夕闇に紅をひく

青森ほたる

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花火

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蒸し暑い季節には着物を着るのがますます億劫になる。

客室には冷房を効かせているが、外からやってくるお客は汗まみれだったり、すごく暑い日に限ってわざわざ着衣でセックスをしたがるような客が来たりする。

「花火なんて、興味ないんだけど」
「ですがせっかく龍也さんが息抜きにと仰っているので」

 毎年この時期に近くで花火大会が開かれていることは知っていたが、龍也が今年は店を一日休みにして皆で見にいこうと言いだした。

わざわざ川に出る貸切の船を三船も用意して、そこから花火を見るという。

いつも音だけしか聞いておらず写真でしか見たことのない花火を実際に見られるので、内心ワクワクしていたが、その程度ではしゃぐなんて子どもっぽい気がする。

「それにこうして皆でお出かけなんて中々ないのでたまには楽しくていいじゃないですか」

 そう言う隆文はいつもと変わらず特に興味もなさそうな涼しい顔をしていたが、たしかに出発前の庭に集まった男達は、年甲斐もなく活気付いている。

「あの……お姫さん。よければ、一緒の船に乗りましょう」

 と、今まで話したこともない下働きらしき男が意を決したようにそう声をかけてきたのをきっかけに、わらわらと男達が集まってきて皆口々に「俺も」「私も」と声を上げ始める。

少し前までは、こんな状況に優越感を感じていたが、最近ではちやほやされるのも飽きてきた。

他にも沢山男娼がいるんだから、なにも僕だけに声をかけなくてもいいのに。

「隆文……っ」

 と、助けを求めるように振り返ったが、先ほどまで近くにいたはずの隆文は、庭の端っこで着飾った男娼達に囲まれていた。

「ごめん。通して…」

 自分に群がっていた男達を散らして、隆文の元へ駆け寄っていく。男娼達の輪の中心で、雪が隆文に寄り添うように立っていた。

「ちょっと、隆文ッ」

 と、僕が声をかけると、隆文はなぜかほっとしたように表情を緩める。

「なにしてんの。僕の世話役なんだから、側から離れないでよ」
「すみません。それが…」
「隆文さんは謝ることないんじゃない」

 僕はただ隆文を取り返しにきただけなのに、雪が隣りから口をはさんでくる。強気な目で僕を睨みつけ、わずかに肩をそらす。

「お姫さまには沢山取り巻きがいるんだから、隆文さんにこだわる必要はないでしょ。自分の世話役だからって……お休みの日くらい、解放してあげたら?」

「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないのっ」

 喋りながら隆文の肩に図々しく手をまわした雪を退かすために、本当に軽く胸を押しただけだった。それなのに雪は、わざとらしい悲鳴をあげて砂の上に倒れこんだ。

「なに大げさに…」
「酷いっ。ワガママで自分勝手で自己中で、その上暴力までふるうの? 最低のワガママ姫じゃない」

 雪が大声で捲し立てて、わっと泣き出すようなふりをする。

鈍感な客だって、騙されない下手な芝居。

そんな態度にカチンときて雪に掴みかかろうとした僕を、隆文が「憐さん」と引き止め、同時に誰かから後ろ襟を強く引っ張られて、僕は真後ろに倒れこんだ。

「だから、仲良くしろって言ってんだろ。いつもいつも」

 砂の上にお尻をついた僕と雪を見下ろして、龍也が貼りつけたような笑顔をみせる。

「店長っ。私はなにもしてないのに…」
「龍也、僕はただ…」
「二人とも、黙ろうか」

 龍也が目をまわして、ぴしゃりと言い放つ。

「揉め事の原因なんてのは興味はない。責任の押し付け合いも言い訳もいらない。聞きたいのは、謝罪の言葉だけだ。さっさと謝れ」
 
龍也が僕らの顔を交互に見据える。僕は意地でも目をそらさずに、龍也を見返す。

「店長、ごめんなさい。私は…」
「俺にじゃなくて、憐ちゃんにだろ」

 パシン、と頭をはたかれた雪が、嘘泣きじゃない本当の涙をじわっと溢れさせる。

この程度で泣くなんて、意気地なしにもほどがある。

雪はぎゅっと唇を噛んだ後「ごめんなさい」と、僕の方をみてつぶやく。雪はよほど龍也が怖いのか、想像していた渋々という態度ではなく、本当に萎縮しきっている。だからといって、僕から謝り返すつもりは更々ないけど。

「ほら、お前も早く雪ちゃんに謝れ」

 と、先ほどの雪と同じように頭をはたいて、急かされる。

こんなの馬鹿みたい。僕は悪いことなんてなにもしてないし。僕は歯を噛み締めて、微動だにせず固まる。

「憐ちゃん、あのな…」
「龍也さん。あの、私が憐さんの代わりに謝ります。それで、許して頂けないでしょうか」

 片眉をあげて腕をくんだ龍也に、隆文が割って入る。

「ちょっと、隆文」

 僕が謝るのは馬鹿みたいだが、隆文が謝るのはもっと馬鹿げてる。

「いいよ、謝らなくて。絶対、なにがあっても謝る気なんてないからッ」

 勢いよく、涙目の雪の肩をさらに押し倒して立ち上がった僕の手首を龍也がすかさず掴んで、捕らわれる。

「はいはい。そこまで。隆文くんは黙っていような。憐ちゃん、お前は今夜のお出かけはなし。俺らが帰るまで倉庫で一人留守番の罰だ」

 ぎゅ、っと手首を強く締め付けられる。龍也は、僕が暗い場所に閉じ込められるのが、苦手だと分かっていて言ったに決まってる。

昔、同じように他の男娼と喧嘩して、庭の隅にある倉庫に入れられたとき、大泣きして失禁までしてしまったことを、龍也が忘れるはずがない。

「別に、花火なんて見に行きたくもなかったし。一晩でも二晩でも閉じ込めればいいじゃん」

 もう子どもじゃない。ここで雪に謝るくらいなら、閉じ込められたほうがましだ、と本当に思った。

「龍也さん。憐さんが罰を受けるなら、私も…」

「黙ってろ、つっただろ。隆文くんは俺らと一緒に行って、他の子の面倒を見んの。これ以上、俺を怒らせるなよ」

 早足の龍也に引きずられるように、倉庫に連れていかれる。剥げた漆喰の壁と腐りかけた木の扉。埃と蜘蛛の巣だらけの倉庫の中に放り込まれ、外から南京錠をかける音がした。

 倉庫の中の電球は昔から変わらずきれたままで、明かりは両開き扉の隙間と壁の高い位置にある窓から入ってくる外からのものだけで薄暗い。

さらに日が沈むと、ひんやりと気温も下がりじわじわと恐怖が広がっていく。

倉庫の奥の暗がりから目をそらし、外から聞こえてくる風に木の葉が揺れる音にビクつく。

さっきまであれだけ強気でいたのに、もう後悔でいっぱいになる。自分でも、こんな可愛くない自分が嫌いだ。隆文だってせっかく庇ってくれようとしたのに、あそこで意地を張らないで謝ってしまえばよかったのに。さらに怒らせるようなことをするなんて、隆文だって呆れたかもしれない。

 かさかさ、と皆が居なくなって随分経つ庭から、人の走ってくるような足音が聞こえて、僕は近くにあったダンボールの箱をひっくり返して飛び退る。

「憐さん。驚かせてしまってすみません」
「隆文…っ?」

 くぐもった隆文の声が聞こえて、木の扉に張り付く。

「少し、待っていてください」

 はじめは、がちゃがちゃと南京錠を扱う音がしていたが、そのうち倉庫の裏に回る足音がして木の葉が大きく揺れるような音がする。

そしていきなりガタン、と扉の反対側の壁にある高い位置のガラス窓が外から開いて、

「憐さん」

 と、息を切らした隆文が顔を覗かせる。

「隆文……っ」
「憐さんを迎えに来ました。一緒に花火、見に行きましょう」

 真面目な顔でそう言って窓から手をのばす隆文を見て、先ほどまでの恐怖から解放された安心感に突然のこの状況への驚きが混ざって混乱したのか、心臓が変な風に脈打った。

「迎えにって……なに、してるの。龍也は…?」
「内緒です。龍也さんは私が別の船に乗ったと思っているので、気付かれていません。扉の錠を開けられたら良かったのですが、ここからですみません。手、届きますか」

 僕が窓の下に走り寄って背伸びすると、伸ばされた隆文の手に何とか手が届いてぎゅっと握られてそのまま勢いよく引き上げられた。

「たか、ふみ…っ。ちょ、っと待って」

 自分は引き上げられただけなのに心臓が早鐘をうち、息がきれていて窓の桟の上で深呼吸をする。隆文は先に、窓に向かって伸びた大きな樹の枝に飛びうつっていて、また僕に向かって手をのばす。

「二人で乗ったらその枝、折れたりしない?」

 暗くて下はあまり見えないが、窓の高さからいって地面までそれなりに距離があるはずだ。

「憐さんは軽いので、平気です。もし折れても、私が受け止めて下敷きになるので大丈夫です」
「どこからそんな自信があるの?」

 と返しながらも、窓から隆文に向かって飛ぶ。枝が揺れて、隆文の腕にしがみつく。

「憐さん…っ。木登りは、初めてですか?」

「そんなの、したことないよ。秋彦が危ない遊びはダメだって。そういう隆文は」

「子どものころは、よく遊びましたよ」

 弟と?なんて質問は胸の中にしまう。隆文に支えられながら樹の幹をつたい降りたときには、髪は乱れ、枝が擦れた手のひらや腕や足がひりひりと痛んだが、初めて木登りをしたにしては上手にできたと満ち足りた気分だった。

 隆文と一緒に、いつもはお客が使う門を抜けて外に出る。「そろそろ始まってしまいますね」と早足で歩く隆文に半歩遅れながら付いていく。

外に出たのは久しぶりだが、住宅街の風景なんてどこも変わらない。どれも似たような庭を取り囲む高い塀と門扉が並んでいる。

時々、門からオレンジ色の明かりのついた家が見えて、どの家にも人が住んでいるんだな、とそんなことを思う。

「ねえ、隆文はなんでわざわざ戻ってきたの……?僕は花火なんて別に…」

「私が憐さんと一緒に見たかったからです」

 隆文が振り返ってさっぱりとした声で言う。隆文はこんな意地っ張りな僕に、なんでそんなことを言ってくれるのだろう。

龍也の前でムキになっていた自分が、恥ずかしくなる。意地を張った僕は花火を見にくる権利も優しくされる権利もないのに。

「私が…憐さんのところへ戻りたいと言ったら、雪さんたちが協力してくれました。もし龍也さんに疑われるようなことがあれば、口裏をあわせてくれると」
「そう…」
「花火から帰ってきたら、雪さんに謝れそうですか?」

 いくらひねくれている僕でも、隆文にそこまで言われたら素直に頷ける。隆文が「よかったです。私も安心しました」と、肩を撫でおろした。

 一本道を抜けると二車線の大きな通りに出て、一気に人が増える。眩しいくらいの街頭や、建物の明かり、行き交う人の喧騒に混じって久しぶりに電車が線路をはしる音を聞く。

「あそこが駅ですね。花火大会は駅の向こう側の川辺で開催されます。ここからは人がどんどん増えていくので手を」

 と言って隆文が僕の手を握った瞬間、ドォンッと胸に響くほどの大きな音が聞こえて同時に駅舎の屋根に隠れてわずかに真っ赤な火花が黒い空に広がっているのが見えた。

「今のが、花火?」
 つい、声が弾んでしまう。

「始まりましたね。川まで出れば、きっと綺麗に見えますよ。もう少し歩きましょう」

 隆文に手を引かれて線路の下のトンネルを抜けるとさらに大勢の人が増えて、早足では進めなくなる。

自分より小さい子どもや、浴衣を着た女の人、ビール瓶を持った男の人の集団、皆一方向に向かって歩いていく。

僕は低い花火の音が響くたびに、上を見上げて歩いていたが、端々は見えても中々全部は見えない。

「なにか屋台で買いますか」

 隆文にそう声をかけられて、人の間から周りを見回すと道の両側に赤色の明かりを放つ小さな店が並んでいた。それぞれお店ごとに食べ物の名前が書かれた短い暖簾がかかっていて、店主が大きな声で客寄せをしている。

「憐さんなら屋台を見かけたらなにか欲しいと言う気がしていたので」

 そう言って隆文が懐から財布を取り出す。まるで僕の考えならなんでもお見通しだと言わんばかりの態度に「夜はあんまりお腹空かないんだけど…」と、呟きながらも華やかで良い匂いのする屋台に、次から次へと目移りする。

「あれ、なに?」
「りんご飴ですね。あれにしますか」

 僕が真っ赤な色が目を引くものを指差すと、隆文が手を引いて人をかき分けて屋台に近づいていく。いつも見慣れているものより小さめのりんごが透明な飴に覆われていて、割り箸にさされて並んでいる。

「一つ、ください」

 と、隆文が僕の手を離したとき、花火の打ちあがる音や騒がしい人の声に混じって、チリィンと聞きなれた鈴の音がした気がして振り返る。

「憐さん、私から離れたら迷子になりますよ」

 僕はただその場で振り返っただけなのに隆文が慌てたようにそう言うので、「平気だって」と頬を膨らませる。隆文はそんな僕には一々構わず、買ったりんご飴を僕の手に握らせた。

「落とさないように持って、付いてきてくださいね。川にかかる橋が一番人気の場所らしいですが川辺でも綺麗に見えるそうなので、どこか座れる場所を探しに行きましょう」

 隆文はまたしっかりと手をつないで歩き出す。僕は人ごみに押されつつも手元のりんご飴を守りながら歩いていたが、周りの「わあぁっ」という声に顔をあげた。

前方に暗闇の空が大きく開けていて、そこにぱあぁっと眩しいくらいの黄金色の花火がいくつも続けて打ちあがっていた。思わず足を止めて、先を歩いていた隆文を引きとめる。

「すごい……」

 空に打ちあがる花火は見とれるほど綺麗で、パチパチと音をたてて一瞬で消えていく。色も形も様々で見ていて飽きない。しばらくその場に立ち尽くして花火から目を離さない僕を、隆文はじっと待っていた。

 それから橋に向かう大きな人の流れから外れて川辺の土手に向かい、芝の上に敷き詰められたレジャーシートから少し離れた場所に二人で腰掛けた。

りんご飴はかじると思ったよりも硬く、舌でなめると甘さが広がった。

次々に打ちあがる花火を眺めながら、りんご飴を時折なめて時折かじりながら、隣の隆文の肩にもたれかかる。

「隆文も、食べていいよ」

 自分ばっかり楽しんでいることに途中で気がついて、隆文にかじりかけのりんご飴を差し出す。

「ありがとうございます」

 口をあけて隆文が、真っ赤なりんご飴を一口かじる。ぱり、っと飴が割れる音がして、こぼれかけた細かい飴の欠片を、隆文が舌で舐め取る。

ただその口元を見ていただけだった。

「隆文……」
 衝動的に、襟元を掴んで引き寄せ、隆文の唇に自分の唇を重ねる。

甘い、味がしたのはきっと、りんご飴のせい。

心臓がどくんと脈打ったのもきっと、低い花火の破裂音のせいだ。

「たかふみ……っ」

 唇を離して、じっと見つめ合う。隆文の瞳に、華やかな花火の光が反射しているのが見えた。

「憐さん、このまま……」

 そこで言葉を切った隆文は、黙って僕を見つめていたが、いきなり目をそらして、空の花火を見るでもなく目を伏せてただ川面を眺めた。

「隆文…どうしたの…?」
 尋ねる僕に、隆文は何かを振り払うように首をふって立ち上がった。

「なんでもありません。そろそろ帰りましょうか。憐さんを送って、船が帰ってくる時間に船着き場まで戻らないと、龍也さんにバレてしまうかもしれません」

隆文は僕に背中を向けたままそう言った。
 
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