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カッコイイドラゴン ✧
しおりを挟む備え付けの棚に置かれていた本を開いてみたものの、内容は全く頭に入ってこない。生前なら本を読みながら別の考え事をしつつ誰かの話を聞く、というようなこともできたのに、ヒトの体は不器用にできている。
ひとまず深刻そうにしているのを兄たちに心配されなければそれで良いので、本を開いたまま読んでいるふりを続けることにした。
隣のテーブルではアイゼンがこれまでの行商で見聞きした話を手振り交えながら披露しており、アダルベルトと八朔とトマサの三名が興味深そうに聞き入っていた。
いずれも普段はあまり自由な外出ができない暮らしをしているから、方々を旅してきたアイゼンの話は特に面白く感じるのだろう。
自分もできれば思考を放り出して話を聞きたい。特に、今話している欲深い織物商の話は個人的にとても気になる。悪徳の限りを尽し、強欲をかいた顛末。同じ『悪徳』を志す身として、なにか今後の参考になるかもしれない。
こうして悶々と考えたところで今すぐ結論が出るわけでもないし、読み終わったことにして自分も輪へ加わりに行こうか。どうしようか。集中の途切れたリリアーナが本を閉じかけたところで、ポシェットの中から声が届く。
<どうやら仔竜が目覚めるようです。睡眠を取っていたわけではないので、再起動と言ったほうが近いかもしれませんが>
「ん?」
そう言われてアダルベルトの方を見てみるが、肩から斜めにかけている鞄にも本人にも変わった様子は見られない。まだ動き出してはいないのだろうか。視界の端の変化をたまたま捉えたという風を装い、席を立つ。
「兄上、いまその鞄が少し動いたような気がする。エトが起きるのかもしれないから、出してみてはどうだろう?」
「そうか? 俺は何も気づかなかったが」
そう言いながらも全く疑う素振りもなく、アダルベルトは鞄を取り外して膝の上でふたを開ける。
中には体を丸めた仔竜が収められているが、降ろした振動か、それとも光に反応したのか、小さく身震いをしてから閉じていた目蓋を開いた。
上から覗き込んでいるいくつもの顔をぐるりと見回し、自分を庇護する相手のひざの上だと気づいたのだろう。素早く体に添えられていた腕を駆け登る。
<アデュー、アデュー! アデュー!>
エトは繰り返しそう呼びながら、左右の肩を器用に駆け回った。興奮している様子に戸惑うアダルベルトは、空中で何とかその胴体を掴むことに成功する。
<アデュー! だいじょうぶか、ケガしてないか、おきてるか?>
手足や尻尾を激しく揺らしながら念話で訊ねるエトだが、どうやらアダルベルトにはその言葉が届いていないらしい。小さな体を掴んだまま正面から覗き込み、首をかしげる。
「どうしたんだ? 俺の部屋じゃないから驚いたのか?」
「兄上に怪我はないかと言っているようだが?」
「え? リリアーナはエトの声がわかるのか、俺は何も聴こえなかった」
その言葉に八朔とトマサを見ても、揃って首を横に振る。八朔の向こうでアイゼンだけが、顔の横で人差し指と親指に隙間を作って見せた。「自分は少しだけ」というジェスチャーだろう。
念話の精度は発信側の能力に左右される。もしかしたら受け取る側にもいくらかの魔法の素養が必要なのかもしれない。
だがアダルベルトはエトの思念を何度か聴いているそうだし、今の場合、問題は受け手ではなく発信側にありそうだ。昔よりも言葉の拙さが抜けているし、エトの力なら一定範囲への念話も扱えるはず。
「エト、兄上は見ての通り無事だ、怪我はない。少し落ち着いて兄上にも伝わるように話せ」
<ちいさい、ヒト>
「小さいんじゃない、幼いと言え!」
「そこがお嬢の怒るポイントなんすね、覚えとこ……」
八朔の呟きに慌てて口を押さえる。自分よりも幼い相手に、つい大人げない反応をしてしまった。
エトは収蔵空間にいた年数を引くと、まだ生まれて三歳にも満たない。成長速度をヒトと比べても仕方ないけれど、生きた時間も経験も圧倒的に少ない無知な子どもだ。
「こほん。……わたしはアダルベルト兄上の妹で、リリアーナという。彼の身内だから警戒の必要はない。翼竜のことも多少は知っている」
<り……リ? しってるにおいだ、おまえ、しってる>
「えっ、あ、あー、同じ屋敷で暮らしていたからな、そういうこともある、あるだろう! それはそうと、お前はどうして飛竜に化けて兄上を攫ったりしたんだ。食事や寝床を与えられて、良くしてもらった相手なのにそういう乱暴はいかんぞ?」
顔に向けて突き出した指をすんすんと嗅ぎながら、エトはこちらの膝に乗り移ってくる。起き抜けで中身をあまりちゃんと作っていないのだろう、見た目よりもずっと軽い。
<アデューが、カッコイイって、言った>
「え?」
<本みて、アデューが、カッコイイって言ったから、そっくりにした。どうだ、おれはカッコイイだろ?>
一斉に集まる視線にうろたえながら、アダルベルトは眉間を押さえて俯き「エトが何なのか調べている時に、言った気がする……まさか竜種の仔だなんて思いもしないし……」と小声で呟く。
そういえば屋敷の書斎でも、何度か図鑑の類を手にしているのを見た覚えがある。いくら爬虫類やドラゴンを調べたところで、さすがに翼竜までは載っていなかっただろう。
<それに、おれはアデューをいじめてない。飛んだのは、アデューが、いきたいって言ったから>
「え? 俺が?」
<どこか遠くにいきたいって、言った。やりたいこと、おれ手伝ってやる!>
再び集まる視線に、アダルベルトは両手で顔を覆いながら俯き「言ったような気もする……」と絞り出すような声で漏らした。髪の隙間からのぞく耳が真っ赤だ。
「精神的にだいぶ参ってたから、というのは我ながら酷い言い訳だけど。ちょっと現実逃避に入っていたというか……なんというか……すまない……」
<だから、おれが連れてくんだ。アデューを、元気にする。マオーなら、なんとかできる!>
「ま……」
そこで絶句するように言葉を途切れさせるアダルベルトだが、自分も唖然としたまま声が出なかった。突然そっちに話が飛ぶなんて思いもしない。あまりにもするりと語られたせいで、言葉をさえぎる猶予もなかった。
「エト。マオーって、もしかして『魔王』デスタリオラのことか?」
<そうだ、あいつなら、なんとかしてくれる、大丈夫だ。あいつの巣は食べ物もある、アデューもいっしょに、いこう!>
「だがデスタリオラは何十年も前に……」
「とりあえず、兄上を連れ去った理由は判明したな! ははは、こやつめ、もう次からは相談もなくそんなことをしてはいけないぞぅ?」
「そっ、そうそう、周りも兄貴もビックリすんからな! ハハハ!」
話の流れをまぜかえすべく声を上げた自分に続き、八朔も不自然な笑いを貼り付けたまま白い仔竜を撫で回す。
その手を煩わしそうにしたエトは、揉みしだくうちに体を半分ほどまで小さくして腕の間をすり抜けた。そのままテーブルの上を駆けてアダルベルトの服の中へともぐり込む。
これほどまで小さくなれるなら、アダルベルトを救助したサルメンハーラの衛兵たちが飛竜を見失ったのも無理はない。兄を攫ったエトは長距離飛行に力尽きて着陸したあと、先ほどまでのように小さくなって眠っていたのだろう。
目を覚ましたらそばにアダルベルトの姿がなく、慌てて探し当てたのが昨晩の襲撃騒ぎというわけか。
知らずのうちに収蔵空間へしまい込んでいたせいで、とんだ騒動になってしまった。エトにはもちろん、母親であるセトにもきちんと説明をして詫びを入れなくては。リリアーナはこっそり嘆息しながら自身のこめかみを揉む。
消えた我が子を探してキヴィランタ中を飛び回っていた白い竜は、ある時からぱたりと姿を見なくなった。
あれから数十年、キヴィランタ側の誰かと連絡を取れたとしても、翼竜であるセトに渡りをつけるのは難しいかもしれない。
ひとつを解決しては、またひとつ問題が増えていく。なんだか『魔王』をしていても、ヒトになっても、あんまり変わらないなぁ……とリリアーナは遠い目をしながら窓の外を見上げた。
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