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本編-ARIA-
第28話『さらさら』
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自身が受けたいじめについて話した後、しばらくの間泣き続けた美来は疲れてしまったのか、僕を抱きしめたまま眠ってしまった。抱きしめる力が強いので、身動きがなかなか取れない。
ただ、幸いなことに、両手が自由に動かせる体勢だったので、コーヒーを飲んだり、スマートフォンを弄ったりすることはできる。少しの間はこのまま美来に抱きしめられながら、ゆったりとした時間を過ごすか。
――ブルルッ。
スマートフォンを弄っていると、有紗さんからメッセージが送られてきた。
『駅に着いたから、あと10分くらいで戻るね』
有紗さん、随分と早いな……と思ったら、彼女が一旦、家に帰ってから既に2時間弱が経過していた。美来の受けているいじめの話を聞いたり、メモを取って彼女の話を纏めていたり、泣いている美来を慰めていたりしていたら、いつの間にかそんなにも時間が経っていたのか。
『分かりました。お手数を掛けますけど、家の前に着いたらインターホンを鳴らしてください。僕が鍵を開けますので』
諸澄君のことを考え、家の鍵は常に施錠してある。解錠するのは人が出入りするときだけにするようにしている。
『分かったわ。じゃあ、また後でね』
有紗さんもあと10分で戻ってくるか。そろそろ美来を起こすか、ベッドに動かすかどうかしないと。このままの体勢ではいけない。
幸いにも、さっきよりも僕を抱きしめる強さが弱くなったので、美来が起きないようにそっと彼女をベッドに寝かせる。
「智也さん……」
悲しそうな表情をしながら、僕の名前を呟いている。いじめについて話してくれたばかりだ。もしかしたら、今も夢の中で辛い目に遭って、僕に助けを求めているのかもしれない。
「智也さんの匂い、とても好きです……」
えへへっ、と美来は笑ってふとんの匂いを嗅いでいる。……どうやら、辛い夢は見ていないようだな。夢でも幸せなら嬉しい。
――ピンポーン。
おっ、有紗さんが戻ってきたのか。
玄関に行ってドアスコープを覗いてみると、そこには有紗さんがいた。他には誰もいないようなので、僕は解錠して玄関を開けた。
「えっと……ただいま!」
「おかえりなさい、有紗さん」
有紗さんの家の中に入れ、玄関の扉を閉めてきちんと鍵を施錠した。
「何だか、ただいまって言うと同棲しているみたいね」
「そうですね」
有紗さん、とても嬉しそうだ。
私服姿の有紗さん、久しぶりに見たけれど可愛いな。桃色のワンピース服がとても似合っている。
「有紗さん、アパートの近くに誰かいませんでしたか? 特に茶髪のイケメンとか」
「いなかったよ。老夫婦くらいかな。仲良く一緒に歩いているのを見て、あたしも智也君とあんな関係になりたいなって思ったよ」
「……そうですか」
有紗さんはうっとりとした表情で僕を見つめている。
僕以外にも有紗さんや羽賀が出入りしたから、今日は諦めたのかな、諸澄君。アパートの前まで来たのが今日だけならいいんだけれど。
「まだ4時くらいだし、3人で一緒に食べようと思って、コンビニでロールケーキを買ってきたんだけど」
すると、ロールケーキが入っているコンビニの袋を渡される。
「ありがとうございます。ただ、今……美来は寝ていまして。夕食後でもいいですか? あと、美来が寝ている間に、彼女のことで有紗さんに話したいことがありまして」
「もちろんよ」
「ありがとうございます。ロールケーキ、冷蔵庫に入れておきますね」
コンビニの袋ごと冷蔵庫に入れる。
「何か飲みますか? 僕の分のコーヒーを淹れるところだったんですけど」
「じゃあ、あたしのコーヒーも淹れてくれるかな。砂糖とミルクは自分でやるから」
「分かりました。じゃあ、淹れるので部屋で待っていてください」
僕は有紗さんの分のコーヒーも淹れて、彼女の所へと持っていく。
有紗さんは砂糖やミルクを結構入れている。そういえば、職場で缶コーヒーを買ったところを見たことはあるけど、ブラックは一度も買っていなかったな。
「うん、あたしにはこのくらい甘い方がいいな。智也君、どうしてブラックコーヒーを飲むことができるの?」
「えっ、どうしてかって? 苦いのが好きになったからですかね」
まずは微糖コーヒーが大好きになって、その次にブラックに挑戦したら普通に美味しかったっていう流れだ。
「それで、美来ちゃんのことであたしに話したいことってなに?」
「……実は、学校でいじめを受けていまして」
「えっ?」
いじめと言った瞬間に、有紗さんの目つきが鋭くなったぞ。
僕は美来から話を聞いた際に取ったメモを見せながら、彼女が受けているいじめの内容について有紗さんに説明した。
「なるほどね。告白を振り続けたことが発端でいじめが始まって、それがエスカレートしていく中で金色の髪についても言われるようになったのね」
「ええ。クラスだけなく、美来の所属する声楽部でもいじめを受けていることも辛いですよね」
もし、声楽部の方で何もなかったら、部活という居場所があって、声楽という好きなことで気持ちを和らげられたのかもしれない。ただ、部活でもいじめられているとなると、学校ではもう美来の居場所はないのだろうか。
「とりあえず、確実に言えるのはこの問題が解決するまで、学校には行かない方がいいってことかな。このことって、彼女の御両親や担任の先生は知っているの?」
「いいえ、話したのは僕が初めてだそうです。話す中で泣いてしまって、その疲れで今に至る感じです。御両親の連絡先が分からないので、まだ話してないです。有紗さんに話すのが初めてという状況ですね」
「分かった。まずは美来ちゃんが起きたら、御両親にこのことを話すよう促しましょう。美来ちゃんが話しづらいようなら、智也君やあたしが説明すればいいか」
「そうしましょう」
さすがは有紗さん。これからやるべきことの判断が早い。彼女に話して良かった。話した目的の1つはこのことについて、大人の立場として僕らはどうすべきかを一緒に考えたかったから。
「いじめかぁ。いつの時代もいじめはあるし、難しい問題だよね。あたしも小学生のときにいじめられたことがあったよ。ほら、あたしの髪って赤いじゃない。そのことで男女問わず結構からかわれて……」
金髪は外国人なら割と見かけるからまだしも、赤い髪は本当に珍しい。僕も赤い髪の人は有紗さんが初めてだ。
「そのときはどうしたんですか?」
何か、美来のいじめを解決する糸口が掴めるかもしれない。
「全員ボコボコにしてやったよ! 俗に言う鉄拳制裁」
凄く誇らしげに有紗さんはそう言う。あと、鉄拳制裁という言葉は漫画で見たことあるけど、実際に使った人を見るのは初めてだ。
「なるほど。ボコボコにしたんですか」
「それでさ、聞いてよ。あたしをいじめている子をボコボコにしたら、担任の先生に呼び出されちゃって、こっぴどく叱られたんだよ! あたしが髪のことで嫌なことを言われていたのを知っていたくせに……」
「もっと平和的解決法があったんじゃないかって言いたかったのでは。有紗さんの気持ちも分かりますけどね」
僕も先生という立場なら、鉄拳制裁をしたことについては注意するかな。有紗さんが怒る気持ちは理解できるけれど。
「子供ながら、今、智也君が言ったような意味で受け取って自分を納得させていたよ。ボコボコにしてからは、嫌がらせが全く無くなったからいいけど」
「それは……凄いですね」
有紗さんが恐くなったからというのもありそうだ。
ただ、鉄拳制裁というのは有紗さんだからできる解決法じゃないだろうか。さすがに、美来がいじめている子をボコボコにする性格ではなさそうだし、仮に血の気の多い性格だとしても、実力行使で解決させたくはないな。
「職場で智也君に何かあったときにはあたしに任せて」
「ありがとうございます。でも、相手をボコボコにしない方法でお願いしますね」
「当たり前でしょう! もう、智也君ったら……」
有紗さんは不機嫌そうに頬を膨らませる。きっと、美来は学校でこういう意思表示もできなかったんだろうなと思う。
美来が起きるまでの間、僕と有紗さんは静かな時間を過ごすのであった。
ただ、幸いなことに、両手が自由に動かせる体勢だったので、コーヒーを飲んだり、スマートフォンを弄ったりすることはできる。少しの間はこのまま美来に抱きしめられながら、ゆったりとした時間を過ごすか。
――ブルルッ。
スマートフォンを弄っていると、有紗さんからメッセージが送られてきた。
『駅に着いたから、あと10分くらいで戻るね』
有紗さん、随分と早いな……と思ったら、彼女が一旦、家に帰ってから既に2時間弱が経過していた。美来の受けているいじめの話を聞いたり、メモを取って彼女の話を纏めていたり、泣いている美来を慰めていたりしていたら、いつの間にかそんなにも時間が経っていたのか。
『分かりました。お手数を掛けますけど、家の前に着いたらインターホンを鳴らしてください。僕が鍵を開けますので』
諸澄君のことを考え、家の鍵は常に施錠してある。解錠するのは人が出入りするときだけにするようにしている。
『分かったわ。じゃあ、また後でね』
有紗さんもあと10分で戻ってくるか。そろそろ美来を起こすか、ベッドに動かすかどうかしないと。このままの体勢ではいけない。
幸いにも、さっきよりも僕を抱きしめる強さが弱くなったので、美来が起きないようにそっと彼女をベッドに寝かせる。
「智也さん……」
悲しそうな表情をしながら、僕の名前を呟いている。いじめについて話してくれたばかりだ。もしかしたら、今も夢の中で辛い目に遭って、僕に助けを求めているのかもしれない。
「智也さんの匂い、とても好きです……」
えへへっ、と美来は笑ってふとんの匂いを嗅いでいる。……どうやら、辛い夢は見ていないようだな。夢でも幸せなら嬉しい。
――ピンポーン。
おっ、有紗さんが戻ってきたのか。
玄関に行ってドアスコープを覗いてみると、そこには有紗さんがいた。他には誰もいないようなので、僕は解錠して玄関を開けた。
「えっと……ただいま!」
「おかえりなさい、有紗さん」
有紗さんの家の中に入れ、玄関の扉を閉めてきちんと鍵を施錠した。
「何だか、ただいまって言うと同棲しているみたいね」
「そうですね」
有紗さん、とても嬉しそうだ。
私服姿の有紗さん、久しぶりに見たけれど可愛いな。桃色のワンピース服がとても似合っている。
「有紗さん、アパートの近くに誰かいませんでしたか? 特に茶髪のイケメンとか」
「いなかったよ。老夫婦くらいかな。仲良く一緒に歩いているのを見て、あたしも智也君とあんな関係になりたいなって思ったよ」
「……そうですか」
有紗さんはうっとりとした表情で僕を見つめている。
僕以外にも有紗さんや羽賀が出入りしたから、今日は諦めたのかな、諸澄君。アパートの前まで来たのが今日だけならいいんだけれど。
「まだ4時くらいだし、3人で一緒に食べようと思って、コンビニでロールケーキを買ってきたんだけど」
すると、ロールケーキが入っているコンビニの袋を渡される。
「ありがとうございます。ただ、今……美来は寝ていまして。夕食後でもいいですか? あと、美来が寝ている間に、彼女のことで有紗さんに話したいことがありまして」
「もちろんよ」
「ありがとうございます。ロールケーキ、冷蔵庫に入れておきますね」
コンビニの袋ごと冷蔵庫に入れる。
「何か飲みますか? 僕の分のコーヒーを淹れるところだったんですけど」
「じゃあ、あたしのコーヒーも淹れてくれるかな。砂糖とミルクは自分でやるから」
「分かりました。じゃあ、淹れるので部屋で待っていてください」
僕は有紗さんの分のコーヒーも淹れて、彼女の所へと持っていく。
有紗さんは砂糖やミルクを結構入れている。そういえば、職場で缶コーヒーを買ったところを見たことはあるけど、ブラックは一度も買っていなかったな。
「うん、あたしにはこのくらい甘い方がいいな。智也君、どうしてブラックコーヒーを飲むことができるの?」
「えっ、どうしてかって? 苦いのが好きになったからですかね」
まずは微糖コーヒーが大好きになって、その次にブラックに挑戦したら普通に美味しかったっていう流れだ。
「それで、美来ちゃんのことであたしに話したいことってなに?」
「……実は、学校でいじめを受けていまして」
「えっ?」
いじめと言った瞬間に、有紗さんの目つきが鋭くなったぞ。
僕は美来から話を聞いた際に取ったメモを見せながら、彼女が受けているいじめの内容について有紗さんに説明した。
「なるほどね。告白を振り続けたことが発端でいじめが始まって、それがエスカレートしていく中で金色の髪についても言われるようになったのね」
「ええ。クラスだけなく、美来の所属する声楽部でもいじめを受けていることも辛いですよね」
もし、声楽部の方で何もなかったら、部活という居場所があって、声楽という好きなことで気持ちを和らげられたのかもしれない。ただ、部活でもいじめられているとなると、学校ではもう美来の居場所はないのだろうか。
「とりあえず、確実に言えるのはこの問題が解決するまで、学校には行かない方がいいってことかな。このことって、彼女の御両親や担任の先生は知っているの?」
「いいえ、話したのは僕が初めてだそうです。話す中で泣いてしまって、その疲れで今に至る感じです。御両親の連絡先が分からないので、まだ話してないです。有紗さんに話すのが初めてという状況ですね」
「分かった。まずは美来ちゃんが起きたら、御両親にこのことを話すよう促しましょう。美来ちゃんが話しづらいようなら、智也君やあたしが説明すればいいか」
「そうしましょう」
さすがは有紗さん。これからやるべきことの判断が早い。彼女に話して良かった。話した目的の1つはこのことについて、大人の立場として僕らはどうすべきかを一緒に考えたかったから。
「いじめかぁ。いつの時代もいじめはあるし、難しい問題だよね。あたしも小学生のときにいじめられたことがあったよ。ほら、あたしの髪って赤いじゃない。そのことで男女問わず結構からかわれて……」
金髪は外国人なら割と見かけるからまだしも、赤い髪は本当に珍しい。僕も赤い髪の人は有紗さんが初めてだ。
「そのときはどうしたんですか?」
何か、美来のいじめを解決する糸口が掴めるかもしれない。
「全員ボコボコにしてやったよ! 俗に言う鉄拳制裁」
凄く誇らしげに有紗さんはそう言う。あと、鉄拳制裁という言葉は漫画で見たことあるけど、実際に使った人を見るのは初めてだ。
「なるほど。ボコボコにしたんですか」
「それでさ、聞いてよ。あたしをいじめている子をボコボコにしたら、担任の先生に呼び出されちゃって、こっぴどく叱られたんだよ! あたしが髪のことで嫌なことを言われていたのを知っていたくせに……」
「もっと平和的解決法があったんじゃないかって言いたかったのでは。有紗さんの気持ちも分かりますけどね」
僕も先生という立場なら、鉄拳制裁をしたことについては注意するかな。有紗さんが怒る気持ちは理解できるけれど。
「子供ながら、今、智也君が言ったような意味で受け取って自分を納得させていたよ。ボコボコにしてからは、嫌がらせが全く無くなったからいいけど」
「それは……凄いですね」
有紗さんが恐くなったからというのもありそうだ。
ただ、鉄拳制裁というのは有紗さんだからできる解決法じゃないだろうか。さすがに、美来がいじめている子をボコボコにする性格ではなさそうだし、仮に血の気の多い性格だとしても、実力行使で解決させたくはないな。
「職場で智也君に何かあったときにはあたしに任せて」
「ありがとうございます。でも、相手をボコボコにしない方法でお願いしますね」
「当たり前でしょう! もう、智也君ったら……」
有紗さんは不機嫌そうに頬を膨らませる。きっと、美来は学校でこういう意思表示もできなかったんだろうなと思う。
美来が起きるまでの間、僕と有紗さんは静かな時間を過ごすのであった。
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