上 下
408 / 431

先約の主

しおりを挟む

 薄化粧の眦をつり上げて怒るクストディアと、それをなだめるシャムサレム。立場や格好が変わっても、このふたりは相変らずなようだ。
 前と違うことと言えば、いつも兜で顔を隠していた青年が今は素顔を晒していることくらいか。目元まで及ぶ大きな古傷は、伸びた前髪で上手いこと隠している。鍛え上げた厚みのある体躯に、真新しい式典用の装備は良く似合っていた。

「シャムはもう兜を着けていないんだな?」

「私は外させるつもりなんてなかったのだけど。……衛兵じゃないんだからっておじいさまも言うから、仕方なく折れてあげたのよ。鎧や名前を変えたからってどうなるわけでもないのに、体面だの何だの面倒でたまらないわ」

「名前……?」

 瞬いて顔を上げるリリアーナに、シャムサレムはぎこちなく微笑み返す。

「大旦那様 が、家名を下さったんだ。ディアが領主になっても、ずっと一番そば で、支えられるようにって」

「従者といえど身分が低い人間を置いていると、周りが何だかんだうるさいの。まったく、生産性皆無の塵芥の分際で偉そうに、砂粒程でも役に立ってから口を開けというのよ」

「そうか……、うちはその辺がずいぶん緩いらしいから、普段あまり気にすることもなかったが。あれこれ言われるような立場になると大変なんだな」

 以前と変わらず部屋に引き籠っていれば、ブエナペントゥラが健在なうちはその庇護を受けて安穏と生きることができた。でもその生活に期限があると知ったとき、クストディアは不変を望むことなく、自ら部屋の外へ出ることを選んだ。面倒ごとを他人任せにせず、自分で背負い込むことを選択したのだ。
 もともと地頭は良いのだと、あのレオカディオすら認めていた少女。本人さえその気になれば、きっと遅すぎるということはない。

 廊下で足を止めたままリリアーナが口を開く、その言葉が音として出る寸前に。目前を金の燐光がふわりとよぎった。

「……?」

「何、言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」

「いや……うん、ちょっと待ってくれ」

 汎精霊の淡い光など日常の中で見慣れている。普段はなるべく意識しないように、焦点をその層に合わせずにいるから特に視界を邪魔することもない。だがその精霊の光は他とは少し違うように視えた。
 ぼんやりとした淡い光、だが確かな主張を持ってそこに浮いている。リリアーナの視線を引きつけたのがわかったのか、金の光はその場でくるりと旋回すると、少しばかり速度を上げて廊下の向こうへふわふわ飛んでいく。

「何だろう、ついてこいってことか?」

「何だろうもなにも、私には全く何も見えないけど。誰かが魔法を使ってるの?」

「そうかもしれない。不用意におかしなものへ近づくのは躊躇われるが、屋敷の中は安全なのだろう?」

「そりゃあね、こんな状況だもの。うちだけじゃなく余所から来てる連中だって護衛役に精鋭を連れて来ているわ。今日この日ばかりは、たぶん大陸の中でここが一番安全なはずよ」

 それなら少しくらいは好奇心寄りの行動をしても構わないだろう。リリアーナの頭の中でそんな風に天秤が傾いたのは、誰の目にも明らかだった。
 呆れを隠そうともしないクストディアの手を引き、精霊の光を追いながら三人で廊下を歩く。道案内でもするかのように見えた光だったが、意外にも目的地はそんな案内もいらないくらい、すぐ近くだった。
 真っ直ぐ進んだ先、道幅の変わった廊下の右側、豪奢な扉の中へ光は吸い込まれていく。扉の左右には白い服を着た男がふたり立っていた。

「ここは?」

「休憩用に用意した部屋よ。あんたを連れて来ようとした場所だけど、なんだかおかしなのがいるわね。……ちょっとあんたたち、誰の許可があってここを使っているの? 来賓用の休憩室なら、別に案内がされるはずだけど?」

 苛立ちを滲ませるクストディアの問いかけに、男たちはみじろぎもせず鋭い視線を返す。

「このお部屋は先約済です」

「はぁ? 私が使うために用意したのに、誰の先約ですって?」

「サーレンバー家の方から許可は得ております。高貴な御方が休憩中ですので、あまり騒がれませんように」

 相手が誰か気づいていないのではと疑問に思うほど、その対応は素っ気ない。にべもなく返す男に、クストディアの機嫌はめきめき下がり、反対に眉と眦がギリギリとつり上がる。
 それでも一応、目の前にいるのは来賓の従者。体面を考えて怒鳴り散らしたりはせず、爆発寸前の怒りを顔面のわずかな変化に留めているあたり、少女の成長がうかがえる。

「私の指示を無視して勝手な許可を出した不届き者はあとで炙るとして。まさか、この屋敷の中で私に逆らう人間がいるなんてね。あまりふざけたこと言ってるとその舌がどうなっても知らないわよ?」

「舌をどうするんだ?」

「根元から切るなり、縦に裂くなり、引っこ抜くなり色々あるけど。廊下を汚すのも嫌だし、伸ばして結ぶのはどうかしら、シャムが」

「ディアがやれと言う ならやるけど、伸ばす前に引っこ抜けるとおもう」

「乱暴はどうかと思うが……、こう、舌の筋繊維をぎゅっと握り潰しながら少しずつ引っ張れば、多少は伸びると思うぞ」

 物騒な会話を交わす三人はいたって真面目で、その口振りから冗談ではないと悟ったのだろう、そこでようやく扉の前のふたりが顔色を悪くしはじめた。どうするべきかと目配せをして相談する。
 じり、と距離を詰めるシャムサレムに怯えを見せて一歩ずつ後退をするふたり。その間で、扉が内側から開かれた。
 中から漏れ出る金の光に、リリアーナがはっと息を飲む。

「専用に誂えた部屋でないらしいことは承知していた、彼らに代わり無礼を詫びよう、サーレンバー次期領主殿。もし差し支えなければ、少し中で話をしていかないか?」

 穏やかながら、相手に否とは言わせない不思議な強制力を持った言葉。口を開こうとした従者たちを白い手で制すると、ふたりはその場に片膝をついて頭を垂れた。
 それまで憤懣やるかたないといった様子でいたクストディアも、怒りを鎮めて正式な礼の形を取る。

「大祭祀長様がご利用中だったとは、ご休憩中に騒がしくして申し訳ありません」

「いや、無理を言って部屋を占有したのはこちらの落ち度。その件についても詫びさせてくれ。……そちらの従騎士と、客人の令嬢も良ければこちらへどうぞ」

 一度クストディアと目を合わせたリリアーナは、促されるまま室内へと足を踏み入れる。
 質の良い調度品で整えられた部屋はこざっぱりとしており、クストディアの私室とは大違いに整頓が行き届いていた。
 広い部屋の窓側にはゆったりとしたソファセット、食事をとれるテーブルや寛げるカウチソファなど焦茶の木材で造られた家具はいずれも品が良く、刺繍の衝立の向こうには揃いのベッドや小さな書棚も設えられている。

「……いい部屋だな」

「でしょう、あんたが気に入りそうなものを取り寄、こほん、……まぁ多少の見る目があればどれも質が良いってことくらいわかって当然よね、この私が用意したんですもの、品質も配置も完璧、どこぞの田舎娘とは培ってきたセンスが違うのよ!」

 腕を組んで顎を上向かせたクストディアは、得意げに鼻息を荒くする。その場で部屋を見回すリリアーナとそばに控えるシャムサレム。
 招き入れた当人は扉を閉めるなりそんな三人には見向きもせず、奥のソファへ歩み寄ってどかりと座り込んだ。

「ちょっと。大祭司長様ともあろう御方が、態度悪いんじゃありませんこと?」

「ああ、申し訳ないね、次期領主殿。態度と口が悪いのは生まれつきなんだ。部屋を勝手に使ったことは詫びるから、少し静かに休ませてもらえないかな。廊下への往復で無駄な体力を消耗した……」

 ソファの背もたれに体をあずけてそう悪態をつくが、本当に顔色が悪い。指先を動かすのも億劫だと言いたげにそのまま目蓋を閉じる。
 シャムサレムにお茶の準備を命じたクストディアは、所在なげに佇んでいたリリアーナを伴ってソファの対面側へ腰を下ろした。

「侍従医でも呼びましょうか?」

「いや……もう少し休めばどうにか。ここから直に帰れれば一番なんだが、たぶん一度聖堂へ戻らないと無理だろう。……ったく、本当にろくなことをしない」

 額を押さえて何とか上体を立て直し、毒づきながら正面へ目を向ける。その赤い瞳を見返しながら、リリアーナは迷い続けた第一声をようやく放つことができた。

「久し振りだな、ノーア。こうして直接会うのは二年ぶりか?」

「あぁ、そうだね。再会はずっと先だろうと踏んであんな別れ方をしたのに、上手くいかないものだ」

 儀典用の帽子も祭服も脱いだその姿は、壇上にいたときよりも一回り小さく感じる。具合悪そうに白い顔をした少年──リステンノーアは挨拶を返すと、皮肉気に肩をすくめて見せた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

居酒屋ぼったくり

秋川滝美
大衆娯楽
東京下町にひっそりとある、居酒屋「ぼったくり」。名に似合わずお得なその店には、旨い酒と美味しい料理、そして今時珍しい義理人情がある――。 全国の銘酒情報、簡単なつまみの作り方も満載!旨いものと人々のふれあいを描いた短編連作小説!!

気づいたら異世界でスライムに!? その上ノーチートって神様ヒドくない?【転生したらまさかのスライム《改題》】

西園寺卓也
ファンタジー
北千住のラノベ大魔王を自称する主人公、矢部裕樹《やべひろき》、28歳。 社畜のように会社で働き、はや四年。気が付いたら異世界でスライムに転生?してました! 大好きなラノベの世界ではスライムは大魔王になったりかわいこちゃんに抱かれてたりダンジョンのボスモンスターになったりとスーパーチートの代名詞!と喜んだのもつかの間、どうやら彼にはまったくチートスキルがなかったらしい。 果たして彼は異世界で生き残る事ができるのか? はたまたチートなスキルを手に入れて幸せなスラ生を手に入れられるのか? 読みまくった大人気ラノベの物語は知識として役に立つのか!? 気づいたら異世界でスライムという苦境の中、矢部裕樹のスラ生が今始まる! ※本作品は「小説家になろう」様にて「転生したらまさかのスライムだった!その上ノーチートって神様ヒドくない?」を改題した上で初期設定やキャラのセリフなどの見直しを行った作品となります。ストーリー内容はほぼ変更のないマルチ投稿の形となります。

せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠
恋愛
夫と折り合いが悪く、嫁ぎ先で冷遇されたあげく離婚することになったイヴ。 彼女はせっかくだからと、屋敷で夫と過ごす最後の日を特別な一日にすることに決める。何かにつけてぶつかりあっていたが、最後くらいは夫の望み通りに振る舞ってみることにしたのだ。 夫の愛人のことを軽蔑していたが、男の操縦方法については学ぶところがあったのだと気がつく彼女。 一方、突然彼女を好ましく感じ始めた夫は、離婚届の提出を取り止めるよう提案するが……。 愛することを止めたがゆえに、夫のわがままにも優しく接することができるようになった妻と、そんな妻の気持ちを最後まで理解できなかった愚かな夫のお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID25290252)をお借りしております。

兄がいるので悪役令嬢にはなりません〜苦労人外交官は鉄壁シスコンガードを突破したい〜

藤也いらいち
恋愛
無能王子の婚約者のラクシフォリア伯爵家令嬢、シャーロット。王子は典型的な無能ムーブの果てにシャーロットにあるはずのない罪を並べ立て婚約破棄を迫る。 __婚約破棄、大歓迎だ。 そこへ、視線で人手も殺せそうな眼をしながらも満面の笑顔のシャーロットの兄が王子を迎え撃った! 勝負は一瞬!王子は場外へ! シスコン兄と無自覚ブラコン妹。 そして、シャーロットに思いを寄せつつ兄に邪魔をされ続ける外交官。妹が好きすぎる侯爵令嬢や商家の才女。 周りを巻き込み、巻き込まれ、果たして、彼らは恋愛と家族愛の違いを理解することができるのか!? 短編 兄がいるので悪役令嬢にはなりません を大幅加筆と修正して連載しています カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。

噂好きのローレッタ

水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。 ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。 ※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです) ※小説家になろうにも掲載しています ◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました (旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

処理中です...