上 下
26 / 33
第二章 学園編

26 先生の推しは怪盗ヴェール!?

しおりを挟む
 顔の特殊マスクをつけ替えれば、赤城先生好みな怪盗紳士になり変わることもできるけれど、あいにく服の替えがない。着替えを探す時間も惜しい。
 そのため、顔を変える選択肢はすぐに消えた。

 口元に手を近づけて考える仕草をすると、声帯にグッと力を入れた。
 
「そうですか……希望に添えなくて申しわけございません」
 
 女性の声から、男性の声に変化していった。声優顔負けのテクニックだ。
 赤城先生は、驚いたように目を見開いた。姿さえ見なければ男性の怪盗ヴェールだと信じてしまうほどに、完璧な変声だった。
 
「声だけ男性……!? これは驚きました……」
 
 彼女は両手を胸の前で合わせて、感嘆の声を漏らした。その目はキラキラ輝いている。
 私は赤城先生に近寄りながら、口を開いた。
 
「お嬢さんが男性をお望みのようだったから、なるべく希望は叶えてあげたくてね」
「……そ、そうなんですね」
 
 赤城先生は顔を赤らめて、私から目を逸らした。
 私は彼女の瞳を覗き込むようにして、顔を近づける。
 
「お嬢さんの希望は何かな?」
 
 赤城先生はそっと息を吐いた。
 
「私……実は、男性のヴェールさまを模写したかったんです。ほら、ヴェールさまのプロマイド、たくさん持っているんです。それだけじゃ満足できなくなってしまって。でも、難しいですよね……」
 
 彼女は照れたようにモジモジとし始めた。

 チラリと視線を移すと、キャンバスにノートサイズの小さな絵が立てかけてあった。ピンク色の花が目に入る。ターゲットの『ハマナスの咲く湖畔』で間違いない。
 
「もうすぐ追手が来るから、モデルとしてじっとしている時間はなさそうだ」
 
 キッパリと断ると、赤城先生は「そうですよね……」と残念そうに肩を落とした。
 
「だけど、お嬢さんには今回だけ特別にプレゼントをあげる」
「えっ?」
 
 私は赤城先生の手を優しく取ると、その手にそっとフィギュアをおいた。
 その瞬間、彼女は耳まで真っ赤にして、その場で固まった。

 彼女が怪盗ヴェール推しであることは知っていた。男性の姿で行ったら、付きまとわれそうだとも。だから、怪盗ヴェールの精巧なフィギュアを用意しておいたのだ。男性版の蛍光紫のコスチュームを着た怪盗ヴェールを。絵をいただけるのなら、これくらいの出費は高くはない。

 警察官たちの足音が近づいているようで、微かな地響きがする。
 ゆっくりとおしゃべりする時間はないようだ。

「貴方とはもう少し話をしていたかったが、私はもう行かなくてはならない。……ところで、この絵はいただいてもよろしいでしょうか?」
 
 私は紳士として丁寧に許可を取る。同意されなくても、盗む気は満々だが。
 
「はい。推し……ヴェールさまからプレゼントをいただけるなんて、光栄です」
 
 彼女は顔を赤らめて、フィギュアを胸元で握り締めた。
 
「ありがとう」

 小さな絵だから、小脇に抱えて走るのも可能そうだ。
 よっ、と絵を持ち上げると、揮発性油のにおいが鼻を突いた。
 
「あの……ヴェールさまは峡雨の絵を集めているんでしょう? 何かお手伝いしましょうか?」
「ええと……私の手伝い?」
「はい、ヴェールさまが絵を手に入れられるように協力したいんです」
 
 赤城先生は恍惚とした表情だった。
 絵から黒いもやが出て、彼女を取り囲んでいる。この靄は一般人には見えないもの。
 早く彼女を絵から引き離さないといけない。そうしなければ、人生がうまく行っていると錯覚する代わりに、寿命が吸い取られてしまう。
 
「心配ご無用さ。これは私の仕事だから」
「そうですか……」
 
 丁重に断ると、彼女は落ち込んだ表情をした。
 ……心苦しいけど、悪者になるのは私たちだけで十分。
 
「怪盗ヴェール! そこにいるな!」
 
 私は扉が開かれるのと同時に、その扉の隙間に入って身を隠した。鍵がかかっていたはずなのに、強い力に耐えきれずに外れてしまったようだ。
 赤城先生が驚いた演技でもしたのか、ドサッと床に倒れる音がした。警察官は彼女の方へ駆け寄る。
 
「大丈夫か!」
「は、はい……」
「怪盗ヴェールに何か盗まれていないか!」
 
 警察官の問いかけに、赤城先生はすぐに返事をした。
 
「──いいえ、何も盗まれていません」
「そうか……もし、後で盗まれたものが気づいたら、警察まで連絡ください」
 
 警察官は慌ただしく部屋から出ていく。校舎の中をしらみ潰しに探しているのだろう。
 ドアの後ろに隠れた私はそろりと抜け出す。
 
「私はもう行くよ。私のために、嘘ついてくれてありがとう」
「……嘘はついてないわ。要らないものを人にあげるのは、盗まれたとは言わないからね」
「そうですか……。ありがたくいただきます」
 
 同意をもらって絵を回収できるのは幸運だ。
 
「貴方にも幸運が訪れますように……」
 
 心を込めて笑顔で言うと、赤城先生ははにかんだ笑みを浮かべた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

甘灯の思いつき短編集

甘灯
キャラ文芸
 作者の思いつきで書き上げている短編集です。 (現在16作品を掲載しております)                              ※本編は現実世界が舞台になっていることがありますが、あくまで架空のお話です。フィクションとして楽しんでくださると幸いです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

貸本屋七本三八の譚めぐり ~実井寧々子の墓標~

茶柱まちこ
キャラ文芸
時は大昌十年、東端の大国・大陽本帝国(おおひのもとていこく)屈指の商人の町・『棚葉町』。 人の想い、思想、経験、空想を核とした書物・『譚本』だけを扱い続ける異端の貸本屋・七本屋を中心に巻き起こる譚たちの記録――第二弾。 七本屋で働く19歳の青年・菜摘芽唯助(なつめいすけ)は作家でもある店主・七本三八(ななもとみや)の弟子として、日々成長していた。 国をも巻き込んだ大騒動も落ち着き、平穏に過ごしていたある日、 七本屋の看板娘である音音(おとね)の前に菅谷という謎の男が現れたことから、六年もの間封じられていた彼女の譚は動き出す――!

処理中です...