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2学期編

第5話『甘えん坊お姉ちゃん』

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 9月5日、木曜日。
 昨日、結衣と2学期になってから初めての放課後デートをしたからだろうか。とても気持ち良く起きられた。
 壁に掛かっている時計を見ると……今は午前6時半過ぎか。いつもはもうちょっと寝ているけど、気持ち良く起きられたからこのまま起きよう。そう決めて、俺はベッドから降りる。
 半袖の寝間着を着ているのもあり、ちょっと涼しく感じられる。9月になっただけあって、最近は朝晩は過ごしやすいと思える日が増えてきた。暑さ寒さも彼岸までということわざがあるのも納得だ。
 自室を出て、同じ2階にある洗面所へ行こうとしたときだった。

「けほっ、けほっ……」

 と、芹花姉さんの部屋から、姉さんの咳が聞こえてきた。その瞬間に歩みが止まる。
 その後も、姉さんの部屋から何度も咳が聞こえてくる。一度や二度くらいなら咳払いかなと思うけど、この回数は普通じゃない。芹花姉さんは体調を崩しているかもしれない。

 ――コンコン。
「姉さん。大丈夫か?」

 芹花姉さんの部屋の扉をノックして、姉さんにそう問いかけた直後、中から「けほっ、けほっ」とまた咳が聞こえてきた。

「入るぞ」

 芹花姉さんの部屋の中に入る。
 ベッドの近くまで行くと……芹花姉さんは息苦しそうにしている。薄暗い中でも分かるくらいに、姉さんの頬が赤くなっていた。
 俺に気付いたのか、芹花姉さんはゆっくりと目を開けて、俺の方に視線を向ける。俺と目が合うと、姉さんはやんわりと笑う。

「……ユウちゃんだ。これは夢なのかな?」
「夢じゃないぞ。現実だ」
「そうなんだ。嬉しい」

 えへへっ、と芹花姉さんは声に出して笑う。具合が悪そうでも、俺絡みのことで喜べるとは。さすがは姉さんだ。

「姉さん、風邪引いたか? 咳も聞こえたし、顔も赤いし、息苦しそうだから」
「……うん。起きたら体が妙に熱くて。息苦しくて。昨日は一日バイトをしたからかなぁ。その疲れが溜まっていたのかも」
「そうかもしれないな」

 高校時代から、芹花姉さんは長期休暇のときは一日中バイトのシフトに入ることがある。
 ただ、大学生になった今年の夏休みはサークルに参加したり、友達と遊びに出かけたりして高校時代以上に活発的。そのことでの疲れも溜まっていたのかもしれない。あとは、季節の変わり目で、最近は朝晩が涼しくなったのも体調を崩した一因かもしれないな。
 体が妙に熱いと言っていたので、芹花姉さんの額に左手を乗せる。

「……結構熱いな。かなりの熱がありそうだ」
「そう思う? ユウちゃんの手がちょっと冷たくて気持ちいい。ずっとこのまま乗せててほしいな」
「すぐに温かくなっちゃうと思うぞ。……体温計を持ってくるから、姉さんはそのまま横になってて」
「うん」

 俺は芹花姉さんの部屋を後にして、体温計を取りに1階のリビングに向かう。
 リビングに行くと、キッチンで両親が一緒に朝食を作っている姿が見えた。今日も仲のいい両親である。味噌汁の匂いがするので、今日の朝食は和風か。

「あら、悠真。おはよう」
「おはよう、悠真。今日はちょっと早いな」
「ああ。早く起きられてさ。あと、姉さんが風邪を引いたみたいで。部屋を出たときに咳が聞こえたから気づけたんだけど」
「芹花、風邪引いたのか」
「昨日、芹花は一日中バイトだったものね。その疲れのせいかも」

 両親の顔にそれまで浮かんでいた笑みが消え、父さんは真剣な、母さんはちょっと心配そうな様子になる。

「バイト疲れは姉さんも言ってた。熱が結構ありそうで、体温計を取りに来たんだ」
「なるほど。そういうことか」
「今日の朝食は和食にする予定だったから、炊いてあるご飯で芹花の分のお粥を作りましょう。ただ、その前に、私達も芹花の様子を見に行きましょう」

 リビングにある棚から体温計を取り出し、両親と一緒に芹花姉さんの部屋に戻る。
 芹花姉さんは扉の方を向いた状態でベッドに横になっていた。俺達が入った直後にも姉さんは咳をした。

「ユウちゃん。それにお母さん、お父さん……」
「悠真から聞いたよ。体調を崩して、熱が出ているんだよな」
「昨日は一日バイトしていたものね。きっと疲れが溜まったのよ。熱以外には何か症状はある?」
「咳が何度も出て。そのせいかのどが痛い。あと、体がだるくて、頭もちょっと痛いかな」
「お腹の方は?」
「お腹は大丈夫」

 お腹は大丈夫か。そこは不幸中の幸いだな。熱も出た上でお腹の調子が悪いとかなり辛いから。

「姉さん。体温計を持ってきたから熱を測ろう」
「うん」

 ケースから体温計を出して、芹花姉さんに渡す。
 うちにある体温計は腋に挟むタイプ。姉さんが体温計を左の腋に挟む際に胸元がチラッと見えるが……顔ほどではないものの赤みを帯びている。熱が結構ありそうな気がする。
 30秒ほどでピピッ、と体温計が鳴り、芹花姉さんは体温計を確認する。

「……38度3分」

 そう言い、芹花姉さんは俺に体温計を渡してきた。体温計の画面を見ると『38.3℃』と表示されていた。結構な熱だ。

「結構熱があるな」
「そうだな。……芹花。夏休み中だから大学の講義はないな。バイトはどうだ?」
「今日はシフト入ってない」
「そうか。じゃあ、特に連絡する必要はないな」
「そうね。だるさもあるみたいだし、9時になったら、いつも行っている病院にお母さんと一緒に行きましょう」
「……うん。ありがとう、お母さん」
「いえいえ」

 かかりつけの病院は近所にあるけど、だるさを感じる中、一人で行くのは大変だと思う。母さんがついていくなら安心だ。

「とりあえずはゆっくりしてて。お粥を作るわ。芹花は玉子粥が好きだから、玉子粥の方がいい?」
「……うん。玉子粥の方がいい」

 芹花姉さん、玉子粥が好きだからな。卵も入って栄養が摂れるから、普通のお粥よりも玉子粥の方がいいんじゃないかと思う。

「できればユウちゃんに作ってほしい。それで食べさせてほしい……」

 と、芹花姉さんは俺の方を見ながらそう言ってきた。姉さん、体調を崩すと甘えん坊になるからな。こういうことを言われると思っていた。

「分かったよ、姉さん。俺が作って食べさせるから」
「やったぁ」

 芹花姉さんは赤い顔にニコッとした可愛い笑みを浮かべる。この様子なら、俺の作る玉子粥を食べさせればいくらか元気になるんじゃないだろうか。
 5月に俺が風邪を引いたとき、芹花姉さんは俺にうどんやプリンを食べさせてくれた。そのときのお礼も兼ねて、お粥を作って食べさせてあげよう。

「あと、今日はずっとユウちゃんに側にいてほしいな。膝枕してほしいな。抱き枕になってほしいな。抱き枕になっているときには私を抱きしめて、頭を撫でてほしいな」

 ニコニコ顔で矢継ぎ早に俺に要求してくる芹花姉さん。どうやら、体調は崩しているけど、精神的な方では元気いっぱいのようだ。ブラコンな姉さんらしいと思いつつも、こういうことを言える程度の体調の悪さで良かった。

「姉さんらしいな。ただ、今日は学校があるから、それはできないかな……」
「えぇ……」

 芹花姉さんは不満そうな様子になり、頬を少し膨らます。
 ここ何年かは風邪を引いて、俺が学校に行っても寂しそうにするくらいだったんだけどな。今の姉さんを見ていると、小学生時代の姉さんを思い出すよ。こういうところからも、姉さんのブラコン度合いが昔のようになってきているのだと実感する。

「悠真の言う通りだな」
「今日はお母さんはパートがないからずっと家にいられるし、悠真は学校に行ってきなさい」
「ああ。ただ、今日はバイトがないから、学校が終わったらすぐに帰ってくるよ。お腹を壊していないから、帰る途中で姉さんの好きなプリンやゼリーを買ってくるから」
「……まあ、それなら……いいよ」

 依然として不満そうだけど、俺の案に芹花姉さんは受け入れてくれた。俺はもちろん、両親もほっとしていて。昔はこういうことを言っても、

『ユウちゃん学校行っちゃヤダ!』

 って、駄々をこねていたな。大学生になったから、さすがにそのレベルの甘えん坊ではなくなったようだ。

「じゃあ、玉子粥を作ってくるよ。持ってくるまでゆっくりしてて」

 そう言い、俺は芹花姉さんの頭を優しく撫でる。さっき額を触ったときほどではないけど、柔らかな髪越しに強い温もりを感じた。
 俺に頭を撫でられたからか、芹花姉さんの顔からは不満そうな表情がなくなり、微笑みが浮かぶように。姉さんは「うんっ」と俺を見つめながら首肯した。
 両親と一緒に芹花姉さんの部屋を後にして、1階のキッチンに行く。
 ご飯は既に炊き上がっている。なので、土鍋を使ってさっそく玉子粥を作る。
 風邪を引いている芹花姉さんのために玉子粥を作るのはいつ以来だろう。少なくとも、俺が高校生になってからは初めてだ。

「……こんな感じでいいかな」
「うん。美味しそうにできてる。芹花も喜びそうね」
「ああ」

 玉子粥を笑顔で食べる芹花姉さんの顔がパッと思い浮かぶよ。実際にそうなったら嬉しい。
 芹花姉さんのお茶碗に玉子粥をよそい、お茶碗とレンゲ、塩を乗せたお盆を持って芹花姉さんの部屋に向かった。

「姉さん、玉子粥を作ってきたよ」
「ありがとう」

 先ほどと同じように、芹花姉さんは扉側を向いてベッドに横になっていた。俺が玉子粥を持ってきたからか、姉さんは嬉しそうだ。
 部屋の照明を点けて、お盆をローテーブルに置く。
 芹花姉さんがお粥を食べやすいように、姉さんの上体を起こして、姉さんの体とベッドボードの間にクッションを挟ませる。姉さんはクッションを背もたれにする体勢に。

「姉さん、どうだ?」
「うん。この体勢なら大丈夫だよ」
「分かった。じゃあ、玉子粥を食べさせるよ」

 玉子粥に塩を少し振りかけて、レンゲでかき混ぜる。作ってからまだそこまで時間が経っていないから、玉子粥からは結構な湯気が出ているな。
 芹花姉さんの近くで膝立ちして、レンゲで玉子粥を一口分掬う。息を何度か吹きかけて姉さんの口元まで持っていく。

「はい、姉さん。あーん」
「あ~ん」

 芹花姉さんに玉子粥を食べさせる。
 芹花姉さんは口を小さく動かしながら玉子粥を食べさせる。味や熱さは大丈夫だろうか。

「……美味しいよ、ユウちゃん」

 俺にニコッと笑いかけて、芹花姉さんはそう言った。さっき想像した通りの笑顔を実際に見せてくれて嬉しい気持ちになる。

「良かった。熱さは大丈夫か? 何度か息を吹きかけたけど」
「うんっ。ちょうどいい温度だったよ。それに、ユウちゃんが吹きかけてくれたから凄く美味しいよ。全部食べられそう」
「姉さんらしいな。無理せず、食べられる分だけ食べてくれ」
「うんっ」

 それからも、俺は芹花姉さんに玉子粥を食べさせていく。
 俺の作った玉子粥が美味しいからなのか。それとも、俺が食べさせてもらえるのが嬉しいからなのか。はたまた、その両方か。全部食べられそうだと言っていただけあり、芹花姉さんはお茶碗一杯分の玉子粥を完食することができた。そのことに嬉しさと安堵の気持ちを抱いたのであった。
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