アドルフの微笑

桜庭かなめ

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第71話『あなたの髪と背中』

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「ごちそうさまでした! 美味しかったよ!」
「いえいえ。美味しそうに食べてくれて良かった。ごちそうさまでした」
「……じゃあ、さっそく片付けをしようっと。コーヒーを淹れるから、颯人君は適当にくつろいでて」
「分かった。ありがとう」

 俺は咲夜に淹れてもらったホットコーヒーを飲みながら食休みをする。今日も暑かったけれど、涼しい部屋にいることもあってか、温かいものを飲むとほっとできるな。
 夕ご飯の後片付けをする咲夜の後ろ姿、とても綺麗だな。鼻歌を歌いながらするところが可愛らしい。そういえば、海の家のバイトでたまに皿洗いをやることもあったな。
 外はもう真っ暗で、夕ご飯を食べ終わった。咲夜が食事の片付けをした後に待っているのは……おそらく入浴だろう。別々に入るのか。それとも、一緒に入るのだろうか。考えただけでも心臓がバクバクしてくる。コーヒーでも飲んで気持ちを落ち着かせよう。

「……ふぅ」
「……ふふっ、後ろから颯人君の声が聞こえるのっていいね」

 咲夜はお皿を拭きながら俺の方に振り返る。そんな彼女の笑顔は可愛らしいけれど、普段よりも大人っぽさも感じられて。将来の彼女を見ているようだった。

「俺も……咲夜の姿を見ることができるのがいいなって思うよ。今まで、試験前とか試験期間中に、今みたいに後片付けをしている咲夜を見たけどさ、夜にもなったし、俺達しかいないって思うといいなと思って。特別な感じがするんだ」
「確かに、今みたいな状況は初めてだから特別な感じがするよね。ただ……いつかは、こういったことが日常になるといいよね。むしろ、そうしたい」
「……そうだな」

 咲夜とこれから2人きりで一夜を明かすにも関わらず、彼女の言葉のおかげか安らぎと温かな気持ちが生まれて。彼女のことが好きだなって改めて思う。
 あと、こういう時間が特別じゃなくて、日常になるようにしたい……か。咲夜がそう言ってくれたことがとても嬉しい。実際にそれが日常になったら、学校や仕事での疲れが吹き飛ぶような気がするな。そうなるように、頑張るべきときには頑張ることにしよう。そう思いながら、俺は優しい温もりになってきたホットコーヒーを飲む。
 咲夜は後片付けを終えると、米とぎをしていた。明日の朝は和風の朝食を作るつもりなのかな。

「……よし、これで米とぎも終わりだね」
「お疲れ様、咲夜」
「ありがとう。じゃあ……お風呂だね。颯人君が夕食を作ってくれている間にお風呂のスイッチは入れておいたから、すぐに入ることができるよ」
「そ、そうなのか。それは……有り難いことだな」

 やっぱり、次はお風呂になりますよね!
 話題がお風呂になったからか、咲夜と目が合うと、彼女はほんのりと頬を赤くして目を逸らした。俺の顔が熱くなっているから、きっと赤くなっているんだろうな。

「……颯人君。先に入る? 後に入る? それとも……一緒に入る?」

 咲夜は俺のことを見つめながらそう言ってきた。そんな彼女の顔の赤みは、オムライスにかけたケチャップを凌駕するほどだ。
 これまでに何度も咲夜から「一緒に」という言葉を言われてきたけれど、今回以上にインパクトがあり、興奮させる「一緒に」はない。

「あたしは……一緒に入ってもいいよ。それに、小さい頃の話だけど、紗衣ちゃんは颯人君と一緒にお風呂や温泉に入ったことがあるのが羨ましくて。あたし的には一緒に入りたい。もちろん、お客さんでもある颯人君が決めていいよ」

 そう言って、咲夜は俺のことをチラチラと見てくる。
 咲夜と一緒にお風呂に入りたいか否か。それはもちろん、

「……俺も咲夜と一緒に入りたい。凄くドキドキするだろうけど、咲夜と入ってみたい」

 恋人になったし、できるだけ一緒に過ごしたいからな。それに、咲夜の一糸纏わぬ姿を見たくないと言ったら嘘になる。

「じゃあ、一緒に入ろっか!」

 咲夜はとても嬉しそうにそう言った。
 一緒にお風呂に入ることに決まったので、俺達はさっそくお風呂に入ることに。下着や着替えなどを持って一緒に浴室へと向かう。
 一緒に入りたいとは言っていたものの、恥ずかしいのか、咲夜の提案により互いに背を向けた状態で服を脱ぎ、咲夜が「いいよ」と言うまでは姿を見ないことにした。
 ただ、咲夜の姿が見えないからか、背後から布の擦れる音や、彼女の声が聞こえることに結構ドキドキする。

「うわあっ、改めて見ると颯人君の背中って立派だよね。白い髪も綺麗だな。あたしのおじいちゃんの白髪とは違う」
「髪や背中を褒めてくれるのは嬉しいが、いいよってまだ言っていないだろ」
「ごめんごめん。ただ、颯人君が服を脱いでいると思うとドキドキしちゃって。実はチラチラと颯人君の体を見ちゃってました」
「……そうかい。まあ、咲夜だからいいが」
「……ありがとう。ちなみに、あたしはもう脱ぎ終わりました」

 その真偽は定かではないが、そう言われると興奮してしまうではないか。

「……そうかい。これから俺はパンツを脱ぐが、背後に立っている咲夜から色々と見えてしまうかもしれないと忠告しておく」
「う、うん。分かった」

 咲夜の了承を得たので、俺はゆっくりとパンツを脱いだ。フェイスタオルを腰に巻けばとりあえずは大丈夫か。

「俺も脱ぎ終わったぞ」
「うん。じゃあ、こっちを向いていいよ」
「ああ」

 ゆっくりと咲夜の方に振り向くと、そこには桃色のタオルを持った咲夜が立っていた。タオルのおかげで、見えてはいけない部分はちゃんと隠れているが、俺と同じようにタオルを巻いていると思っていたので凄くドキッとした。俺と目が合うと咲夜ははにかむ。

「タオルを腰に巻いていると、水着姿とはまた違う雰囲気だね」
「そっか。その……池津の露天風呂で話したときは、そういう姿だったんだなって思うよ」
「毎日話したもんね。ちなみに、タオルは露天風呂に入れちゃいけないから、近くに置いておくか、頭の上に乗せていたよ」
「そうだったのか」

 タオルを頭に乗せて露天風呂に浸かる咲夜の姿を思い浮かべてしまう。紗衣や麗奈先輩、璃子ちゃんと一緒に気持ち良さそうに浸かっていたんだろうな。

「ねえ、颯人君。あたし、颯人君の髪を洗ったり、背中を流したりしたいな」
「じゃあ、お願いする」
「うんっ!」

 咲夜、とても嬉しそうだ。白い髪や背中に触れてみたいっていう魂胆もありそうだが、彼女のご厚意に甘えるとするか。
 俺は咲夜と一緒に浴室に入る。うちと同じくらいの広さだ。湯船も見た感じでは、1人ではゆったりできそうで、咲夜と2人で入ってもキツくはないと思われる。
 これから髪を洗ってもらったり、背中を流してもらったりするので、咲夜の指示で鏡の前にある椅子に座る。

「まずは髪から洗うね」
「ああ。よろしくお願いします」

 俺は咲夜に髪を洗ってもらい始める。
 まさか、家族や紗衣以外の人に髪を洗ってもらう日が来るとは。しかも、恋人だなんて。そう思うと何だか泣けてくる。ただ、シャワーで髪を濡らしてもらっているので、実際に涙が流れたかどうかは分からない。

「どう? こんな感じでいいかな?」
「ああ。凄く気持ちいいよ」

 恋人に洗ってもらえるだけでも幸せなのに、上手だからなお幸せだ。あまりにも気持ちいいので段々と眠気が。

「良かった。あと、シャワーで髪を濡らしているときに思ったけど、本当に綺麗な白髪だよね。黒髪が混じっていないし」
「うちの家族に会っているから分かると思うけど、俺や小雪の白い髪は母親譲りでさ。父親が黒髪だから、黒髪がちょっとは混じるかなって思っていたんだけど、母親の方が強いのか黒髪が生えたことは一切ないんだ」
「そうなんだね。あたしはたまに白髪を見つけちゃうの。……ということは、颯人君って死ぬまでずっと白い髪のままなのかな」
「そうかもしれないな」

 髪の色はもちろん変わらなくていいから、ハゲないことを祈りたい。45歳の両親は髪の量が豊富だから、遺伝通りになれば、少なくともあと30年近くはこのままでいられる……かな?
 気付けば、咲夜によって俺の髪は習字の筆のように纏められていた。

「うん! 綺麗な筆の毛先だね!」
「……ふっ。まったく、人の髪で遊んで。そういうことをされると、小さい頃の小雪や紗衣を思い出すよ」
「やっぱり遊ばれたんだ」
「小さい頃から髪は長めだったからな。髪を洗ってくれるとき、小雪は高確率で遊んでた」
「ふふっ。そろそろシャワーで泡を落とすから、しっかりと目を瞑りましょうね」
「ああ」

 咲夜の言う通りにしっかりと目を瞑ると、程なくしてお湯が頭にかかる。人にやってもらっているからか、夏でも凄く気持ち良く感じるな。
 今回が初めてだからか、とても丁寧に俺の髪を拭いてくれた。

「うん、これで髪は終わりだね。次は背中を流すよ。いつもあたしが使っている柔らかめのボディータオルで洗っていいかな?」
「それでお願いするよ。俺も普段は柔らかめのボディータオルで洗っているから」
「そうなんだね。了解でーす」

 今度は背中を流してもらうことに。
 柔らかめのボディータオルを浸かっていることもあってか、とても気持ちいいな。痛みとかも特にない。

「颯人君。とりあえず優しく洗っているけれどどうかな?」
「とても気持ちいいぞ。この調子でお願いできるか?」
「了解です!」

 咲夜は鏡越しに敬礼してくる。可愛いな、まったく。
 俺がこの調子と言ったにも関わらず、気合いが入ったのか少し強く背中を流しているな。それでも、痛みを感じるほどではないので何も言わないでおこう。あと、「よいしょ」などと、咲夜がたまに声を漏らしているのがとても可愛らしい。

「颯人君の背中、とっても広いね。幼稚園の頃にお父さんと一緒にお風呂に入ったときに背中を流したことがあるけれど、そのときよりも広く感じるよ」
「ははっ」
「……あっ、ヤケドの痕があるけど、普通に洗って大丈夫かな?」
「ああ、大丈夫だ」

 ヤケドって言葉を咲夜から聞くと、彼女と喧嘩したときのことを思い出すな。当時の俺は仲直りすることばかり考えて、今のように恋人として付き合うなんて想像もしなかった。

「……よし、背中はこれで一通り洗えたかな。もし、颯人君さえ良ければ……ま、前の方も洗っちゃうよ?」

 鏡に映る咲夜のことを見ると、ボディータオルを持った咲夜が俺のことを鏡越しでチラチラと見てくる。髪や背中を洗って、恥ずかしさや緊張が薄れてきたのだろうか。

「えっと、その……俺の理性が保てるかどうか分からないから、前の方は自分で洗わせてくれ。髪や背中を洗ってくれてありがとう」
「いえいえ」

 良かった、咲夜が納得してくれたようで。
 俺は咲夜から受け取ったボディータオルを受け取って、背中以外の場所を洗っていく。その間、咲夜は湯船に入ることはなかったのであった。
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