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お兄ちゃんは苦労性②

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 髪を撫でる手つきには不慣れが現れていて、そういえば長兄とはいつも会話ばかりで、あまりふれあう機会はなかったなと思い返す。
 不器用に頭へ置かれる手と、こんな時でも真面目そのものといった様子に引き締められた表情。成人前なのに眉間のしわがすっかり定着している。
 多忙さに気の休まる時がなかったというより、もしかしたらこの堅物な少年は、気の抜き方自体を知らないのではないかと思う。

「……ん? どうした?」

「いや、ちょっと、気になることがあって。兄上はいつも自分を律して過ごしているようだが、気晴らしはできているのか? 今まで兄上の趣味とかそういうものを聞いたことがない」

「趣味? 気晴らしになるような趣味か……」

 自分の場合は読書によって新しい知識を得ることだとか、お茶の時間に菓子をつまんでリラックスとか、カステルヘルミに魔法を教えて育てるとか、新しい構成を研究するだとか、日々の愉しみはいくつもある。
 だが、この生真面目な兄にはそういう「楽しいこと」が日常の中にないのではと訊ねてみれば、案の定アダルベルトは顎に手を添えて考え始めた。
 ……何となく、カミロに訊ねても同じ反応をしそうだと思う。

「裏庭で馬の速駆けをしたり、気に入った本を読み返すのは結構好きなんだが。趣味と言えるほどではないか……、うぅん、まぁ、でも……」

 アダルベルトはしばらく何かを逡巡してから、ちらりと横目で様子をうかがうようにこちらを見る。

「ちょっと照れくさいから、誰にも言わないと約束してくれるか?」

「ん? 秘密にしておくのは構わないが、何だ、兄上には他者に言えないような特殊な趣味でもあったのか?」

「それは語弊がある、決してやましい話じゃないんだ。ただ、少し子どもっぽいというか、侍女たちが嫌がるかなと思っているうちに打ち明けるタイミングを逃して余計に言い難くなっただけで……」

 なおもゴニョゴニョと言い訳のようなことを呟いてから、気を取り直すように軽く咳払いし、何かの大きさを示すように両手を広げる。大人の頭ひとつ分くらいの間隔。

「実は、部屋でこのくらいの大きさの、トカゲを飼っているんだ」

「トカゲ?」

「尻尾の長さも合わせるともう少し長くなる。リリアーナは、トカゲとか嫌じゃないか?」

「別に嫌いではないが、部屋でそんなものを飼育しているのか、侍女たちにも知られず?」

「たぶん、仔猫や小鳥の類だと思っているんだろうな……。木箱が余っていたら欲しいと言った時点でカミロには察しがついたらしくて、すぐに皿やタオルを渡してくれたけれど。中身はまだ誰にも見せていない」

 カミロが察した木箱と皿という言葉に、数ヶ月の出来事を思い出す。そういえば自分も同じようなやり取りをした覚えが……。
 収蔵空間インベントリとの接続点、兼、取り出した物の保管場所として部屋に木箱を置かせてほしいとねだったときだ。侍女たちが妙に生温かい目を向けてきて、カミロからは小皿が入用ではないかと訊ねられた。
 あのときは意味がよく分からなかったけれど、今になって納得する。どうやらアダルベルトのように部屋でこっそり小動物を飼うつもりだと勘違いされたようだ。

「あぁ、なるほどそれで……。しかし爬虫類とは考えたな、抜け毛や鳴き声もないから部屋に置いていても気づかれにくいだろう。そのトカゲの世話が、兄上の気晴らしというわけか」

「そうなるかな。少し前に部屋へ迷い込んできて、それから世話をしているんだ。肉や虫よりも、どういうわけか菓子や果物が好きらしい。お陰で餌にも困らないし、可愛いものだよ」

 アダルベルトはそう言うと、これまであまりお目にかかったことのない安らいだ表情を見せた。
 こういう顔をしていれば年齢相応にも見えるのに。初めて会った時からずっと、自分へ向けられるのは眉間に力を込めた厳しい表情ばかりだ。
 別段それを不服と感じるわけではないが、妹である自分はトカゲ以下なのか、と思わなくもない。

「こんな風に屋敷を空けることになるなんて想像もしなかったから、あいつが部屋でどうしているか心配だ。さっきリリアーナは、俺が誘拐されたと言っていたな?」

「あぁ、そうだ。わたしたちはコンティエラにいたから、その瞬間のことは分かりかねるが。屋敷のある方から飛び立った飛竜ワイバーンが脚に兄上を捕まえていて、それを追ってここまで来た。空から屋敷を見下ろすより前のことは、本当に何も覚えていないのか?」

「……どうも、ぼうっとしていた様だ。カミロが馬車を迎えるため、コンティエラまで出ると言いに来たことは覚えているんだが」

 アダルベルトをここまで攫ってきた飛竜ワイバーンは、結局行方がわかっていない。何者かに命じられたのか、それとも魔法か何かで操られていたのか。
 カミロも出払ったほんの数時間の隙、屋敷が一番手薄なタイミングを狙った犯行。内部の事情や予定を知る者が関わっていることだけは確かだと思える。密かに行われているという、領主家を狙った連続殺人とも何か関わりがあるのかもしれない。
 少しでも手掛かりの欲しいところだが、誘拐された瞬間も着地した時のことも覚えていないのであれば、これ以上アダルベルトから得られる情報はなさそうだ。
 ひとまず、大きな怪我もなく取り戻せて良かったとしておこう。

「気になることは多々あるが、こうして無事に兄上を取り戻せたことだし、まずは屋敷へ連絡しないとな。もうじき後発の自警団員たちも着くらしい」

「何だか大ごとになっているようで申し訳ないな……」

「なにを言う、皆が心配するのは当然だろう。もしそれを重荷に思うのであれば、例え方は何だが、領民の見知らぬ子どもが飛竜ワイバーンに攫われていたとしても、父上は同じ規模の捜索隊を向けたはずだ」

 攫われたのが領主家の長男で、跡目を巡るこの微妙な時期だったがために緘口令こそ敷かれたものの、他の誰が連れ去られたって騒ぎにはなるだろう。そのあと同じように領事館に保護されていたなら、協力を仰げる分すんなりと解決していたかもしれないが。
 仮定の話はともかくとして。今はアダルベルトが攫われたことだけでなく、自分とカミロが追跡して来たことも内輪にしか知られていないから、このまま無事に屋敷へ帰ることができれば表面上は「何もなかった」ということにできる。
 あとの調査や消えた飛竜ワイバーンの捜索については、自警団とサルメンハーラの衛兵の仕事だ。

 そんなことをアダルベルトへ話すと、兄はまた難しい顔に戻って黙り込んでしまう。
 攫われたことについては本人に非があったわけでもないのに、護身の意識が足りなかったとか、意識を失ったせいで手掛かりを覚えていないだとか、大勢に迷惑をかけたとか、心のうちで激しい自責の念に囚われているのが透けて見える。

「兄上は、何というか、苦労性だなぁ」

「そ、そうか?」

「そういう、何もかも自分のせいだと内省的になるところ、わたしもよく分かるから改めろとまでは言わないが。外因については、もうスッパリ『自分に非はない』と割り切る癖をつけたらどうだろう?」

「リリアーナの言いたいことは理解できるよ。うん、なるべく、そう心がけたいところだな……」

 微妙な苦笑いを浮かべたアダルベルトは、指先を組んで伸びをしてから凝った両肩を鳴らした。硬く凝り固まった筋肉と関節が、べきぼきと不健康な音をたてる。
 長時間同じ姿勢でいることによって、血行不順や筋肉の凝固が起きる。その仕組みは知っていても、健全な十五歳が鳴らす音ではない。

「普段の執務の手伝いはつつがなくこなせていたから、父上たちが不在の間くらい、領主代行としてちゃんとやれると思っていたんだ。カミロもいたし、はじめの数日はいつも通りにこなせていたと思う」

「何か大きな問題でも起きたのか?」

「……うん、いや、最初は火種くらいのものだった。でもこれを見逃せば後で大ごとになりかねないと思って、調査や取り調べを手配して、他の仕事の合間に報告を聞いたり手回しをしたり……。でも、だんだんと事の大きさが掴めなくなってきて、俺の手には余るんじゃないかとか、この程度も負えないなら領主の責務なんて背負うべきじゃないとか、色々と余計なことまで考えるようになって」

 深く、無音の息を吐き出しながら、アダルベルトは脱力するようにベッドの端へ背中を預けた。

「考え事をすればするほど、あまり眠れない日が続き、食事もきつくて。それでも仕事だけは手放したくないと意固地になっていたから、カミロにはずいぶん心配をかけたと思う。あとで顔を合わせたら謝らないとな」

「それをすると、謝罪が返ってくると思うぞ」

「え?」

「カミロも、ものすごく内省的だから落ち込んでいると伯母上が言っていた。だから兄上は謝るより、今の話をそのままカミロにも聞かせてやるほうが良いのではないか?」

 兄とカミロが険しい顔をしたまま互いに謝り合っている不毛な光景は、容易に想像がつく。
 それはあんまり解決にならないだろうし、内に溜め込む同士でそろそろ吐き出し合った方が良いような気がする。執務室にふたりで詰めて仕事をしていた数十日の間、おそらく私的な話はほとんど交わされなかったのだろう。
 マグナレアの言う通りだ。そこにせめてレオカディオがいたなら、双方ここまで気を塞いで「へこむ」ことはなかっただろうに。

 唇を引き結んでじっと俯く兄は、顔にかかる影のせいで余計に痩せて見える。
 目覚めてから水を少し口にしたきりだ。つい話し込んでしまったけれど、マグナレアに起きたことを伝えて昼食や飲み物を用意してもらおう。
 しっかり食べて、睡眠もとって、体が健康になれば心持ちもいくらか晴れるかもしれない。

「兄上、食事はとれそうか?」

「あぁ……大丈夫だ。あの酒場で勧められるままに、毒見もなく乱雑な飲食をしたはずなんだが。脂っこい肉も胃がもたれないし、真っ赤な香辛料の料理も平気だったし、酒の匂いも不快ではなかったし。不思議だな……」

 そう言って腹のあたりをさすりながら首をかしげるアダルベルト。いずれもタイリングの石に込めた『解毒』が作用しているせいと思われるが、もしそれを持っていなかったら今頃どうなっていたことか。
 あくまで外食時の毒物に備えて渡したはずの護身用品だが、念のため、これからも肌身離さず持っているように後でしっかり言い含めておこう。
 頭が切れてしっかり者のくせに、妙に危いところがあるから心配になる。

 自分のことは棚に上げて、リリアーナは長兄の世間知らずな一面に内心でそんなことを思っていた。

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