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夏休み編
第8話『旅行の始まり』
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8月2日、金曜日。
いよいよ旅行に行く日がやってきた。
夏休みに入ってからおよそ2週間。課題を片付けたり、バイトに勤しんだり、デートしたりと盛りだくさんだった。だから、あっという間にこの日が来た感じがする。
午前8時45分。
俺と芹花姉さんは、自宅の近所にある公園で待ち合わせた胡桃と合流。3人で、全員の待ち合わせ場所である福王寺先生の自宅があるマンション前へ向かう。
レンタカー屋さんは武蔵金井駅の近くにある。ただ、お店の近くだと人が多いので、福王寺先生の自宅があるマンションの前で午前9時に待ち合わせをすることになったのだ。それに、先生の住むマンションは高さがあるので分かりやすいし。先ほど先生からメッセージがあり、借りた白いミニバンが目印とのこと。
「暑いねぇ、ユウちゃん、胡桃ちゃん」
「そうだな、芹花姉さん」
「暑いですよね。ただ、晴れて良かったです」
金井市は朝から快晴。今の時間から結構高い気温になっている。だから、肩開きのTシャツを着ている胡桃も、オフショルダーのブラウスを着ている芹花姉さんも暑そう。俺も暑い中荷物やビーチグッズを持つのは大変だ。
旅館や海水浴場のある梅崎町も両日晴れる予報。雨が降る心配は全くなく、絶好の旅行日和だ。
また、晴れるということは、結衣の水着を選んだときに想像した「青い空に青い海。そして青い水着を着た結衣」が実際に見られるのである! だからワクワクしてきたぞ。結衣はもちろんのこと、胡桃達の水着姿も楽しみだな。
「ユウちゃん、いい笑顔になってる。今日の旅行がとても楽しみなんだね」
「結衣達との旅行は初めてだからな。胡桃とは中学の修学旅行を一緒に行ったけど、あのときは全然話さなかったし」
「同じクラスだったけど……当時は色々あったから、旅行中はほとんど話さなかったね。ただ、旅行から帰ってきた後に、メッセンジャーでたくさん話したよね」
「話したなぁ。そのときは正体を知らなかったけど」
2年以上前から、俺は胡桃とネット上での付き合いがある。桐花と名乗る胡桃とは、メッセンジャーで低変人の音楽はもちろんのこと、アニメや漫画、日常生活のことなどを話してきた。胡桃が桐花さんだと知ったのは、つい2ヶ月ほど前だけど。
正体を知らなかったから「同じタイミングで、京都へ修学旅行に行っていた」という流れから、修学旅行のことを色々話したなぁ。
「修学旅行のときはゆう君と話すことが全然なかったから、今回の旅行をとても楽しみにしていたんだよ。もちろん、芹花さんや結衣ちゃん達とも行けますから」
「そうだったんだ。一緒に旅行を楽しもうな、胡桃」
「楽しもうね、胡桃ちゃん!」
「はいっ!」
胡桃は元気良く返事した。
修学旅行が話題に出たから、今回の旅行が修学旅行っぽく思えてきた。8人の学年はバラバラ。ただ、福王寺先生がいて、芹花姉さんは金井高校OGで先生に3年間数学を教わっていた。柚月ちゃんは唯一中学生だけど、金井高校の生徒の妹だし。
胡桃と芹花姉さんと話していたから、気づけば福王寺先生のマンションのすぐ近くまで来ていた。確か、先生が借りた車は白いミニバンだっけ。
「てい……低田君、胡桃ちゃん、芹花ちゃん!」
正面の方から福王寺先生の声が聞こえたのでそちらを見る。すると、停車している白いミニバンの側に、ジーンズパンツにノースリーブの縦セーター姿の福王寺先生が立っていた。先生は落ち着いた笑みを浮かべ、こちらに大きく手を振っている。
結衣達の姿は……まだないか。結衣と柚月ちゃん、伊集院さん、中野先輩は駅の南側に住んでいるので、駅で待ち合わせしてここに来ると聞いている。
「3人ともおはよう」
「おはようございます、福王寺先生」
「杏樹先生、おはようございます」
「おはようございます。杏樹先生と旅行する日がまた来るなんて。といっても、2年前の修学旅行では、旅先でちょっと話しただけですけど」
「別のクラスの担任だったもんね」
福王寺先生は芹花姉さんの学年のクラス担任だったのか。まあ、別のクラスだと、修学旅行ではあまり関わりがないのかな。
俺達3人は車のトランクに荷物を入れる。8人まで乗れるだけあって、トランクは結構広い。これなら、結衣達4人の荷物を入れる余裕がありそうだ。
俺はスマホを取り出し、旅行メンバーのグループトークに自分と胡桃、芹花姉さんが待ち合わせ場所に到着したとメッセージで送る。すると、それから程なくして結衣から、駅で4人が合流できたので、これからここに向かうとメッセージが届いた。
「あと数分もすれば、結衣達も来ると思います」
「了解。ところで、芹花ちゃんって車の免許は持ってる?」
「いいえ、持っていません。夏休みになったので、これから教習所に通おうかなって思っていて。すみません。私も持っていれば、少しは移動中に先生も休めるのに……」
「ううん、気にしないで。もし持っていたら、海の見えるところを運転してもらおうかなって思っていたの。そういうところを走ると気持ちいいから」
「そういうことでしたか」
ほっとした様子の芹花姉さん。
「先生も教習所に通い始めたのは大学1年の夏休みだったの。免許を取ったのは秋になってからだったかな。学生時代は長い休みの期間とかになると、レンタカー借りて、友達と一緒に旅行に行ったり、アニメや漫画の聖地巡礼をしたりしたんだ。運転は好きな方だよ。就職してからは運転する機会は減ったけどね」
落ち着いた笑みでそう話す福王寺先生。最近はあまり運転していないようだけど、先生の様子を見る限りでは大丈夫そうかな。
俺も運転免許を取得するのは、おそらく大学生になってからだろう。金井高校の校則では免許を取得してもいいし、俺の誕生日は4月だけど、受験があるからなぁ。運良く推薦などで早い時期に進学先が決まれば、高校生の間に取得するかもしれないが。
運転免許を取得したら、結衣と一緒にドライブデートしたり、旅行に行ったりしたいな。
「杏樹先生。私は運転できないので、旅行中の運転よろしくお願いします」
「お願いします、杏樹先生」
芹花姉さんと胡桃がそう言って頭を下げる。俺もそんな2人に倣って頭を下げた。先生が旅行の交通手段を一手に担ってくれるからな。
「先生に任せなさい」
福王寺先生がそう言った後、ポン、という音が聞こえる。なので、ゆっくり顔を上げると、先生は明るい笑みで右手を胸に当てていた。頼もしい先生だ。
「みんなー、おはようございまーす」
この声は……結衣かな。
駅の方を見ると、結衣、伊集院さん、中野先輩、柚月ちゃんがこちらに向かって歩いてきていた。結衣はノースリーブのブラウス、伊集院さんは白い半袖のワンピース、中野先輩はノースリーブのパーカー、柚月ちゃんは半袖のTシャツ姿とみんな涼しげな格好。結衣は麦わら帽子を被っている。俺達が気づいたからか、4人はこちらに手を振ってくる。
「柚月ちゃん。実際に見ると凄く可愛いなぁ」
「そうね、芹花ちゃん。結衣ちゃんの妹だけのことはある」
芹花姉さんと福王寺先生はそう話す。2人は柚月ちゃんと一度も会ったことがない。なので、結衣が事前にグループトークに柚月ちゃんの写真を送っていたのだ。柚月ちゃんが可愛いって言われると俺まで嬉しくなってくるな。
結衣達が到着し、みんなで挨拶を交わす。そんな中、結衣は俺にキスしてきて。果たして、この旅行中に結衣と何度キスすることになるだろうか。
「お姉様。杏樹先生。前に写真は送りましたが、この子が妹の柚月です」
結衣が柚月ちゃんのことを紹介する。相手が姉の担任教師と恋人の姉だからなのだろうか。いつもは快活な柚月ちゃんはちょっと緊張気味。
「は、初めまして、高嶺柚月です。中学1年で、女子テニス部に入っています。よろしくお願いします」
自己紹介した柚月ちゃんは芹花姉さんと福王寺先生に軽く頭を下げる。ちゃんと自己紹介できて偉いぞ。俺と同じことを思っていたようで、結衣と伊集院さんが「偉いよ」と柚月ちゃんの頭を撫でている。そんな柚月ちゃんを姉さんと先生は微笑ましそうに見ている。
「初めまして。私は低田芹花。ユウちゃんの姉だよ。いつかは柚月ちゃんの義理の姉になるね。よろしくね!」
「福王寺杏樹です。結衣ちゃん達に数学を教えていて、結衣ちゃんや胡桃ちゃん、姫奈ちゃんの所属しているスイーツ部の顧問をしているよ。よろしくね、柚月ちゃん」
「はい! 芹花さん、杏樹さん!」
自己紹介が終わり、柚月ちゃんは持ち前の明るい笑みを浮かべて、芹花姉さんと福王寺先生と握手を交わす。柚月ちゃんにとっては年上しかいないけど、この様子なら、彼女も旅行を謳歌できるんじゃないだろうか。
結衣達4人の荷物を車のトランクに入れる。結衣は自分の荷物だけじゃなく、自分の被っている帽子や高嶺家で使っているビーチパラソルやビーチグッズの入ったバッグも。それらを入れても、トランクにはまだ余裕がある。みんながお土産をたくさん買っても大丈夫そうかな。
「これで全員分の荷物を積んだわね。じゃあ、てい……低田君達。車の中に乗って」
「その前に、どの席に座るか決めた方がいいのです」
「これは修学旅行じゃないけど……伊集院ちゃんの言うことも分かるかな。どこに座りたいとか、誰かと隣同士に座りたいとか希望がある人は言って」
「それがいいわね、千佳ちゃん。私は運転するから運転席で固定ね。みんなで決めておいて。その間に車の中を涼しくするから」
そう言うと、福王寺先生は俺達から離れて、運転席の扉から車の中へ。そして、車のエンジンが掛かる。
「悠真君と隣同士がいいです!」
右手をピシッと挙げて、さっそく自分の希望を言う結衣。
「俺も結衣の隣に座れればどこでも」
結衣との初旅行だ。席はどこでもいいので、結衣と隣同士で座りたい。俺が希望を出したのもあってか、結衣はとても嬉しそうだ。
「あの、悠真さん」
柚月ちゃんは俺のすぐ近くに立って、俺の名前を呼ぶ。
「うん? どうかした?」
「訊きたいことがあるんですけど……」
そう言うと、柚月ちゃんは顔をゆっくり俺の顔に近づけてくる。
「突飛な発想なんですけど……悠真さんって低変人さんですか?」
「……おぉ」
まさかの質問だったので、思わず声が漏れてしまった。耳元で囁かれたことも相まってドキッとする。ちなみに、柚月ちゃんには俺が低変人だとは教えていない。
「どうしてそう思ったのかな」
「『想い』って曲があるじゃないですか。あの曲の声……お姉ちゃんの声に似ているなと思って」
『想い』とは結衣と付き合い始めてから、初めて公開した曲。その曲には結衣の声が入っている。妹だけあって、あの声が結衣に似ていると思ったのか。
「その曲が公開された直後、お姉ちゃんはいつも以上に元気だったので。あと、悠真さんはギターがとても上手だとお姉ちゃんから聞いていまして。それらは全て、さっき杏樹さんが悠真さんのことを『てい……』って間違えたのがきっかけで思い出したんですけど。杏樹さん……実は『低変人』って言いかけたんじゃないかなって」
「……なるほどね」
さすがは結衣の妹。本人は突飛だと言っていたけど、これらの情報から俺が低変人だと考えつくなんて。まあ、柚月ちゃんなら話しても大丈夫か。
「その通りだよ、柚月ちゃん。俺が低変人だ」
俺はスマホを取り出し、動画サイトの低変人の管理画面を表示して柚月ちゃんに見せる。俺が低変人だと納得したようで、目を輝かせて俺のことを見ている。
「あたしも低変人さんの曲、聴いています。クラスにもファンが多いです」
「そうなんだ。嬉しいなぁ、ありがとう。ただ、正体不明にしているから、このことは内緒ね。あと、一緒に旅行に行く人達はみんな俺が低変人だって知っているから」
「分かりましたっ」
可愛らしい声で返事すると、柚月ちゃんは右手でサムズアップする。柚月ちゃんを信じよう。俺も柚月ちゃんにサムズアップした。
「悠真君。柚月。どうしたの? 2人でコソコソ話して、親指立て合って」
「低変人が俺だってことを柚月ちゃんが見破ったんだ。福王寺先生以来2人目だよ」
「へえ、そうなんだ! 理由は分からないけど、柚月凄いね! でも、このことは誰にも話しちゃいけないからね」
「うんっ! 悠真さんにも言われた」
「よろしくね。ところで、柚月は席の希望ってある?」
「あたしはどの席でもいいし、誰が隣でもいいよ!」
「分かった」
柚月ちゃんなら誰が隣でも、車内での時間を楽しく過ごせそうだ。
それから程なくして、みんなが座る席が決まった。結衣曰く、俺は最後尾の真ん中の席とのこと。片方は結衣だけど、もう片方の隣の席は誰が座るんだろう? 柚月ちゃんと話していたからなぁ。まあ、おおよその見当はついているが。
俺は結衣の次に車の中に。エアコンが効いており、車内は涼しくなっている。……そうだ。自分の席に座る前に福王寺先生にあのことを言わないと。
「福王寺先生。この8人のプライベートな空間のときには、俺のことを低変人と呼んでいいですよ」
「大丈夫なの? 柚月ちゃんは……」
「……さっき、俺が低変人だと突き止められましたよ。前から色々と思うところはあったそうですが、先生が俺を低変人と言いかけたのがきっかけで」
「そっか。気をつけないといけないな。呼び方の件、了解したわ。低変人様」
福王寺先生はニッコリと笑いながら言った。可愛い担任教師である。
「結衣。隣、座るよ」
「どうぞ!」
俺は最後尾の真ん中の席に座る。車種によっては後部座席の真ん中部分は座りにくいらしいけど、この車は座りやすいな。
俺が座ってすぐに、右隣に座る結衣は俺の腕をぎゅっと抱きしめてきた。
右隣は結衣。そして、左隣に座るのは――。
「隣に座るね、ユウちゃんっ!」
「……どうぞ」
やっぱり、芹花姉さんだったか。俺の隣に座るからか、姉さんは凄く嬉しそうな様子でシートに腰を下ろした。
「2年ぶりの旅行だから、私もユウちゃんの隣がいいって希望を出したの!」
「そうだったんだ」
今まで、家族4人で車で旅行するときは、後部座席に俺と芹花姉さんが座るのが恒例。だから、隣に姉さんがいると落ち着ける自分がいる。
それからすぐに全員が乗車。ちなみに、運転席は福王寺先生。助手席は中野先輩。後部座席の1列目は運転席側から胡桃、柚月ちゃん、伊集院さんだ。
あと、俺以外、全員女性だからかな。とてもいい匂いがする。呼吸する度にリラックスできるぞ。
「全員乗ったね。じゃあ……姫奈ちゃんの親戚の方の旅館に泊まるから、姫奈ちゃんが出発の言葉を言ってくれる? 他に言いたい人がいれば立候補していいよ」
「あたしでかまわないのですよ」
伊集院さんがそう返事すると、反対意見を出す人は誰もいなかった。
「それでは、旅行スタートなのですっ! 伊豆に向かって出発進行っ!」
『おーっ!』
事前に打ち合わせしていたわけじゃないだろうに、女性7人の声がほぼ同時に揃う。素直に凄いと思った。俺は遅れて小さめな声で「おー」と言った。
福王寺先生の運転により、俺達の乗る車はゆっくりと走り出す。こうして1泊2日の旅行が始まるのであった。
いよいよ旅行に行く日がやってきた。
夏休みに入ってからおよそ2週間。課題を片付けたり、バイトに勤しんだり、デートしたりと盛りだくさんだった。だから、あっという間にこの日が来た感じがする。
午前8時45分。
俺と芹花姉さんは、自宅の近所にある公園で待ち合わせた胡桃と合流。3人で、全員の待ち合わせ場所である福王寺先生の自宅があるマンション前へ向かう。
レンタカー屋さんは武蔵金井駅の近くにある。ただ、お店の近くだと人が多いので、福王寺先生の自宅があるマンションの前で午前9時に待ち合わせをすることになったのだ。それに、先生の住むマンションは高さがあるので分かりやすいし。先ほど先生からメッセージがあり、借りた白いミニバンが目印とのこと。
「暑いねぇ、ユウちゃん、胡桃ちゃん」
「そうだな、芹花姉さん」
「暑いですよね。ただ、晴れて良かったです」
金井市は朝から快晴。今の時間から結構高い気温になっている。だから、肩開きのTシャツを着ている胡桃も、オフショルダーのブラウスを着ている芹花姉さんも暑そう。俺も暑い中荷物やビーチグッズを持つのは大変だ。
旅館や海水浴場のある梅崎町も両日晴れる予報。雨が降る心配は全くなく、絶好の旅行日和だ。
また、晴れるということは、結衣の水着を選んだときに想像した「青い空に青い海。そして青い水着を着た結衣」が実際に見られるのである! だからワクワクしてきたぞ。結衣はもちろんのこと、胡桃達の水着姿も楽しみだな。
「ユウちゃん、いい笑顔になってる。今日の旅行がとても楽しみなんだね」
「結衣達との旅行は初めてだからな。胡桃とは中学の修学旅行を一緒に行ったけど、あのときは全然話さなかったし」
「同じクラスだったけど……当時は色々あったから、旅行中はほとんど話さなかったね。ただ、旅行から帰ってきた後に、メッセンジャーでたくさん話したよね」
「話したなぁ。そのときは正体を知らなかったけど」
2年以上前から、俺は胡桃とネット上での付き合いがある。桐花と名乗る胡桃とは、メッセンジャーで低変人の音楽はもちろんのこと、アニメや漫画、日常生活のことなどを話してきた。胡桃が桐花さんだと知ったのは、つい2ヶ月ほど前だけど。
正体を知らなかったから「同じタイミングで、京都へ修学旅行に行っていた」という流れから、修学旅行のことを色々話したなぁ。
「修学旅行のときはゆう君と話すことが全然なかったから、今回の旅行をとても楽しみにしていたんだよ。もちろん、芹花さんや結衣ちゃん達とも行けますから」
「そうだったんだ。一緒に旅行を楽しもうな、胡桃」
「楽しもうね、胡桃ちゃん!」
「はいっ!」
胡桃は元気良く返事した。
修学旅行が話題に出たから、今回の旅行が修学旅行っぽく思えてきた。8人の学年はバラバラ。ただ、福王寺先生がいて、芹花姉さんは金井高校OGで先生に3年間数学を教わっていた。柚月ちゃんは唯一中学生だけど、金井高校の生徒の妹だし。
胡桃と芹花姉さんと話していたから、気づけば福王寺先生のマンションのすぐ近くまで来ていた。確か、先生が借りた車は白いミニバンだっけ。
「てい……低田君、胡桃ちゃん、芹花ちゃん!」
正面の方から福王寺先生の声が聞こえたのでそちらを見る。すると、停車している白いミニバンの側に、ジーンズパンツにノースリーブの縦セーター姿の福王寺先生が立っていた。先生は落ち着いた笑みを浮かべ、こちらに大きく手を振っている。
結衣達の姿は……まだないか。結衣と柚月ちゃん、伊集院さん、中野先輩は駅の南側に住んでいるので、駅で待ち合わせしてここに来ると聞いている。
「3人ともおはよう」
「おはようございます、福王寺先生」
「杏樹先生、おはようございます」
「おはようございます。杏樹先生と旅行する日がまた来るなんて。といっても、2年前の修学旅行では、旅先でちょっと話しただけですけど」
「別のクラスの担任だったもんね」
福王寺先生は芹花姉さんの学年のクラス担任だったのか。まあ、別のクラスだと、修学旅行ではあまり関わりがないのかな。
俺達3人は車のトランクに荷物を入れる。8人まで乗れるだけあって、トランクは結構広い。これなら、結衣達4人の荷物を入れる余裕がありそうだ。
俺はスマホを取り出し、旅行メンバーのグループトークに自分と胡桃、芹花姉さんが待ち合わせ場所に到着したとメッセージで送る。すると、それから程なくして結衣から、駅で4人が合流できたので、これからここに向かうとメッセージが届いた。
「あと数分もすれば、結衣達も来ると思います」
「了解。ところで、芹花ちゃんって車の免許は持ってる?」
「いいえ、持っていません。夏休みになったので、これから教習所に通おうかなって思っていて。すみません。私も持っていれば、少しは移動中に先生も休めるのに……」
「ううん、気にしないで。もし持っていたら、海の見えるところを運転してもらおうかなって思っていたの。そういうところを走ると気持ちいいから」
「そういうことでしたか」
ほっとした様子の芹花姉さん。
「先生も教習所に通い始めたのは大学1年の夏休みだったの。免許を取ったのは秋になってからだったかな。学生時代は長い休みの期間とかになると、レンタカー借りて、友達と一緒に旅行に行ったり、アニメや漫画の聖地巡礼をしたりしたんだ。運転は好きな方だよ。就職してからは運転する機会は減ったけどね」
落ち着いた笑みでそう話す福王寺先生。最近はあまり運転していないようだけど、先生の様子を見る限りでは大丈夫そうかな。
俺も運転免許を取得するのは、おそらく大学生になってからだろう。金井高校の校則では免許を取得してもいいし、俺の誕生日は4月だけど、受験があるからなぁ。運良く推薦などで早い時期に進学先が決まれば、高校生の間に取得するかもしれないが。
運転免許を取得したら、結衣と一緒にドライブデートしたり、旅行に行ったりしたいな。
「杏樹先生。私は運転できないので、旅行中の運転よろしくお願いします」
「お願いします、杏樹先生」
芹花姉さんと胡桃がそう言って頭を下げる。俺もそんな2人に倣って頭を下げた。先生が旅行の交通手段を一手に担ってくれるからな。
「先生に任せなさい」
福王寺先生がそう言った後、ポン、という音が聞こえる。なので、ゆっくり顔を上げると、先生は明るい笑みで右手を胸に当てていた。頼もしい先生だ。
「みんなー、おはようございまーす」
この声は……結衣かな。
駅の方を見ると、結衣、伊集院さん、中野先輩、柚月ちゃんがこちらに向かって歩いてきていた。結衣はノースリーブのブラウス、伊集院さんは白い半袖のワンピース、中野先輩はノースリーブのパーカー、柚月ちゃんは半袖のTシャツ姿とみんな涼しげな格好。結衣は麦わら帽子を被っている。俺達が気づいたからか、4人はこちらに手を振ってくる。
「柚月ちゃん。実際に見ると凄く可愛いなぁ」
「そうね、芹花ちゃん。結衣ちゃんの妹だけのことはある」
芹花姉さんと福王寺先生はそう話す。2人は柚月ちゃんと一度も会ったことがない。なので、結衣が事前にグループトークに柚月ちゃんの写真を送っていたのだ。柚月ちゃんが可愛いって言われると俺まで嬉しくなってくるな。
結衣達が到着し、みんなで挨拶を交わす。そんな中、結衣は俺にキスしてきて。果たして、この旅行中に結衣と何度キスすることになるだろうか。
「お姉様。杏樹先生。前に写真は送りましたが、この子が妹の柚月です」
結衣が柚月ちゃんのことを紹介する。相手が姉の担任教師と恋人の姉だからなのだろうか。いつもは快活な柚月ちゃんはちょっと緊張気味。
「は、初めまして、高嶺柚月です。中学1年で、女子テニス部に入っています。よろしくお願いします」
自己紹介した柚月ちゃんは芹花姉さんと福王寺先生に軽く頭を下げる。ちゃんと自己紹介できて偉いぞ。俺と同じことを思っていたようで、結衣と伊集院さんが「偉いよ」と柚月ちゃんの頭を撫でている。そんな柚月ちゃんを姉さんと先生は微笑ましそうに見ている。
「初めまして。私は低田芹花。ユウちゃんの姉だよ。いつかは柚月ちゃんの義理の姉になるね。よろしくね!」
「福王寺杏樹です。結衣ちゃん達に数学を教えていて、結衣ちゃんや胡桃ちゃん、姫奈ちゃんの所属しているスイーツ部の顧問をしているよ。よろしくね、柚月ちゃん」
「はい! 芹花さん、杏樹さん!」
自己紹介が終わり、柚月ちゃんは持ち前の明るい笑みを浮かべて、芹花姉さんと福王寺先生と握手を交わす。柚月ちゃんにとっては年上しかいないけど、この様子なら、彼女も旅行を謳歌できるんじゃないだろうか。
結衣達4人の荷物を車のトランクに入れる。結衣は自分の荷物だけじゃなく、自分の被っている帽子や高嶺家で使っているビーチパラソルやビーチグッズの入ったバッグも。それらを入れても、トランクにはまだ余裕がある。みんながお土産をたくさん買っても大丈夫そうかな。
「これで全員分の荷物を積んだわね。じゃあ、てい……低田君達。車の中に乗って」
「その前に、どの席に座るか決めた方がいいのです」
「これは修学旅行じゃないけど……伊集院ちゃんの言うことも分かるかな。どこに座りたいとか、誰かと隣同士に座りたいとか希望がある人は言って」
「それがいいわね、千佳ちゃん。私は運転するから運転席で固定ね。みんなで決めておいて。その間に車の中を涼しくするから」
そう言うと、福王寺先生は俺達から離れて、運転席の扉から車の中へ。そして、車のエンジンが掛かる。
「悠真君と隣同士がいいです!」
右手をピシッと挙げて、さっそく自分の希望を言う結衣。
「俺も結衣の隣に座れればどこでも」
結衣との初旅行だ。席はどこでもいいので、結衣と隣同士で座りたい。俺が希望を出したのもあってか、結衣はとても嬉しそうだ。
「あの、悠真さん」
柚月ちゃんは俺のすぐ近くに立って、俺の名前を呼ぶ。
「うん? どうかした?」
「訊きたいことがあるんですけど……」
そう言うと、柚月ちゃんは顔をゆっくり俺の顔に近づけてくる。
「突飛な発想なんですけど……悠真さんって低変人さんですか?」
「……おぉ」
まさかの質問だったので、思わず声が漏れてしまった。耳元で囁かれたことも相まってドキッとする。ちなみに、柚月ちゃんには俺が低変人だとは教えていない。
「どうしてそう思ったのかな」
「『想い』って曲があるじゃないですか。あの曲の声……お姉ちゃんの声に似ているなと思って」
『想い』とは結衣と付き合い始めてから、初めて公開した曲。その曲には結衣の声が入っている。妹だけあって、あの声が結衣に似ていると思ったのか。
「その曲が公開された直後、お姉ちゃんはいつも以上に元気だったので。あと、悠真さんはギターがとても上手だとお姉ちゃんから聞いていまして。それらは全て、さっき杏樹さんが悠真さんのことを『てい……』って間違えたのがきっかけで思い出したんですけど。杏樹さん……実は『低変人』って言いかけたんじゃないかなって」
「……なるほどね」
さすがは結衣の妹。本人は突飛だと言っていたけど、これらの情報から俺が低変人だと考えつくなんて。まあ、柚月ちゃんなら話しても大丈夫か。
「その通りだよ、柚月ちゃん。俺が低変人だ」
俺はスマホを取り出し、動画サイトの低変人の管理画面を表示して柚月ちゃんに見せる。俺が低変人だと納得したようで、目を輝かせて俺のことを見ている。
「あたしも低変人さんの曲、聴いています。クラスにもファンが多いです」
「そうなんだ。嬉しいなぁ、ありがとう。ただ、正体不明にしているから、このことは内緒ね。あと、一緒に旅行に行く人達はみんな俺が低変人だって知っているから」
「分かりましたっ」
可愛らしい声で返事すると、柚月ちゃんは右手でサムズアップする。柚月ちゃんを信じよう。俺も柚月ちゃんにサムズアップした。
「悠真君。柚月。どうしたの? 2人でコソコソ話して、親指立て合って」
「低変人が俺だってことを柚月ちゃんが見破ったんだ。福王寺先生以来2人目だよ」
「へえ、そうなんだ! 理由は分からないけど、柚月凄いね! でも、このことは誰にも話しちゃいけないからね」
「うんっ! 悠真さんにも言われた」
「よろしくね。ところで、柚月は席の希望ってある?」
「あたしはどの席でもいいし、誰が隣でもいいよ!」
「分かった」
柚月ちゃんなら誰が隣でも、車内での時間を楽しく過ごせそうだ。
それから程なくして、みんなが座る席が決まった。結衣曰く、俺は最後尾の真ん中の席とのこと。片方は結衣だけど、もう片方の隣の席は誰が座るんだろう? 柚月ちゃんと話していたからなぁ。まあ、おおよその見当はついているが。
俺は結衣の次に車の中に。エアコンが効いており、車内は涼しくなっている。……そうだ。自分の席に座る前に福王寺先生にあのことを言わないと。
「福王寺先生。この8人のプライベートな空間のときには、俺のことを低変人と呼んでいいですよ」
「大丈夫なの? 柚月ちゃんは……」
「……さっき、俺が低変人だと突き止められましたよ。前から色々と思うところはあったそうですが、先生が俺を低変人と言いかけたのがきっかけで」
「そっか。気をつけないといけないな。呼び方の件、了解したわ。低変人様」
福王寺先生はニッコリと笑いながら言った。可愛い担任教師である。
「結衣。隣、座るよ」
「どうぞ!」
俺は最後尾の真ん中の席に座る。車種によっては後部座席の真ん中部分は座りにくいらしいけど、この車は座りやすいな。
俺が座ってすぐに、右隣に座る結衣は俺の腕をぎゅっと抱きしめてきた。
右隣は結衣。そして、左隣に座るのは――。
「隣に座るね、ユウちゃんっ!」
「……どうぞ」
やっぱり、芹花姉さんだったか。俺の隣に座るからか、姉さんは凄く嬉しそうな様子でシートに腰を下ろした。
「2年ぶりの旅行だから、私もユウちゃんの隣がいいって希望を出したの!」
「そうだったんだ」
今まで、家族4人で車で旅行するときは、後部座席に俺と芹花姉さんが座るのが恒例。だから、隣に姉さんがいると落ち着ける自分がいる。
それからすぐに全員が乗車。ちなみに、運転席は福王寺先生。助手席は中野先輩。後部座席の1列目は運転席側から胡桃、柚月ちゃん、伊集院さんだ。
あと、俺以外、全員女性だからかな。とてもいい匂いがする。呼吸する度にリラックスできるぞ。
「全員乗ったね。じゃあ……姫奈ちゃんの親戚の方の旅館に泊まるから、姫奈ちゃんが出発の言葉を言ってくれる? 他に言いたい人がいれば立候補していいよ」
「あたしでかまわないのですよ」
伊集院さんがそう返事すると、反対意見を出す人は誰もいなかった。
「それでは、旅行スタートなのですっ! 伊豆に向かって出発進行っ!」
『おーっ!』
事前に打ち合わせしていたわけじゃないだろうに、女性7人の声がほぼ同時に揃う。素直に凄いと思った。俺は遅れて小さめな声で「おー」と言った。
福王寺先生の運転により、俺達の乗る車はゆっくりと走り出す。こうして1泊2日の旅行が始まるのであった。
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