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16.フレイムの独白

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 ◆◆◆

「んー」

 フレイムは頭の後ろで両腕を組み、右足のかかとを左の膝に乗せてぐでんとソファにもたれかかった。人間が見れば行儀が悪いと眉をひそめるかもしれないが、人の世の作法など知ったことではない。
 ラモスとディモスは、軽く運動をすると言って部屋を出て行った。二頭でじゃれあって遊ぶつもりなのだろう。

(何だかなぁ)

 シンとした部屋の中、アマーリエが去った出入口を見つめる。

「アイツ、自尊心が低すぎなんだよ。もったいねえなあ」

 あの高質な気は、霊威の弱さを補って余りあるほどだ。

「自己肯定感さえありゃ神使として引く手あまただってのに」

 神に仕える神使には慎ましさが求められるため、謙虚であることは美徳だ。しかし、自分ごとき、という卑下が過ぎれば、それは逆に短所となる。だからこそ自虐傾向が強すぎるアマーリエは、今もってどの神の神使にも選び出されていない。

「もう少し自分に自信があれば、母神の神使に推薦するんだが」

 フレイムの主であり母である火神は、明朗で力強い自我を持つ者を好む。現在のアマーリエはその範疇はんちゅうからは外れるだろう。無理に神使に選び出したとしても、冷遇され返って辛い思いをさせてしまう。

(かといって他の奴には取られたくねえし。やっぱ俺の神使にするっきゃねえかな)

 よっこいせ、と年寄り臭い掛け声を上げてソファから身を起こし、窓辺に近付いた。脳裏に浮かぶのは、ずぶ濡れになった自分を優しく抱える腕と、憂慮ゆうりょを帯びた美しい青眼。

『まあ、可哀想に。こんなに冷えて……私の部屋に行きましょう。すぐに乾かしてあげるわ』
(あの吸い込まれるような青に魅入られたと言ったら――母神たちに笑われるかもな)

 たったそれだけの理由なのかと。確かに、側から見れば弱い動機かもしれない。だが、それでも――かれてしまったものは仕方がないではないか。

(アマーリエは俺の恩人だ。危うく天界にとんぼ返りするところだったぜ)

 天から降りたあの日、フレイムは地上で動けなくなった。神格を抑え、目立たぬようにと子犬の姿に変じて降臨した状態のまま、雨が降る中で行き倒れていたところをアマーリエに拾われた。当時の寒さと震えを思い出しながら、喉の奥で唸りを上げる。

「誰だ――

 あの時……地上に飛翔していたフレイムに向かって、何者かが攻撃を放って来た。神威を抑えていたフレイムは気配を察知できず、直撃を食らって目に見えない霊的な部分に大打撃を負わされた。アマーリエが連れ帰って介抱してくれなければ、あの寒い雨の中で回復が間に合わなかった。
 神なので死ぬことはないが、受けた損傷が深すぎて神格が露出してしまい、強制的に天へ還ることになっていただろう。

 大切な密命を受けて降臨したばかりのフレイムが、数回瞬きするくらいの短時間で舞い戻って来れば、母神はどのような顔をしただろうか。身内には寛大なので温かく迎えてくれただろうが、いたたまれないことこの上なかったはずだ。

(あの攻撃は上から降って来た。天界にいる奴が俺を狙ったんだ)

 なお、アマーリエにそのことは言っていない。行き倒れていた件については、聖威の制御に慣れないために消耗してしまったと話している。

(神格を抑えていたとはいえ、俺にあそこまでのダメージを与えるのは神使の力じゃ無理だ。確実に神の仕業だ。それも相当に強力な……色持ちの神なんじゃねえか)

 そう予想を立てるものの、本来の力を抑え込んでいる今は、受けた攻撃の気配から相手を探ることもできない。

「だが――この俺を狙うか、普通? おかしいよな」

 天にいる者はフレイムの素性を知っている。神々の頂点に立つ四大高位神の一、火神直属の高位神。火神に愛される御子であり分け身であり、いざとなれば母神に成り代われる特別な神格を有している、選ばれし神。そんな存在を狙撃しようと思うはずがない。

(おかしいと言えば、アマーリエを拒絶した神もだ)

 答えの出ない疑問はひとまず横に置き、別の件に意識を切り替える。

(あんなに清廉な気を持つ奴を拒むなんざどうかしてるぜ)

 もしや神をかたる邪霊でも喚び出したのではないかと勘ぐったが、それも違うようだ。アマーリエが、当時の神喚びで使用した書物を見せてくれた。勧請騒ぎのどさくさで祖父母の家から持ち帰ってしまい、そのまま持っていていいと言われ、なし崩しにサード家で保管しているらしい。

『あの時はこの本に載っている勧請の方法を忠実に再現したわ。難しいやり方ではないし、きちんとできたと思うのだけれど。神への献上品も霊玉もサッカの葉も、全て書かれている通りに用意したのよ』

 アマーリエはそう言っており、その言葉をフレイムも否定できなかった。見せてくれた書物のやり方は正しいものだった。そのままなぞったならば、確実に本物の真っ当な神を勧請できる。

「本当に……神がアマーリエを拒んだってのか」

 あの類稀たぐいまれなほどに澄み切った気を持つ彼女を。

「よほど機嫌が悪かったのか――あのバカ親父の方に言ったのを自分に言われたと勘違いしたんじゃねえか?」

 だが、神ははっきりとアマーリエの目を見ながら、その手を払いのけたという。

「あー、どうなってんだあれもこれも」

 いっそ神に戻り、神威による過去視を行ってみたい。だが、それは難しい。地上に降りる前に、一度神格を出してしまえばその時点で天に還らなければならないと釘を刺されていた。今回は神ではなく神使として降りているため、神格を表出させてはいけないことになっているからだ。

 天にいる兄姉神と連絡を取り、彼らの神威で過去を視てもらうことも考えたが、密命の遂行中は他の神と接触することは極力控えるようにとのお達しが出ているため、それも不可能である。

「……仕方ねえ、まだ時間はある。今は母神の密命を果たすのが先だ。つっても、四大高位神の使いに相応しい器量の奴なんざそうそういないんだよな」

 再び思考を切り替え、フレイムはブツブツとぼやく。己の本分である、火神の神使候補を探すという任務は、かなり難航していた。
 相応しい候補が見つからなければ無理をせずとも良いと、火神は言っていたが――だからと言って手を抜く気は毛頭ない。適当にしたばかりに逸材を見逃し、他の神に取られたとなっては申し訳が立たない。

(アマーリエがあとほんの少しだけ自信を持ってくれれば……間違いなく母神のお気に召されるんだが。この俺の正体を知っていながら、怯まずに自分の意思を押し通せる胆力があるんだ)

 あの低すぎる自己肯定感さえ何とかなれば、全てが解決するのだが――幼少期から無能呼ばわりされて来た心の傷は、そう簡単にどうにかなるものではない。

「はぁ~」

 溜め息を漏らしながら、ぐるりと部屋を見回すと、古びたカーテンがかかった窓が目に入った。

(そういえば――)

 色褪せた桃色のカーテンを見ると、小さな鳥の姿が脳裏に浮かんだ。神官府で霊具が爆発した時、すんでのところでアマーリエを突き飛ばして伏せさせた、あの桃色の小鳥。視たのは一瞬だったが、間違えるはずがない。あれは――

(……ま、帝城だからな。いらっしゃるのも当然か)

 一人納得して頷き、窓を開け放つと、サァっと心地よい風が吹き込んで来た。煽られてそよぐ髪が頬や肩口を撫でるのを感じつつ、フレイムは胸中で本音を呟いた。

(アマーリエ……ずっと、俺の側にいて欲しい)
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