である。周りは松林だけの、寂しいところだ。
 ちなみに、私の志望校を決める家族会議では速攻で却下されている。ママ曰く、『あんな所、イコちゃんが肺炎で死んじゃう!』とのこと。あの辺りは冬になると、海からの風で道も凍るほど寒いのだ。

「私の希望なんて聞きもしないで決めて、学校の三者面談でもそう担任へ伝えてた。だから焦ってたけど、伊井先生が」

『関わるのが面倒だって、自分の本心を訴えるのをおこたってたんだろ? 取りあえず全部ぶちまけてみろ。後のフォローはしてやるから』

 伊井先生の後押しに、知世ちゃんは今までの鬱憤もろとも、家族にぶちまけることにしたらしい。家族全員が揃っている日を見計らい、不意打ちをかけたのだ。

 知世ちゃんパパには『寄らないで色狂い、同じ空気吸うと肺が腐る』
 おばあちゃんには『女狂いの息子育てた自分は棚に上げて、嫁を責めるなんて恥知らず。女狂いの親だもの、頻繁に出かけるのは自分も男がいるんじゃないの?』
 ママには『夫に散々コケにされて、姑に長々馬鹿にされておきながら、いつまで男にしがみついてるの? それ以外できないの?』

 それぞれへずっと言いたかったことを口にし、商業を受けることを伝え自分の部屋に籠もったらしい。
 大人たちは大騒ぎ、手間のかからないいい子だった知世ちゃんの突然の反抗である。お互いにののしりあったかと思えば、やれ謝れの勝手をするなのと知世ちゃんの部屋へ順番に来ては、彼女の毒舌に敗北していったそうだ。

 さらりと知世ちゃんは話したが、話以上に大変だったに違いない。「最終的に逆切れした親に部屋から引きずり出されて、殴られた」なんてさらりと言われて胸がざわつく。

 そして、数日経っても混乱真っ只中だった永井家へ1本の電話。

『お嬢さんの志望校変更について、お話を伺いたいのですが』

 伊井先生である。知世ちゃんの両親を呼び出して、どんな手管を使ったか、言いくるめてしまったらしい。それが今から数日前のこと。
 知世ちゃんの第一志望は、希望通り商業になった。

 未だに両親は知世ちゃんに何か言いたそうにしているらしいが、志望校に口を出してこなくなったという。
 私としては、娘に色狂いだの女狂いだの言われた知世ちゃんパパから感想を聞いてみたいところだけれど。

「伊井先生やるね!」
「あんな無害そうな顔してね」
「何て説得したんだろう、聞いてみたいな」

 私は抱きついている知世ちゃんの体へぴとっとくっつく。

「よかったね知世ちゃん」
「受けられるようになっただけだから、まだ全部これからだよ」
「言いたいこと言えて、すっきりしたでしょう」
「まあね。親に殴られもしたけど、結果希望通りになったし」

 知世ちゃんは小さく笑うと、私を抱きしめ返した。

「心配させてごめん」
「ううん。なんにも力になれなかった」
「私がやることだったから。ずっと、余計な口出しされるのが嫌で、家族と話してなかった。『おこたってた』って言われて、それが逃げだったってわかった」

 真っ直ぐ私を見て、知世ちゃんは言う。

「家族が好きになれないから、自分で新しく居場所を作れる人間になりたいんだ。応援してくれる?」
「する。応援する」

 それ以上言葉にならなくて、ただ知世ちゃんにしがみつく。

 知世ちゃんは、素敵な子です。
 他人に甘い顔はしませんが、私をさりげなく気遣ってくれます。
 真っ直ぐ本質を見抜く目と、回転の速い頭を持っています。
 嘘やは言いません。正直です。
 私は知世ちゃんが大好きです。

 私たちは、高校生になったら、今みたいには一緒にいられなくなってしまうのです。

 神さま、神さま、お願いです。
 知世ちゃんの素敵な所を見つけてくれる人があらわれますように。
 知世ちゃんが好きになれる人があらわれますように。
 できることならその人が、知世ちゃんを好きになってくれますように。

 どうか。

 知世ちゃんが、笑って日々を過ごせますように。

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