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3章:カレー

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―――その日の昼休み。

 いつも通り栗山先生がランチに行こうと誘ってくれて、私はそれに頷いてついていった。

 この大学は、医学部系・歯学部系・薬学部系は同じキャンパス内にあり、そこに附属病院が隣接している。
 このキャンパス内に学食は1つ、カフェが2つ、附属病院内にも食堂がありそこも使用することもできる。近隣にも学生をターゲットにした安い飲食店が集まっているので、ご飯を食べるには困らないし、『偶然知り合いに会う』なんてこともほとんどない。

「今日はどこにします?」
「午後一の会議があるから、学食かなぁ」
「そうしましょう」

 忙しい時の学食。何せ、学食は薬学部棟に近いのだ。

 二人、足早に学食に向かって、定食を買ってから席に向かうと、学食の一角に人だかりができていることに気付いた。

「あそこ、どうしたんでしょうね?」
「ほんとだ、なんだろうね」

 そう言い合って二人で席に着いて、いただきます、と手を合わせると早々に食べだした。
 食べながらその人だかりをよく見ると、見事に女性ばかりだということに気付く。

 それを見て、嫌な予感だけはして喉にご飯を詰まらせそうになり、私はお茶を手に取りなんとか飲みこんだ。

「そう言えば、今月、医学部に新しい教員がくるって話題になってたな。しかもボストンから。どうもうちの出身で、イケメンで、さらに独身らしいって、看護師や事務員や女性医師までも落ち着かない感じだったよ」
「ぶぅっ!」

 それを聞いて思わずお茶を吹いていた。

ーーーまさか、まさか……それって……。 栗山先生が慌てて立ち上がり、私にハンカチとティッシュ渡してくれる。

「大丈夫⁉」
「す、すみません……大丈夫です。ありがとうございます」

 そのままティッシュだけ受け取り、口や手、テーブルを拭くと息を吐く。

 それから私は何も聞かなかったことにして、食事を続けた。
 聞けば聞くほど恐ろしい話だ。

 しかしまだ栗山先生は栗山先生で話しを続ける。

「それがさ、理学部にいる須藤准教授って知ってるだろ? そこの同期で、大学時代から共同研究してたっていう先生だから余計でさ……」
「あの須藤先生ですか……? 私は専門が違うので直接指導してもらっていませんでしたが、理学部の出身で須藤先生を知らない生徒は誰もいないと思います」

 須藤先生と言えば、とんでもない天才と言われていて、研究費の額は本校だけでなく、日本でもトップクラス。若いのに准教授となっただけあって、やることなすこと抜け目ない。

 それに、かなりのイケメンで、物腰も柔らかで人気もとんでもない。
 理学部出身で、いや、理学部じゃなくても、須藤先生の名を知らないものはいない、というような先生なのだ。

「須藤先生、子どもが生まれてからますます研究も順調だしねぇ」

 そう言って、栗山先生は何を思い出したのか、困ったように笑った。

 それから栗山先生は、ちらりと輪の中心を見て、目を止める。

「うわ、確かにあの先生、かっこいいな。あの顔面で、須藤先生と並んでたら凄そうだよね……。雑誌の表紙にでも出てきそう……って、あれ? あの先生、夏目さんちから出てきたオトコ⁉」
「ぶぅっ!」

 私は、次は米を吹き出す。

(やっぱり修じゃないかぁああああああ!)

「ちょ、大丈夫? え、どういうこと⁉︎ 幼馴染って教員⁉︎」
「と、とにかく……今日はもう私戻ります!」
「まだ僕食べきれてないし、ちょっと待って……!」

 私が慌てて立ち上がると、

「くるみ、何してんの?」

と低い声が後ろからする。

 しかも、聞いただけで分かるほど不機嫌な声。

 私は怖くなって後ろを振り返ることなく、固まって何とか口だけを開く。

「な、何って見ての通りお昼食べてるだけデスガ……」
「男と?」
「男って……!」

 私は思わず振り返って、修の怒っている表情に、ぐっと息をのんだ。

(え? どういう事? なんで怒ってんの……!)

 それから目線をいろんなところに彷徨わせて、えーっと、と続けた。

「……こちら、鈴鹿研の栗山先生。うちのお隣さん」
「お隣……? あぁ……今朝は失礼しました。今日からここの医学部と附属病院で勤務してます、猪沢修です。くるみがいつもお世話になってます」

 なぜか威圧的ににこりと笑って、修は言う。

「……いえ」

 言葉に詰まった栗山先生を見て修は微笑むと、あろうことかそのまま私の肩を持ち抱き寄せる。

「俺のくるみに何かしたら相手がだれであれ、容赦しませんよ。くるみは俺の婚約者なんで」

「「「「「婚約者⁉」」」」」

 その言葉に、栗山先生だけでなく、先ほど修を取り囲んでいた女性たちが絶叫するように言う。

 あまりの勢いと、修の発言に、私は慌てて手を横に振った。

「そ、そんなの嘘です! この人、虚言癖があるんです……! っていうか、栗山先生にそんな失礼なこと言わないで!」

「嘘じゃないだろ。くるみのこと、俺は隅々まで全部知ってるし」

 そのまま微笑んで私の頬を触り、唇をするりと撫でる。それから、クスリと笑って、耳元に唇を寄せた。


「くるみを食べたのは俺だけだろ? あんなことして、忘れるわけないよな?」

「っ……!」

 その言葉と大人の色気にやられそうになり、私は思わず真っ赤になって固まる。
 なぜか周りにいた人たちまでもが真っ赤になって固まった。 私は慌てて修を押すと、栗山先生の腕を持つ。

「い、いきましょう!」
「大丈夫なの?」
「いいんです! こんな変態! 今すぐ巨大化したラットに食べられればいいのに!」

 私は叫んで、どすどすとその場を後にした。
 後ろではまだ周りがザワザワとしている。


 その後、食堂から離れ、研究室までの廊下を歩いている時、栗山先生が口を開いた。

「猪沢先生……さ、なんかめちゃくちゃ怖かったんだけど……」
「すみません……私もあんな修、初めて見ました。いつもは口は悪いけど、あんな感じじゃないのに」

 私の言葉を聞いて栗山先生は苦笑すると、
「アノ先生と対等に付き合える理由が分かった気がするわ」
と呟く。

 その言葉の意味を私は理解できず、首を傾げた。
「……それにしても、夏目さんもすっごい睨まれてたよ。女性陣に」
 そう言って、栗山先生は続ける。「猪沢先生は、周りのやっかみを生むかもなんて考えないのかな。大学構内ではうまく立ち回ったほうが夏目さんは安全なのにね……」

 少し怒ったように低い声の栗山先生。
 いつも穏やかで優しい栗山先生の雰囲気とも全然違って私はやけに焦る。

「あ、わ、私は大丈夫ですよ?」
「まぁとにかく、何かあれば僕になんでも言ってね?」

「あ……ありがとうございます」

 私が頭を下げると、絶対だよ、と栗山先生は微笑んだ。

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