3 / 15
第三話 怪我と告白
しおりを挟むそれからというもの、カイトは泉ではなく山小屋を訪ねて来るようになった。
「俺も仕事があるから、いつ来られるかって確約は出来ないし。俺が来なかった時には山の中よりずっと安全だろ。俺もファビオラが不在の時は、ここで待てるから楽ちんだ。泉に行きたければブラウで一飛びだし。効率的だろ?」
小麦色の肌に良く映える白い歯を見せて笑うカイトの優しさが嬉しかった。
彼は隣国パータイルの人間で、仕事で兄と一緒にミタリア国に来ているらしい。彼は兄弟で小さな商会を営んでいるらしく、ミタリア国で自社の商品を扱ってくれる所がないか販路を開拓する為に入国しているそうだ。
今日はまだカイトは来ていない。いつも急に来て急に帰る彼の予定は読めないのだ。
「来てくれたとしても、今日は仕事があるし…」
少し寂しい気がするものの、ファビオラは薬草を確認し袋に詰める作業に集中することにした。
診療所に薬草を届け、料金をいただくと感謝の言葉を伝え診療所を後にした。
町の外れまで来たところで、額に強い衝撃が走りギュッと瞳を閉じてしゃがみ込んだ。熱さを伴う激しい痛みを感じ咄嗟に手で押さえた。
子供達の甲高い笑い声と乱れた足音が遠ざかっていく。
じんじんと痛む額からそっと手を外して見ると、ぬるりとした感触が残り手には赤い血がべったりと付いていた。
月の障り以外で、こんな量の血を見たのも初めてだ。ドクドクと痛む傷口と共に心臓の鼓動も早くなる。
足元には血のついた子供の拳くらいの石が転がっていた。石を投げつけられ、それが額に命中したのだと理解すると自分にぶつけられた剥き出しの悪意に顔を歪ませた。
ロダング子爵家が領民に与えた苦しみを思えば我慢するしかないと、嫌われ冷たい視線を向けられても仕方のないことだと受け入れてきた。
でも、今までこんな暴力的な行為を受けたことはなかった。
自分はこんなにも妬まれ疎まれていたのだろうか。
悲しさと悔しさが入りまじり説明のつかない感情に心が激しく揺さぶられた。
ぼろぼろと頬を伝う涙と嗚咽を止めることが出来ず泣きながら山小屋へ戻った。扉を閉めた途端に力が抜け、その場に座り込む。
「ファビ、いる~?」
外からカイトの明るい声が聞こえる。
次の瞬間、古い扉が軋む音がして外光が暗い室内に差し込む。
「ファビ、いたなら返事くらいしてよ」
ファビオラの顔を覗き込んだカイトは言葉を詰まらせた。
「…どうしたの? それ」
「こ、転んだ」
「下手な嘘つくな」
カイトは彼女の手をどけ額の傷を確認すると眉根を寄せた。
「直ぐ手当てをするから」
カイトはファビオラを椅子に座らせるとテキパキと動き、あっという間に額の傷は消毒され、清潔な布が当てられていた。
「何があったか聞いてもいい?」
全ての処置が終わるとカイトは向かいの小さな丸椅子に腰掛けた。彼の潤んだ黒い瞳から真っ直ぐ向けられる視線に思わず俯いた。
「転んだ傷ではないってことくらいは俺にでもわかるよ。正直に言って」
「う…」
まるで尋問を受けているようで言葉に詰まる。
今まで、カイトはファビオラの素性や生活について何も聞いてこなかった。知っているのは両親が亡くなり一人、山小屋で貧しい暮らしをしているということだけだろう。
観念したファビオラは今日起きたことだけを話した。
「どうして、ファビが石を投げつけられなくてはならないのか。その理由が俺にはわからないけど。何か町の人達とトラブルでもあった?」
誰だって石を投げつけられたと聞けば理由を知りたがるだろう。
自分が人々に疎まれる存在であるという事実を彼には知られたくなかった。
でも、この町に商売の拠点を置こうとしている彼の耳には入る可能性は充分ある。他人を介して伝わるより、自分の口から伝える方がずっとマシかもしれない。
ファビオラは覚悟を決めてゆっくりと話し始めた。その声は震えていた。
自分が名ばかりの子爵の称号を持っていること、父が領地を無くすことになった経緯、それにより領民が苦しい生活をしている現状、そして自分が無力であることを正直に話した。
「辛いことを話させて、ごめん。正直に話してくれてありがとう…」
黙って聞いていたカイトは、ファビオラが話し終えた後、彼女に向って頭を下げた。
「この国に来てから、人々が苦しい生活を送っているのは直ぐに分かったよ。一部の貴族が富を貪る、この国の中枢はとっくに腐っている」
カイトは拳を握り締めた。
「貴族に対する領民の悪意を全てファビが負うことはない。この腐敗しきった国を作り上げた貴族に対する不満や鬱憤を都合よくファビにぶつけている…弱くて逆らってこないファビを不満の捌け口にしているだけだ…くそっ! 腹立つ」
ギリリと歯を噛み締める。
ファビオラは自分の為にこんなに激怒するカイトを見て、胸の奥がじわりと温かくなるのがわかった。
激怒しているカイトには申し訳ないが、素直に嬉しかった。
「恥ずかしいことも正直に言ったら気持ちが楽になった気がする。ありがとう、カイト」
「ファビが町の人達に嫌われているとか疎まれているとか…俺の前ではそんなことを恥ずかしいなんて思わなくていい。そいつ等がファビを嫌いでも、俺はファビのことが好きだし」
好き、という言葉に目を丸くしてカイトを見つめた。
「それに、極論かもしれないけれど。俺は万人に好かれる人間なんていないと思っているから」
カイトの今まで見たことのない大人びた表情にドキリとする。
「君を嫌いな人がいて、それと同じくらい君を大切に思っている人だっている。それでちょうどバランスが取れていると思うんだ」
「私を大切に思ってくれていた両親は亡くなったわ。もう誰もいない」
「俺は? ファビを心配して大切に思っている奴が、今ファビの目の前に一人いるけど?」
ファビオラは唇を噛むと、言葉を絞り出した。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ。私、しっかり者のカイトに甘えちゃう…強くなりたいのに」
「ファビ、甘えていいよ。子爵家の令嬢が、こんな山の中で暮らすのは大変だっただろう。俺も、たいしたことは出来ないけれど、山で暮らすのに必要な知識はファビよりは持ちあわせていると思う。その術を俺から学べば生活に役立つだろう」
カイトはファビオラの震える手を握った。
「ファビは自分を無力だって言っているけれど。今、ファビは強くなる途中だ。俺を利用して貪欲に強く生きていく術を身につけよう。知らないことを学ぶことは恥ずかしいことじゃないだろう?」
ファビオラが震える手で彼の手を握り返し小さく頷くと、カイトは彼女の頭を抱き寄せ耳元で呟いた。
「ファビ、強くなろうぜ。俺、手伝うから」
彼の胸に顔を埋めたままファビオラは涙を必死で耐えた。
◆
カイトは山生活における有能な先生となった。
先日は魚の釣り方を教えてくれた。
山の反対側に小川があり、ここで暮らし始めた当初、何度か挑戦したものの全く成果を得られず諦めていたのだが…どうしてだろう? ファビオラは目を見張った。何かしらコツがあるのだろうか、面白いように次から次に魚が釣れたのだ。
二人は獲った魚を串に刺し軽く塩を振ると焚火で焼いた。ただそれだけの料理なのに、それはもう絶品だった。美味しい美味しいと連呼し満面の笑みで頬張るファビオラをカイトは心底幸せそうに見つめていた。
残った魚を日干しにするために作業に取り掛かると、二人の上に大きな鳥の影が落ちる。
瞬時にカイトは作業の手を止めるとファビオラに次の作業の説明をし、テキパキと釣り道具を仕舞った。そして仕事に戻ると言い残し慌ただしく帰って行った。
いつものことながら、カイトは忙しい。
超多忙な彼が自分を気にかけて山小屋へやって来てくれるのを、申し訳ないとは思いつつも嬉しさの方が勝ってしまう。
山小屋へやって来る時のカイトの嬉しそうな顔も、ファビオラの失敗に破顔して笑い転げる姿を見る度に、彼が嫌々来ている訳ではないとファビオラは思いたかった。
そして、今日も多忙な彼はやって来る。
「ファビ、いる~? 今日は狩りの仕方を教えてやるよ。そしたらさ、金がかからず肉が食えるし。この山には良い狩場が結構ありそうなんだ~」
意気揚々と山小屋に入って来たカイトにファビオラは恨めしそうな視線を向ける。
「今日は、タンドル先生の所に薬草を届けに行くのと食料の買い出しもあって…日の高いうちに出掛けないといけないの」
正直、石を投げられた日から山を降りるのが怖くなっていた。怪我した日のことを思い出すと今でも足が竦む。
ファビオラの表情が曇ると、察したカイトは自分も一緒に行くと言い出した。
「俺も買いたい物があるし、一緒に行く。俺がいれば荷物持ちにもなるしさ。それに、男が一緒の方がこの前みたいなことの抑止力にもなるし」
カイトは十五歳とは思えないしっかり者で、世間知らずの自分が年上だというのが本当に恥ずかしくなる。
「仕事はいいの? いつも忙しそうなのに」
「ああ、今日は兄貴が商談で王都に行っていて俺は留守番だから大丈夫」
こんな山の奥まで来ていて留守番の意味を成しているのか疑問だが、ファビオラはカイトの言葉に甘えることにした。
1
お気に入りに追加
229
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます
刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる