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Fragrance 1-コイノカオリ-
第23話『悪魔の正体』
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――悪魔は本当に原田さんなのか?
杏ちゃんは事実を言っているはずなのに、どうしてよりによってお兄ちゃんは話の肝となる部分に違和感を抱くの? お兄ちゃんにはそれだけの根拠を持っているのかな。
「が、外野の人間が何を言っているのよ! ましてや男なんかに今の話なんて……」
「外野か内野か、男か女か……そんなこと関係ない。俺達は同じ人間じゃないか。人間は心を持っている。話を聞けば違和感に気づくことくらい誰にでもできる」
「私達のことを知らないで、よくも偉そうに……」
初めて杏ちゃんが焦りを見せる。ということは、悪魔が絢ちゃんじゃないっていうことが私の抱く違和感の正体なの?
「そこまで言うなら、原田さんが悪魔じゃないっていう根拠を言ってみなさいよ。ハルのお兄さん?」
「……それは全て、君が一番分かっているだろう。と言っても、原田さんが悪魔だと認めさせるにはそれを自分で言うわけにはいかない」
「じれったいわね。はっきりと言いなさいよ。あなたのいう違和感とやらが何なのか分かっているならね!」
焦りが募っているのか、杏ちゃんはお兄ちゃん相手でも荒い口調で話す。
しかし、お兄ちゃんも自分の抱いた違和感に確信を持っているのか、絢ちゃんのそんな態度に全く動じることはなかった。
「君にそう言われなくても話すつもりだよ。君は卯月さんから原田さんが好きになったことについて相談を受けた。どうすればいいのだろうかと。そして、君はこう答えた。早く告白した方がいい。そうしないと、原田さんが誰かに取られちゃうから……って」
杏ちゃんがお兄ちゃんと目を合わせようとしないということは、お兄ちゃんの言うことは当たっているのか。
「そのアドバイス、全否定はしないけど……親友らしくないことだと思う。だって、卯月さんはどんなことに対しても自分の気持ちを伝えるために、心の準備が十分に必要だったんだろう? それを君は誰よりも分かっていたはずだ」
「そ、それは……」
「告白っていうのは自分の想いを自分の言葉で伝えることだ。それなら尚更、卯月さんには自分のペースで原田さんに告白させるべきだったんじゃないかな。告白は相当な覚悟を持たないとできないことだと思うんだ。卯月さんの性格なら尚更のことだろう。それも君には分かっていた。だけど、実際には卯月さんに告白を急かした。どうして、そんなことをしたのかな」
「だって、それは……なるべく早く告白しないと、誰かに原田さんを取られちゃうからに決まってるじゃない」
「……本当にそれだけかな?」
「うっ……」
きっと、お兄ちゃんは悪魔の正体が、杏ちゃんの言葉の隠された真意にあるんじゃないかって思っているんだ。
私もお兄ちゃんに言われて違和感の正体が分かった。
卯月さんは自分の気持ちを伝えるには心の準備が十分に必要なのに、杏ちゃんが絢ちゃんへの告白を急かしたこと。
――早く告白した方がいい。そうしないと、誰かに原田さんを取られちゃうかもしれないから。
それは私も何度か言われたことだ。そして、私はきっと……杏ちゃんがそう言った真意を知っている。
卯月さんが絢ちゃんへ告白した先に何があるのか。もちろん、成功だけではなくて失敗だってある。
――あのアドバイスは成功を第一に考えたものだったのか?
――そもそも、杏ちゃんは卯月さんの告白の成功を祈っていたのか?
そのように疑問を抱いて、発想を逆転していけば答えは見えてくる。
つまり、杏ちゃんは卯月さんの告白の失敗を祈っていた。それが故に、卯月さんの性格を無視したアドバイスをした。そこから見える杏ちゃんの真意は、
「……そういうことだったんだ」
やっぱり、口から出ている言葉とは真逆だったんだ。そして、私には度々、その本音を言っていた。昨日の昼休み、そしてこの教会で絢ちゃんが助けに来てくれる前に。
「どうやら、後は遥香に任せて大丈夫そうかな。俺よりも親友である遥香の言葉の方が、彼女の心にも届くだろうから」
お兄ちゃんは私の顔を見て頷く。
分かったよ、全て。卯月さんの件に関する杏ちゃんの真意も。お兄ちゃんが言う、絢ちゃんでない悪魔の正体もね。
「杏ちゃん、どうして絢ちゃんに復讐しようとしているの?」
「そ、それは……原田さんのせいで牡丹が意識を取り戻さない状態になったから……」
「……そんなこと、私は分かってるよ。私はどうして、卯月さんのためにそこまでしようとしているのか訊いているんだよ」
「そ、それは……」
杏ちゃん、やっぱり言えないんだ。それを言ってしまうと、今まで自分のしてきたことが無意味になってしまうから。自分を正当化できなくなるから。
だけど、私は言う。みんなが正しい未来へ進むためにも。
「杏ちゃん。杏ちゃんは……卯月さんのことが好きなんだよね?」
ただ、それだけ。
杏ちゃんは卯月さんのことが好きだという、純粋な気持ち。きっと、杏ちゃんはずっと前から親友以上に卯月さんのことが好きで、今も続いている。
「お兄ちゃんの言う本当の悪魔、それは杏ちゃんのことだよね」
「……その通りだ、遥香」
「杏ちゃんはいつしか親友としてではなく、1人の女性として卯月さんのことが好きになっていた。ところが、1年前。卯月さんから原田さんのことが好きだと言われた。杏ちゃんはきっと、こう思った。卯月さんを原田さんに取られたくないって。だから、杏ちゃんは卯月さんの性格を全く考えずに告白を急かした。絢ちゃんはこれまで一度も告白を受け入れたことがなかった。卯月さんもきっと断られるって思ったんだ。杏ちゃん、どこか間違っているかな」
後はもう、本人の口から聞きたい。
杏ちゃんはさっきの絢ちゃんのようになっている。頭を抱え、怯えた目をして……全身がビクビクと震えている。
「どうして、ハルには全部分かっちゃうんだよ。ハルは私や牡丹のことなんてほんの一部しか知らないのに……」
「私も卯月さんと同じことを言われたからだよ。杏ちゃんは何度か私に絢ちゃんへの告白を急かしたよね。だから、杏ちゃんや卯月さんの気持ちが分かるんだ」
「……さすがはハルだな。原田さんと信じ合えるほどの女の子だって納得できるよ」
「じゃあ、私の言うことに間違いはないんだね」
「……合ってるよ。全部ね」
となると、私がこれ以上話す必要はないかな。
ここまで来たら、もう杏ちゃんが話すべきことだろう。杏ちゃんが話し始めるのをみんなは静かに待つ。
無言のまま暫く時間が経ち、
「……原田さんが羨ましかった」
ようやく聞くことのできた杏ちゃんの第一声はそんな言葉だった。
「ハルの言うとおり、あたしは牡丹のことが好き。牡丹はなかなか友達ができなくて悩んでいたけれど、あたしはそれで良かった。牡丹を独占できるって思ってたから。でも、中学3年になって原田さんのことが好きだって言われて、凄く焦った。自分が好きだって言えば気持ち悪がられて親友って関係に亀裂が入るかもしれない。だから、あたしは言えなかった」
私も前に同じようなことを考えていた。男子ではなく女子を好きになってしまった自分はおかしいんじゃないかって。実際に、お兄ちゃんに絢ちゃんが好きだって打ち明けるときには凄く緊張した。
「自分の気持ちが言えないから、卯月さんに告白を急かすようなことを? 絢ちゃんに振られるために」
「うん。心の準備ができなければ、上手く告白できないって思ってたから」
「それで、実際にはどうだったの?」
「物陰に隠れて見たけど、牡丹は緊張しっぱなしで顔も真っ赤だった。好きだって言うことが精一杯で、それ以上何も言えなかった。そして、原田さんは爽やか笑顔をして優しい言葉で牡丹を振った」
その日に……卯月さんは首を吊って自殺をしようとしたんだ。絢ちゃんに振られたことで深い傷を負ったから。
「原田さんに振られた牡丹に、あたしが優しくすれば……牡丹も自然とあたしに寄り添ってくれるって思ってた。だけど、牡丹は笑顔で大丈夫だって言っただけで、その後すぐに帰っちゃった。まさかその夜に自殺を図るなんて、本当に予想外だった」
本来なら杏ちゃんが卯月さんを助けるところで終わりだったわけか。卯月さんが心に傷を負っているときに優しくすれば、自分のことが好きになるって考えていたんだ。
「……日付が変わったくらいに、彼女の母親から電話がかかってきた。牡丹が自殺未遂をしたって聞いたときには全てを失った気がした。そして、御両親の計らいであたしは家族以外で初めて面会したの。チューブで栄養を送られ病床で寝ている牡丹の姿を見て、あたしはとんでもないことをしたって思った。一生目覚めないかもしれないって聞いたときには罪悪感で押しつぶされそうになったよ」
きっと、杏ちゃんは相当苦しんだんだと思う。流し始めた彼女の涙を見ればそれは明らかだった。自分の気持ちを素直に言えないことで発した一言によって、親友は自殺未遂をし、その結果、長い眠りに陥ることになってしまったのだから。
「牡丹に告白を急かしたことでさえ卑怯なことなのに、あたしの卑怯さは酷いから、この罪悪感を原田さんに押しつけようって考えたの。あたしの卑怯な気持ちから生まれた悪魔を原田さんに寄生させようってね。牡丹が首を吊ったのは原田さんに振られた日の夜だから、原田さんに罪をなすりつけるのは簡単だった」
杏ちゃんのその行動が、絢ちゃんに悪魔としての罪悪感を植え付けたのか。絢ちゃんも卯月さんが自殺未遂をしたことで心を痛めていただろうから、余計に杏ちゃんの思惑にはまっちゃったんだ。
「時々、自分は間違っているって滅入ることもあった。でも、その時は牡丹のお見舞いに行って原田さんへ復讐するという想いを必死に作った」
「じゃあ、どうしてこのタイミングで今回のことを実行しようって思ったの?」
「……そろそろ楽になりたかったんだと思う。原田さんに牡丹が自殺未遂した原因が自分にあるって認めさせたくて。原田さんから大切な人を奪えば、きっと原田さんは1年前のことが自分の罪だと認めてくれるってね。ハルは牡丹と同じくらいに可愛くて、原田さんのことが好きになっていた。ハルなら彼女になって不足はないし、あたしの罪悪感も消してくれるんじゃないかって淡い期待も持って。だから、実行に移したんだよ」
それで、今日の一連の出来事に繋がったんだ。絢ちゃんには一緒にいれば私を誘拐するというメールを送り、私には1人になったところで誘拐した。
そして、それとは別に美咲ちゃんが尾行していた。悪魔である絢ちゃんから私を守るために。何かあっても私を元気づけるために。
「……原田さんは何も悪くなかった」
「杏ちゃん……」
「牡丹が自殺を図ったのは、原田さんに振られたからじゃない。あたしが牡丹を裏切ったからなんだ……」
「裏切った?」
「そうだよ。牡丹は原田さんと付き合いたいからあたしに相談したんだ。なのに、あたしはそんな彼女の気持ちを考えないで自分のことばかり考えてた。きっと、色々と相談したかったのにあたしが必要以上に急かしたから、牡丹は自殺を図ろうとしたんだよ!」
杏ちゃんの目から涙がこぼれ落ちる。
「いつの日か目が覚めるかもしれない。でも、あたしにとってはもう……牡丹は死んじゃったとしか思えないんだよ! 牡丹の笑顔を見ないと、生きているって思うことができないんだ。原田さん、本当にごめんなさい……」
杏ちゃんはその場で跪き、声を上げて泣く。
過去に抱いた卯月さんの気持ちは……卯月さんにしか分からない。原田さんに振られたことで自殺を決めたかもしれないし、杏ちゃんに裏切られたと思って自殺を決めたかもしれないとも言える。
当事者でない私がもうこれ以上足を踏み込んではいけない気がした。そう思ってしまう自分が情けなくて、とても悔しい。
すると、絢ちゃんはゆっくりと立ち上がって杏ちゃんの前まで行く。
「片桐さん、顔……上げてくれない?」
杏ちゃんは素直に聞き入れ、顔を上げ絢ちゃんと見つめ合う。
「どんな背景があっても、私が卯月さんを振ったことに変わりはないよ。そして、それがきっかけで彼女は自殺を図ったって思ってる」
「違う! 原田さんは何も……」
「それでも! そう思わないと私は納得できないんだ。だから、卯月さんが目を覚ましたときには一度、彼女に謝りたいと思ってる。それは1年前、卯月さんが自殺を図ったことを聞いてからずっと考えてた」
「原田さん……」
「卯月さんは深い眠りについている。でも、亡くなってはいない。それは同じようであって決定的に違うことなんだ。今も彼女が生きているなら、私は……彼女が目覚めること信じたい。そして、それを一番に信じて待っていられるのは……親友である片桐さんじゃないかな。片桐さんは卯月さんのことが好きで愛している。そして、愛しているということは生きていてほしいって願うことだろうから」
絢ちゃんは笑顔でそう言った。
「だけど、牡丹はきっと許しては……」
「そのときは私と遥香ちゃんが見方になります」
美咲ちゃんが絢ちゃんの横まで歩き、杏ちゃんに手を差し伸べる。
「杏ちゃんは確かに間違ったことをしたと思います。それは卯月さんに謝らなければいけないです。でも、杏ちゃんは正しい道に進んでくれると信じていますから。杏ちゃんの元気なところや優しいところは天羽女子では誰よりも、親友である私と遥香ちゃんが分かっています」
「美咲ちゃんの言うとおりだよ。私達3人は親友同士。杏ちゃんが困っているときには私と美咲ちゃんは喜んで助けるよ」
そう、私達は親友なんだ。簡単に切れる関係じゃない。お互いに間違いがあればそれを正していき、更に絆が強くなる。それが親友なんだ。
美咲ちゃんは杏ちゃんを立ち上がらせ、そっと抱きしめる。
そして、杏ちゃんは再び声を出して泣き始めた。
でも、それはきっと……嬉しくて泣いていることだろう。
杏ちゃんは事実を言っているはずなのに、どうしてよりによってお兄ちゃんは話の肝となる部分に違和感を抱くの? お兄ちゃんにはそれだけの根拠を持っているのかな。
「が、外野の人間が何を言っているのよ! ましてや男なんかに今の話なんて……」
「外野か内野か、男か女か……そんなこと関係ない。俺達は同じ人間じゃないか。人間は心を持っている。話を聞けば違和感に気づくことくらい誰にでもできる」
「私達のことを知らないで、よくも偉そうに……」
初めて杏ちゃんが焦りを見せる。ということは、悪魔が絢ちゃんじゃないっていうことが私の抱く違和感の正体なの?
「そこまで言うなら、原田さんが悪魔じゃないっていう根拠を言ってみなさいよ。ハルのお兄さん?」
「……それは全て、君が一番分かっているだろう。と言っても、原田さんが悪魔だと認めさせるにはそれを自分で言うわけにはいかない」
「じれったいわね。はっきりと言いなさいよ。あなたのいう違和感とやらが何なのか分かっているならね!」
焦りが募っているのか、杏ちゃんはお兄ちゃん相手でも荒い口調で話す。
しかし、お兄ちゃんも自分の抱いた違和感に確信を持っているのか、絢ちゃんのそんな態度に全く動じることはなかった。
「君にそう言われなくても話すつもりだよ。君は卯月さんから原田さんが好きになったことについて相談を受けた。どうすればいいのだろうかと。そして、君はこう答えた。早く告白した方がいい。そうしないと、原田さんが誰かに取られちゃうから……って」
杏ちゃんがお兄ちゃんと目を合わせようとしないということは、お兄ちゃんの言うことは当たっているのか。
「そのアドバイス、全否定はしないけど……親友らしくないことだと思う。だって、卯月さんはどんなことに対しても自分の気持ちを伝えるために、心の準備が十分に必要だったんだろう? それを君は誰よりも分かっていたはずだ」
「そ、それは……」
「告白っていうのは自分の想いを自分の言葉で伝えることだ。それなら尚更、卯月さんには自分のペースで原田さんに告白させるべきだったんじゃないかな。告白は相当な覚悟を持たないとできないことだと思うんだ。卯月さんの性格なら尚更のことだろう。それも君には分かっていた。だけど、実際には卯月さんに告白を急かした。どうして、そんなことをしたのかな」
「だって、それは……なるべく早く告白しないと、誰かに原田さんを取られちゃうからに決まってるじゃない」
「……本当にそれだけかな?」
「うっ……」
きっと、お兄ちゃんは悪魔の正体が、杏ちゃんの言葉の隠された真意にあるんじゃないかって思っているんだ。
私もお兄ちゃんに言われて違和感の正体が分かった。
卯月さんは自分の気持ちを伝えるには心の準備が十分に必要なのに、杏ちゃんが絢ちゃんへの告白を急かしたこと。
――早く告白した方がいい。そうしないと、誰かに原田さんを取られちゃうかもしれないから。
それは私も何度か言われたことだ。そして、私はきっと……杏ちゃんがそう言った真意を知っている。
卯月さんが絢ちゃんへ告白した先に何があるのか。もちろん、成功だけではなくて失敗だってある。
――あのアドバイスは成功を第一に考えたものだったのか?
――そもそも、杏ちゃんは卯月さんの告白の成功を祈っていたのか?
そのように疑問を抱いて、発想を逆転していけば答えは見えてくる。
つまり、杏ちゃんは卯月さんの告白の失敗を祈っていた。それが故に、卯月さんの性格を無視したアドバイスをした。そこから見える杏ちゃんの真意は、
「……そういうことだったんだ」
やっぱり、口から出ている言葉とは真逆だったんだ。そして、私には度々、その本音を言っていた。昨日の昼休み、そしてこの教会で絢ちゃんが助けに来てくれる前に。
「どうやら、後は遥香に任せて大丈夫そうかな。俺よりも親友である遥香の言葉の方が、彼女の心にも届くだろうから」
お兄ちゃんは私の顔を見て頷く。
分かったよ、全て。卯月さんの件に関する杏ちゃんの真意も。お兄ちゃんが言う、絢ちゃんでない悪魔の正体もね。
「杏ちゃん、どうして絢ちゃんに復讐しようとしているの?」
「そ、それは……原田さんのせいで牡丹が意識を取り戻さない状態になったから……」
「……そんなこと、私は分かってるよ。私はどうして、卯月さんのためにそこまでしようとしているのか訊いているんだよ」
「そ、それは……」
杏ちゃん、やっぱり言えないんだ。それを言ってしまうと、今まで自分のしてきたことが無意味になってしまうから。自分を正当化できなくなるから。
だけど、私は言う。みんなが正しい未来へ進むためにも。
「杏ちゃん。杏ちゃんは……卯月さんのことが好きなんだよね?」
ただ、それだけ。
杏ちゃんは卯月さんのことが好きだという、純粋な気持ち。きっと、杏ちゃんはずっと前から親友以上に卯月さんのことが好きで、今も続いている。
「お兄ちゃんの言う本当の悪魔、それは杏ちゃんのことだよね」
「……その通りだ、遥香」
「杏ちゃんはいつしか親友としてではなく、1人の女性として卯月さんのことが好きになっていた。ところが、1年前。卯月さんから原田さんのことが好きだと言われた。杏ちゃんはきっと、こう思った。卯月さんを原田さんに取られたくないって。だから、杏ちゃんは卯月さんの性格を全く考えずに告白を急かした。絢ちゃんはこれまで一度も告白を受け入れたことがなかった。卯月さんもきっと断られるって思ったんだ。杏ちゃん、どこか間違っているかな」
後はもう、本人の口から聞きたい。
杏ちゃんはさっきの絢ちゃんのようになっている。頭を抱え、怯えた目をして……全身がビクビクと震えている。
「どうして、ハルには全部分かっちゃうんだよ。ハルは私や牡丹のことなんてほんの一部しか知らないのに……」
「私も卯月さんと同じことを言われたからだよ。杏ちゃんは何度か私に絢ちゃんへの告白を急かしたよね。だから、杏ちゃんや卯月さんの気持ちが分かるんだ」
「……さすがはハルだな。原田さんと信じ合えるほどの女の子だって納得できるよ」
「じゃあ、私の言うことに間違いはないんだね」
「……合ってるよ。全部ね」
となると、私がこれ以上話す必要はないかな。
ここまで来たら、もう杏ちゃんが話すべきことだろう。杏ちゃんが話し始めるのをみんなは静かに待つ。
無言のまま暫く時間が経ち、
「……原田さんが羨ましかった」
ようやく聞くことのできた杏ちゃんの第一声はそんな言葉だった。
「ハルの言うとおり、あたしは牡丹のことが好き。牡丹はなかなか友達ができなくて悩んでいたけれど、あたしはそれで良かった。牡丹を独占できるって思ってたから。でも、中学3年になって原田さんのことが好きだって言われて、凄く焦った。自分が好きだって言えば気持ち悪がられて親友って関係に亀裂が入るかもしれない。だから、あたしは言えなかった」
私も前に同じようなことを考えていた。男子ではなく女子を好きになってしまった自分はおかしいんじゃないかって。実際に、お兄ちゃんに絢ちゃんが好きだって打ち明けるときには凄く緊張した。
「自分の気持ちが言えないから、卯月さんに告白を急かすようなことを? 絢ちゃんに振られるために」
「うん。心の準備ができなければ、上手く告白できないって思ってたから」
「それで、実際にはどうだったの?」
「物陰に隠れて見たけど、牡丹は緊張しっぱなしで顔も真っ赤だった。好きだって言うことが精一杯で、それ以上何も言えなかった。そして、原田さんは爽やか笑顔をして優しい言葉で牡丹を振った」
その日に……卯月さんは首を吊って自殺をしようとしたんだ。絢ちゃんに振られたことで深い傷を負ったから。
「原田さんに振られた牡丹に、あたしが優しくすれば……牡丹も自然とあたしに寄り添ってくれるって思ってた。だけど、牡丹は笑顔で大丈夫だって言っただけで、その後すぐに帰っちゃった。まさかその夜に自殺を図るなんて、本当に予想外だった」
本来なら杏ちゃんが卯月さんを助けるところで終わりだったわけか。卯月さんが心に傷を負っているときに優しくすれば、自分のことが好きになるって考えていたんだ。
「……日付が変わったくらいに、彼女の母親から電話がかかってきた。牡丹が自殺未遂をしたって聞いたときには全てを失った気がした。そして、御両親の計らいであたしは家族以外で初めて面会したの。チューブで栄養を送られ病床で寝ている牡丹の姿を見て、あたしはとんでもないことをしたって思った。一生目覚めないかもしれないって聞いたときには罪悪感で押しつぶされそうになったよ」
きっと、杏ちゃんは相当苦しんだんだと思う。流し始めた彼女の涙を見ればそれは明らかだった。自分の気持ちを素直に言えないことで発した一言によって、親友は自殺未遂をし、その結果、長い眠りに陥ることになってしまったのだから。
「牡丹に告白を急かしたことでさえ卑怯なことなのに、あたしの卑怯さは酷いから、この罪悪感を原田さんに押しつけようって考えたの。あたしの卑怯な気持ちから生まれた悪魔を原田さんに寄生させようってね。牡丹が首を吊ったのは原田さんに振られた日の夜だから、原田さんに罪をなすりつけるのは簡単だった」
杏ちゃんのその行動が、絢ちゃんに悪魔としての罪悪感を植え付けたのか。絢ちゃんも卯月さんが自殺未遂をしたことで心を痛めていただろうから、余計に杏ちゃんの思惑にはまっちゃったんだ。
「時々、自分は間違っているって滅入ることもあった。でも、その時は牡丹のお見舞いに行って原田さんへ復讐するという想いを必死に作った」
「じゃあ、どうしてこのタイミングで今回のことを実行しようって思ったの?」
「……そろそろ楽になりたかったんだと思う。原田さんに牡丹が自殺未遂した原因が自分にあるって認めさせたくて。原田さんから大切な人を奪えば、きっと原田さんは1年前のことが自分の罪だと認めてくれるってね。ハルは牡丹と同じくらいに可愛くて、原田さんのことが好きになっていた。ハルなら彼女になって不足はないし、あたしの罪悪感も消してくれるんじゃないかって淡い期待も持って。だから、実行に移したんだよ」
それで、今日の一連の出来事に繋がったんだ。絢ちゃんには一緒にいれば私を誘拐するというメールを送り、私には1人になったところで誘拐した。
そして、それとは別に美咲ちゃんが尾行していた。悪魔である絢ちゃんから私を守るために。何かあっても私を元気づけるために。
「……原田さんは何も悪くなかった」
「杏ちゃん……」
「牡丹が自殺を図ったのは、原田さんに振られたからじゃない。あたしが牡丹を裏切ったからなんだ……」
「裏切った?」
「そうだよ。牡丹は原田さんと付き合いたいからあたしに相談したんだ。なのに、あたしはそんな彼女の気持ちを考えないで自分のことばかり考えてた。きっと、色々と相談したかったのにあたしが必要以上に急かしたから、牡丹は自殺を図ろうとしたんだよ!」
杏ちゃんの目から涙がこぼれ落ちる。
「いつの日か目が覚めるかもしれない。でも、あたしにとってはもう……牡丹は死んじゃったとしか思えないんだよ! 牡丹の笑顔を見ないと、生きているって思うことができないんだ。原田さん、本当にごめんなさい……」
杏ちゃんはその場で跪き、声を上げて泣く。
過去に抱いた卯月さんの気持ちは……卯月さんにしか分からない。原田さんに振られたことで自殺を決めたかもしれないし、杏ちゃんに裏切られたと思って自殺を決めたかもしれないとも言える。
当事者でない私がもうこれ以上足を踏み込んではいけない気がした。そう思ってしまう自分が情けなくて、とても悔しい。
すると、絢ちゃんはゆっくりと立ち上がって杏ちゃんの前まで行く。
「片桐さん、顔……上げてくれない?」
杏ちゃんは素直に聞き入れ、顔を上げ絢ちゃんと見つめ合う。
「どんな背景があっても、私が卯月さんを振ったことに変わりはないよ。そして、それがきっかけで彼女は自殺を図ったって思ってる」
「違う! 原田さんは何も……」
「それでも! そう思わないと私は納得できないんだ。だから、卯月さんが目を覚ましたときには一度、彼女に謝りたいと思ってる。それは1年前、卯月さんが自殺を図ったことを聞いてからずっと考えてた」
「原田さん……」
「卯月さんは深い眠りについている。でも、亡くなってはいない。それは同じようであって決定的に違うことなんだ。今も彼女が生きているなら、私は……彼女が目覚めること信じたい。そして、それを一番に信じて待っていられるのは……親友である片桐さんじゃないかな。片桐さんは卯月さんのことが好きで愛している。そして、愛しているということは生きていてほしいって願うことだろうから」
絢ちゃんは笑顔でそう言った。
「だけど、牡丹はきっと許しては……」
「そのときは私と遥香ちゃんが見方になります」
美咲ちゃんが絢ちゃんの横まで歩き、杏ちゃんに手を差し伸べる。
「杏ちゃんは確かに間違ったことをしたと思います。それは卯月さんに謝らなければいけないです。でも、杏ちゃんは正しい道に進んでくれると信じていますから。杏ちゃんの元気なところや優しいところは天羽女子では誰よりも、親友である私と遥香ちゃんが分かっています」
「美咲ちゃんの言うとおりだよ。私達3人は親友同士。杏ちゃんが困っているときには私と美咲ちゃんは喜んで助けるよ」
そう、私達は親友なんだ。簡単に切れる関係じゃない。お互いに間違いがあればそれを正していき、更に絆が強くなる。それが親友なんだ。
美咲ちゃんは杏ちゃんを立ち上がらせ、そっと抱きしめる。
そして、杏ちゃんは再び声を出して泣き始めた。
でも、それはきっと……嬉しくて泣いていることだろう。
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