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17 福留くんと甘いものを食べる、の巻②
しおりを挟む休日の昼下がり。待ち合わせの地下鉄の地上出口に着くと、私を見つけた福留くんが本に視線を落としている顔を上げた。
「真島さん!」
「待った?」
「僕が早く着きすぎちゃったんです。行きましょうか」
福留くんは本をパタンと閉じる。本には丁寧な字で書き込みがされていて、所々にマーカーで線が引かれていた。勉強熱心だなぁ。
たわいのない話をしながら、福留くんの横を歩く。
スーツ姿だと仕事仲間って感じだけど、私服の福留くんは何だか眩しい。黒パーカーと白シャツにカットソーで、ジーンズとの色のバランスが合っていて清潔感のある服装だ。
「ここです、酒粕のカフェ」
木の陰から黒っぽい建物が出てきた。福留くんにつられて私も立ち止まる。お店を目指して行かないと、うっかり通り過ぎてしまいそうだ。
「こんなところにカフェがあったんだ! 木で覆われていて隠れ家って感じだね」
黒く塗られた壁面に、所々に錆びの入った瓦屋根。入り口付近には木製のイーゼルが立っていて、『酒粕専門カフェ』と書いてある。
福留くんが先に入って、店員さんに人数を伝えると壁側の二人席に案内された。古民家を改装した店で、天井には大きな梁がせり出している。
「真島さん、奥にどうぞ」
「それじゃあ……」
福留くんがソファー席を譲ってくれる。
女の子扱いされたことが久々で、反応に困ってしまう。
(深く考えても仕方がないか……福留くんは皆に優しいもの)
「ここの酒粕のケーキとバームクーヘンがおいしいんですよ」
「へえぇ。迷うね」
メニューを開いて見せてくれる。酒粕のケーキはチーズケーキのような見た目で、表面がこんがりと焼けている。バームクーヘンの内側はしっとり、外側の砂糖がまぶされている部分はサクッとした食感を予想する。
「決めた! 私はバームクーヘンにする」
「僕はケーキにしようかな」
「ご注文は決まりましたか?」
店員さんがタイミングよく通りかかって、目当ての甘いものを注文する。セットの飲み物を聞かれて、私と福留くんは揃ってコーヒーを頼んだ。
「福留くん、今年も税理士試験に挑戦するんだよね?」
「昨年は悔しい思いをしましたからね。今年こそは合格したいです」
福留くんはまだ税理士の資格は持っていない。税理士の卵のようなものだ。税理士になるためには五科目の税法の合格が必須になる。
「あと二科目だったっけ?」
「そうです。三科目は持っているので。……何かコツってありますか?」
「コツと言えば、勉強の時間を増やすことかな……って、料理を教えてもらっている身としては、こんなアドバイスを言うのは肩身が狭いけれど。私が取った税法なら教えられるから、わからないことがあったら聞いてね」
家に帰ったら勉強を頭に叩き込みたいところなのに、時間を割いてもらっていて申し訳ない気持ちになる。
「いい気分転換になっているので、気にしなくて大丈夫ですよ。勉強については頼ってしまうこともあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
低姿勢な福留くんに俄然(がぜん)に応援したくなってきた。
「可愛い後輩だもの。張り切って教えるよー!」
福留くんが目を見開いたのは一瞬のことで、「ありがとうございます」と顔をクシャと崩しながら微笑んだ。
注文したものがコーヒーと共にやってきた。バームクーヘンのお皿が目の前に置かれると、甘い匂いが漂ってきた。
「写真以上に美味しそうなんだけど。ケーキもいいね」
「食べてみます?」
福留くんは気を遣ってくれたようで、食べる前のケーキを指で差した。
「物欲しそうに言っちゃったかな。大丈夫だよ!」
頭を振りながら、慌てて否定する。
(人のものを欲しがるなんて、食いしん坊みたいで恥ずかしい!)
「そうですか……」
強く言い過ぎたようで、福留くんが残念そうな顔をする。
(あぁ、そんな顔をさせたかった訳じゃないの!)
「次に来たときに楽しみができるかなぁって」
「あ、そうなんですね。早速いただきましょうか」
フォローを入れたつもりが、軽く流される。
福留くんの考えていることがよくわからない。構ってあげようとしたら、ピョンと逃げてしまう気まぐれな猫のようだ。
よくわからないときは腹を満たすに限る。
「「いただきます」」
手を合わせて軽く会釈。フォークを手に取ると最初の一口という楽しみな時間を味わいたくて、もったいぶるように小さくすくう。
口の中に入れると甘さが舌から伝わってきて、体が糖分を欲しがっていたんだなぁと実感する。
「おいしいですね」
福留くんはフォークを置くと、コーヒーに手を持ち替えた。
「ほんとだ、おいしいーっ。甘さもちょうどいい……甘いものって元気が出るね」
「ちょっとだけアルコールが入っているのがいいんですよ。甘いものとアルコールでさらに元気が出るから」
そうか。福留くんは私を元気付けてくれるつもりなんだ。何も言われていないけれど、たぶんそういうことだ。
もっとおいしさを感じたくて、せっせと口へ運んでいく。バームクーヘンは甘すぎると思っていたけれど、飽きずに食べられる。
「もう最後の一口しか残ってない……甘いものってどうして一気に食べられちゃうんだろうね?」
「わからないなぁ。……脳味噌がほしいと思っているからかもしれないね」
甘いもの中枢があるとしたらとても満足だ。
最後の一口を食べてからコーヒーを飲むと、口に残った甘さと苦いものでバランスがいい。
「おいしかったぁ」
「そうですね。真島さんの言うように、次は違うものを食べられるって楽しみにできるから良いですよね」
「でしょでしょ!」
「男一人で入るにはちょっと勇気がいるので助かりました。……また一緒に来てくれますか?」
「もちろんだよ。行く行く!」
福留くんは意表を突かれたように一瞬黙ると、腰を浮かせた。
「では、行きましょうか」
福留くんの動きは俊敏(しゅんびん)で、私があっと気付くと、レシートを取るとレジへ早足で歩いていく。
会計をしている福留くんに追い付いて「自分の分くらい払うよ」と声をかけるが、軽く首を振った。
「僕が誘ったんですから奢らせてください」
後輩に奢ってもらうのは恥ずかしいようなくすぐったい気持ちになる。
「ありがとうございます……ごちそうさまでした」
「いえいえ」
やっぱり福留くんの笑顔は眩しかった。
会計は既に終わっていて、レジの女性店員は微笑ましいものを見るように私と福留くんのやり取りを見守っていた。
おそろいの紙袋のショップバックを持っている女性二人が立ち止まる。
「あそこにいるの。福留さんと……真島さん?」
「ほんとだぁ。うわ、ショック」
青木会計事務所のマドンナこと杉原琴音と、悲鳴をあげたのは彼女とよく一緒にいる阿部結月(あべゆづき)だった。
「……付き合っているという感じではなさそうね」
「付き合っているとしたら、みんなの会計王子がぁ……!」
福留くんは陰で『会計王子』と呼ばれていることを知らない。質問に丁寧に答えている姿を見た女性従業員の一人が言い出したとか。
「行こう」
杉原琴音は興味を失ったように先を促(うなが)す。阿部結月はその反応を見ると、不満げな顔をする。
「ちょっと見過ごせないんじゃない?」
「仕事の話をしているのかもしれないし、ここで私たちが出ていってもね」
ツンとした表情で、大通りを挟んだ反対側を歩き出す。もう一人は後ろ髪を引かれるように、その後をついていく。
ショックな表情を顔には出していなかったものの、会計事務所のマドンナの瞳には揺らめく炎の光が宿っていた。
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