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悪徳令嬢への道

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 少年から発せられた言葉の意味がすぐには分からなかったらしく、リリアーナの動きが止まった。
 ゆっくりと首を動かしてクストディアを見て、その後ろで静かに控えるシャムサレムを見上げ、それからもう一度クストディアを見る。じわじわと理解がしみて、両手を握りしめたまま驚愕に目と口を大きく開く。

「……え? えっ? そういう、そういうことになったのか?」

 珍しいくらいの驚きに満ちたその反応が予想通りだったのか、愉しげに鼻で嗤うクストディア。だがすぐに片手を振って「違うわよ」とノーアの推察を一蹴する。

「シャムとはそういう・・・・関係じゃないわ、これまでも、この先も一生ね。私は誰とも結婚しないし子も産まない。だから、適当な時期になったら分家から何人か見習いを取って、才を見込んだ奴を養子にして領主を継がせるって事で、内々に話がついてるのよ」

「なるほど。妙に反発のない移譲だと思ったら、裏でそんな話になっていたのか」

「え? 養子……え? シャムとはつまり、どうなるんだ?」

「別にどうもしないわ、今まで通り私の専属護衛よ。ずっと一緒にいるためには、これが一番都合がいいの」

 都合、と。クストディアは自嘲を含ませながら諭すような口調でそう告げる。
 短い説明だけで状況を把握しきっている様子のノーアとは正反対に、リリアーナは不服さを隠し切れず唇を引き結んで言葉を飲み込む。
 言っていることが頭でわかっても、感情では理解はし難い。だけど、そんな意味のない反発をしてどうなる話でもないから文句を言ったりはしない。……そんな考えが顔に描いてあるかのようだった。

「一生を共に過ごすために、伴侶という形をあえて取らない、ということか。そういうのもあるんだなぁ……」

 領同士の結束を高めるため、あるいは力のある家との繋がりを持ち互いの利益とするため、婚姻によって結びつきを得る。リリアーナも幼い頃から、領主家に生まれた者の大事な役割だと再三に渡り教えを受けてきた。
 だが、周囲の言葉や読書によって、本来の『結婚』はそれだけではないと知るようになった。寄り添いともに生きるため、好ましく想う同士で結ばれる。自分は・・・ともかく、クストディアがそんな選択をできたなら喜ばしいことだと思った。
 まさか、立場による婚姻でもなく、感情を優先して添い遂げるのでもない、さらに別の選択肢があったなんて。制度も手段も、色んな形があるんだなと妙な感心をしてしまう。

「基本がなっていない君が妙な学習をしないように一応釘を刺しておくけど、彼女の場合は例外中の例外だ。本来は血を残すため直系のみと定められているのだし、分家からの養子と言えどブエナペントゥラ氏から見た親等は限られる。……これも推測に過ぎないけど、婚姻をしないためにロクでもない嘘を吐くつもりなんじゃないか?」

(領主家の、直系の血を残すため……?)

「あら、さすが大祭祀長様は何でもお見通しね。そうよ、親族どもには、私は子どもを産めない体だって言っているわ。……まぁ、試したことないから本当の所はわからないけど」

 唇でうつくしく弧を描くクストディアに、心底嫌そうな顔で沈黙を返すノーア。そのことについて特に言及するつもりはないのか、しばし俯いてからソファの背もたれに後頭部を預け、そのままずるずると溶けるように体勢を崩していく。

「こんなデリケートな話をするためにここへ引っ込んだ訳じゃないのに、休息のつもりが余計に疲れた……。悪いけど、僕は少し休ませてもらうから、あとは勝手にしていてくれ」

「勝手ね! 言われなくたって、そもそもここは私たちが使うために用意した部屋よ! んもう、不愉快だわ、寝台へ移れと言ったってこの調子じゃあ、自分で動く気もないのでしょう」

 憤慨しながら勢いよく席を立ち、「その白い肌を摺り下ろして白粉として売ってやろうかしら」なんて恐ろしいことを呟くクストディアに追随し、リリアーナもソファから立ち上がる。
 しばらく収まりのよい格好を探って身じろぎしていたノーアも、落ち着く角度を得たのか、腹の上で指を組んですっかり寝入る体勢だ。宣言通り、その場で会話を続けても全く気にしなさそうだが、意外と気遣いをするクストディアは少し離れたカウチソファへとリリアーナをいざなった。
 使っていた茶器は一度下げ、シャムサレムが新たなカップと菓子を運んでくる。保冷のポットから注がれたのは香茶ではなく、澄んだ薄紅色の果実水だった。

「いい香りだな、ベリーを絞ったものか?」

「ふふん、葡萄のとある品種を使って、色と香りが損なわれないように特別な処置がしてあるのよ。そこらの葡萄酒なんて消し飛ぶくらい値が張るのだから、一滴も漏らさず堪能なさい!」

「うん、おいしい。……クストディアはすごいな、美術品の目利きだけでなく、飲食物や調度も自ら良いものを選りすぐることができる。兄上たちも大した能力だと褒めていた」

「それだけ目も舌も肥やしてきたってことよ。あとは権力とお金があればどうとでも……まぁ、最近はほんの少しだけ別の手も使っているけれど」

 クストディアはそこで気まずげに視線を逸らし、何かを思い出したようにはっと目を瞠ってから鋭い視線をリリアーナに向ける。

「目利きと言うなら、あんた、何よ突然ガラス細工の取り引きなんて始めて! デザインから流通まで、裏で一手に取り仕切ってるって話じゃない? 前に来た時はそんな事ひとことも言ってなかったのに、一体どういう了見よ?」

「いや、取り仕切っているという程では……。砂時計はサルメンハーラにいた職人の作だし、改良の助言をしたのはアダルベルト兄上で、商品化への調整はレオ兄で、流通関係は懇意にしている行商人が張り切ってて、あと訳あって譲り受けた店舗と、たまたま宝飾品の職人との伝手が……」

「だから、それを全部結び付けてんのがあんたでしょって話よ! んもう、商売っ気があるのは次男だけだと油断したわ、もっと早く知ってたら無理矢理にでも一枚噛んでたのに!」

 商品化からほんの一年足らずで中央に旋風を巻き起こした繊細な飾り砂時計は、稀少さはもとより、芸術性のあまりの高さから天井知らずの値がついた。
 光を取り込み千変万化の色彩を放つ、まるで金剛石のような輝き。細工の全てが精巧でありながら多少の衝撃では折れることもない、既存のガラス工芸品とは一線を画した存在感。砂時計の形を取りながらも、もはやそれを実用品として見る者はいなかった。
 職人の手技やアダルベルト主導による採石場の管理費なども考慮しつつ、リリアーナ側の個人的な思惑もあり『とっても高価』な値段設定をしたのだが、実際は間に入ったレオカディオがその三百倍の価格で売り出した。──バカ売れした。

 そんな裏事情をかいつまんで話すと、所々で頭痛をこらえるようにこめかみを揉んでいたクストディアが、ふと怪訝そうな顔をする。

「なによ、あんたの思惑って?」

「いや、うん、とても私的な都合で……あんまり他人に言ったこともないから、ちょっと照れるんだが」

「もったいぶらないでさっさと言いなさいよ」

 膝の上で指先をいじり、どう言葉にするか考える間を挟んでから、リリアーナは何かを躊躇うように隣に座るクストディアを伺う。

「その、お前はこの先、サーレンバー領の領主に就くわけだが、どんな風になりたいとか決めているか?」

「さらに儲けてもっと金回りを良くして一生優雅に暮らすわ」

「ブレないな……」

 呆れと感嘆のない交ぜになった声を漏らすと、自分はどうなのかと小脇を突いて急かされる。それでようやく踏ん切りがついたように、リリアーナは慎重に言葉を区切りながら話しはじめた。

「わたしは、まだ具体的に将来どうしたいとか、そういうのはないのだが。ずっと前から、悪くなりたいと思っていて、」

「悪くって何よそれ、非行には程遠いようだし、犯罪に手を染める訳でもないんでしょう?」

「ええっと、悪い……悪徳の限りを尽す? 悪評が立って人々に見限られるような、悪い令嬢を目指して……、いや、でも父上や兄上たちの迷惑になるようなことは避けたいから、まずは扱う商品で暴利を貪ってみようと思ったのに……うーん、どうなんだろうな?」

 自分でもあまりわかっていないことを無理に言語化したような、支離滅裂で説明にもなっていない思いの羅列。そんな言葉を一体どう受け取ったのか、クストディアは全てを見透かしたようにすいと目を細めた。

「自分で自分の悪評を広めたいと?」

「うん、簡単に言うとそうだな」

「ふぅん……まぁそういうことなら、手始めに商売っていう着眼点自体は悪くないんじゃないかしら? でもひとつ、致命的なミスをしたわね」

「ミス?」

 不思議そうに瞬くリリアーナへ、教導を授ける素振りを気取ったクストディアは愉快そうに笑いながら、立てた人差し指を左右に振って見せる。

「この私を誰だと思ってるの? サーレンバーの毒婦、領主のすねかじりと蔑まれた穀潰しの虫。云わばその道の先達よ。評判を下げるって話なら、まず真っ先に私へ相談しなさいよね!」

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