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昭夫の気がかり
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7月22日早朝
「やっぱり帰ってたのか」
早朝、慌ただしくやって来た父さんは、清蟹くんとカブトムシ相撲に興じている祖父ちゃんを見て、安堵したような飽きたような、複雑な表情をした。
「帰って何が悪い。ここは俺の家だ」
「そういうことじゃなくて、まだ退院の許可が出てないだろ?」
「うるせぇな。手術が済んだのに、ちんたらした運動しかさねぇで寝かされっぱなしで、ボケちまうわ」
「ちんたらした運動じゃないよ、リハビリっていうんだってば。ちゃんとした治療だって説明しただろ?」
「はん!それくらい自分でやれるって言ってるのによ。あの兄ちゃん全然聞かねぇから」
「先生って呼んで」
二人の話に呆然としている僕と清蟹くんの側で、電池が切れかけた松姫ちゃんはこっくりこっくり船をこいでいる。
祖父ちゃんは術後に行うリハビリを面倒くさがり、早く家に帰せと文句を言って医師たちを困らせていたらしい。そして我慢できなくなった昨夜、入院病棟から脱走したそうだ。
「夜中に看護師長から説教される身にもなってくれよ。母さんショックで倒れたぞ」
「いつも通り畑を歩き回れば足は治る」
ギブスをバンと叩いた祖父ちゃんは、フンっと胸を張った。
「今の、本当はスゴく痛いだろ?やせ我慢するなよ、脂汗かいてるじゃないか」
あ、ホントだ。額や鼻頭に汗が流れてる。いくら夏場でも、早朝そこまで暑くない。
「ほら、病院帰るよ。一緒に看護師さんたちに謝ってやるから、おとなしく車乗ってくれ」
「・・・」
しばらく黙っていた祖父ちゃんは、「肩貸せ」と僕に寄りかかった。やっぱり足が痛いんだね。年を取っても筋肉質な祖父ちゃんを引っ張り上げた。
「帰る前に、どうしても見ておきてぇもんがある」
そう言った祖父ちゃんは、外へ連れ出すよう僕に命じた。
そのまま庭を横切り、坂道を下り、道路を渡って猿避けの電柵を巡らせた田んぼや畑を順に見て回った。うんざりした顔で後をついてくる父さんがため息をついた。
「畑くらいいいじゃないか。まだ盆月でもないし、急いで収穫するものもないだろ?」
「馬鹿かお前は。猿共を追っぱらうのは当たり前ぇだけどよ、一月近く放って草ぼうぼうになった畑を人目拝んで、自分の不甲斐なさを戒めるんだよ」
「荒れた畑見たら、かえって病院に戻りたくなくなるだろ?まったく頑固ジジィが」
祖父ちゃんと父さんの口喧嘩を聞きつつ、僕は数日前のことを思い出しヒュッと胃が冷えた。
一番奥の畑はこの前、猿が電柵内に侵入して枝豆を荒らしてたじゃないか!
ヤバい。正直に白状した方がいいよね?バレてから怒られるより、先に謝った方がキレるレベルが低くなるよね?
最後に到着した枝豆畑の前で僕は覚悟を決めた。
「あのね、祖父ちゃん。実は、何日か前にこの枝豆畑に・・・」
「おい!何だこりゃ。まったく、どうなっちまったんだよ」
肩に回された腕がグッと締まった。
うわ!猿に荒らされたことがバレちゃった!?ごめんなさい!ごめんなさい!!
殴られる覚悟でじっとしている僕の頭を、祖父ちゃんの大きな手がやんわりと撫でた。
「感心したぞ、大希。街中の者には野良仕事は出来ねぇって思ってたけどよ、言われなくたってやることはやてるじゃねぇか!雑草一本も無ねぇ完璧な畑で気分がいい」
「え?」
雑草って何?僕には枝豆と雑草の識別もできないよ?
「泥臭ぇことは出来ねぇって逃げてたどっかの誰かの息子とは思えねぇな、久志」
「俺は親父と違って力仕事には向かないだけだよ」
「こいつはいいや。あっはっは」
祖父ちゃんは嬉しそうに高笑いしてるけど、どういうこと?僕は電柵のチェックしかしてないよ?この状況が飲み込めないよ。
僕だけ納得がいかないけれど、祖父ちゃんは気がかりだったことが解消されたみたいで、母屋に戻ったら素直に父さんの車に乗りこんだ。
「大希、やっぱり俺の血を引いてるんだな。畑の世話が文句なしに出来てやがる。本屋辞めて仕事が無ぇなら、ここで俺と農家やれ」
「は?」
「いい跡取りができた!あっはっは」
突飛な言葉に面食らっている僕を残して、満足そうに手を振る祖父ちゃんを乗せた車は病院に戻っていった。
「大希殿、ここで暮らすのでござるか?」
「え?」
手を握ってきた清蟹くんが満面の笑みで見あげていた。
ちょっと!祖父ちゃん、勝手なこと言わないでよ・・・
期待した眼差しの清蟹くんに苦笑いしながら、玄関先で眠り込んでいる松姫ちゃんを抱きかかえ奥の間へ寝かせに行った。
「やっぱり帰ってたのか」
早朝、慌ただしくやって来た父さんは、清蟹くんとカブトムシ相撲に興じている祖父ちゃんを見て、安堵したような飽きたような、複雑な表情をした。
「帰って何が悪い。ここは俺の家だ」
「そういうことじゃなくて、まだ退院の許可が出てないだろ?」
「うるせぇな。手術が済んだのに、ちんたらした運動しかさねぇで寝かされっぱなしで、ボケちまうわ」
「ちんたらした運動じゃないよ、リハビリっていうんだってば。ちゃんとした治療だって説明しただろ?」
「はん!それくらい自分でやれるって言ってるのによ。あの兄ちゃん全然聞かねぇから」
「先生って呼んで」
二人の話に呆然としている僕と清蟹くんの側で、電池が切れかけた松姫ちゃんはこっくりこっくり船をこいでいる。
祖父ちゃんは術後に行うリハビリを面倒くさがり、早く家に帰せと文句を言って医師たちを困らせていたらしい。そして我慢できなくなった昨夜、入院病棟から脱走したそうだ。
「夜中に看護師長から説教される身にもなってくれよ。母さんショックで倒れたぞ」
「いつも通り畑を歩き回れば足は治る」
ギブスをバンと叩いた祖父ちゃんは、フンっと胸を張った。
「今の、本当はスゴく痛いだろ?やせ我慢するなよ、脂汗かいてるじゃないか」
あ、ホントだ。額や鼻頭に汗が流れてる。いくら夏場でも、早朝そこまで暑くない。
「ほら、病院帰るよ。一緒に看護師さんたちに謝ってやるから、おとなしく車乗ってくれ」
「・・・」
しばらく黙っていた祖父ちゃんは、「肩貸せ」と僕に寄りかかった。やっぱり足が痛いんだね。年を取っても筋肉質な祖父ちゃんを引っ張り上げた。
「帰る前に、どうしても見ておきてぇもんがある」
そう言った祖父ちゃんは、外へ連れ出すよう僕に命じた。
そのまま庭を横切り、坂道を下り、道路を渡って猿避けの電柵を巡らせた田んぼや畑を順に見て回った。うんざりした顔で後をついてくる父さんがため息をついた。
「畑くらいいいじゃないか。まだ盆月でもないし、急いで収穫するものもないだろ?」
「馬鹿かお前は。猿共を追っぱらうのは当たり前ぇだけどよ、一月近く放って草ぼうぼうになった畑を人目拝んで、自分の不甲斐なさを戒めるんだよ」
「荒れた畑見たら、かえって病院に戻りたくなくなるだろ?まったく頑固ジジィが」
祖父ちゃんと父さんの口喧嘩を聞きつつ、僕は数日前のことを思い出しヒュッと胃が冷えた。
一番奥の畑はこの前、猿が電柵内に侵入して枝豆を荒らしてたじゃないか!
ヤバい。正直に白状した方がいいよね?バレてから怒られるより、先に謝った方がキレるレベルが低くなるよね?
最後に到着した枝豆畑の前で僕は覚悟を決めた。
「あのね、祖父ちゃん。実は、何日か前にこの枝豆畑に・・・」
「おい!何だこりゃ。まったく、どうなっちまったんだよ」
肩に回された腕がグッと締まった。
うわ!猿に荒らされたことがバレちゃった!?ごめんなさい!ごめんなさい!!
殴られる覚悟でじっとしている僕の頭を、祖父ちゃんの大きな手がやんわりと撫でた。
「感心したぞ、大希。街中の者には野良仕事は出来ねぇって思ってたけどよ、言われなくたってやることはやてるじゃねぇか!雑草一本も無ねぇ完璧な畑で気分がいい」
「え?」
雑草って何?僕には枝豆と雑草の識別もできないよ?
「泥臭ぇことは出来ねぇって逃げてたどっかの誰かの息子とは思えねぇな、久志」
「俺は親父と違って力仕事には向かないだけだよ」
「こいつはいいや。あっはっは」
祖父ちゃんは嬉しそうに高笑いしてるけど、どういうこと?僕は電柵のチェックしかしてないよ?この状況が飲み込めないよ。
僕だけ納得がいかないけれど、祖父ちゃんは気がかりだったことが解消されたみたいで、母屋に戻ったら素直に父さんの車に乗りこんだ。
「大希、やっぱり俺の血を引いてるんだな。畑の世話が文句なしに出来てやがる。本屋辞めて仕事が無ぇなら、ここで俺と農家やれ」
「は?」
「いい跡取りができた!あっはっは」
突飛な言葉に面食らっている僕を残して、満足そうに手を振る祖父ちゃんを乗せた車は病院に戻っていった。
「大希殿、ここで暮らすのでござるか?」
「え?」
手を握ってきた清蟹くんが満面の笑みで見あげていた。
ちょっと!祖父ちゃん、勝手なこと言わないでよ・・・
期待した眼差しの清蟹くんに苦笑いしながら、玄関先で眠り込んでいる松姫ちゃんを抱きかかえ奥の間へ寝かせに行った。
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