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大嫌いな君は空を見る ~健太編~

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 *  * *


 あっという間に夏が終わり、秋が過ぎ……冬。


 銀紙少年の東京行きが許された。頑固オヤジや担任の馬場も、俺たちの揺るぎない意志に根負けしたのだ。

 
 ただし、アホの祥子だけは別。
 すっかり臍を曲げたアイツとは、あの日、坂道で別れて以来、雑談さえしていない。話しかけようにも徹底的に避けられ、受験勉強だといってバイトにも来なくなった。もうお手上げだ。


「なあ、祥子ちゃんと、このままでええんか」
「なにがや」


 聡はやたら祥子のことを気にしている。


「なんでお前は、そうお節介なんや」
「やって、好きなんやろう?」
「は、あんなアホ嫌いや」


 小学校をサボって秘密基地に行けばオヤジにチクるし、中学のときは市の新体操クラブに入ったとかで、試合の度に送り迎えをさせられた。そうや、タチの悪い先輩に騙されて、ヤバかったんを助けたったのに「人の恋愛邪魔すんな」って逆切れされたこともある。

 
 俺の手を煩わせてばかりのくせに、自分の方が偉いみたいな顔して……ほんま、面倒くさい女。


「祥子なんぞ、好きなわけない」


 言いながら、胸の奥が重くなった。熱い鉛玉を飲んだみたいに、息苦しくなって……そのときだった。


「健太くん!」


 教室の外で祥子の親友、高杉が俺を呼んだ。


*  * *


 祥子が号泣していると聞いて、視聴覚室に飛んできた。引き戸を開けると、泣きはらした赤い目が見開かれる。


「……よう」
「健太……なんで?」
「高杉が……祥子が泣いとるけん、行ったれって」


 もう泣いてこそいないけれど、目はパンパンだし、鼻水まで垂れている。相変わらず色気のないやつだ。
 なぜ泣いているのかと聞いたけど、プイと顔をそむけて答えない。


 まだ臍、曲げとんのか、執念深い女や……これやから嫌いなんや。
 そう思いながらも、なんとなく部屋に足を踏み入れる。と――窓の外に、白いものが舞っているのを見つけた。


 まさか、雪?
 祥子の脇をすり抜けて窓に張り付く。


「おわっ、雪や!」
「えっ、うそっ、ほんまや!」


 ホコリと間違うくらいの粒だけど、温暖な瀬戸内地方では珍しい。
 祥子も俺の隣に駆け寄ってきた。


「雪、何年ぶりやろね」

 
少しは機嫌が直ったのだろうか。   祥子がやわらかくつぶやいた。


「たしか……小6の時が最後?  けっこう積もったよな」
「あんとき健太。東小の子らと雪合戦で勝負したん、覚えとる?」
「忘れられんな、アレは」
「雪玉の中に石、仕込んでやり合ったけん、全員血だらけになったんよね」
「俺が言い出しっぺや言うて、親父にドツキまわされるわ、罰としてゲームソフト全部ほかされるわ、散々やったな」


 そうや、それに――。


「ほら、ここ。まだ傷が残っとるやろ?」


 前髪を上げて、祥子に見せようと顔を近づける。


「えっ、ちょっ!」


 突然、祥子が飛び上がった。
 目の前の頬が赤くなって、長い睫毛がゆらゆらと揺れている。


 ドクン――と、心臓を内側から蹴り飛ばされた。


 なんだこれ……なんだこいつ……こいつって、こんなに可愛かったっけ。


「健太?」
「な……なに意識しとんねん」


 慌てて窓の外に視線を投げたけど、遅かった。


「顔……赤いで」
「うるさい、祥子こそ鼻水垂れとる」
「あ、鼻かみたかったんや。ティッシュ持っとらん」
「俺がそんなん持つとるわけないや……って、おい、アホ、やめろっ!」


 ゴソゴソと腰のあたりを探られたかと思うと、何を思ったかこのアホ。俺のワイシャツをブレザーから引っ張り出して、チーンと鼻をかみやがった。


「うわあ、マジふざけんな、汚ねえが」


 ブレザーを脱いで、部屋の隅にある水道でシャツを洗う。


「ほんま、信じられん。普通、こんなんするか」


 だいたいこいつは、女としての自覚が足りない。口は悪いし、ガサツやし……見た目は悪くないのに台無しや。こんなもんを嫁に貰った男は苦労するぞ……って、なんで俺がこいつの将来まで心配してやらないかんのじゃい。
 苛立ちながらシャツを擦っていると、背後で祥子が言った。


「頑張ってな。応援しとるけん」


 今にも泣き出しそうな、震える声。
 けど、振り返った俺の目に飛び込んできたのは、満面の笑みだった。


「ごめんな……ほんまは、羨ましかっただけなんよ」


 なあ祥子、なんや……その、泣いとるみたいな笑顔。


「夢、あきらめんと、東京行き実現してしもうた健太のこと、格好ええと思う」


 強烈に思った。
 こいつのこと、守ったらないかん。違う、こいつが他の誰かのものになるんは、耐えられない。


 無意識に踏み出した俺の足を、祥子のキツイ声が止めた。


「けど、アンタは捨てるんや。おっちゃんも、うどん屋も。あたしのこともな」

 
 捨てる? そうじゃない、俺はただ――。


「なら、祥子も一緒に――」
「あたしは健太とは違う。お母ちゃんもこの町も、よう捨てん」


 祥子は笑ったまま、涙を浮かべた。


「あたしは、ここにおる」
「なら待っ――」
「そんで、他の誰かと幸せになる」


 俺は、捨てるんやろうか……。
 男手ひとつで育ててくれたオヤジを。
 オヤジが作り上げた『一源』を。


 優しい時間が流れるこの町。
 派手に波立つでも渦を生むでもない瀬戸内海。
 ほっとする磯の香り。
 うさんこ山のミカン畑。
 カエルとザリガニが山ほど住んでいる溜池。

 
 それから、祥子を自転車に乗せて走る、夕暮れの坂道。

 
 その全てを捨ててまで、俺は東京に行きたいんやろうか。


 東京で成功したら迎えに来る――。


 本当はそう言いたかった。
 けど、こいつはこんな陳腐な言葉、望んでない。
 この下手くそな笑顔は俺のため。


「健太なんか大嫌いや。けど……絶対に夢、叶えてな」


 そう言って、また笑った祥子の目には……もう、なんの迷いもなかった。

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