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第二部

第六十九話 ユダリルム辺境伯との謁見⑤

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 ユダリルム辺境伯の所有する別邸に戻った土筆は、出迎えた使用人の案内で一旦客室に戻ると、休む間もなく本物の女中に促され浴場に向かうことになるのだった。

「私奴はこの場で控えておりますので、何か御用が御座いましたらお呼び下さい」

 仮定の話となるが、もし土筆に英雄としての資質が備わっていたのなら、ここで英雄色を好む的な何かが自動的に発動し、女中が背中を流しにきたり、ユダリルム辺境伯が手違いで湯あみに訪れたりと言ったイベントでも起きるのだろうが、残念ながら土筆にそのような資質など一ミリたりとも存在しない。

「ふう、やっぱり風呂はいいな」

 辺境伯の別邸に相応しい豪華な浴場を貸し切り状態で湯舟に浸かる土筆は、何とか宿舎にお風呂を設置できないものかと思いを巡らす。

「宿舎の構造を考えると、設置するなら南棟の一階しかないよな……」

 土筆が宿舎に戻ったら実際に設置できるかどうか調べてみようとの結論に至った時、湯煙の立ち込める先に数人の人影が浮かび上がるのだった。

「……土筆様。ユダリルム辺境伯様より何があってもお背中をお流しするようにと命を受けて参りました」

 完全に油断しきっていた土筆にユダリルム辺境伯の魔の手が伸びる。

「……っ!」

 三人の女中がその姿を徐々に露にすると、土筆の心拍数は限界速度に達する。

「あっ、困ります土筆様。ユダリルム辺境伯様より何があってもお背中をお流しするようにと命を受けておりますので」

 三人の女中は逃げようとする土筆を押さえ込むように捕縛すると、土筆による懸命な説得も抵抗も虚しく、ずるずると湯船から引きづり出し、背中を流すのだった……


「やあ、土筆殿。我が別邸の自慢のお風呂は如何でしたかな?」

 長テーブルの上座に腰掛けているユダリルム辺境伯は土筆が入室するのを見計らい、自身が命じた内容を知った上で言葉を投げ掛ける。

「人間万事塞翁が馬、それはもう伏魔殿のような処でございました」

 土筆ができる精一杯の仕返しは、地球の言葉を用いてユダリルム辺境伯が理解できない嫌味を言い放つくらいである。

「ニンゲン……バンジ……サイオウ? ウマ? フクマデン?」

 語呂合いが良いだけに不敬だと受け取られることもなく、言葉の意味が分からなくても聞くに聞けない貴族の嗜みを逆手にとった器の小さい嫌がらせだ。

「これは下々の言葉でお耳を汚してしまって申し訳ございません……ご配慮に感謝申し上げます」

 ユダリルム辺境伯が土筆の小さな仕返しに気付くことができるのは、会食後、沐浴中の土筆へ差し向けた女中達から報告を受けた後である。

「うむ、満足頂けたのなら良かった」

 ユダリルム辺境伯が手を挙げ合図すると、控えていた使用人が土筆を席まで案内する。

「エッヘンへ来られるのは初めてと伺ったのでな、郷土料理でもて成させてもらうことにした」

 料理はフルコースで提供され、どの料理も非の打ち所が無い完成度だった。

「さて、食事も済ませたことであるし、少々話に付き合ってもらいたい」

 最後の品である果物の盛り合わせを給仕が下げた後、ユダリルム辺境伯は運ばれてきたティーカップの位置をそっと移動させると言葉を続ける。

「話とは貴殿に授ける恩賞のことなのだが、希望があるなら聞いておきたい」

 今回土筆がユダリルム辺境伯主催のパーティーに招待されたのは、ボルダ村付近に現れた地竜を討伐した功績を称えてのことである。
 本来であればその雄姿を大々的に宣伝すべきなのであるが、スタオッド伯爵との領土問題を抱えておりそれができない状況なのだ。

「はい、それでは僭越ながら申し上げます。今回恩賞を頂けるのならば、この地域で放牧されておりますモーモーを番いで二頭とヨデルダの街で飼育されておりますコケッチを雄雌十羽ほど頂きたく存じます」

 モーモーとはこの地域で放牧されている牛のような容姿をした魔獣で、安定的に搾乳することができる牛乳はこの地域の名産品となっている。
 そして、コケッチは鶏のような習性を持つ飛ぶ事のできない鳥型の魔獣で、エッヘンから西に位置するヨデルダの街で家畜化に成功し、今ではヨデルダの街の主要産業となっている。

「ほお、これはまた冒険者らしからぬ要求が出てきたものだ……どちらも我が領土の貴重な特産物故、理由を伺っても宜しいかな?」

 魔獣を家畜化するためにはテイムした魔獣を累代飼育する必要があり、その労力と時間を考えればおいそれと下賜するわけにはいかない。

「はい。先日スタオッド伯爵より私が所有しております土地に荘園の地位を授けて頂きましたので、荘園内にて頂天立地が成せるよう邁進しているところであります」

 土筆はユダリルム辺境伯がその辺りの事情を知らないはずはないと考え、彼女の心をくすぐるような発言をする。

「うむ、貴殿の言い分は理解した……ただ、地竜討伐の恩賞がモーモーとコケッチでは少々不釣り合いであるな……」

 ユダリルム辺境伯は自領の特産物を領外に出すリスクを考えてみたのだが、それよりもスタオッド伯爵領地内で自領の名産物が飼育されている光景を思い浮かべほくそ笑む。

「そうだな……貴殿が先ほど申した荘園内の開発に沿ったもので、メゾリカ周辺で手に入らぬ物などあれば力になれそうだが……」

 何処の世界であっても、不仲な相手の領域に自身の痕跡を残すことは優越心をそそるのだろう。
 ユダリルム辺境伯はスタオッド伯爵領地内に自国の何かを残せるチャンスだと判断すると、まんまと土筆の誘導に乗ってきたのである。

「メゾリカに無いものですか……であれば、ヨデルダの街が発祥の地とされる水車なるものを私の荘園にて建造できればと思います」

 水車の構造は土筆も理解しており、職人に依頼すれば建造することは可能なのだが、水車はユダリルム辺境伯が名を揚げた切っ掛けとなった物であり、あらぬ疑いを避ける為にも勝手に建造することができなかったのだ。

「ほう、これはまた予想外の要求が飛び出してきたものだ……しかし、地竜討伐の恩賞としては相応ではあるな……」

 ユダリルム辺境伯はスタオッド伯爵領地内に自領を代表する水車小屋が設置された景色でも思い浮かべているのだろう。
 高貴なる身分に不釣合いな悪女っぽい笑みを浮かべると、土筆の提案に乗ることを決断するのだった。

「では決まりだな。この度の地竜討伐において土筆殿への恩賞はモーモーを番いで二頭、コケッチを雄雌それぞれ十羽、更に水車小屋を貴殿の荘園領地内に設置を下賜することとする」

 ユダリルム辺境伯はさらりとコケッチの数を倍に増やすと、隣に控えていた執事に土筆への恩賞を手配するように指示を出し、見張り塔での件をもう一度謝罪した後、会食をお開きにするのだった……
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