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続編-ゴールデンウィーク編-
第2話『幸福をもたらす調味料』
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羽柴と別れ、従業員用の出入口から、マスバーガー四鷹駅南口前店の中に入る。杏奈と一緒にここへ来るのにも慣れてきた。
スタッフルームに行くと、そこには萩原聡店長とバイトの先輩の合田百花さんの姿が。2人とも休憩中なのか、ホットコーヒーを飲みながら談笑している。
「店長、百花さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です!」
「学校お疲れ様、大輝君、杏奈君」
「2人ともお疲れ様!」
萩原店長と百花さんに挨拶して、俺と杏奈はそれぞれ自分のタイムカードを押す。これをすると、今日のバイトも頑張ろうとスイッチが入る。
「大輝君」
気づけば、萩原店長が俺の近くに立っていた。
「はい。何でしょう?」
「昨日のバイトのときと比べて、心なしか大輝君の表情が良くなっていると思ってね。昨日のバイトが終わってから、何かとてもいいことがあったのかな?」
深みのある低音ボイスでそう言われると、ちょっとドキッとするな。
下校中は昨日のことを思い出してドキドキするときもあったけど、お店に入ったときには平常心に戻っていた。今は頬の熱もあまり感じていないし。サクラと付き合い始めて、さっそく表情に変化が現れたのだろうか。
「そうですか? あたしには普段通りに見えますけど」
百花さんには分からないらしい。
萩原店長とは小さい頃からたくさん会っている。それに、バイトを始めてから、出勤するとほぼ毎回話す。なので、俺の表情のどんな変化にも気づくのかもしれない。
「実は……昨日からサクラと付き合うことになったんです」
「おお、文香君との交際がスタートしたのか」
「おめでとう! 大輝君!」
パチパチ、と百花さんが嬉しそうに拍手を送ってくれる。そんな百花さんを見てか杏奈も拍手。萩原店長も微笑みながら数回ほど拍手した。
「文香ちゃんは幼馴染だもんね。そこに恋人の関係も加わるんだ。素敵だなぁ」
「本当にお似合いのカップルだと思いますよ。あたし、実は先輩方が付き合う直前に大輝先輩にフラれちゃって。それでも、素直に祝福できるカップルです」
「えっ」
そんな声を漏らすと、拍手をする百花さんの手が止まる。このまま拍手をしていたらまずいと思ったのだろう。
百花さんは苦笑いをしながら、視線を俺から杏奈の方に動かす。
「えっと、その……こ、告白お疲れ様! 杏奈ちゃん!」
「ありがとうございます。告白できてスッキリしていますし、大輝先輩の恋人が文香先輩ですからね。もう大丈夫ですよ」
「それなら良かった」
百花さんはほっとした様子になり、杏奈の頭を撫でる。
「大輝先輩とは気まずくなっていませんし、これまで通り、先輩から色々と教わろうと思います」
「了解したよ、杏奈君。ただ、指導係についてはいつでも相談していいからね」
「はいっ!」
元気に返事する杏奈。この様子なら、これまでと変わりなく一緒にバイトができそうかな。指導係として誠心誠意、杏奈に仕事を教えていくことにしよう。
ふっ、と萩原店長は穏やかに笑うと、ホットコーヒーを一口飲む。
「それにしても……やはり、杏奈君は大輝君を好いていたか。そして、告白。……青春だねぇ」
と、店長は微笑みながらコーヒーをまた一口。そんな店長に杏奈が「気づかれていたんですね」とはにかみながら言った。
杏奈は去年の春頃からの常連さんで、俺が何度も杏奈に接客していた。そのときの様子や、バイトをし始めてから俺と一緒に仕事をする様子を見て、萩原店長は杏奈が俺を好きかもしれないと思っていたのだろう。俺の表情の変化にも気づいたし、店長は人をよく観察していると思う。
その後、俺と杏奈は更衣室でマスバーガーの店員の制服に着替える。
「大輝先輩。今日からもご指導よろしくお願いします!」
「うん、こちらこそよろしく。今日からも一緒に頑張っていこうね」
「はい!」
杏奈は明るく元気な笑顔を見せながら返事をしてくれる。バイトを始めてから10日ほどなので、お客さんの前ではまだまだ緊張するだろうけど、この笑顔で接客できるといいと思う。
杏奈と一緒にフロアに行き、今日も彼女の指導係としてバイトを始めるのであった。
「ありがとうございました!」
多少のミスはあるけど、杏奈は笑顔で明るく接客することができている。これまで何度も思っているけど、バイトを始めた頃の自分よりもよっぽど仕事ができていると思う。凄い子だなぁ。明るさや笑顔の良さについては見習いたいくらいだ。
「どうしたんですか? 微笑みながらあたしのことをじっと見て」
「いい接客ができているなぁって感心していたんだ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
小さな声で杏奈は「えへへっ」と笑う。そんな彼女の笑顔を見たのか、テーブル席の方から「あの金髪の店員さん可愛いよなぁ」などという声が聞こえてくる。その言葉に対して、心の中で頷いた。
「ダイちゃん、杏奈ちゃん、来たよ」
サクラが四鷹高校の制服を着た女子3人と一緒に来店してきた。そのうち2人はクラスメイト。1人は別のクラスだけど、同じ中学出身。中学時代から仲良くしているところを見たことがある。
サクラは明るい笑顔を浮かべ、俺達に向かって小さく手を振ってくる。本当にサクラは可愛いなぁ。彼女の姿を見た瞬間、今日の疲れが少し抜けた気がした。杏奈もサクラの姿を見てか、これまで以上に元気そうな笑顔を見せる。
俺は杏奈と視線を合わせ、小さく頷き合って、
『いらっしゃいませ!』
と声を揃えて言った。
4人を代表してなのか。それとも俺の恋人で、杏奈とも友人として親しくしているからなのか、サクラが一歩前に出る。
「店内でお召し上がりですか?」
「はい」
「かしこまりました。ご注文をどうぞ」
「チーズバーガーのポテトS・ドリンクセットを一つ。ドリンクはアイスコーヒーで」
「チーズバーガーのポテトS・ドリンクセットをお一つ。ドリンクはアイスコーヒーですね。ガムシロップとミルクはお付けしますか?」
「ガムシロップを一つお願いします」
「ガムシロップをお一つですね」
ちゃんと訊くことができて偉いぞ。杏奈は紅茶やコーヒーの注文があったとき、たまにガムシロップやミルクが要るかどうか訊くのを忘れることがあるから。
「他に注文はございますか?」
「え、えっと……」
「言ってごらんよ、文香」
ほれほれ、と中学時代からのサクラの友人が、ニヤニヤしながら文香の脇腹を肘で突いている。後ろにいるクラスメイトの女子2人も楽しそうに笑う。何か企んでいそうな気がするぞ。
サクラは頬を紅潮させ、はにかみながら俺や杏奈のことを見る。
「……あ、頭を撫で撫で……してください……」
サクラは恥ずかしそうに、さっきよりもかなり小さな声でそう言った。
他のファストフードチェーン店では注文時に「スマイルください」って言うと、店員さんによっては、とてもいい笑顔を見せてもらえると聞いたことがある。きっと、サクラはその真似をしているのだろう。
ただ、サクラ達の様子からして、サクラ自身が考えたのではなく、一緒に来た3人がサクラに「頭撫で撫でしてとか注文してみたら面白いんじゃない?」と提案した可能性が高そうだ。
何にせよ、マスバーガーでは頭撫で撫でなんていう注文は受け付けてない。それを杏奈に――。
「かしこまりました。頭撫で撫でですね。しかし、お客様でしたら、私よりもこちらの速水から頭を撫でられる方が……」
「杏奈。何を乗り気になっているんだ。頭撫で撫ではうちで提供してないぞ」
「文香先輩は大輝先輩の彼女ですし。それに、今は並んでいるお客様もいませんし」
「そうだけど……」
「いいじゃないか、大輝君。文香君の頭を撫で撫でしてあげなさい」
気づけば、俺達のすぐ近くに萩原店長が立っており、落ち着いた笑みを浮かべながら俺達やサクラのことを見ている。
あと、『ダンディズムの化身』の異名を持つおじさまがカウンターに登場したからか、サクラの友人達が興奮気味に。
「いいんですかね?」
「私はとてもいいと思うが。恋人から頭を撫でられたら、きっとこれから食べるものがより一層美味しくなるんじゃないかな。一種の調味料とも言えそうだ。あと、お客様が幸せになるのであれば、時にはメニューにないものも提供する。今回の場合、それが大輝君からの頭撫で撫でなのさ。店長として、この場で文香君に頭を撫でることを許可するよ」
「おおっ、さすがは店長!」
感心した様子の杏奈。そんな彼女の言葉に同意するかのように、サクラの友人達が頷いている。店長だからこそ言える言葉だと思う。
萩原店長は「ははっ」と上品に笑う。
「それほどでもないさ、杏奈君。それに、交際を始めた大輝君と杏奈君の触れ合う姿を、すぐ近くで見てみたい気持ちもある」
それが頭撫で撫でを許可する一番の理由じゃないだろうか。
ただ、萩原店長の言葉を聞いて、サクラに頭を撫でることくらいはしてもいいんじゃないかと思えてくる。
「いいじゃない、大輝君。今はそこまでお客さんいないし。文香ちゃんも大輝君に頭を撫でてもらえたら嬉しいでしょう?」
隣のカウンターにいる百花さんがそう問いかけると、サクラは赤くなった顔に笑みを浮かべてしっかりと頷く。
店長や先輩の百花さんに頭を撫でていいと言われたし、サクラも頭を撫でてほしいと思っているみたいだから、注文を受け付けるか。撫でることでサクラが幸せになって、彼女の注文したメニューをより楽しめるなら。それに、純粋に頭を撫でる行為だけを考えたら、俺もしたいし。
「かしこまりました。頭撫で撫では私・速水がさせていただきます。お客様への特別サービスです」
「お、お願いしますっ」
杏奈と入れ替わるようにしてカウンターに立ち、サクラの頭を優しく撫でる。その瞬間に、サクラの友人達が黄色い声を漏らす。
「今日はお店に来てくれてありがとう。あと、掃除当番お疲れ様」
「……うんっ」
サクラはとても嬉しそうな笑みを浮かべ、可愛い声で返事をしてくれた。
まさか、こういう形でバイト中にサクラに触れることになるとは思わなかった。杏奈達に見られる気恥ずかしさはあるものの、サクラの温もりやほんのりと香る甘い匂いに癒される。頭撫で撫でをして良かった。
サクラの頭から手を離すと、彼女は満足そうな様子で俺を見つめる。
「とても幸せな気分になりました。ありがとう。みなさん、お仕事頑張ってください」
「ありがとう、サクラ」
「ありがとうございます、文香先輩」
「ありがとね、文香ちゃん」
「小さい頃から知っている子に言われると嬉しいものだね。よし、2人の交際スタートを記念して、今回だけ特別に、4人とも店員と同じ3割引にしてあげよう」
「ありがとうございます、店長さん!」
『ありがとうございます!』
萩原店長の粋な計らいに文香達は大喜び。3割引は大きいよなぁ。こういうことをさらりとできるところが、店長の人気が高い理由の一つなのかなと思った。
その後、サクラ達はテーブル席に座り、自分の注文したものを食べながら談笑する。たまに、サクラはもちろんのこと、友人3人もこちらを見てくる。どうやら、俺や杏奈のことを中心に話が盛り上がっているようだ。学校の授業中と同じように、目が合うとサクラは微笑んでくれた。
見えるところにサクラがいることもあり、その後、バイトしても疲れを感じることはなかった。
スタッフルームに行くと、そこには萩原聡店長とバイトの先輩の合田百花さんの姿が。2人とも休憩中なのか、ホットコーヒーを飲みながら談笑している。
「店長、百花さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です!」
「学校お疲れ様、大輝君、杏奈君」
「2人ともお疲れ様!」
萩原店長と百花さんに挨拶して、俺と杏奈はそれぞれ自分のタイムカードを押す。これをすると、今日のバイトも頑張ろうとスイッチが入る。
「大輝君」
気づけば、萩原店長が俺の近くに立っていた。
「はい。何でしょう?」
「昨日のバイトのときと比べて、心なしか大輝君の表情が良くなっていると思ってね。昨日のバイトが終わってから、何かとてもいいことがあったのかな?」
深みのある低音ボイスでそう言われると、ちょっとドキッとするな。
下校中は昨日のことを思い出してドキドキするときもあったけど、お店に入ったときには平常心に戻っていた。今は頬の熱もあまり感じていないし。サクラと付き合い始めて、さっそく表情に変化が現れたのだろうか。
「そうですか? あたしには普段通りに見えますけど」
百花さんには分からないらしい。
萩原店長とは小さい頃からたくさん会っている。それに、バイトを始めてから、出勤するとほぼ毎回話す。なので、俺の表情のどんな変化にも気づくのかもしれない。
「実は……昨日からサクラと付き合うことになったんです」
「おお、文香君との交際がスタートしたのか」
「おめでとう! 大輝君!」
パチパチ、と百花さんが嬉しそうに拍手を送ってくれる。そんな百花さんを見てか杏奈も拍手。萩原店長も微笑みながら数回ほど拍手した。
「文香ちゃんは幼馴染だもんね。そこに恋人の関係も加わるんだ。素敵だなぁ」
「本当にお似合いのカップルだと思いますよ。あたし、実は先輩方が付き合う直前に大輝先輩にフラれちゃって。それでも、素直に祝福できるカップルです」
「えっ」
そんな声を漏らすと、拍手をする百花さんの手が止まる。このまま拍手をしていたらまずいと思ったのだろう。
百花さんは苦笑いをしながら、視線を俺から杏奈の方に動かす。
「えっと、その……こ、告白お疲れ様! 杏奈ちゃん!」
「ありがとうございます。告白できてスッキリしていますし、大輝先輩の恋人が文香先輩ですからね。もう大丈夫ですよ」
「それなら良かった」
百花さんはほっとした様子になり、杏奈の頭を撫でる。
「大輝先輩とは気まずくなっていませんし、これまで通り、先輩から色々と教わろうと思います」
「了解したよ、杏奈君。ただ、指導係についてはいつでも相談していいからね」
「はいっ!」
元気に返事する杏奈。この様子なら、これまでと変わりなく一緒にバイトができそうかな。指導係として誠心誠意、杏奈に仕事を教えていくことにしよう。
ふっ、と萩原店長は穏やかに笑うと、ホットコーヒーを一口飲む。
「それにしても……やはり、杏奈君は大輝君を好いていたか。そして、告白。……青春だねぇ」
と、店長は微笑みながらコーヒーをまた一口。そんな店長に杏奈が「気づかれていたんですね」とはにかみながら言った。
杏奈は去年の春頃からの常連さんで、俺が何度も杏奈に接客していた。そのときの様子や、バイトをし始めてから俺と一緒に仕事をする様子を見て、萩原店長は杏奈が俺を好きかもしれないと思っていたのだろう。俺の表情の変化にも気づいたし、店長は人をよく観察していると思う。
その後、俺と杏奈は更衣室でマスバーガーの店員の制服に着替える。
「大輝先輩。今日からもご指導よろしくお願いします!」
「うん、こちらこそよろしく。今日からも一緒に頑張っていこうね」
「はい!」
杏奈は明るく元気な笑顔を見せながら返事をしてくれる。バイトを始めてから10日ほどなので、お客さんの前ではまだまだ緊張するだろうけど、この笑顔で接客できるといいと思う。
杏奈と一緒にフロアに行き、今日も彼女の指導係としてバイトを始めるのであった。
「ありがとうございました!」
多少のミスはあるけど、杏奈は笑顔で明るく接客することができている。これまで何度も思っているけど、バイトを始めた頃の自分よりもよっぽど仕事ができていると思う。凄い子だなぁ。明るさや笑顔の良さについては見習いたいくらいだ。
「どうしたんですか? 微笑みながらあたしのことをじっと見て」
「いい接客ができているなぁって感心していたんだ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
小さな声で杏奈は「えへへっ」と笑う。そんな彼女の笑顔を見たのか、テーブル席の方から「あの金髪の店員さん可愛いよなぁ」などという声が聞こえてくる。その言葉に対して、心の中で頷いた。
「ダイちゃん、杏奈ちゃん、来たよ」
サクラが四鷹高校の制服を着た女子3人と一緒に来店してきた。そのうち2人はクラスメイト。1人は別のクラスだけど、同じ中学出身。中学時代から仲良くしているところを見たことがある。
サクラは明るい笑顔を浮かべ、俺達に向かって小さく手を振ってくる。本当にサクラは可愛いなぁ。彼女の姿を見た瞬間、今日の疲れが少し抜けた気がした。杏奈もサクラの姿を見てか、これまで以上に元気そうな笑顔を見せる。
俺は杏奈と視線を合わせ、小さく頷き合って、
『いらっしゃいませ!』
と声を揃えて言った。
4人を代表してなのか。それとも俺の恋人で、杏奈とも友人として親しくしているからなのか、サクラが一歩前に出る。
「店内でお召し上がりですか?」
「はい」
「かしこまりました。ご注文をどうぞ」
「チーズバーガーのポテトS・ドリンクセットを一つ。ドリンクはアイスコーヒーで」
「チーズバーガーのポテトS・ドリンクセットをお一つ。ドリンクはアイスコーヒーですね。ガムシロップとミルクはお付けしますか?」
「ガムシロップを一つお願いします」
「ガムシロップをお一つですね」
ちゃんと訊くことができて偉いぞ。杏奈は紅茶やコーヒーの注文があったとき、たまにガムシロップやミルクが要るかどうか訊くのを忘れることがあるから。
「他に注文はございますか?」
「え、えっと……」
「言ってごらんよ、文香」
ほれほれ、と中学時代からのサクラの友人が、ニヤニヤしながら文香の脇腹を肘で突いている。後ろにいるクラスメイトの女子2人も楽しそうに笑う。何か企んでいそうな気がするぞ。
サクラは頬を紅潮させ、はにかみながら俺や杏奈のことを見る。
「……あ、頭を撫で撫で……してください……」
サクラは恥ずかしそうに、さっきよりもかなり小さな声でそう言った。
他のファストフードチェーン店では注文時に「スマイルください」って言うと、店員さんによっては、とてもいい笑顔を見せてもらえると聞いたことがある。きっと、サクラはその真似をしているのだろう。
ただ、サクラ達の様子からして、サクラ自身が考えたのではなく、一緒に来た3人がサクラに「頭撫で撫でしてとか注文してみたら面白いんじゃない?」と提案した可能性が高そうだ。
何にせよ、マスバーガーでは頭撫で撫でなんていう注文は受け付けてない。それを杏奈に――。
「かしこまりました。頭撫で撫でですね。しかし、お客様でしたら、私よりもこちらの速水から頭を撫でられる方が……」
「杏奈。何を乗り気になっているんだ。頭撫で撫ではうちで提供してないぞ」
「文香先輩は大輝先輩の彼女ですし。それに、今は並んでいるお客様もいませんし」
「そうだけど……」
「いいじゃないか、大輝君。文香君の頭を撫で撫でしてあげなさい」
気づけば、俺達のすぐ近くに萩原店長が立っており、落ち着いた笑みを浮かべながら俺達やサクラのことを見ている。
あと、『ダンディズムの化身』の異名を持つおじさまがカウンターに登場したからか、サクラの友人達が興奮気味に。
「いいんですかね?」
「私はとてもいいと思うが。恋人から頭を撫でられたら、きっとこれから食べるものがより一層美味しくなるんじゃないかな。一種の調味料とも言えそうだ。あと、お客様が幸せになるのであれば、時にはメニューにないものも提供する。今回の場合、それが大輝君からの頭撫で撫でなのさ。店長として、この場で文香君に頭を撫でることを許可するよ」
「おおっ、さすがは店長!」
感心した様子の杏奈。そんな彼女の言葉に同意するかのように、サクラの友人達が頷いている。店長だからこそ言える言葉だと思う。
萩原店長は「ははっ」と上品に笑う。
「それほどでもないさ、杏奈君。それに、交際を始めた大輝君と杏奈君の触れ合う姿を、すぐ近くで見てみたい気持ちもある」
それが頭撫で撫でを許可する一番の理由じゃないだろうか。
ただ、萩原店長の言葉を聞いて、サクラに頭を撫でることくらいはしてもいいんじゃないかと思えてくる。
「いいじゃない、大輝君。今はそこまでお客さんいないし。文香ちゃんも大輝君に頭を撫でてもらえたら嬉しいでしょう?」
隣のカウンターにいる百花さんがそう問いかけると、サクラは赤くなった顔に笑みを浮かべてしっかりと頷く。
店長や先輩の百花さんに頭を撫でていいと言われたし、サクラも頭を撫でてほしいと思っているみたいだから、注文を受け付けるか。撫でることでサクラが幸せになって、彼女の注文したメニューをより楽しめるなら。それに、純粋に頭を撫でる行為だけを考えたら、俺もしたいし。
「かしこまりました。頭撫で撫では私・速水がさせていただきます。お客様への特別サービスです」
「お、お願いしますっ」
杏奈と入れ替わるようにしてカウンターに立ち、サクラの頭を優しく撫でる。その瞬間に、サクラの友人達が黄色い声を漏らす。
「今日はお店に来てくれてありがとう。あと、掃除当番お疲れ様」
「……うんっ」
サクラはとても嬉しそうな笑みを浮かべ、可愛い声で返事をしてくれた。
まさか、こういう形でバイト中にサクラに触れることになるとは思わなかった。杏奈達に見られる気恥ずかしさはあるものの、サクラの温もりやほんのりと香る甘い匂いに癒される。頭撫で撫でをして良かった。
サクラの頭から手を離すと、彼女は満足そうな様子で俺を見つめる。
「とても幸せな気分になりました。ありがとう。みなさん、お仕事頑張ってください」
「ありがとう、サクラ」
「ありがとうございます、文香先輩」
「ありがとね、文香ちゃん」
「小さい頃から知っている子に言われると嬉しいものだね。よし、2人の交際スタートを記念して、今回だけ特別に、4人とも店員と同じ3割引にしてあげよう」
「ありがとうございます、店長さん!」
『ありがとうございます!』
萩原店長の粋な計らいに文香達は大喜び。3割引は大きいよなぁ。こういうことをさらりとできるところが、店長の人気が高い理由の一つなのかなと思った。
その後、サクラ達はテーブル席に座り、自分の注文したものを食べながら談笑する。たまに、サクラはもちろんのこと、友人3人もこちらを見てくる。どうやら、俺や杏奈のことを中心に話が盛り上がっているようだ。学校の授業中と同じように、目が合うとサクラは微笑んでくれた。
見えるところにサクラがいることもあり、その後、バイトしても疲れを感じることはなかった。
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