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53.破り捨てられた神託

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 邸の門を潜り、白に近い薄翠色の法衣を着込んだ少年が入って来る。

(……あら?)
「シュードン?」

 線の細い少年を見たアマーリエは、反射的に声を出していた。そこに映っていたのは、間違いなく妹の元婚約者だった。後ろには従者の男性が控えており、布に包まれた大きめの箱を持っている。

(どうして彼がここに?)

 当時の彼は、まだミリエーナと婚約していない。この騒動の後でミリエーナがしるしを発現し、ダライがグランズ家に打診して婚約者になったはずだ。

 未だ開け放したままの玄関で騒いでいた四人がハッと我に返った。初老の女性が咳払いしながら身なりを正す。

『あら……ど、どちら様?』
『ミレニアム帝国グランズ子爵家の次男、シュードンと申します』

 やや緊張した面持ちで頭を下げ、シュードンは身分証を出して女性に見せた。

『突然の訪問を申し訳ありません。サード家のダライ様とネイーシャ様はおいででしょうか? 我がグランズ家は以前より、サード家から幾度か贈り物をいただいていました』

 ダライは凋落ちょうらくしたサード家を立て直そうと、後ろ盾になってくれそうな帝国の貴族にたびたび付け届けを送っていた。ほとんど無視され、形式的な礼状しか返って来なかったが。

『時期を同じくして我が家で弔事があったため、返礼が先延ばしになってしまい申し訳ありません。遅くなりましたがお礼をお持ちしました』

 後ろに控える従者が、布に包まれた箱を軽く掲げて目礼する。次男とはいえ嫡子を寄越したグランズ家の対応は他の家と比べて破格だ。おそらく、返礼が大幅に遅れたことへの詫びを含んでいるのだろう。

『まあ、それはご丁寧に……でもどうしてうちにいらしたの?』
『え? サード家の滞在先として、こちらの邸が登録されていたので……違ったでしょうか?』
『あっ……そうだったわね。ごめんなさい、元々入る予定だった邸が準備できたから、皆そちらにいるのよ。登録している情報を更新するのを忘れていたわ』

 帝国から長期出向したサード家が滞在する邸は、テスオラ王国の神官府が用意する手はずになっていた。だが、関係者の伝達ミスで準備が遅れたため、当初はネイーシャの実家に暫定で世話になることを視野に入れていた。
 結局、邸の用意が何とか間に合ったので問題はなかったのだが……母の実家もネイーシャも、事前に提出した連絡先を更新していなかったらしい。さすがは何事にもルーズな家だ。

『そうでしたか。すみません、事前に確認してから伺うべきでした。失礼ですが、サード家がいらっしゃるお邸の場所を教えていただけませんでしょうか?』
『ええ、メモを渡すわ』

 初老の女性が目配せすると、壮年の男性が懐からメモ用紙とペンを取り出し、サラサラと文字を書き付けてシュードンの従者に渡した。

『坊っちゃま。このことを旦那様に報告して参ります。もしかしたら、アポイントを取って後日再訪した方がいいと言われるかもしれませんし。少しお待ち下さい』
『ああ』

 従者がシュードンに囁くと、腕に付けていた転移霊具を起動させてその場からかき消える。

『ごめんなさいね。実は、ダライさんたちは先ほどまでここに来ていたのだけれど、帰ってしまって……ああ、そうだわ!』

 申し訳なさそうに言いかけた女性が、ハッと目を輝かせた。

『シュードン君! 法衣を着ているということは、あなたも神官なのね?』
『は、はい。もう見習い期間が終わります』
『ちょうど良かったわ! 神官なら神託を扱えるでしょう。この神告文をダライさんに……サード家に渡してくれないかしら?』

 ホッとした顔で言った女性が緑の箱に入った紙に目を向ける。箱を持っていた娘もこれ幸いと頷き、押し付けるようにしてシュードンに箱を渡した。

『え、えっと、これは……?』
『高位神様からのお告げよ。内容の見当は付いているわ。詳しくは話せないけれど、色々と事情があってね……多分アマーリエの件だと思うの。ダライさんとネイーシャに対応してもらうのが一番いいから、届けてくれないかしら。神官府への報告もサード家から上げてもらうよう伝えて下さる? 私たちはもう、この神託のことは忘れるわ』

 アマーリエは唖然とした。自分たちの家に届けられた神託を、それも高位の神からの託宣を、きちんと読みもせずまだ見習いの子どもに丸投げするとは。おそらく怒りの神告文が届いたと思い込んでいるのだろう、保身に必死だ。

(どれだけいい加減なのよ……)

 横目でラミルファを見ると、笑みを貼り付けたまま硬直していた。
 投影された幼いシュードンは困惑しながらも箱を受け取り、女性たちと少し話をした後で邸を辞去した。

『神託か……神告文って初めて見るな』

 門の前で一人になったシュードンはそう呟き、渡された箱を見ていたが、おもむろに中の紙を取り出す。

『少しくらい読んで良いよな』
(良くないわよ!)

 アマーリエは内心で突っ込んだ。他者宛の書簡は読まない。常識である。それが神託であればなおのこと。大きな輪をなして映像を見守る神官たちも、一斉に眉を曇らせていた。現実のシュードンは、何故か真っ青になって俯いている。

 皆の声なき制止の念を跳ね返し、幼いシュードンは紙を広げ、悪神が書いたとは思えぬ流麗な筆跡を読み込んだ。

 しばし沈黙が落ちる。

(どうしたのかしら)

 アマーリエが心配になった時。シュードンが緩慢かんまんに動いた。

『神を……勧請したのか。それにこの書き方とさっきの婆さんの台詞……勧請者ってもしかしてアマーリエか? あのクソ弱い霊威の奴だろ』

 小さく呟く。その目からは光が消えていた。

『積極的に神の前に出せ? 美しい気? 神が認める? ……冗談じゃねえよ』

 焦りと憎悪にまみれた顔で、映像越しのシュードンが唸る。

『そんなことして、もしアイツの評価が上がったら……俺が正真正銘の最底辺になっちまうだろうが。俺より霊威が低いアイツがいるから、何とかドベを免れてるのに』

 手の中で握り潰された神託の紙が、乾いた音を立てた。

『お前はずっと一番下でいろ、アマーリエ。俺のためにな』

 そして、丸めた神託を開くと、指に力を込めて引き裂いた。ビリビリと嫌な音が響く。

『こんな神託、要らねーよ。無かったことにしてやる』

 そして、細かな紙片と化した神告文を、吹き付ける風に乗せるように放った。
 虚空に紙の花びらが散る。
 真っ白なそれは虚空にばらまかれ、近くを流れる川に落ちていった。

『坊ちゃん、お待たせしました』

 従者が転移で戻って来る。

『ああ。父様は何て言ってた? このままサード家がいる場所に行くか、日を改めるか……』

 シュードンは澄まし顔で話しかけた。何事もなかったかのように。そして、従者と会話しながら歩き出す。


 川に落ちそびれた神託の残骸が一欠片ひとかけら、風に乗ってヒラリと舞った。
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