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陽介の暴走
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噴水前に着くと、すでに陽介の姿があった。
私を見つけるとベンチから立ち上がり、小さく右手を持ちあげる。
待ち合わせの時に、彼がいつも見せる仕草。だけど表情は固い。
「ごめんね、待った?」
「いや、俺も着いたところ」
「じゃあ、行こうか」
並んで歩いている最中に「飯は?」と聞かれたので「まだ」と答える。
すると陽介は突然歩みを止めた。
「やっぱりさ……カラオケ屋じゃなくて、俺の部屋にしない?」
「え、でも――」
「七海の好きな、アボカドと生ハムのパスタ作ってやるよ」
無理やり作った笑顔と、恋人だったころみたいな物言いに困惑する。
「部屋には行けないよ」
「どうして」
「私たちは別れてるんだし……松本さんが嫌がるでしょう」
「だから、彼女は違うって。俺は七海を――」
言葉の途中で周囲の視線に気づいた陽介は、私の手を取って歩き出す。
「とにかく、別れるにしても七海の物が部屋に沢山あるだろう」
視線はまっすぐにタクシー乗り場に向かい、聞く耳を持つ気はないらしい。
よほど、切羽詰まっているのだろう。どんな時も「七海はどうしたい?」「七海の好きな方でいいよ」と、私を優先してくれた彼の心の内を思うと、どうしても繋いだ手を振り解くことができなかった。
電車ではなくタクシーを使ったのも、私の気が変わるのを避けるためだろう。
車中、しっかりと握られた手は、いつもより冷たく震えていた。
「入って、すぐに飯を作るから」
「うん、お邪魔します」
並々ならぬ陽介の思いに流され、促されるまま部屋に足を踏み入れてから、やっぱり後悔した。
ダイニングキッチンの向こう側、開け放たれた寝室に鎮座する青いソファー。その真向いにあるクローゼットが、忌まわしい出来事を脳裏に叩きつける。
「ごめん、嫌だよな……」
消え入るような声で陽介が言った。
私がうなずくと、彼は寝室の引き戸を閉めて苦し気に顔を歪めた。
「あやまって許されることだとは思っていない、でも……もう一度だけチャンスをくれないか」
「陽介――」
「無理だよ」と言おうとして、言葉がつっかえた。
彼の切れてしまいそうな表情が、私の声帯に蓋をしたのだ。
視線を落とすと、ダイニングテーブルついた数センチの傷が目に入った。瓶詰のピクルスが開かなくて、私が金槌で蓋を叩いたときに過ってつけてしまったものだ。
買ったばかりのテーブルだったのに、気にも止めない陽介の心の広さに感心したのを覚えている。
思い出す限り、彼はなんでも笑って許してくれた。
私も……許すべきなんだろうか。
心が動きかけたとき、カバンの中でスマホが震えるのが分かった。
一度、二度……ややあって、三度目に着信を知らせるバイブ音に陽介が肩を竦めた。
「出れば、急用なんじゃない?」
鳴りやまないスマホを鞄から取り出し、ディスプレイを見ると、相手は類さんだった。
なにかあったのだろうか。
メッセージではなく、通話を要求する着信だ。
「ごめん、仕事のことかも」
陽介に断りを入れ、スマホを耳に当てたまま玄関に移動する。
「お疲れ様です、どうしました?」
「おまえ、今、どこ?」
「え……メールした通りですけど」
なぜだろう。類さんの声がいつもよりも上ずっているような気がした。
噴水前に着くと、すでに陽介の姿があった。
私を見つけるとベンチから立ち上がり、小さく右手を持ちあげる。
待ち合わせの時に、彼がいつも見せる仕草。だけど表情は固い。
「ごめんね、待った?」
「いや、俺も着いたところ」
「じゃあ、行こうか」
並んで歩いている最中に「飯は?」と聞かれたので「まだ」と答える。
すると陽介は突然歩みを止めた。
「やっぱりさ……カラオケ屋じゃなくて、俺の部屋にしない?」
「え、でも――」
「七海の好きな、アボカドと生ハムのパスタ作ってやるよ」
無理やり作った笑顔と、恋人だったころみたいな物言いに困惑する。
「部屋には行けないよ」
「どうして」
「私たちは別れてるんだし……松本さんが嫌がるでしょう」
「だから、彼女は違うって。俺は七海を――」
言葉の途中で周囲の視線に気づいた陽介は、私の手を取って歩き出す。
「とにかく、別れるにしても七海の物が部屋に沢山あるだろう」
視線はまっすぐにタクシー乗り場に向かい、聞く耳を持つ気はないらしい。
よほど、切羽詰まっているのだろう。どんな時も「七海はどうしたい?」「七海の好きな方でいいよ」と、私を優先してくれた彼の心の内を思うと、どうしても繋いだ手を振り解くことができなかった。
電車ではなくタクシーを使ったのも、私の気が変わるのを避けるためだろう。
車中、しっかりと握られた手は、いつもより冷たく震えていた。
「入って、すぐに飯を作るから」
「うん、お邪魔します」
並々ならぬ陽介の思いに流され、促されるまま部屋に足を踏み入れてから、やっぱり後悔した。
ダイニングキッチンの向こう側、開け放たれた寝室に鎮座する青いソファー。その真向いにあるクローゼットが、忌まわしい出来事を脳裏に叩きつける。
「ごめん、嫌だよな……」
消え入るような声で陽介が言った。
私がうなずくと、彼は寝室の引き戸を閉めて苦し気に顔を歪めた。
「あやまって許されることだとは思っていない、でも……もう一度だけチャンスをくれないか」
「陽介――」
「無理だよ」と言おうとして、言葉がつっかえた。
彼の切れてしまいそうな表情が、私の声帯に蓋をしたのだ。
視線を落とすと、ダイニングテーブルついた数センチの傷が目に入った。瓶詰のピクルスが開かなくて、私が金槌で蓋を叩いたときに過ってつけてしまったものだ。
買ったばかりのテーブルだったのに、気にも止めない陽介の心の広さに感心したのを覚えている。
思い出す限り、彼はなんでも笑って許してくれた。
私も……許すべきなんだろうか。
心が動きかけたとき、カバンの中でスマホが震えるのが分かった。
一度、二度……ややあって、三度目に着信を知らせるバイブ音に陽介が肩を竦めた。
「出れば、急用なんじゃない?」
鳴りやまないスマホを鞄から取り出し、ディスプレイを見ると、相手は類さんだった。
なにかあったのだろうか。
メッセージではなく、通話を要求する着信だ。
「ごめん、仕事のことかも」
陽介に断りを入れ、スマホを耳に当てたまま玄関に移動する。
「お疲れ様です、どうしました?」
「おまえ、今、どこ?」
「え……メールした通りですけど」
なぜだろう。類さんの声がいつもよりも上ずっているような気がした。
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