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素性 私は……

二百万円の家

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「タコ部屋ってのは……あまり印象のいい言葉ではないな……奴隷部屋というか。
 いくらエンゼルでも、そんな労働者は……」

 確かに仁恵以外は……幸田も人事にいただけだし、池田さんも過労死という名目になっている。

「なんなんでしょうね?」

 佐伯次長も首を捻るだけだった。

「うーん。
 あいつ………池田も独身時代入ってた………という事だな。
 あいつは長屋住まいだったが、俺は行ったことあるぞ?何も変わったところなんてないように感じたが………」

 佐伯次長は寿司には全く手を付けず、私の話を黙って最後まで聞いていた。
 だが、この反応だ。
『水槽』はエンゼルとは、全く無関係な場所で動いているナニカなのか……?

「あいつは雨宮と関わりがあるなんて一言も言ってなかったぞ…………」

「そうですか………。
『水槽』がどうあれ、柚菜ちゃんをどうにかしてあげたかったのが一番の理由です……」

 あの少女があんな場所に入れられている………その理由。
 本当に体調が優れなくあの場にいるなら、私も何もしなかったろうが。

「池田家に関しては、海堂さんが面倒を見てくださるらしいので安心だと紫織さんから言葉を頂いていますがどうでしょうか?」

「海堂の親父なら大丈夫だろう………だが、その鈴木ってのはどこに行ったもんだか………」

 今となってはどうでもいい裏切り者だ。

「『水槽』…………うーん。
 幸田は特に何も言ってなかったのか?」

「はい」

 謎は深まるばかりだ。

 しかし、何か雨宮次長には逆らえない事情がありそうな気もするな。
 金だけの問題なら、頭のいい彼はもう逃げてると思える。冬野が保証人になるというのもおかしい話だ。

 雨宮が『魚』を買うにはなにかの理由があるはずだ。

 仁恵の時は保証人も何も、借用書一つ無かったのにだ。

「よし。分かった。『水槽』の件は俺が預かろう」

 佐伯次長が取り纏め、話をしめる。

 その横では、秋沢も訝しげに眉をひそめていた。

「でも、覚悟していたより、早く退院出来て安心しました。
 ご迷惑おかけしました」

「ああ。なによりだ。親御さんは大丈夫か?
 もし何かあれば俺が直接行って責任を……」

「いえ、大丈夫です!」

「退院おめでとうっす」

 慎也が私の皿に寿司を乗せる。
 これ最後のイクラなんだけど…………。

「ありがとう」

「じゃあ俺も。はい」

 栗本が皿にガリを突っ込んできた。

「ガリ……あ、でも美味しい!」

 その様子を秋沢が微笑ましく見守っている。視線を感じると、途端に恥ずかしくなるな……。
 秋沢とネコは必ず取り戻す!

「だが、不眠症は継続して治療しろよ?うちの檀家さんの医者を紹介しようか」

 秋沢の紹介か………。それなら安心かもな。

「精神科ですか?」

「内科と神経内科だよ」

 今のところ不眠以外は症状はないし、他人に指摘されてもいない。内科で十分かもな。

「お願いします」

「よし。連絡を取ろう。
 他は何かあるか?」

 他…………?
 他は……皆、私が幸田を取り込むことに異論は無いのだろうか?

「特にないです。
 ………柚菜ちゃんの学習費用は火守さんが払うって言い出したことくらいですかね?」

「幸田の学力は問題ないだろうが……本人が拒んだら先を急ぐなよ。
 幸田が縁故組にいた経歴が消えるわけじゃない………そいつに勉強を教わるという事を、彼女自身が拒むかもしれん………」

「分かりました」

 そこへ栗本がぼんやりと口を挟んで来た。

「シェアハウスとか楽しそう」

 楽しい……か。
 確かにちょっと期待はしてる。
 エンゼルまでの通勤は今までより遠くなるが、親元を離れられるのは気楽でいい。

「まぁ、麗は幸田を煙たがってるけどね!」

「部屋どんくらいあるの?」

「お、なんだ!入居希望か?」

 随分、真剣な面持ちで聞いてきた栗本に秋沢が茶々を入れる。

「シェアハウス自体に興味ありますね。
 お袋が入院中なんで………家事掃除分担なら楽だなと………」

 そう言えば栗本は幸田のギャンブル仲間だって聞いたんだった。
 栗本がもし来たら、幸田と麗の緩衝材になるだろうか?

「………お袋さんの様態はどうなんだ?」

「今、手術が終わったところなんですけど、退院はまだまだできそうになくて」

「そうか………。
 確かに皆で住めば家賃や光熱費も…………って……?」

 秋沢が言いかけて、私の顔を見る。

「そう言えば、琴乃んとこ月いくらなんだ?」

「……昨日の今日なのでまだ何も……。
 まぁ、家のローンとかは無いですし……海堂さんがその辺をどう見繕うかは分からないですね。変にぼったくるようなら抗議しますが!
 他は何も問題ないですかね。アパート借りるのと大差ないでしょうし」

「おいおい。そんなアバウトな考えで大丈夫なのか?
 家の購入というのがそもそも、そんな簡単なものじゃないんだぞ?」

 流石に柚菜ちゃんに出て行けと言われたら心苦しいが、今の所は彼女も賛同しているしな。

 そこへ空気を読んでなのか、蛸ばかり食べていた慎也が箸を止めた。

「……え!
 でもあの家って……!!!
 購入条件ありましたよね?春子ちゃん見てないんすか!?」

「え?!」

 条件?

 菊池さんの話では、遠回しではあるが柚菜ちゃんの父親の仇をとって欲しいという事だったよな?
 私は佐伯次長側の人間だし、それは自動的にそうなることで問題ないはずなのだが。

「春子ちゃん、菊池さんの持ってきた書類……………あ、そっか。入院中の話だから見てないんすね!!?」

「え、何っ!!?なんの条件?」

「おいおいおい!! 大丈夫なのか!?」

 全身から冷や汗が吹き出す。
 何か、別の話があるのかっ!?

「あの家、二百万っすよねっ!?
 二百万で買いました!?」

「え………うん。買ったのは私じゃないけど………二百万のはずだよ」

「あの家を、もし破格の二百万で購入する場合の条件!!
 欄外の一番隅に書いてあったっすよ!」

「慎也。その条件を先に言え!」

 佐伯次長に向き直ると慎也は渾身の絶望顔で叫んだ。

「農業っすよ!! あの家は田んぼ付きで、二百万の場合は稲作をする人のみの価格っすよ!!?」

「はぁっ…………!!?」

 嘘だろ!!!
 そんな話、誰にも………………くそっ!!!

 忠告してくれるはずの人間といえば麗と接触した藤野宮家の人間だが、やられた!!
 あそこはこの地域一帯を治める農豪だぞ。

 年老いた池田家の親族………そこへ若者が……!
 逃すはずがない……………!

 全身の気力とか思考力が口の中から浮遊して抜けていくようだ………。

「え、農業とか興味無い…………!
 た、田んぼだけ今から売れないかな?」

「無理だろ」

 そんな……。

 佐伯次長は何か新種の虫でも見るような目で私を見てくる。
 一方、秋沢はビールグラスで口元を隠す。

「……っ…んんっ…!」

「………秋沢さん。どうぞ堪えないで笑ってください…………」

「くく……!いや、すまんすまん!」

 慎也は、絶望感に苛まれている私とは真逆を行く。

「なんで勝手に決めちゃうんすか!
 って言うか、それ………姉御はまだ知らねぇんすよね?」

 あ、そうだ。
 あの怒りん坊……! 忘れてた。

「……………」

 言葉が出ない…………。

「そうだな……海堂の親父も知っていたのかもな」

「えぇ……?」

「今はどこも若者が少ないからな。特にこんな田舎じゃなぁ……。
 シェアハウスのオーナーなんてモノ……親父さんが引き受けるなんて、おかしいと思ったよ………」

 本気の話だよねコレ。

 嘘でしょ…………あぁ……麗にドヤされる未来しか見えない。
 むしろ幸田も麗も入居しないかもしれん…………。
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