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第一部 土筆とスタンビート編

第九話 水精霊のディネ

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 土筆《つくし》にとって記念すべき宿舎で迎える初めての朝は、メルのモグモグ音から始まった。

 昨夜、土筆《つくし》がミアから受け取った贈り物はメルの胃袋に収まり、メルはご機嫌に昨日の出来事の話をしている。

 土筆《つくし》に至ってはテーブルに突っ伏したまま眠ってしまったが故に体の節々が痛み、それに相まって昨日の気怠さも全く抜けていない最悪な目覚めだった。

「あっ、そうだ!」

 そんな土筆《つくし》の事情などお構いなしに会話を繰り広げていたメルだったが、唐突に何かを思い出したらしく、土筆《つくし》の向かい側の椅子に腰掛けると両肘をついて話題を切り替る。

「そうそう、あの後コルレットが戻って来てね、何か言ってたんだったけど……」

 メルはそこまで言って言葉を詰まらせる。

「……なんだっけ?」

 メルの誇るパッシブスキル【度忘れ】が見事に発動しているようだ。
 メルは右に左にへと首を傾げながら頭の上にいくつものクエスチョンマークを浮かび上がらせて難しい顔をしている。
 その姿を見た土筆《つくし》が思わず口許を緩ませると、メルはそれに気付いて頬を膨らませる。

 二人にとってはもはやお馴染みとなっている枝葉末節《しようまっせつ》な掛け合いなのだが、その微笑ましい光景は宿舎の出入り口が開かれることによって終わりを告げるのだった。

「ちわーっす。コルレットちゃん来たっすよー」

 昨日に引き続き、所有者の許可を得ることもなく無遠慮に入って来るコルレットに対して、土筆《つくし》は不意を食らったような顔をする。

「あれ? 鍵、掛かってなかったっけ?」

 土筆《つくし》の記憶が間違っていなければ、昨夜帰宅した際、忘れずに鍵を掛けたはずである。

「ん? やだなぁーツクっち……乙女には色々と秘密があるっすよー」

 コルレットは全く可愛気のない乙女チックなポーズを決めて見せる。
 土筆《つくし》はコルレットを完全に無視して宿舎の出入り口まで移動すると扉を確認する。

「どうやって開けたんだ?」

 宿舎の扉はこじ開けられた形跡もなく、自然に開錠された状態だった。

「それは……っすねー……魔法でちょいちょいって感じだったり……っす」

 土筆《つくし》のジト目に耐えられず、コルレットは種明かしをするのだった。

「……悪かったっす。もうしないっす。そんな目で見ないで欲しいっす」

 コルレットはその場の空気に耐えられず、涙を浮かべながら土下寝を披露するのだった。

「…………」

 コルレットは気まずい空気が落ち着くのを見計らい、チラリと土筆を見上げる。

「あれ? ツクっち、随分と顔色が悪いっすねー……どうしたんっすか?」

 コルレットは言葉巧みに話題を逸らすと、土下寝から正座へと姿勢を変える。

「あぁ……昨日魔力切れ起こしてから気怠さが抜けなくってな」
「……気怠さっすか?」

 顎に手を当てて話を聞くコルレットに対して土筆《つくし》は数回頷くと、腰に両手を当て辛そうに首を一回転して大きなため息を吐く。

「……それって、その子が原因じゃないっすか?」
「その子って?」
「だからその子っす」

 コルレットは立ち上がると土筆《つくし》の肩に顔を近づけて、ここに居るよと言わんばかりに指でつんつんする。

「……」

 しかし土筆《つくし》には”その子”の姿を見ることが出来なかった。

「あれ? ツクっちには見えないっすか? ……おかしいっすね。この水精霊、確かにツクっちから魔力の供給を受けてるみたいっすけど……」

 普段の行いを考えれば、コルレットが土筆をからかっている可能性もなくはないのだが、今回に限っては珍しく、コルレットは真面目な表情をしているのだった。

「……ツクっち。その目はコルレットちゃんを疑ってるっすね?」

 コルレットの表情から真意を読み取ろうとする土筆《つくし》に対し、コルレットが心外そうに呟いた。

「わかったっす……メル先輩、ちょっと来てくださいっす」

 コルレットは関わりたくなさそうに椅子に座っているメルの名を呼ぶと、強引にメルの腕を引っ張って土筆の元へ連れて行く。

「メル先輩、これ見えるっすよね?」

 コルレットはメルの顔を両手で挟むと、土筆《つくし》の肩に乗っている水精霊が見るように顔の角度を調整する。

「凄く小っちゃいけど、確かに居るねー。水のお人形さんかな?」

 メルは目を凝らすように見つめると、見たままの感想を漏らす。
 メルの証言を得たコルレットはそれ見たことかと唇を尖らせ、抗議の眼差しで土筆《つくし》に訴え掛ける。

「わかったよ……俺が悪かったよ……」

 土筆《つくし》はコルレットの訴えに対して、決まりが悪そうに謝罪をするのだった。

「うんうん、分かればいいっすよ。コルレットちゃんは全然気にしてないっすから」 

 謝罪を聞いたコルレットは、疑われた事を思いっきり気にしている様子で話に区切りを付けると、更に言葉を続けるのだった。

「でもこの子……かなり弱ってるみたいっすけど、このまま放置するんすか?」

 精霊とは妖精が吸収した魔力が蓄積され一定条件を満たすことによって進化する存在である。
 コルレットの見立てでは、この水精霊は進化したばかりの子で、既に土筆《つくし》との契約が行われていて魔力の供給を受けている状態らしい。
 しかし、正式な契約に必要な名付けが行われていない為、魔力の供給が弱く時間と共に衰弱しているのだそうだ。

「このまま放置したら消滅してしまうんだろ?」

 コルレットは土筆《つくし》の質問に深刻そうな顔をして深く頷く。

「なら答えは一つだ」

 土筆《つくし》が即断すると、コルレットは期待していた通りの回答に満足そうに頷くのだった……

「見た感じ、ツクっちの魔力が回復しきってないようっすから、足りない分はコルレットちゃんが補ってあげるっす」

 コルレットはスキルを使って土筆《つくし》の状態を確認すると、静かに目を閉じて、それほど豊満でもない胸を突き出して見せる。

「……」

 土筆《つくし》はコルレットによる謎の行動に理解が追い付かず呆気に取られてしまい、本日何度目かになる沈黙の時間が宿舎の中に漂うのだった。

「……あれ? ツクっちどうしたんすか? 遠慮はいらないっすよ」

 反応が無い事を不思議に思ったコルレットは、片目を開け状況を確認すると何かに気付いたような仕草を見せる。

「あっ! ツクっちはこっち派だったんっすね……申し訳ないっす」

 そう言うと、コルレットは何を勘違いしたのか、今度はキス顔を作って土筆《つくし》の顔に寄せてくるのだった。

「何をやってるのかなー?」

 青筋を立てたメルが土筆《つくし》とコルレットの間に割って入ってくると、メルはコルレット腕を引き寄せ、伝説のプロレスラーも驚愕してしまうような完璧な卍固めを決めてみせたのだ。

「……先輩、ギブっす。ギブっす」

 全身の関節が悲鳴を上げ、苦しそうにコルレットがタップをすると、メルは勇ましげに尻尾を一振りして技を解く。
 こればかりはコルレットも堪えたのか、そのまま力なく崩れ落ちるのだった……


 その後、涙目のコルレットが土筆《つくし》の足にしがみついたり、優しく慰めた土筆《つくし》がメルに小言を言われたりと、何やかんやと時が流れ、漸《ようや》く仕切り直しとなるのだった。

「それではツクっち、行くっすよ」

 コルレットが目を閉じて意識を集中すると、繋いだ手を通して土筆《つくし》に魔力が流れ込む。

「繋がったっす。契約を始めるっす」

 土筆《つくし》はコルレットの魔力が体内に流れ込むのを感じながら、肩の上に居るという水精霊と契約を完結させるためのスキルを発動する。

「我、汝との契約を求めんとする者なり……」

 土筆《つくし》の”意味ある言葉”に水精霊が反応すると、今まで全く感じる事が出来なかった水精霊への魔力の流れがありありと感じられるようになる。
 やがて土筆《つくし》からの魔力供給が安定してくると、衰弱していた水精霊は徐々に元気を取り戻し、土筆《つくし》の肩から浮かび上がり目の前に移動するのだった。

「……我、汝をディネと命名し契約を求めん」 
  
 水妖精は土筆《つくし》から名付けを受けて正式に契約が結ばれると、透き通ったアクアマリンのように輝きを放ち、愛らしい姿へと変化するのだった。

「上手く行ったみたいっすね」

 コルレットは土筆《つくし》への魔力を送り続けながら、その神秘的な光景に見入っている。

「あぁ……コルレットのお陰でなんとかね……ありがとう」

 土筆《つくし》は少々疲れた顔をしながらも笑顔で感謝の言葉を伝えるのだった……


「えへへっ。水のお人形さん元気になって良かったねー」

 水精霊ディネとの契約が無事に終わり、契約による魔力の消費や供給に問題がないかコルレットに一通り調べてもらった頃には、メルと水精霊ディネは完全に打ち解けている様子だった。

「一先ず、ツクっちの魔力容量もディネちゃんへの供給も問題ないっす」

 妖精よりも高位の存在である精霊との契約で、土筆《つくし》の魔力容量が足りるかどうか心配していたコレットは安堵の表情を見せた。

「ツクっちとディネちゃんの相性最高っす。全く損失が無いっすよ」

 術者と妖精や精霊との契約では、相性により必要とされる魔力の供給量が大きく変わる。
 そのため、魔王の呪いにより魔力量が制限されている土筆《つくし》にとって、相性の悪い精霊との契約は大きな負担になってしまうのだ。

「これだけ相性が良いと、常に召喚してる状態でも問題ないっすよ」

 そう言われてみれば、昨日から土筆《つくし》が感じていた気怠さも水精霊ディネとの契約が完結した直後から綺麗に消えているのだった。

「うひひ……これは運命の出会いかもしれないっすねー」

 コルレットはからかうように土筆《つくし》の腕を突っつくと、困惑する土筆《つくし》の表情を見て楽しむのだった……
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