53 / 124
ユキちゃんと七海ちゃん【side 類】
1
しおりを挟む
* * *
子供のころ、猫を拾った。
真っ白くて雪みたいな子猫だった。
たしか梅雨どきだったと思う。
公園の紫陽花の下、昨日からずっと降り続いた雨に濡れ、そいつは震えていた。
もう鳴くことも出来ないのだろう。放っておいたら間違いなく死んでしまう。
許されないのは分かっていた。だが、俺は迷うことなくそいつを拾い上げた。
「いいか、大人しくするんだぞ」
バレたら間違いなく捨てられる。
家に連れ帰って自室にかくまった俺は、懇々と子猫に言い聞かせた。
幸いにも自宅は『お屋敷』と呼ばれるほどの大きさで、俺の部屋は母屋から遠く離れた場所に設けられていた。
俺は父が使用人に手を出して作った子なので『二階堂の恥』だったのだ。
そのうえ翌年には本妻妊娠し、同時に母が病で亡くなった。
父や本妻、弟の住む母屋から隔離されるのも、致し方がなかったのかもしれない。
独りは寂しかったが、このとき初めて自分の置かれた立場に感謝した。
焼却炉や納屋がある、日当たりの悪い場所。
離れはその横に建っていたので、よほど大声で鳴かなければ〝二階堂の家族〟に届くことはないだろう。
冬物のセーターで子猫を包み、豚の貯金箱を壊して猫用ミルクを買った。
猫に関する知識はなかったけど、ペットショップで色々と教えてもらい、子猫はなんとか危機を脱した。
嬉しかった、幸せだった。
子猫は本当に可愛くて、そして……驚くほど温かかった。
ユキという名前をつけた。
賢いユキは俺が学校に行っている間は、ベッドの下の段ボールに隠れていて、帰宅した瞬間に物凄い勢いで飛び出してきた。
俺を親だと思っていたのだろう。逢いたくてたまらなかった――と、全身で愛を表現してくれるユキは俺にとって、唯一の家族だった。
一年、二年……よくバレなかったものだと思う。
六畳ほどの子供部屋でユキと俺は静かに、そして穏やかな毎日を送っていた。
ユキは基本的に部屋の中で過ごしたが、トイレだけは外で済ませた。外といっても窓の目の前、母屋からは死角になる植え込みの隅だ。
朝と夕、窓から出て行って、猫特有の『トイレダッシュ』と呼ばれる本能に従い、数分だけ辺りを走り回り、すぐに満足して帰ってくる。
見つかることは、ないはずだった。
それは偶然――、本当にタイミングが悪かったとしかいいようがない。
俺が中学に上がってすぐの夏休み。
その日ユキは、いつもより少し早く外へ出た。俺は宿題をしながら、ユキの後ろ姿を見送って、そして数分後。
「わあっ、猫だあ!」
弟の大声が響いた。
まずい――、俺は反射的に立ち上がり、窓の外へ身を乗り出す。
虫取り網を持つ弟、そしてユキが対峙していた。
普通なら敷地の奥の奥、日当たりも悪いこんな場所に弟が足を踏み入れることはない。だが夏休みの宿題かなにかで虫を探していたのだろうか。とにかく、やっかいな奴に見られてしまった。
さらに悪いことに、ユキはジリジリと後ずさると、猛ダッシュで俺の胸に飛び込んだ。
「それ、お兄ちゃんの猫?」
弟の目に、残酷な光が宿った。
子供のころ、猫を拾った。
真っ白くて雪みたいな子猫だった。
たしか梅雨どきだったと思う。
公園の紫陽花の下、昨日からずっと降り続いた雨に濡れ、そいつは震えていた。
もう鳴くことも出来ないのだろう。放っておいたら間違いなく死んでしまう。
許されないのは分かっていた。だが、俺は迷うことなくそいつを拾い上げた。
「いいか、大人しくするんだぞ」
バレたら間違いなく捨てられる。
家に連れ帰って自室にかくまった俺は、懇々と子猫に言い聞かせた。
幸いにも自宅は『お屋敷』と呼ばれるほどの大きさで、俺の部屋は母屋から遠く離れた場所に設けられていた。
俺は父が使用人に手を出して作った子なので『二階堂の恥』だったのだ。
そのうえ翌年には本妻妊娠し、同時に母が病で亡くなった。
父や本妻、弟の住む母屋から隔離されるのも、致し方がなかったのかもしれない。
独りは寂しかったが、このとき初めて自分の置かれた立場に感謝した。
焼却炉や納屋がある、日当たりの悪い場所。
離れはその横に建っていたので、よほど大声で鳴かなければ〝二階堂の家族〟に届くことはないだろう。
冬物のセーターで子猫を包み、豚の貯金箱を壊して猫用ミルクを買った。
猫に関する知識はなかったけど、ペットショップで色々と教えてもらい、子猫はなんとか危機を脱した。
嬉しかった、幸せだった。
子猫は本当に可愛くて、そして……驚くほど温かかった。
ユキという名前をつけた。
賢いユキは俺が学校に行っている間は、ベッドの下の段ボールに隠れていて、帰宅した瞬間に物凄い勢いで飛び出してきた。
俺を親だと思っていたのだろう。逢いたくてたまらなかった――と、全身で愛を表現してくれるユキは俺にとって、唯一の家族だった。
一年、二年……よくバレなかったものだと思う。
六畳ほどの子供部屋でユキと俺は静かに、そして穏やかな毎日を送っていた。
ユキは基本的に部屋の中で過ごしたが、トイレだけは外で済ませた。外といっても窓の目の前、母屋からは死角になる植え込みの隅だ。
朝と夕、窓から出て行って、猫特有の『トイレダッシュ』と呼ばれる本能に従い、数分だけ辺りを走り回り、すぐに満足して帰ってくる。
見つかることは、ないはずだった。
それは偶然――、本当にタイミングが悪かったとしかいいようがない。
俺が中学に上がってすぐの夏休み。
その日ユキは、いつもより少し早く外へ出た。俺は宿題をしながら、ユキの後ろ姿を見送って、そして数分後。
「わあっ、猫だあ!」
弟の大声が響いた。
まずい――、俺は反射的に立ち上がり、窓の外へ身を乗り出す。
虫取り網を持つ弟、そしてユキが対峙していた。
普通なら敷地の奥の奥、日当たりも悪いこんな場所に弟が足を踏み入れることはない。だが夏休みの宿題かなにかで虫を探していたのだろうか。とにかく、やっかいな奴に見られてしまった。
さらに悪いことに、ユキはジリジリと後ずさると、猛ダッシュで俺の胸に飛び込んだ。
「それ、お兄ちゃんの猫?」
弟の目に、残酷な光が宿った。
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
なし崩しの夜
春密まつり
恋愛
朝起きると栞は見知らぬベッドの上にいた。
さらに、隣には嫌いな男、悠介が眠っていた。
彼は昨晩、栞と抱き合ったと告げる。
信じられない、嘘だと責める栞に彼は不敵に微笑み、オフィスにも関わらず身体を求めてくる。
つい流されそうになるが、栞は覚悟を決めて彼を試すことにした。
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる