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彼と彼女と待ち合わせ
しおりを挟む高い塀を易々と跳び越えたエルシオンは、闇にまぎれて領主邸の敷地へと入り込んだ。藪の合間をすり抜け、遮蔽物を利用しながら素早く別棟へと向かう。
そこら中に警備のサーレンバー領兵が配備されているが、魔法を使わずとも身体能力のみでそれらの監視をかいくぐり、難なく裏手へと回り込む。エルシオン自身の並外れた勘と俊敏さに加え、パーティが終わって主賓たちが退席した後という兵たちの油断も手伝った。
明らかに表側を重点としている警備網は、「危険が正面からやってくるもの」と決めつけすぎではないかと思わなくもない。もっとも、賓客にはそれぞれが連れている護衛もついているし、イバニェスの屋敷と違ってサーレンバー領主邸は街の中に建っている。対外的な事情から、あえて物々しい警備を避けたのかもしれない。
別棟で過ごした時から様子の変わらないひらけた裏庭、その手前に小さな石造りの屋根が見える。以前シャムサレムがひとりで鍛錬をしていた場所だ。
灯りもない暗がりの中、柱に背を預けるようにして黒い服の男が佇んでいた。
熱源探知ではヒトひとり、だが視覚情報にはその筋骨隆々とした肩に白い鳥のようなものが止まっている。接近するこちらへ鎌首をもたげ、嬉しそうに尻尾を振って見せた。
『おかえりなさい、魔王さま!』
「おい、尻尾で背中を叩くなよ、軽いくせに地味に痛ぇんだってそれ」
肩に乗る相手へ手を伸ばすキンケードだったが、それをするりとかわした白い竜はそのまま器用に反対の肩へと回り込んだ。肩の上は居心地が良いのだろうか、たしかエトも同じような動きをしていた覚えがある。
<遅れてすまないな、セト、キンケード。少々遠回りをする羽目になった>
「なんかあったのか?」
<来客の中に、わたしの探査を察知できる者がいた。危険な相手ではないし追跡などもなかったが、念のためセトも気をつけてくれ>
『はぁい』
機嫌良さそうに返事をした白竜は、長い尻尾をくゆらせてキンケードの頭の上に置いた。早々に抵抗も文句も諦めたのか、キンケードは額にたれる尻尾の先をそのままに眦鋭くエルシオンを伺う。
「ん、大丈夫だと思うよ。本気で危なければ、とっくにオレが連れ去ってるし?」
「……まぁ、コイツがいりゃ大抵のことは平気だろうが、十分に気をつけろよ。今は手も足もねぇんだし、自分で魔法も使えないんだろ?」
<わかっている。もう少し機能を把握すれば魔法の疑似的な再現も何とかなりそうな気もするが……いや、今はそんなことより、イバニェスの方はどうなった?>
待ち合わせの約束をしていた相手はキンケードだが、ここにセトも揃っているということは、すでにファラムンドへの報告も済んでいるのだろう。話題が自分へ向いたことに気づいた白竜が、褒めてくれと言わんばかりに羽毛の首を持ち上げる。
『眼鏡のヒトからの、お手紙を、届けたわ。森のうるさいのも、落ち着いたのよ。エトがね、がおーって脅したら、みんな大人しくなったの。うちの子も中々やるでしょう?』
<エトが脅した……?>
どういうことかとキンケードからの説明を待つと、額にたれる尻尾をゆっくり指先でどかしていた男は、厳めしい顔をにやりと歪めた。
「長男のペットなんざ作戦の数にも入ってなかったんだがな、良い働きをしたのは確からしいぜ。初めて『竜』を目の当たりにした農兵どもが戦意喪失して、ずいぶんな人数が投降してきたんだとよ。後処理の面倒さは変わらんとかファラムンドの奴は愚痴ってたけど、死傷者数はかなり抑えられたはずだ」
<そうか……、そんなことに……>
「ふーん。生かしても殺しても敗戦側には遺恨が残るもんだけど、恐怖を植え付けるってのは良い手かもね。あっちに生々しく話が伝わる限り、同じ手で攻めてこようなんて思わないだろうし」
感心したような口調にどこか嘲りの色を混ぜながら、エルシオンがそんなことを言う。
だが実際、説得も生け捕りも難しいと思われた暴徒をそんな手段で沈静化するなんて、誰も考えつかなかっただろう。アダルベルトが命じたのか、エトが自主的にそうしたのかはわからないけれど、何にせよ犠牲者数を大きく減らせたのは朗報だ。
その両手を血に染めた事実は変わらなくとも、戦場へ赴いた兄や自警団員たちの精神状態はかなり違ってくるはず。命を数で計るのもどうかと思うが、肩にかかる重みは少ないに越したことはない。
「だから、っつぅのも何だけどよ、あんま心配すんな。アダルベルトはほとんど無傷らしいし、うちの奴らも今んとこ負傷者のみって話だ」
<お前が懸念するほどの心配はしていないぞ。イバニェスの自警団も守衛部もみな優秀だし、あちらにはカミロがいる>
「あー、まぁ確かに、森ならアイツの右に出るヤツはいねぇわな……」
後頭部を掻きながら「本当ならオレも残るはずだったのに」とぼやくキンケードは、探知を切り替えれば未だぼんやりと精霊の光に包まれている。強い精霊眼を持つ魔法師なら、遠方からでも居場所がわかるくらいだ。
夜の森で万が一にも潜伏を悟られてはまずいということで、殲滅班から外されファラムンドたちの護衛隊へ加わることになった。配置分けの際には、イバニェス側の護衛として顔が知られているため今回サーレンバーへ同行していないと不自然だという判断もあったらしい。
自警団の顔役としてならともかく、本人には見えない精霊のせいで重要な役目から外されるのは到底納得のいくものではないだろう。立場上、部下たちへの負い目も大きいはず。
「ま、予定よりずっと良い結果に終わりましたってことでイイじゃない。みんな無事らしいし、難しいことばっか考えてもしょうがないよ」
エルシオンが軽く両手を叩き、強引に空気と話題を切り替える。
「ここでオッサンから報告を聞いて、あっちが大丈夫そうならオレたちは明日から動いても良いって約束だったじゃない?」
「明日付けでファラムンドの許可が出るかもって話だろ、気が早ぇな。そもそもテメェはまだ護衛任務中だっての、上司に対してオッサンはねぇだろ、年上のくせによ」
「実年齢のことは言わないお約束~!」
両手で耳を塞いで聞きたくないというポーズをとるエルシオンに、呆れの眼差しが二対。自分の分が含まれないのは残念だ。
イバニェス領に対し数々の罪を犯したエルシオンは、自らの保釈金と別途罰金の金貨五千枚を分割で支払いながら、今は禁固の代わりに自警団の労働でもって償いとしている。同じく自警団見習いとして働きはじめた八朔とは同期の新人扱いだ。
もともと自警団に入りたいと言っていた本人の望みを叶える形になってしまったが、街の警邏と持ち回りの書類処理、それから団員への剣術指南をすべて無給・無休でこなしているため、とりあえずイバニェス領の損にはなっていない。
そんな生活の中、監視付きの長期休暇を願い出たのが一年前。
「ともかく、話はオレの方から通しておくから、ファラムンドが首を縦に振るまでは大人しくしてろよ。これまでの頑張りを無駄にしたくはねぇだろ」
「オレってば努力より結果を評価してほしいタイプ」
「いちいちうるせぇな! どうせオレが同行することになんだから、テメェだけそわついたってしょうがねぇだろ! ……元から、イバニェスに長く留める気なんざなかったんだ、場合によっちゃコレっきり永久放逐になるかもな」
領主命令として自警団の末席へ加えられたものの、エルシオンが本物の『勇者』であることを知る者はごくわずか。表向きは、サルメンハーラでスカウトした手練れの傭兵ということになっている。
期せずして伝説の『勇者』を配下に置くことになったファラムンドだが、これまで一度もその特異な力を利用したことはない。便利に使おうと想えばそれこそ、今回の『害獣駆除』だって任せきりにできたはずなのに、表向きだけでなく、まるで本当にエルシオンがただの戦い慣れした旅人であるかのように扱ってきた。
どんな思惑によるものかは分からない。それでも、やはり彼のそういう所が好ましいと思うのだ。
「まぁ、お役御免になるなら、それはそれで好都合だけど。オレはともかく……」
<……む?>
指先で軽く表面を小突かれる。会話の文脈から察するに、イバニェス領内に留まる名分がなくなると困るのはエルシオンではなくこちらでは、ということか。
<そもそも、お前に所持される必要性は全くないのだから、わたしとしては宝玉をキンケードに持ち歩いてもらったって一向に構わんのだぞ?>
「そっ、それはイヤァ~~!」
再び聞きたくないのポーズを取りながら、エルシオンがその場に崩れ落ちた。
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