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思い合ってる

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夜の間、資料を読んだし次の日も時間になるまでゆっくり考えた。
正直言うと遺伝子を変えるのは怖いと思う。
だけど、それ以上に僕は迅英さんが運命に囚われて僕に執着するのが怖いと思った。
だって迅英さんが僕に執着して、僕に優しくして、そしたらきっと僕は幸せだ。
それが怖いと思った。
幸せはずっとは続かない。
両親がいた頃、僕は幸せだった。
だけどその幸せは急に無くなった。
運命のつながりでしか愛してもらえない自分が、何かがきっかけでそのつながりをなくしてしまった時、迅英さんに捨てられることになる。
捨てられるより、自分が捨てたと思った方が自分のダメージが少ないから。だから僕は迅英さんの元から離れたのだろうと、冷静になってから思った。
迅英さんが僕に優しく接してくれている間も僕は常に怯えてた。
いつか無くなるその優しさが1月先か、1週間先か、明日なのか、1時間後なのか。

でもそれももう今日で終わり。

「本当にいいんですか?」

目の前に座った藤宮先生が、普段と違い少しソワソワとした様子でそう聞いてきた。

「はい。僕は今、安心してます。だってこうすればもう……彼とは何の関係もなくなる」

何の関係もなくなる。
自分で言ったのに、胸に大きなトゲが刺さったようにズキリと痛んだ。

バン!!!!

急に後ろの扉が勢いよく開いて、驚きながら振り返ると迅英さんが汗だくで立っていた。

「菜月……くん」
「迅英さん、どうしてここに」
「菜月くんが俺のせいで遺伝子操作の薬を使うと聞いて。だが、少し邪魔が入って遅くなってしまった……はぁ。間に合って良かった」

迅英さんは本当にほっとしたようにそう言った。

「迅英さん……?」
「菜月くん、すまなかった。菜月くんからは……ステージからは客席は見えないんじゃないかと……いや、言い訳はにしかならないな……菜月くん、菜月くんがそんな危険な薬を使う必要はない。俺はもう菜月くんの周りを彷徨かないから、お願いだ。その薬を使うのを中止してくれないか」
「なんで……?」

なんでそんなに汗だくで駆けつけて、何で僕の周りを彷徨かないなんて必死な顔で、何で僕の身を案じるようなことを言ってくれるの?

「菜月くんは、もう俺のことなど好きじゃないのは分かってる。だけど俺は菜月くんのことが好きだ。愛してる。だから、そんな菜月くんが将来を潰す可能性があるのが嫌なんだ。これは俺のわがままだ。だけど聞き入れてもらいたい。お願いだ。俺が菜月くんの周りを彷徨かないと信じてもらえないのなら、俺は海外に移住して一生日本の地を踏まないと誓うから。だから……お願いだ」

一生日本の地を踏まない……?

嫌だ。

嫌だ。

迅英さんが日本にいないのは……嫌だ。

ダメだ。結局僕は、迅英さんを嫌いになれない。

歌をやって、ギターをやって、楽しくて、迅英さんといた時の辛さが嘘のように楽しくて、だけどそれでも僕は迅英さんのことを好きなまんまだ。

「聞いてもらえない……か」

僕が黙っていると迅英さんは静かにそう呟いた。

「藤宮先生」

迅英さんが藤宮先生に話しかけた。

「何でしょう」
「菜月くんが使おうとしていた薬は、α用のもあるんでしょうか」
「……ええ」
「だったら、俺がそれを使います……菜月くん、俺は菜月くんが運命の番だと分かる前から君のことが好きだと思っていたから、俺がその薬を使ったところで俺の気持ちは変わらないと思う。だが、菜月くんがこんな俺と運命の番であることを嫌だと思うなら、菜月くんがリスクをおう必要はない」
「迅英さん……」

迅英さんは深く息をついた。

「藤宮先生、お願いします」
「ダメだ!」

僕は気がついたら叫んでいた。

「先生! α用のだってリスクはあるはずですよね!?」
「え、ええ。α用の薬は需要も低いのでΩのものよりも研究は進んでいません。最悪の場合はαの優位性を全て失ってしまう可能性があります」
「ほら、迅英さん。ダメですよ。あなたには未来があるでしょう」
「俺の未来なんてたかが知れてる。菜月の人生の方が大事だろう」
「そんなことない! 迅英さんが幸せに生きる方が大事でしょう!」
「菜月が幸せに生きる方が大事だ」
「ふ、はは」

言い合っていると藤宮先生が笑った。

「先生……何で笑うんですか」
「ふふ、いや、すみません。嬉しくて。だってまだ2人はお互いを思い合ってる。お互いがお互いの幸せを祈ってる……だったら、こんな薬はいらないでしょう?」

先生は薬の入った小瓶をフルフルと振りながら嬉しそうにそう言った。

「だけど」
「2人ともね、言葉が足りていなかったんだと思いますよ。今みたいにお互いがお互いを思ってるってことを、ちゃんとその都度口にしていればここまでこじれることは無いんじゃないかな?」

思っていることを口に。

確かに僕は迅英さんに思ったことを口にしてなかった。

思えば、迅英さんに向き合って好きですと言ったこともなかったかもしれない。

迅英さんが思っていることを僕が分からないように、迅英さんだって僕が思っていることをわかる訳ないのに、僕は迅英さんは分かってくれない、僕を愛してくれる訳ないって勝手に拗ねて諦めていたんだ。

「菜月くんが思ったことを言えなくしたのは俺です。菜月くん、今まで辛い思いをさせて本当にすまなかった」
「……いえ、迅英さん。僕もちゃんと向き合って話し合うこともせずにすみませんでした」
「じゃあ、俺はもう菜月くんに近づかないと誓うから、薬を使うのを中止してくれるか?」
「…………」
「……菜月くん?」

僕が無言でいると迅英さんは心配そうに僕に呼びかけた。

「嫌です。僕は、勝手だって思うかも知れないけど、でも思ったことを口にしてもいいなら、僕は」

戻りたい。

迅英さんの家に戻りたい。

だけどそれを口にするのは難しく感じた。

そんな僕を見て迅英さんは1つ息を吐いた。

「菜月くん、もしも菜月くんが許してくれるのなら、俺はもう一度チャンスをもらえないかと思ってる。俺と菜月くんの家に、戻って来てくれないか?」
「っ!!……いいんですか…」
「いいも何も、俺はそうして欲しいと思ってる」
「……はい……お願いします……」
「ありがとう、菜月くん」

迅英さんは優しく僕を抱きしめてくれた。
暖かくて懐かしくて、迅英さんの匂いがして、僕は幸せだって思った。
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