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リンゴ酒の変わらぬ味

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 二人が去って行った方向を呆然と見つめる。

 ご婦人の知り合いよね……『このホテルも一族のもの』って…ご婦人の言葉から察すると……彼はホテルのオーナー一族。

 どうしよう、とんでもない人に助けられた。というか…オーナー一族にまで今回のことが伝わっているなんて…絶対的に拙い状況だ。
 デュボアでの仕事が無くなるなんてことになったら……。 

 頭を抱える。

「ああ、もうダメだ…ごめんなさい師匠……」

 

 支配人に作業を終えたことを報告し、恐る恐る…助けてくれた紳士が誰なのか聞いた。やはりオーナーのご子息だと分かり落胆が隠せなかった。
 お礼を伝えていただけるようにお願いし、師匠に報告するために重い足取りで事務所へ戻った。

 師匠は、オーナー一族にまで話が伝わってしまっていたことに驚いていたが、神妙な顔でデュボアからの審判を待つしかないと腹をくくったようだった。
 今後同じミスを繰り返さないために対策を伝えると師匠は深く頷く。

「さぁ、こんな日はさっさと帰って寝るに限るわ」

 師匠は半ば無理矢理に私の腕を引くと二人で事務所を出た。

 駅までの道を並んで歩く。
 師匠は過去の自分の失敗談を面白可笑しく話してくれた。駅に着くと私の肩をポンポンと叩き明日の仕事に備えて早目に寝るようにと笑って見送ってくれた。

 師匠は尊敬する師であるのと同時に歳の離れた姉のような存在でもあった。フラワーコーディネーターとしてだけでなく人生の先輩としても私の目標となっている。私が、ああなるには…あと何十年かかるのだろう。

 吊り革に掴まりながら項垂れる。

 師匠は早く寝ろと言ってくれたが、今日は到底寝れそうにない。安直な考えだけれど酒の力を借りよう、これが一番手っ取り早い。

 帰り道、近所に出来たばかりのお洒落なリカーショップに足を踏み入れた。店内には国内のマイナーなメーカーのワインから外国のビールや日本酒まで置いてある。品揃えが豊富で展示も生産者の写真やコメントを飾り、お洒落なグラスや雑貨まで取り揃えた素敵なお店だった。
 近所にこんな素敵なお店が出来たのは嬉しい。これから頻繁に寄り道しそうだ。

 棚の一角に懐かしいお酒の瓶を見つけた。
 五年前のあの夜に飲んだリンゴ酒。
 思わず手に取っていた。


 瓶のラベルを指でなぞりながら…また同じ疑問を思い浮かべる…あの後、フェリクスはどうしたのだろう?五年間、何度も思い出しては繰り返し浮かぶ疑問が、また宙に浮いて消えていく。
 溜息をつき、リンゴ酒の瓶を三本まとめて籠に入れた。


 シャワーを済ませると冷やしておいたリンゴ酒を手に自室に上がる。
 酔いに任せて、そのまま寝てしまおう。
 これも五年前と一緒だ…進歩がない自分に苦笑いする。

 淡いはちみつ色のリンゴ酒を口に含む。

「美味しい」

 リンゴの爽やかな香りが鼻を抜ける。ほのかな甘みが口内に広がり、ひんやりとした液体が喉を潤す。
 あの時と変わらない美味しさ。
 そして変わらず恋愛も仕事も進歩のない自分。

 仕事では基本的なことが出来ていなくてミスをした。今の私はまだデュボアの仕事をするのに値しない。

 恋愛は未だに五年前のあの日に捕らわれたままだ。自分から逃げたくせに忘れられないって何?繰り返し思い出すって何?未練がましいたらありゃしない。

「やめやめ!過去のことはもう考えない!」

 ぶんぶんと頭を振り、リンゴ酒をぐいっと呷ると今度は今日起こった最悪な出来事を思い出してしまう。


 あの二人…ご婦人とオーナーご子息は元恋人とかかな。年が離れすぎているような気もするけど…色気のあるご婦人だったし…あり得るよね。恋人でなくても大人の関係というのだって考えられるし。

 イケメンでオーナー一族…金髪碧眼の御曹司か。そりゃあモテるだろうな。

 金髪碧眼……フェリクスの顔が浮かぶ。私の知っている彼は五年前の童顔美青年のまま更新されていない。
 気にしていた身長も少しは伸びて大人っぽくなっただろうか。

 調べようと思えば、このネット社会だ…きっと今のフェリクスに辿り着けるだろう。でも、自分から逃げておいて…なんだかそれは違う…してはいけない禁じ手の様な気がした。
 逃げた者にも一抹の矜持というものがある。

 だから、全力で忘れる。
 そう決めて仕事にも打ち込んだし、恋人も作ったりしたが…恋人に限っては長続きしなかったけれど…。

「ああ、結局またフェリクスが出てくるのよ。私の思考どうなってんの?」

 今日はいつもの数倍の速さで酒が進む。ベッドの上で行儀悪く飲んだくれていて良かった。フワフワして意識が朦朧としてくると、そのままパタンと横になり眠りについた。










 最近、映画のワンシーンみたいな短い夢をよく見るようになった。

 そう…今見ている、これも夢だ…夢の中でこれは夢だと理解しているのだから不思議だ。

 


 見覚えのある光景が広がる。
 
 そう…ここは現在、公園になっている。ご先祖様が住んでいた城の庭。


 



 東屋に中世の服を纏った紳士と年配の使用人らしき人が深刻な顔で何か話し合っている。
 絵の中の彼女は腕にすやすやと眠る赤ん坊が抱きドレスの裾を揺らしながらゆっくりと東屋に向って歩いている。
 大きな垣根の反対側にいて男性からは彼女の姿は見えないようだ。紳士の発した言葉はところどころしか聞き取れない。

『……あの時…戦い…前線…へ…』
 
 そこで彼女は立ち止まったまま動かなくなってしまう。
 赤ん坊を抱いたまま蒼白になりカタカタと震えていた。







 スマホのアラームが鳴り、寝たまま手探りで掴み取った。薄目を開けてスマホの時間を確認し、長い溜息をつく。

「…うわぁ、見事な…二日酔いだ…」

 呟く声は酷くかすれている。

 二日酔いに加えて……ただならぬ雰囲気の夢を見たせいで気分も重い……。

 また瞼が落ちてきそうになると二度目のアラームが鳴った。
 アラームを止め、どうにか気力を奮い立たせベッドから這い出した。






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