わたしの愛する黒い狼

三谷玲

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喜劇

黒い狼

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 ファネットゥ王女の朝は遅い。侍女に伝えても彼女が起きるのは昼少し前。
 諦めたわたしはむしろその時間を自分の安息時間とすることにした。

 その朝の短い時間、わたしはパンプティングとは別の、もうひとつの息抜きである森の探索に向かった。

 ファンデラント公国のほぼ中央にある公都を囲むほどに広がった森は、コースティ家の先祖が張り巡らせた結界になっている。
 魔術式を埋め込んだ魔石が点在しそれを守るようにして森が形成されていった。

 広大な森は東西南北に抜ける街道によって区切られているが、いくつか抜け道がある。
 結界のおかげで魔獣が入り込むことはないが一度迷うと抜け出すのは難しい迷宮になっている。
 これは侵入者を防ぐためのものだ。
 わたしはコースティ家に伝わる秘密の入り口からはいると木々を払いながら奥へと進んだ。
 昔、子供の頃にこっそり作った秘密基地。
 最初は小さな枝や枯れ葉を集めて作ったそれは、過保護な兄に見つかって、立派な四阿にされていた。
 森に同化するように苔をまとわせた切妻屋根。時間とともに角が取れた柱に囲まれて、石で出来たベンチが一つ。

 そこに先客がいた。

 黒い毛で覆われた大きな獣である。
 ベンチの横に横たわっていた。

 わたしの足音にぴくりと耳を立てのそりと起き上がると、その獣はじっとこちらを見つめていた。
 狼が見つめる瞳は金色に輝き、まっすぐわたしを射抜いた。
 その瞳に見つめられると、わたしは立ちすくんでしまう。
 足が縫い留められたように立ち止まり、深呼吸をした。あまり目を合わせるのはよくない。心臓に悪い。

 わたしが動かない代わりに、黒い大きな狼がゆっくりとした足取りで近付いてきた。
 毛で覆われてもわかる引き締まった脚に、鋭い爪が地面をえぐる。
 伸びた鼻先は少し上を向き、わたしを見据えていた。 

「来てたの?」
『お前がいないと寂しい』

 彼はわたしの足元まで近寄るとその足に尾を絡ませてすんすんと鼻を鳴らした。

『匂う……』
「嘘……最悪。エアシャワー浴びてきたのに」

 わたしはおもわず丈の短いチュニックを持ち上げ匂いを嗅いだ。うっすらと甘い香りがただよった。
 今日はファネットゥ王女と接する時間が長かったからその香りが移ったのかも知れない。
 屋敷に設置しているエアシャワーはホコリや匂いをとってくれるものだが、それでも残るとは。

「うわぁ……ごめん」
『お前……気をつけろよ』

 そういうとぷいと離れた黒い狼がまた四阿へと戻るのを確認してわたしはアイリスの花を探した。
 幸い、それは目の前に咲いていた。ごめんね、と誰ともなく謝ってその花を一本手折る。
 両手で握り胸元で念じる。
 手のひらに白い光が集まった。
 すぐさまはそれは大きな塊となりわたしの手の中のアイリスを包んだ。
 シャボン玉のように大きく膨らんで弾け飛ぶ光の玉はきらきらと粉雪が舞い散るようにわたしを取り囲むと、アイリスの石鹸のような静かな香りがあたりに広がった。

『相変わらず見事なもんだな』
「森の中だから余計だよ」 

 この森は結界の中心。しかも精霊が多い。それゆえわたしが魔術を行使すればそれはいつも以上に力を発揮出来る。

 四阿の石のベンチに座ると、黒い狼もまたその上に乗った。
 彼はわたしの膝に顎を乗せると撫でろといわんばかりにわたしの手のひらに頭を押し付けてきた。

 つややかな毛並みは野生の狼ではありえないくらいに心地よい。わたしは子供の頃からこの狼を撫でるのが好きだった。

「はぁ癒やされる……」

 柔らかな温もりとふわふわの感触はわたしの心を落ち着かせる、安定剤だ。
 ひとしきり頭を撫でてからその首から背に掛けての毛並みをなでおろす。
 ふわふわと嬉しそうに揺れる尾に、ふせられた耳。

 森の木々から溢れる光が反射して黒い毛が銀色に光って見えた。
 
 わたしが癒やされている分、彼のことも癒せていたらそれでいい。
 久しぶりの再会に思う存分、彼のふわふわの身体を味わった。
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