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特別編

第8話『突然の雨は冷たくて』

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 6月7日、水曜日。
 今日も朝から晴天が広がっている。
 ただ、昨日までとは違い、本日の天気はゆっくりと下り坂に向かう予報になっている。段々と雲が広がり、夜遅くには雨が降るのだという。今日は放課後にバイトがあるけど、午後7時までだし、雨に降られる心配はないだろう。
 今日も優奈達と一緒にいつも通りの学校生活を送る。
 ただ、昼休みは珍しく優奈と一緒に食堂に行き、俺はカツカレー、優奈はきつねうどんを食べた。一口交換もして。こういうお昼の時間を過ごすのもいいな。
 放課後になって、俺はバイト先であるマスタードーナッツに向かった。優奈は井上さんと一緒にスイーツ研究部の活動があるので、お互いに頑張ろうと言って校舎の中で別れた。
 男性用の更衣室で、学校からバイトの制服に着替え、結婚指輪を外して持ち運び用のケースに入れる。毎回、こうすることで気持ちが店員モードに切り替わる。
 今日の夕食は優奈が作ってくれるのを励みに、今日のバイトを頑張っていく。
 平日の夕方なので、俺がカウンターに入ったときは学生服姿のお客様が多く、店内で飲食をするお客様も結構いる。
 ただ、時間が経ち、午後6時を過ぎると、スーツ姿や仕事服姿の人も多くなり、お持ち帰りのお客様が増える。おそらく、仕事帰りの時間帯となり、自宅で食べたり、家族へのお土産で買ったりする人が多いのだろう。うちのドーナッツやパイはお土産としても人気だから。
 そして、今日のバイトも残り30分ちょっとになったとき、

「おつかれー、長瀬」

 佐伯さんが来店してくれた。俺と目が合うと、佐伯さんはニコッと明るく笑いかけてくれる。
 今は午後6時半頃なので、おそらく部活から帰る途中だろう。今までも放課後にバイトをしていると、部活帰りの佐伯さんがこうして来店してくれたことが何度もある。

「ありがとう。……いらっしゃいませ。部活帰りかな、佐伯さん」
「うん、そうだよ」
「そっか。部活お疲れ様」
「ありがとう。今日は練習が結構キツくてさ。だから、お腹空いちゃって。長瀬が放課後にバイトしてるって聞いていたから来たんだ」
「そうだったんだ。佐伯さんが来てくれて嬉しいよ。バイトの疲れがちょっと取れた」
「あははっ、そっか。来て良かったよ」

 佐伯さんはいつもの明るい笑顔でそう言ってくれた。そのことでまた少しバイトの疲れが取れた。
 佐伯さんは席がある方へ視線を向ける。

「空いている席がいくつかあるね。じゃあ、ここで1つ食べてから家に帰るよ」
「そうか」

 その後、佐伯さんはオールドハニーファッションという、オールドファッションにはちみつが塗られた結構甘いドーナッツを購入し、店内にあるカウンター席で食べる。女子バスケ部の練習でたくさん体を動かしたから、甘いものをかなり欲しているのかな。

「ハニーファッションうまーい!」

 と、佐伯さんは笑顔でモグモグと食べている。幸せそうにも見えて。学校でお昼を食べるときも、このお店や俺の家でスイーツを食べるときも佐伯さんはいつも美味しそうに食べるよなぁ。ほのぼのとした気持ちにしてくれる。
 佐伯さんの食べる姿を見てか、カウンターの前にいたお客様がオールドハニーファッションを購入したり、席に座っているお客様がカウンターにやってきて追加で購入したりすることもあった。図らずも、佐伯さんがいい宣伝になっているな。
 3分もしないうちに佐伯さんはカウンター席から立ち上がり、カウンターの前まで来て、

「ごちそうさま。めっちゃ美味かった」
「それは良かった。うまーいって言って食べてたな」
「本当に美味しくてさ。それに、美味いって言うとより美味くなる感じがするから」

 ニコリと笑いながら佐伯さんはそう言う。確かに、美味しいって言うと、食べ物や飲み物がより美味しくなる感じがするのは納得かな。

「残りのバイト頑張ってね、長瀬」
「ありがとう。また明日な、佐伯さん」
「うん、また明日」

 オールドハニーファッションを食べて元気が出たのだろうか。佐伯さんはとても明るい笑顔で俺に手を振り、お店を後にした。
 佐伯さんが来店してくれて、オールドハニーファッションを美味しく食べてくれたことで元気も出た。彼女のような友人の存在は有り難い。
 シフト通りの午後7時頃にバイトが終わり、再び高校の制服姿になって、従業員用の出入口から外に出た。

「結構涼しいな」

 今はもう日が暮れているし、今日は午後には雲が広がっていたからかな。風が吹くと肌寒く感じられるほどだ。それもあって、早く家に帰りたい気持ちが膨らむ。
 帰路に就き、高野駅前の交差点で信号が青になるのを待つ。
 午後7時過ぎなのもあり、うちの高校を含めて制服姿の人や、スーツ姿の人が多い。今は帰宅ラッシュの時間帯なのだろう。
 信号が青になり、横断歩道を歩き始めたときだった。
 ――ポツッ。
 右腕に何かがあったような感覚が。右腕を見てみると……水に濡れている箇所があった。それを確認した直後、別の箇所が水に濡れて。

「……まさか」

 横断歩道を渡り終えて夜空を見上げると、街灯やビルの明かりに照らされた雨粒がいくつか見えて。そんな中、顔に冷たい雨粒が何粒も当たる。

「予報より早く雨雲が来たのか」

 今朝見た天気予報では、雨が降るのは夜遅くからって言っていたんだけどな。だから、傘はもちろん、折りたたみ傘も持っていない。急いで帰らないと。
 早歩きでマンションに向かい始めてすぐに、
 ――ザーッ!
 急に雨脚が強くなってきたぞ! まさかゲリラ豪雨か!
 そういえば、お店を出たときに肌寒い風が吹いていたな。あれは冷え込みのせいではなく、ゲリラ豪雨の前兆だったのかも。急に雨が降るときって、直前に冷たい風が吹くって聞いたことがある。
 ゲリラ豪雨になってしまったので、俺は全速力でマンションのエントランスに向かった。

「はあっ、はあっ……」

 駅前の横断歩道を渡り終えた後なので、マンションのエントランスまでノンストップで辿り着くことができた。ただ、学校とバイトを終えた後だし、あまり長くない距離だけど全力で走ったから疲れがどっと襲ってくる。それもあって息苦しい。

「寒っ」

 短い間だったけど、かなり強い雨に当たったので全身がかなり濡れている。持っているハンカチで顔と髪、腕などを拭いて、エレベーターホールに向かう。
 ボタンを押して、エレベーターが来るのを待っていると……15秒ほどで1基到着した。
 扉が開くと、

「あっ、和真君」

 エレベーターの中には、膝よりも隠れるほどの丈のスカートにフレンチスリーブのブラウスという服装をした優奈がいた。優奈は自分の傘と俺の傘を持っていて。優奈は俺と目が合うと安堵の笑みを浮かべて、エレベーターから降りた。

「良かったです、和真君に会えて」
「まさか、ここで優奈と会うなんて。ただ、傘を持っているってことは……俺を迎えに行こうとしてくれたのか?」
「はい。雨音が聞こえたので外を見たら、かなり強い雨で。今日は夜遅くから雨が降る予報でしたし、和真君は折りたたみ傘を持っているのかなと。メッセージを送ったのですが、既読にならなくて」
「メッセージを送ってくれたのか」

 スラックスのポケットからスマホを取り出し、確認すると……優奈からメッセージが届いたと通知が届いている。通知をタップしてトーク画面を開くと、

『雨が降ってきましたが、折りたたみ傘は持っていますか?』

『傘を持って迎えに行きますね!』

 というメッセージが送られていた。俺を心配し、迎えに行こうとしてくれたから、さっき、優奈は俺の顔を見て安心した様子になっていたんだな。

「ごめん、全然気付かなかったよ。帰る途中でゲリラ豪雨に遭って、必死に走って帰ってきたから」
「そうでしたか。和真君はバイトがありましたから、雨宿りしているかもしれないと思ってマスタードーナッツに向かおうとしていたんです」
「そうだったんだ。心配掛けてごめんね。あと、傘を持って迎えに行こうとしてくれてありがとう」

 嬉しくて優奈の頭を撫でよう手を伸ばしたけど、手が少し濡れているので止めておいた。その意図が分かったのか、優奈はニッコリと笑った。

「いえいえ。和真君と会えて安心しました。……制服中心に濡れていますね」
「かなり強い雨だからな。走ったんだけど結構濡れたよ。エントランスに着いて、ハンカチで顔と髪と腕は拭いたんだけどな。制服も濡れたから結構寒い」
「そうですか。家に帰ったらすぐにお風呂……って、まだお掃除していませんね」
「今日の風呂の掃除当番は俺だからな。シャワーを浴びて体が温まったら掃除するよ」
「はい、よろしくお願いします」

 その後、俺達はエレベーターに乗って10階まで上がり、1001号室に帰宅した。
 玄関の土間で、優奈が持ってきてくれたバスタオルで制服やスクールバッグを拭いて、洗面所に直行した。
 服を脱いで浴室に入り、最大限の量でシャワーを浴びていく。雨に打たれて体が冷えていたので、温かいお湯がとても心地いい。ただ、体はなかなか温まらなかった。



 それから寝るまでの間は体を温かくして、リラックスすることを心がけた。それでも、疲れを感じやすく、たまに寒気も感じたのであった。
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