恋人、はじめました。

桜庭かなめ

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特別編4

エピローグ『思い出がたくさんできた。』

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 甘くて冷たくて美味しいスイカをたくさん食べたことで体力が回復し、俺達は午後5時近くまで海や浜辺で遊びまくった。
 この時間になると、海水浴場にいる人も少なくなってきている。俺達高校生は夏休みだけど、明日は仕事のある社会人の人が多かったのだろうか。家族連れや大人だけのグループの海水浴客も結構いたし。
 ビーチパラソルやレジャーシートなどを片付け、俺達は午前中の着替えでも使った更衣室に向かい始める。

「午前中からずっとあの場所にいたので、ここから去るのはちょっと寂しい気持ちになりますね」

 その言葉が本当であると示すように、氷織の笑顔は寂しそうな雰囲気を帯びている。
 そういえば、笠ヶ谷の七夕祭りから帰るときにも、氷織は寂しいと言っていたな。どこかに遊びに行くと、帰るときに寂しくなりやすい性格なのかも。

「そうか。俺も寂しいな。あの場所でたくさん遊んで、お昼ご飯を食べて、三毛猫と触れ合って、午後にはスイカ割りもしたから。そのどれもが楽しかったし」
「楽しかったことがたくさんありましたね。こうして思い返すと、この海水浴場に来て、この水着に着替えたのが随分と昔のように感じます」
「海水浴場ではずっと水着姿だったもんな。俺も結構前な感じがするよ。あと、プールデートのときよりも長い時間、氷織の黒いビキニ姿を見られて幸せだよ」
「嬉しいです。私も明斗さんの水着姿を長く見られて幸せです」

 頬中心に氷織の顔に赤みが帯びる。氷織の顔に浮かんでいる笑みが、寂しそうなものから恍惚としたものに変わっていく。そんな氷織を見ていると、氷織は俺の唇にそっとキスしてきた。触れたのは一瞬だったけど、氷織の温もりはしっかりと感じられた。
 午前中、更衣室で水着に着替えて、レジャーシートを敷いた場所に向かうまでの間に、氷織は俺の頬にキスしてくれたっけ。あの出来事も随分と前のように思えた。
 それから程なくして、俺達は更衣室に到着する。
 水着に着替えたときと同じく、更衣室の前で待ち合わせすることを約束して、俺は和男と一緒に男子用の更衣室に入った。
 更衣室にはシャワーが備わっているため、シャワーで体についた砂と海水を洗い流す。
 シャワーはぬるま湯程度の温水だけど、これが意外と気持ちいい。夏だけど、海に入った後なので、水よりもこのくらい温かい方が体にいいかもしれない。和男も「温かくて気持ちいいな!」と言っていた。きっと、氷織達も温水シャワーで気持ち良くなっているんじゃないだろうか。
 温水シャワーのおかげでさっぱりとした。
 快適な気分の中で、水着から私服へと着替えた。この服を着るのも結構久しぶりに感じた。
 更衣室を出ると……さすがに俺達の方が先か。シャワーを浴びていたら、髪を乾かしていたり、スキンケアをしたりしているだろうし。気長に待とう。

「いやぁ、去年以上に楽しかったぜ!」
「俺も楽しかったよ。氷織っていう恋人と一緒に来たからかな」
「そうかもしれないな。アキと青山、結構イチャイチャしていたもんな!」
「和男と清水さんもだろう。一緒にいることが多かったし」
「そうだな!」

 ははっ! と高らかに笑う和男。海でたくさん遊んだのに、この男は今でもかなり元気だ。もしかしたら、ここに来たときよりも元気かもしれない。
 その後も今日の海水浴のことで和男と談笑する。
 午前中と同じで、海からの潮風が柔く吹いている。でも、夕方になっているから、午前中よりも快適に感じられた。

「お待たせしました」

 俺達が出てから10分近く。私服姿に着替えた氷織達が女性用の更衣室から出てきた。今日は水着姿でいる時間の方が多かったから、みんなの私服姿が新鮮に感じられる。
 また、氷織達の方も、更衣室にあった温水シャワーで砂や海水を洗い流したそうだ。

「そんじゃ、帰るか!」

 和男がそう言い、俺達は最寄り駅に向かう。
 最寄り駅に到着すると、停車駅の一番少ない快速急行の電車があと1分で出発するところだった。ただ、既に人がそれなりに乗っていること。次の快速急行電車が10分後にあること。また、この駅が始発なので、後発の電車なら確実に席に座れることから、この電車には乗らないことにした。
 快速急行の電車を見送り、次の電車を待つことに。そんな中、

「はい、紙透」

 火村さんがボトル缶の微糖コーヒーを俺に渡してきた。

「俺にくれるのか?」
「ええ。お昼過ぎにナンパから助けてくれたお礼に。紙透はコーヒーが大好きだから缶コーヒーがいいかなと思って。さっき、着替えているときに、氷織にあなたの好きな缶コーヒーを訊いたの」
「そうだったのか。確かに、そのコーヒーは大好きなコーヒーだよ」
「そっか。……お昼はありがとう、紙透」
「いえいえ」

 優しい笑みを浮かべる火村さんから、俺はボトル缶のコーヒーを受け取る。助けた直後に、火村さんは笑顔で何度もありがとうって言ってくれた。それが俺にとっては十分にお礼になっているけどな。でも、有り難く受け取ろう。
 ちょうど喉が渇いていたので、俺は缶コーヒーのフタを開けて一口飲む。

「……美味しい。やっぱりこのコーヒーは最高だな。火村さんが奢ってくれたから、いつも以上に美味しく感じるよ。ありがとう」
「良かったわ。……嬉しい」

 火村さんは言葉通りの嬉しそうな笑みを浮かべ、俺を見つめながらニコッと笑う。本当に可愛い女の子だ。

「喜んでもらえて良かったですね、恭子さん」
「良かったッスね、ヒム子」
「喜んでくれたね、恭子ちゃん」

 氷織、葉月さん、清水さんから優しい言葉を掛けられ、火村さんは「ええ!」と嬉しそうに返事した。着替え中に俺の好きな缶コーヒーを氷織に訊いたから、葉月さんも清水さんも俺にお礼をしたいことを知っていたのだろう。
 俺はもう一口飲んで、缶コーヒーをバッグに閉まった。電車がそこまで混んでいなかったら、帰っている間に少しずつ飲んでいこう。
 それから数分ほどして、快速急行の電車が到着した。
 始発駅であるため、俺達6人は難なく並んで座ることができた。ちなみに、座る順番は和男、清水さん、葉月さん、火村さん、氷織、俺。俺がロングシートの端に座っている。
 俺達はここから終点の琴宿駅まで向かう。快速急行でも1時間ほどかかるけど、座っているから楽に移動できるだろう。それに、今日は体をたくさん動かしたから、このシートが凄く快適に思えるし。
 電車が到着してから数分後。
 俺達の乗る電車は定刻通りに発車する。その瞬間に、氷織は更衣室に向かうときのようなちょっと寂しそうな笑みを浮かべる。今日遊んだ海水浴場から離れていくからかな。
 俺と目が合うと、氷織はちょっとはにかむ。

「ごめんなさい。また、ちょっと寂しい気持ちになっちゃいました。楽しかった場所から離れていきますから」
「そっか。それに、寂しく思うことは悪いことじゃないよ。俺もちょっと寂しい。ただ、あの海水浴場で楽しい思い出がたくさんできたよ。氷織はどうだった?」
「はい、いっぱいできました」
「そうか。それなら、今日の思い出が、この先何度も心を温めてくれるさ」
「……そうですね」

 優しい笑顔で氷織はそう言ってくれる。

「それに、あの海水浴場に行くことも、海水浴をすることも今日が最後じゃないと思うから。また一緒に海水浴しよう。みんなで行くのはもちろん、2人きりでも」
「はいっ」

 氷織は明るい笑顔で返事をしてくれ、俺にキスしてきた。一緒に行きましょうね、という約束のキスなのだろう。
 氷織から唇を離すと、氷織は俺を見つめてニコッと笑ってくれた。
 きっと、今の俺達の会話が聞こえていたのだろう。和男達は俺と氷織に向かって「また一緒に遊びに行こう」と笑顔で言ってくれた。今日の海水浴が楽しかったからこそ言ってくれているのが分かって。凄く嬉しい。氷織も可愛らしい笑顔で「はいっ」と返事していた。
 それから、俺達は海水浴中に撮った写真を見ながら、帰りの電車の時間を過ごす。氷織とは寄り添い合って。また、人もそこまで乗っていないから、火村さんがくれた缶コーヒーをたまに飲んで。
 今日のことをみんなと話すのが本当に楽しくて。スマホに写真があるから鮮明に思い出せて。だから、寂しさは紛れ、さっそく心が温まっている。
 氷織はどうかな。楽しそうな笑顔を見せてくれているから、きっと俺と同じであると信じている。



特別編4 おわり


次の話から特別編5です。
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