黒太子エドワード

維和 左京

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第7章 英雄は堕ちた

リモージュの戦い

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 エドワードは、再び戦場に立つ決意をした。
そうだ。私が輝ける場所は、戦場のみなのだ。たとえそのために寿命をすり減らすことになったとしても、何の悔いがあろうか。
 一三七〇年、九月一九日。彼は陣幕の中にいた。身には、愛用の黒い鎧をまとっている。その鎧をまとうのは、実に三年ぶりのことであった。特注の軽い鎧が、今では何よりも重く感じられる。身体が無言の悲鳴を上げたが、彼はそれを黙殺した。
「兄上、お身体の方は」
「心配ない」
 エドワードは言い捨てた。彼は王太子であるから、ひとたび戦場に戻れば、第二王子に過ぎないランカスター公ジョンは、彼の副将とならざるを得ない。そこがジョンには面白くなかったが、さすがに面と向かってそれを口に出すようなことはしなかった。
 チャンドスの死から八ヶ月が過ぎた。エドワードはようやく、戦場に戻ってきていた。病状が回復したのではなく、その逆だった。日に日に悪化していく身体から、彼はもう自分の身が長くないことを悟った。ならば、せめて戦場で燃え尽きたい。そんな覚悟を秘めた一戦だった。
彼の悲壮な決意とは逆に、エドワードを陣営に迎え、イングランドの野営は一挙に活気付いていた。敗北を知らない、無敵の王太子。彼が陣頭に立つなら、もはや勝利は約束されたも同然だ。誰もがそう思っていた。
 ただ、その浮かれた空気の中にあって、ジョンのほかに、周りの空気に同調しないものがもう一人。他ならぬ、エドワードその人であった。
 全身が痛みを訴えていた。さらに頭の中が、サウナにでも入っているかのように熱を帯びている。本来ならば、立っていることがやっとの状態であった。
 にもかかわらず、身体は興奮を感じ取っている。戦場にいること、それ自体が彼の身体を熱くさせているのだ。
「以上でございます。いかがいたしましょうか」
 軍監の一人が、エドワードに意見を求めた。軍監の説明は、次のようなものだった。
 目前にしている都市リモージュは、もともとイングランドの支配下にあったが、フランス軍に包囲され、先月降伏している。リモージュはボルドーから目と鼻の先にあり、ここを落とされれば、ボルドーは孤立する。故に、ここはどうあっても支配下に置かねばならなかった。
 しかし、使者を送っても、リモージュは服従を頑として拒んでいる。そこで、ここを落とすべしということだった。
 本来、このように戦術的な部分からスタートするのは、彼の好むところではない。戦略面から組み立て、戦場に立つときには、八割がた有利な立場にいるのが、彼のやり方だった。
 しかし、今回は戦略を組み立てても、それを実行に移すだけの時間がない。病は刻々と彼の体を蝕み、数年以内には動くこともかなわぬようになるだろう。そうなる前に、決着をつけねばならなかった。
 エドワードの発言がないので、軍監は自らの意見を具申した。
「小官の意見を申し上げれば、リモージュの城壁は堅固です。無駄に力押しするよりは、包囲して、供給を断った上で再度降伏勧告すれば、自然とこちらの軍門に下るものと思われます」
「いや、それはならぬな」
 エドワードは即答した。確かに包囲戦は、籠城する敵に対して有効な戦術だ。しかし、リモージュはつい先日フランスに降伏を申し入れたばかりである。当時の慣習上、二度の降伏は許されなかった。責任者たる領主は処刑されるであろうし、フランスもそれを見越して領主の家族を人質にとっているだろう。
 それでも真に民のことを思う者であれば、自らの身をいとわず勧告に応じるかも知れぬが、そんな者であればはじめからフランスにあっさりと降伏したりなどしないものだ。
第一、籠城戦となれば長期にわたる。その間にフランス軍の本隊が北から攻め入るかも知れぬし、エドワードの病状が悪化するかも知れない。ここは短期に決着をつけたいところであった。
「一気に落とすしかあるまい」
 エドワードが言うと、軍監は黙ってうなずいた。エドワード様のおっしゃることに間違いはない。彼はそう信じ込んでいるようであった。
 三千の兵とともにリモージュの城門前まで近づいてみると、軍監の言ったとおり、レンガで積み上げられた城壁は堅固であった。その上部には、いくつか穴が横並びに開いている。そこから弓を射るようになっているのだろう。
 その城壁があまりに堅固であることが、エドワードには癪に障った。包囲戦の末に降伏したと聞くが、どこにも攻撃が仕掛けられた様子はない。フランスが近頃攻城戦に用いているという大砲を使えば、城壁には大穴が開いているであろうし、そうでなくとも矢の跡くらいは残るものだ。この様子では、ほとんどろくに抵抗もせずに降伏したのかもしれない。いや、それどころか、はじめからフランスに寝返る密約ができていたのではないか。
 私がベッドで病に苦しんでいる間、こいつらはのうのうと敵に寝返る算段をしていたわけか。そう考えると、無性に腹が立った。
「攻めかかれ!」
 エドワードの指示とともに、兵が一斉に門へと踊りかかる。彼は兵を千ずつ三隊に分け、波状攻撃をかけた。一隊が正面から攻撃している間に一隊は別の門から攻撃し、もう一隊には休みを取らせるというわけである。
 これを迎え撃つリモージュの守備兵はその数三百。正面から攻めたイングランドの兵に対して、守備兵は矢の洗礼を浴びせた。彼らの頭上から、雨のような矢が降り注ぐ。四角い木の盾で防ぎはするものの、やはり数本は防ぎ漏れて身体に当たる。急所に当たった不運な兵士は、哀れにも断末魔の叫び声を上げてその場で絶命してゆく。
「梯子をかけて、城壁も上れ。もたもたするな」
 エドワードの素早い指示が飛ぶ。兵たちの喚声がこだまし、戦場は活気を帯びていた。縄梯子をかけて城壁を上ろうとする兵士に、上から熱湯を浴びせる守備軍。それに向けて矢を射るイングランド兵。戦いは入り乱れていた。
 しかし、二時間が過ぎても、城門は開く様子を見せなかった。リモージュは、懸命に抵抗を続けていた。城壁は高く、そして硬い。仮にその城壁を乗り越えても、市街地との間には、河が流れていた。これは偶然ではなく、そのような位置に城壁が作られているのである。まさしく要塞都市の名にふさわしかった。
 だとしても、わずか三百ではないか。十倍の兵力を保持しているにもかかわらず、妙にイングランド軍は苦戦していた。降ってくる矢の数も、想定よりかなり多い。
「思ったより敵の兵士数は多いのだな。三百と聞いていたが」
「はっ、どうやら住民たちが義勇兵としてともに戦っている由にございます」
 側近の意外な言葉に、エドワードは動きを止めてそちらを振り向いた。
「住民が? リモージュはそこまでフランスに心服しているのか」
 およそいつの時代でも、住民は自分の生活を守ろうとするし、故郷には誇りを持つものだ。それは理解できるが、ここの都市はつい先日までイングランドの支配下ではなかったか。フランスがそんなに早く住民を手なづけたとでもいうのか。
「いえ、どうもここの指導者めが、フランス軍に参加した者には金をやるとか言って、住民を煽っているようなのです」
 その言葉を聞いた瞬間、エドワードは頭に真紅の液体が集中的に駆け上ってくるのを感じた。
 ここリモージュの領主といえば、形式的にはリモージュ伯だが、彼は政治や軍事には興味のない人物であり、住民から年貢を取るだけの存在であった。ここの住民に影響を与えているとは考えがたい。
 他に影響を与えそうな人物といえば、二人思い当たる。一人はここの司教を務める人物で、その名をジャン。もう一人は、ここの商人頭を務めるニコラスという男である。
 二人とも、エドワードには覚えがあった。一人は聖職者、一人は俗人だが、その性格はよく似ていた。表面にはいつも笑顔をたたえ、虫も殺さぬような顔をしていながら、その実かなり悪どいことに手を染めていると評判の二人。
 以前にエドワードがリモージュを訪れたとき、この二人は揃ってエドワードを歓迎したものだった。昼はジャンが町を案内し、夜はニコラスが宴を催す。口を開けば、「かの英雄、王太子エドワード様にお越しいただけるとは、光栄の極み」と繰り返し、エドワードに尻尾を振りかねない勢いだった。
 その二人が、フランスに寝返っただけでなく、今また自分の行く手を阻もうとしている。許しがたい背反行為だった。
「城を落とし、指導者どもを跪かせる」
 それは命令のようでもあり、独り言のようでもあった。普段は叫ぶように指示をする彼が、戦場でこのような物言いをするのは珍しいことだった。
「見ておれ。例え英雄にはなれずとも、戦でだけは、私は負けぬ。負けるわけにはいかんのだ」
 エドワードは二度にわたって爪を噛んだ。幼児性の残るその仕草に、側近は思わずエドワードの顔を覗き込んだ。そう言えば、先ほどから汗の量が尋常ではない。やはり相当に体調がお悪いのだろう。彼はそう考えた。いくら側近でも、主人の心の闇まで覗き込むことはできなかったのである。
 やがて、前方でものすごい音がした。大砲の弾が十発まとめて城壁に命中したかのような轟音である。同時に、攻城にあたっていた兵士たちは、いずれも自分の背が高くなったかのような錯覚を起こした。
 錯覚の原因は、単純である。目の前の城壁が縮んだのだ。ありうることだろうか。しかし、現に城壁は低くなっている。
 何が起こったのか、地上の人間の中でいち早くその原因を察知したのは、エドワードだった。
「今だ、敵がひるんでいるうちに、攻め立てよ!」
 その声にようやく正気を取り戻したか、イングランド軍は、一斉に城壁の兵士たちに襲い掛かった。
 それを阻む者はいなかった。城壁は大部分が崩れ、中に潜んでいた兵士たちは、既に絶命している。そのうちのほとんどは、最期の瞬間まで、自分の身に何が起こったのかをわかっていなかった。
 エドワードが行ったのは、いわば地下の突貫工事であった。トンネルを掘り進め、城壁を落とすのが目的である。
 ここの地形だと、掘りすぎると水がトンネルに入り、水没するという危険があるが、うまく制御することさえできれば、城壁を地下道に落とし、さらに工兵がトンネルから出たところで河の水を引き込んで水深を浅くさせるという、一挙に障害物を取り除くことができる作戦だった。
 どの城でも通用する作戦ではない。ここリモージュは、近くに河が流れている。ということは、地盤自体は柔らかく、掘りやすいはずである。そこを突いたのである。
 正面からの力押しなどは、こちらに気を向けさせないための囮に過ぎない。この作戦を、エドワードは味方の兵士たちにまで秘密にしていたのであった。
 こうなると、もはや勝敗は決したも同然である。わずかに生き残った守備兵たちも、その士気はくじけ、降伏を余儀なくされている。
 残ったわずかな抵抗を実力で排し、エドワード軍は堂々入城を果たした。黒い愛馬に跨り、平伏する市民たちの間を進むエドワードに、駆け足で近寄ってくる者がいた。
「殿下、王太子殿下、戦勝おめでとうございます」
 少壮のその男は、商人頭ニコラスだった。その顔に、卑屈な笑みを浮かべている。エドワードはその笑顔を、とつてもなく汚らしいものに感じた。おまえはつい先ほどまで、守備側に属していたではないか。
「こたびは心ならずも殿下に敵対する行動をとってしまい、申し訳ございません。しかし今後は再び殿下に忠誠を誓わせていただきます」
 エドワードはニコラスに視点を合わせたまま、口を開こうとしない。それを承認と勘違いしたか、ニコラスはさらに喋り続ける。
「それにしても、今回の殿下の戦ぶりは見事の一言に尽きますな。さすがは我等が英雄。我々も鼻が高いです」
 この男は、何なのだ。住民を煽るだけ煽り、自分は前線には立たず、戦いが終わった今になって出てくる。それも、平身低頭して慈悲を請うならまだしも、自分は傍観者であったかのようなふりをして、味方であることを声高に主張している。
 エドワードの心音が加速し、彼自身にだけ自らの興奮を伝えた。
「心ならずも敵対した、と申したな。本心でないなら、なぜ敵対したのだ」
 エドワードの声は低かった。エドワードの尋常ならぬ敵意に、他人の心情には敏感なニコラスは、いち早く気づいた。彼の表情が、さっと青ざめる。
「殿下、誤解でございます。私はフランスに脅され、やむを得ず降伏しただけ。心の中では、英雄たるエドワード様の救援を、ずっと心待ちにしておりました」
 英雄だと。何が英雄だ。心の中ではずっと馬鹿にしているくせに。病に倒れた愚かな人間とでも思っていたのではないのか。こんな人物に、都合のいいときだけ英雄に祭り上げられていただけか。そんなことで思い上がっていた私は何なのだ。私は踊らされていただけなのか。
「私は、英雄などではない」
 エドワードの声が震えた。怒りと悲しみの不穏なハーモニーに、さらに恐怖というスパイスが加わった。そんなはずはない。私はエドワードだ。それ以外の何者でもない。こんな奴に踊らされていたなど、そんなことはあってはならぬのだ。
「こいつを斬れ!」
 エドワードは血走った目で、周囲の部下に命じた。
「で、殿下。なぜです」
 あまりに意外な発言に、ニコラスは狼狽し、よろよろと後退する。
「どうした、早く斬らぬか! こいつはこの都市を敵に売り渡した売国奴ぞ!」
「し、しかし、この男は丸腰であります」
 さすがに、彼の側近たちも躊躇した。エドワードはさらに目を吊り上げ、馬をニコラスに向けて動かす。
「おまえたちが斬らぬなら、私が自ら斬ってやろう」
 ひいと悲鳴を上げて逃げようとするニコラスの頭に、エドワードは自分の剣を振り下ろした。剣はニコラスの後頭部に命中し、それを真っ二つにした。中からは黄色いドロドロした液体が噴出し、大量の血と混ざり合い、勢いを弱めた噴水のように彼の遺体に覆いかぶさった。
 あたりの住民から、悲鳴が起こった。エドワードは返り血を浴び、彼の象徴ともいえる黒い鎧は、朱に染まった。その色が、さらに彼の正気を失わせた。
「司教を連れてまいれ! 邪魔する者は殺しても構わん!」
「は、はっ!」
 その叫び声に、側近たちは戸惑ったが、兵士たちは喜び勇んだ。普段軍規で略奪や民間人に対する暴行を固く禁じられていた彼らは、その鬱憤を一気に晴らしにかかった。
 民家のドアを蹴破り、司教はいるかと尋ねる。民が震える声でいないと答えれば、タンスを荒らしまわり、金目のものをポケットに入れる。
「そんな、それは私の金でございます」
 取りすがる住民に、兵士は容赦なく剣を振り下ろした。男の身体は、たちまち血のスプリンクラーと化す。
 そんなことが、いったい何軒で繰り返されたであろうか。もとより兵士たちの目的は、司教などではなく、略奪だった。あちこちで住民たちの悲鳴が沸き起こる。しかしエドワードは、それらに耳を貸そうともしなかった。
「司教はまだ見つからぬか!」
 怒鳴り散らすエドワードに対し、色よい返事は返ってこなかった。
「殿下、殿下、おやめください。民が怯えております」
 側近たちの声は、もはや耳に入らなかった。邪魔する奴はすべて敵なのだ。まして先ほどまで我が軍に抵抗していた者たちである。ここの住民たちも、自分を英雄と持ち上げるだけ持ち上げておいて、内心では馬鹿にしているに決まっている。そんな奴らに、情けをかける必要がどこにある。見せ掛けだけの英雄になるくらいなら、魔王と罵られたほうがまだましだ。
 略奪にようやく満足し、兵士たちが大聖堂に入った頃には、そこはすでにもぬけの殻だった。ジャン司教は、ニコラスの惨劇を聞き、供も連れずにこの街から逃げ出していたのである。
「取り逃がしただと! 許さん。追え、追うのだ。地の果てまでも追って、奴の首をあげろ!」
 エドワードが叫んだとき、死角から、石ころが飛んできた。それはほんの小さな石ころだったが、彼の背中に見事に命中した。
 誰だ、私に石などぶつける奴は。成敗してくれる。
 憤って振り向いたエドワードが見たものは、ほんの小さな子どもだった。両親を兵士に惨殺された彼は、その兵士の大将に、復讐を遂げに来たのである。まだ五歳にも満たないであろうその子供の手には、しっかりともう一つの石が握られていた。
 その姿を見たとき、エドワードの心から、ようやく狂気が飛び出ていった。しかし、代わりに戻ってきたのは、正気ではなかった。
 目の前がかあっと赤くなる。貧血状態の患者のように、前が見えなくなった彼は、馬から転げ落ちた。興奮の極みに達した彼は、そのまま気絶してしまったのである。

 彼が再び目を覚ましたとき、そこはベッドの上だった。彼の額に、手が載せられている。その手はひんやりとしていた。
 頭が重い。景色がぼんやりと見えている。どこかの部屋の中のようだ。その中心に、一人の女の姿があった。侍女の姿をしている。
「お気づきになられましたか」
「アメリア……か」
 視界が徐々にはっきりとしてきた。白い家具が彼の視界を占める。そこはよく見慣れたボルドーの彼の寝室だった。
 なぜだ。確か、リモージュで戦っていたはずなのに。もしかして、あれはすべて夢だったのだろうか。
「今は何日だ」
「九月二十五日です、殿下」
 その日付は、リモージュの戦いから六日も後であった。
「私は、リモージュに……」
「赴かれました。そこで、三百人もの民衆を殺害なさいました」
 アメリアの言葉は、淡々としていたが、正確な事実を余すことなく伝えていた。三百人の市民は、彼の指示によって老若男女の別なく殺害されていたのである。実際に殺害したのが兵士であったとしても、殺害の許可を与えたエドワードが責任から逃れることはできない。
「気絶した殿下を、皆様がここまで運んできたのです」
「う、嘘だ」
 自分が怒り狂い、ニコラスを殺害した。ジャン司教をも殺害せよと命じた。多くの民衆を巻き込んだ。覚えている。覚えているが、自分はそんなことはしていない。していないに違いない。そんなひどいことを、自分がするはずがない。
「嘘だ。嘘だと言ってくれ」
 アメリアのゆったりとした服の袖を掴み、子供のようにすがるエドワードを、アメリアは冷静に引き離した。
「すべて真実です、殿下。あなたは、罪もない人々を大勢殺されたのです」
 誤解のしようがなかった。いくらアメリアがエドワードを嫌っていても、夢と似せた嘘などつけるわけがない。あれらはすべて真実なのだ。
 理性ではわかっていても、感情がそれと認めてくれなかった。頭の中で、何かが弾ける音がした。
「ぐあああ!」
 突如、エドワードは野生の動物の咆哮のような声を上げた。あまりの奇声に、アメリアは目を見張った。ここまで彼が自我を失おうとは。
「うおお! あああ!」
 意味のない叫び声を繰り返すエドワード。彼は両手を目の前に出し、手の平を眺めるようにしていた。その手はアルコール中毒の患者のように痙攣している。
「私は……私は……」
 泣きたくても、涙は出なかった。ようやく自分のしたことの愚かさを悟ったときには、もうすべてが終わっていたのである。アメリアはそんな彼を複雑な表情で見つめていたが、ついに何の言葉もかけることなく、部屋を退出していった。
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