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間章・とある王国の片隅で①

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 (※すこし流血表現注意)



 日の沈みゆく丘は空ばかりが明るくて、上からの光がなくなった地上は煤けたように暗くなる。空の色のうつろいなんて大して興味もないけれど、まだ日が出ているうちに帰らないといけないから色合いで時間を計る。あまり暗くなると約束の刻限を過ぎてしまうし、飛んでいるときに地上の目印を見分けにくい。
 この時間帯、元々赤い髪は夕焼け空と一体になるらしく、子どもの頃は日沈あたりに帰るとよく出迎えるアネッサが「きれいだね」と言って褒めてくれた。でも、本当はその言葉もあまり嬉しくはなかった。この髪色を自分で好きだと思ったことがないから。
 しゃがみ込んだまま見上げていた空から視線を戻し、汚れたナイフを翻すと地面からくぐもったうめき声が上がる。

「さ、最近、官吏の行方不明者が相次いでいたのは、貴様の仕業だったのか……!」

「んー? いや、アンタで二人目だからオレはそんなに狩ってないよ。聖堂の内輪揉めの隠蔽とかじゃない?」

 他に何か質問はあったかな、と空を見ながらぼんやり考えていたけれど、知りたかったことは概ね聞き出せた。あとは片付けをして早く宿に戻らないと、夕食の時間に遅れればまたオーゲンがうるさいし、ペッレウゴもそれに乗っかって「年寄りの残り少ない時間を浪費させるなんて酷い若者じゃ」とか嫌味を言ってくるに違いない。
 別に、みんな揃って食事をとる必要なんてどこにもないのに、あの頑固ハゲは宿屋の面倒を減らすためにもひとつのテーブルで一度に済ますべき、と言って譲らないのだ。
 路銀は十分あるんだから野郎とばかり顔を付き合わせてないで、どっかその手の店にでも行けばいいのに。自分が成人しても、『勇者』としての祝福を受けても、未だ「手のかかる弟分を世話する保護者」のつもりでいるらしい。

 モップのような白髪頭にナイフをこすりつけて汚れを拭うと、首元まで地面に埋まった枢機官の男は額に血管を浮かべながらこちらを睨みつけた。
 顔の右半分を血濡れにしながらも、助けてくれと媚びへつらわず、まだ怒りを向けるだけの胆力が残っているとは大したものだ。全部吐くまで顔の出っ張ってるトコを順に削ぎ落すと脅したら、最初の右耳だけで折れたくせに。

「貴様、精霊女王の恩寵を賜っていながら、それを仇で返すような真似を……っ、私にこんな狼藉を働いて、どうなるかわかっているのか!」

「さぁ、どうなるのかな? 証拠も目撃者もないんじゃ、今ここであんたが殺されたって誰も気づきやしないと思うけど。それともオレが自首をして、裁定の場で全部ぶちまけてやろうか?」

 自身の出自に関わっていようが、ひどい醜聞になろうが実際どうでもいい。事がおおやけになって痛手を被るのは、元より失うものが何もない自分ではなく、王族を含めた一部の金持ち連中と荒稼ぎしていた聖堂、……それと、過去をキレイにしておきたい『聖女』サマ。
 きっと彼女は役目を終えた弟分すら始末するつもりでいるのだろう、そうすれば過去を知る人間すべての口を塞ぐことができる。こうして自分が情報収集がてら関係者を殺していることも、彼女の目的に一役買っていると思うと業腹だが。

「オレは別にどうなったって構わないよ、どうせ魔王退治を終えて用済みになったら、難癖つけて処刑する気なんでしょ? 磔はりつけにして槍でメッタ刺しか、それとも生きたまま火炙りにするか。牢で毒酒をあおるって線もあるかな? ……いいよ、殺してくれていい、殺してくれ、さっさと、オレを殺せよ、殺せ、死なせてくれ、死なせろ、早く、早く、早くっ!」

 興奮したせいでうっかり手が滑って左耳も落としてしまった。絶叫をあげようと開かれた口へ刃先を突っ込み、舌を縫い留める。

「声が、聴こえるんだ、ずっとうるさくて嫌になる。毎日、毎日、頭の中で騒ぐんだよ、役目を果たせって、役割を全うしろってさぁ。寝ても覚めても食ってるときもクソしてるときでもお構いなしに四六時中、ずっとうるさいんだ、わかるか、お前らにわかるか? 精霊様のお告げってのがどんなモンか、本当にわかってるのかよ!」

 舌を根元から切り落とし、窒息を防ぐために焼いて止血した。今まであれこれ試してだんだん分かってきた。殺意さえなければ、元から殺すつもりがなければこれくらいは出来るのだ。
 『人間を殺せない』『自死もできない』。役目とやらのせいで制約が多くても、ルールの隙間を突けば案外やれることはある。こうして試していけば、もしかしたらそのうち自殺する方法もわかるかもしれない。

「精霊になんて一度も祈ったことなかったのにさ。本で読んで憧れはしても、本気で『勇者』になりたいなんて思ったことないのに、……なんでオレなんだよ、なんでお前たちじゃないんだ、オレなんかよりずっと精霊の声を聞きたがってるんだろ?」 

 これは知りたくても回答のない問い、ただの八つ当たりの独り言だ。たぶん中央の大祭祀長にだってわからないだろうから、汚職に手を染める枢機官なんかが答えられるはずもない。
 もし知っている者がいるとしたら『勇者』としての権能を与えているナニカか、もくは対極にいる『魔王』か――
 押し付けられた運命にどう抵抗したところで、結局は森の向こうまで会いに行くしかないし、会えば殺し合うしかない。それが自分の生まれた意味らしい。ふざけんな、勝手にやってろ、オレを巻き込むな。
 ……それでも、もしかしたら『魔王』とは同じ立場の者同士、剣を交えながら恨み言を分かち合うくらいはできるかも?

「うーん、でも馬鹿デカい怪物だって話だから、そもそも話が通じるかどうか」

 立ち上がって膝と背中をうんと伸ばし、地面から生えている涙と鼻水と血まみれの首をブーツの爪先で小突いた。
 漂う血液の匂いを嗅ぎつけたのだろう、獣の息遣いと複数の気配を肌で感じ取る。この辺りを根城にしている狂暴な野犬たちだ。
 魔物が減ってから急に猛威をふるいだした野犬の群れは、どこの領にとっても新たな頭痛の種らしい。きっと明日予定されている領主謁見でも、この群れの処理を依頼されるに違いない。攻撃隊をひとつ皆殺しにしたところで、ねぐらを叩かなければ同じことの繰り返しなのに。

「喜べよ。これも全部、お前らのだーい好きな精霊サマのお導きだ」

 着ていたものは全部燃やしたから、このまま地表に出ている頭を野犬に食わせれば身元もわからないし、自分が殺したことにもならない。安全、安心、万々歳。
 こうして関係者を全員始末してやってもいいけれど、人間を殺せない自分では時間と手間ばかりかかるし、元凶となった相手についてはもう少し考えないと。
 同じ境遇で育った家畜同士、少しは同情する部分もないわけではない。だからこそこうして、本当に彼女が命じたのかを念入りに確かめて回ったわけで。

「せめてオーゲンの見る目がもうちょいマシなら、こんな苦労はしなかったんだけどなぁ」

 魔法による流水で汚れた手を洗いながら、藍色濃くなる東の空を仰ぐ。
 ここからまた飛んで宿に戻ったら、一度水場を使って血の匂いを消さないと。嗅覚だけは自分より鋭い頑固ハゲに気づかれると何かと面倒だ。
 それとも酒を飲んで匂いを打ち消したほうが早く済むだろうか。これから食事をするのにきつい香水を振りまくのは嫌だから、匂いの強い酒か果実水……もしくは串焼き屋台の煙を浴びるとか、炭焼き小屋の煙突の上を通るとか。いや、匂いについて余計な言い訳をする羽目になるくらいなら、やっぱ宿の水場で洗ったほうが早いんじゃないか?

 魔法で出した水を服の上から被って乾燥させるという普段の行水方法に思い至るまで、匂い消しについてあれこれ頭を悩ませながら、風の魔法を纏ってひとっ飛びに野犬のたかる小高い丘を後にした。

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