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6章:勝手な男

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―――修は勝手だ。勝手すぎる。


 その日は、朝早くからの会議でもう栗山先生は大学に来ていて、私が出勤した時には会議に出た後だった。

 私が研究室に出勤してすぐ、鈴鹿紫教授が研究室に入ってくる。

 鈴鹿先生は50歳をとっくに過ぎているらしいが、そうは見えない。
 どう見ても40歳くらいで、下手すれば30代にまで見える。

 しかももう独立したお子さんも3人いるという母親で、旦那さんもうちの大学の研究者で教授だ。
 なのに全く偉ぶった態度もなく、私みたいなバイトにも優しくて、私は心底、鈴鹿教授を尊敬していた。

 そんな鈴鹿先生は、今日まで出張で一週間留守だったのだ。

「おはよう、くるみちゃん。長く留守にしてごめんね」
「いえ、大丈夫です。特に問題はありませんでした」

「あらぁ、何その顔! 栗山先生に何かされた?」

 両頬をぶにっと挟まれ、鈴鹿先生の方を向かされる。
 先ほどトイレでも確認したけど、今朝の一件でまだ目が赤いようだ。

「な、なんで栗山先生ですか? 違います」
「そう。ならどうしたの?」
「いや……」

 私が口ごもると、言ってみなさい、と優しい声が降ってくる。
 さすが3児を育て切った母……その優しい声に思わず何でも言ってしまいそうになる。

 どう誤魔化そうか悩んでいるとき、研究室のドアが3回ノックされた。

「はい、どうぞ」

 鈴鹿先生が言い、研究室のドアが開いて入ってきた人物を見て、私は言葉を失った。

ーーーなんと、修だったのだ。


(なんでここに来るのよぉぉおおおおお⁉︎)

 思わず叫びそうになって口を噤む。
 修は私の方を見て一瞬目を細めると、顔を鈴鹿先生の方に向けて頭を下げた。

「鈴鹿先生、お久しぶりです」
「あら、猪沢くんじゃない! 戻ってくるって聞いてたけど、早かったのね!」

 嬉しそうに声を弾ませる鈴鹿先生に私は意味が分からず、眉を寄せる。

「なっ……? え……」

 鈴鹿先生は、修を手で紹介すると、
「あ、この先生、今は医学部の教員だけど、学生時代にここの医学部生で、私の薬理学の講義聞いてたのよ。学生の時からとびぬけてたけど、まさかボストン大の研究員に推薦されるとはね。それで最近うちに戻ってきたの」

 修は微笑むと、鈴鹿先生に言う。

「先生、変わってませんね。相変わらず年齢不詳です」
「ふふ、ありがとう。あなたも相変わらず腹黒そうなイケメンね」

 そう言い合いながらも、二人がとても仲がいいのが伝わってくる。
 私は二人が知り合いなんて一ミリも想像したことなかったけど、
 確かに鈴鹿先生は、医学部生の授業も担当していたことに今更ながら気づいた。


―――鈴鹿って鈴鹿紫教授かな?

 だから、再会した日、修は先生の名前をフルネームで言えたんだ……。


 それから修は微笑むと口を開いた。

「でも、鈴鹿先生の研究室で良かったです」
「なにが?」

「くるみは、俺の婚約者なんです」

 はっきりと修が言い、私は目を白黒させる。

(おい、勝手に何言い出したーーーー!!)
「なっ……!」
「あら、そうだったの!」

 鈴鹿先生の声が弾んだ。

「ええ、すみません。ご挨拶が遅れてしまって」

(ちょっと待て! 待て待て待て待てぇぇえええええい! 謝るところはそこじゃない!)

 私が叫びだしそうになった時、修はにこりと笑うと、自分の足のすねをさすった。

「今朝ケンカして、くるみが俺の足を蹴って出て行ったから。そのこと気にしてるんじゃないかと思って、大丈夫だと言いに来たんです」

 修は、明らかにしらじらしく心配そうな顔を装って言った。


 そう。今朝、私はあのキスのあと、
―――修のすねを思いっきり蹴って逃げたのだ。

「猪沢くん、恋人には案外優しいのねぇ」
「いや、ちがって! ふぐっ!」

 否定し始めた私の口を修はふさぐ。

「あはは、照れちゃって。かわいいでしょう、俺の婚約者は」
「かわいいのはもちろんかわいいわよぉ。私だってお気に入りだし。それにしても全然知らなかったわ! くるみちゃん、恋愛しないって言ってたから。そりゃこんなイケメンの婚約者がいれば恋愛なんてしないわよね!」

「ひぃぐぅっ! ……ふぅぐんーーーーーー!」

 違うと何度も叫んでも、口はふさがれたままで変な声しか出やしない。
 なのに、修と鈴鹿先生は勝手に話を進める。

「あはは、そうなんです。くるみは実は恥ずかしがり屋なんで」

(勝手に人を恥ずかしがり屋にすんなぁぁああああーーー!)


 恥ずかしいんじゃない。
 ただすべてが嘘なのだ。

 今あるのは、怒りの感情だ。
 ただそれだけだ!

「だから猪沢くん、こっちに戻ってきたの?」
「……まぁ、そんなところです。研究もひと段落しましたし」
「なら結婚のお祝いしないとね!」

(お祝いだとぉぉおおおお⁉︎)

 勝手に進む話を妨害すべく暴れてみても、修は全く動じる様子もなく、私の言葉と動きを封じながら話しを続ける。

 っていうか、鈴鹿先生も私がこんなに暴れて否定してるんだから気付いて!

「ありがとうございます。お祝いいただく席には、ぜひ、ここの研究室のみなさん全員で参加していただきたいです」

「ふぁっ⁉」

(なんだと⁉︎)

「全員って?」

 鈴鹿先生が首をひねる。
 すると、修はにこりと笑った。

「ほら、くるみの仲いい栗山先生とか」

 鈴鹿先生は顎に手を当て、
「あぁ、彼ね。彼はどうかしらねぇ」とつぶやく。

「ぜひ一緒に」
「じゃあ聞いてみて、日程はまたメールで送るわ」
「はい。きちんと仲直りしたいので、少しだけくるみをお借りします」
「もちろん、いいわよ」

 勝手に二人がそんな話をして、修はそのまま私を連れて研究室を出たのだった。

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