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中学編
不健康女子の中三・立冬の末候③
しおりを挟むいやあ、不意打ちでした。
今日は岩並君王子様みたいだなあと思っていたところにこの発言。
『パンツ見えるような格好している人間が清純派とか、理解ができない』
ですよね!!
はい、今日1番の名言いただきましたー! 岩並君、真面目な顔で言うんだもん、破壊力強すぎる。フードコートだったから我慢したけど、おうちなら笑い転げておりました。あーもー今日1日、しばらく思いだし笑いの発作に襲われそうです。ひー。
帰りの電車の中でも笑いを押さえられない私に、岩並君はなんとも形容しがたい表情を向ける。それすら面白くて仕方ない。
「そんなに面白かったか」
「うん、だって、ぱ、ぱんちゅって……!」
「言えてない」
バッグを抱きしめうつむいて、笑いをこらえようとするけれど、失敗しちゃってしゃっくりみたいな音が出る。
「ごめ、ん。笑いすぎだね」
「いい。楽しそうだから」
「ひとりで楽しくてごめんっふっふ、ふふふ」
我慢しようとするほどツボにはまるんだよねこういうの。仕方ないな、という様子の岩並君の隣で収まりかけては吹き出して、体を縮めてしばらく笑いの発作に耐えると、目に浮かんだ涙を指でぬぐう。
「ああ面白かった」
笑い疲れ、脱力して座席へ深くもたれた私は電車の揺れに傾いて、座席の背もたれと岩並君の腕の間へすっぽりはまり込んでしまう。暗くて狭くてあったかい。
あ、ここ天国じゃない? 狭いところ大好きなインドア派の、楽園のひとつではあるまいか。押し入れの中とか棚の間とか隙間にすっぽり入るの楽しいよね。
嬉しくなっておでこを岩並君の長い腕へぐりぐりこすりつけると、「世渡、くすぐったい」と笑いをこらえた低い声。
私は隙間から出てちゃんと座ると、岩並君を見上げる。あれ耳赤いな、暑いのかな。
「ごめん私笑いすぎた、不審者だったね」
「あんな楽しそうな不審者はいないだろう」
そうかなあ? ご機嫌不審者。あぶないクスリとか使ってそうです。
ところでご機嫌不審者はお腹が空いてきましたよ。アクシデントのせいもあって、時刻はもうお昼を過ぎている。私はすっかり忘れていたものを探してバッグを開けた。
「岩並君、飴食べる? 私笑いすぎてお腹空いてきちゃった」
青い小花柄をした小さな缶を取り出す。見た目だけは女の子の持ち物ですが。
「岩並君みたいにお裁縫セットとか持ち歩けば女子力上がるのかなあ。飴ちゃんいるかー? なんておばちゃんみたいだよねえ」
自分の女子力のなさにぐんなりする。いや誰も私に女子力なんか求めてないかもしれないけど。乙女系お気遣い紳士の疑いアリな岩並君は、うってかわって渋い顔になった。
「あれは姉さんに持たされたんだ、一緒にいる人が困ったとき使えるようにって。本人が、サイズ小さいスカートを見栄張って履いて、ウエスト弾けて大変だったらしい」
「ああ……、切ないですな」
「自分で持たず周りに持たせるあたりに、あの女の性格がでていると思う」
「あの女」
普段礼儀正しく丁寧な岩並君があの女呼ばわりですよ! 一体岩並家は岩並君をどう扱っておるのだ。
「ハサミとか安全ピンとか、便利ではあるけどな」
「そっか、岩並君が乙女な訳じゃないのかぁ」
「誤解だ」
「残念」
趣味は編み物です! とかだったら教えてもらいたかった、なんて思いながら缶を開け、岩並君へ差し出す。ひとつずつ両端をひねって包装された、長方形の琥珀色した飴。
「純〇の紅茶味だけ持ってきたんだ。今日は岩並君と一緒だから、岩並君の目の色をした飴にしたんだよ」
〇露はたくさんのべっこう飴にちょっぴりの紅茶飴のセットだ。紅茶味だけ引っ張り出してきたので、うちに残っている袋にはもうべっこう飴だけ。「またイコちゃんはこういう食べ方する!」なんてママに怒られそうだけど、せっかく岩並君とお出かけなのだ、岩並君の瞳の色を持って行きたいじゃないか。
岩並君は、その色の薄い、夕焼け色の目を見開いてしばらく缶を眺めると、そっとひとつつまみ出した。私は缶を自分の太股の上へ置き、1粒、両手でつまみ明かりに透かす。
琥珀、紅茶、夕暮れの空。夕日の落ちる海の色。光を受けて透き通った飴が宝石みたいにきらきらする。
「ほら、こうすると岩並君と同じ色」
澄んでいるのにあたたかい、岩並君の瞳の色。
お気遣い紳士の瞳の色は、紳士の国の飲み物の色。なんだかできすぎている。
綺麗だね? と笑顔を向けると、岩並君はどこかぼんやりとした顔でこちらを見た。なんだろ、私馬鹿なこと言ってるかな。中三にもなって子供っぽいだろうか。急に恥ずかしくなって、照れ隠しにフィルムを外して飴を食べる。
「ん、おいひ」
甘さが腹ペコの体に染みます。ふ、と隣から息を詰めた気配がして見ると岩並君が私の口元を見つめている。まさか自分の目が食べられちゃった気がして嫌なのでしょうか。私、実は彼に嫌がらせしてる?
「もしかして、いらなかったかな」
「いや、大事に食べる」
そう言って、彼は丁寧な仕草で包装を外し飴を口に入れた。
大事? いやいやそんな高級なものじゃないのですよ岩並君。スーパーで売ってる袋入りの飴です。もったいぶって出して申し訳ない。
「岩並君の目の色、綺麗だよね。私の目、煮出した煎じ薬みたいな色だからなあ」
「どうしてそのたとえになった」
「昨日漢方茶煮出したら、ミルクパンの底が見えないくらい濃くできたんだけど。とろっと濃い色がそっくりだって思って」
「南天〇ど飴じゃないのか」
「あれも南天の煎じ薬みたいなものでしょう? その飴バージョンだもんね」
とろりとろり。かき混ぜても、鍋の底さえ見えない濃い薬。
「『労苦も苦難も倍増しだ、火を燃やせ、釜を煮たたせ』」
「釜?」
「シェークスピアの『マクベス』」
マクベスに重要な予言をする、3人の魔女が登場する場面だ。
「魔女が釜をかき混ぜながら言うの。最近『お前は直訳もひねくり回して意訳にしてる!』って注意されるから、がんばって直訳でお送りしてみました」
でもあれは舞台の台本だから、原文と離れていてもリズミカルな意訳の方が絶対いい。知世ちゃんみたいに直訳風の固い訳が好きな人もいるけれど、私はこなれた意訳の方が好きだ。
「魔女の釜の中身は、ヒキガエルとかトカゲとかをぐらぐら煮た魔法の薬。煎じ薬の仲間ってことで。何の薬かまでは触れられてないんだけどね」
「案外、惚れ薬かもしれない」
おお、岩並君こういう冗談も言うんだ。視線を彼に向けると、岩並君は真っ直ぐ私の目をのぞき込んだ。冗談を言った割りに顔が真剣で、つい目をぱちくりしてしまう。
「シェークスピアとか、読むんだな」
「あれね、あんまり敷居高くないんだよ。台本だからほとんどセリフばっかりだし、古くても舞台だからかな? 『志〇後ろー!』みたいな演出もあるんだ」
「〇村?」
「お客さんは知ってるけど、登場人物は知らないってやつ。お前の嫁はすぐ前で彫像のフリしてるぞ! とか」
「世渡から聞くとなんでも面白そうに聞こえるな」
ふ、と岩並君が笑った。紅茶色の目を和ませた優しい笑み。
ああ、そうやって岩並君が優しい目をするから、なんでもかんでも話してしまう。甘え過ぎちゃダメなのに。
今日の岩並君は甘くて甘くて優しくて、ほんとに紅茶飴みたいだ。
電車はもう少しで降りる駅に着く。
――――ファーストフードのお昼を食べたら、このそわそわもおさまるのだろうか。
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