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よいこでお留守番②
しおりを挟む往路の休憩でこの花畑に入った時、たむろする土着の精霊たちに石の醸造を依頼しておいたのだ。
円柱陣の影響で元気の有り余った精霊たちが作り出したナスタチウムの花畑だが、その他は特に継続して働いているわけでもない。むしろ新たにやることを与えられて嬉しそうですらあった。
働きというなら、あの崩落で降り積もった土砂を巻き戻してくれただけでも十分ではあるが、せっかくこの一帯を自分の『領地』としたのだから、これくらいは特権を振りかざしても良いだろう。普段は滅多に来られない場所なのだから。
そうしてリリアーナが地下で造られた結晶を受け取っていると、正面に屈み込んだエルシオンが「なに、なに?」と言いながら手元をのぞき込んできた。
「……お前だって精白石くらいは知っているだろう」
「あれってお金持ち御用達の高級品だもん、オレはあんまり縁がないかな。何かするなら自分で魔法使ったほうが早いし。っていうかそれ精白石なの? へぇ、土の中にできるんだ?」
「あまり近寄るな、今度は顔面が爆ぜても知らんぞ?」
透明度の高い石がエルシオンの目にふれないよう手を握り込み、そそくさとポシェットの中へしまい込む。
こちらの様子に対しまだ何か言ってくるかと思った男はそのまま動かず、体を丸くして何が嬉しいのか満面の笑みを浮かべていた。
「何だ?」
「いや、なんでもない」
「休憩に抜け出してきたなら、人目を盗んで足を伸ばすなりしていれば良いだろうに」
「ふふふ、心配してくれるんだ。怒られたくないからちゃんと戻るけど、オレにとってはこうしてリリィちゃんとおしゃべりできることが何よりの潤いだよ」
飽きもせず軽薄な笑いを向けてくる男から視線を上げると、紙のような顔色をしたカステルヘルミと目が合った。
そういえばあの一件では家庭教師としてエルシオンの前に立ちはだかり、時間稼ぎをしたり足止めを買って出たりと、自分のために散々怖い思いをさせてしまったのだ。この男が牢を抜け出しては話しに来ていたことも知らないし、何食わぬ顔で突然現れたら驚くのも無理はない。
「無駄話の前に、うちの家庭教師にもちゃんと謝罪しておけよ」
「家庭教師? あ、そうだ、あの輪っかを浮かべたお姉さんだ、どっかで見た顔だと思ってたんだよ~これこれ!」
思い出したように顔を上げたエルシオンは、指先を回して空っぽの構成円を描いて見せる。あの時、カステルヘルミが気を引くために浮かべたものを真似たのだろう。
ただし熟達した腕前による再現は、微動だにしない真円だった。その出来栄えに目を奪われたのか、しばし呆然と眺めていたカステルヘルミは気を取り直したように姿勢を正す。
「わ、わたくしのことは、どうでも良いのです。そんなことより、お嬢様は、あの、大丈夫ですの?」
「あぁ。実はこやつの脱走はこれが初めてではない、驚かせて悪かったな。一悶着あったのは事実でも、わたしと家族と周囲の者たちに何も手出しをしない限りは、ただ目障りなだけだ。我慢はできる」
実際、どこまでこの男の言葉を信じられるものか、計りかねている部分はある。望みを叶えると言われたところで、何かして欲しいことがあるわけでもない。
それでも、対話を許したのは自分自身だ。
ヒトとなったこの身を、新たに得た『リリアーナ』の命を狙って来たわけでないのなら、別に無理して排斥しなくとも。……追い払ってもついてくるとか、力では敵わないとかそういう点を抜きにしても、まぁいるだけなら良いか、とか。そんな程度の諦めにも似た心地でいた。
「だーいじょうぶだよ、リリィちゃんの害になるようなことはしないって。約束する。そもそも、オレが本気で何かしようと思ってたら、あの程度の護衛も家庭教師も全員消し炭にしてとっくにキミを攫ってるでしょ?」
「炭ッ?」
横で聞いていたカステルヘルミが口を開けたまま再び固まる。
せっかく安心させてやろうとしたのに、この男は口を開けばろくなことを言い出さない。自分よりもヒト歴が長いくせに、人心の機微というものが全くわかっていないようだ。
きつく睨みつけるとエルシオンは笑顔を引っ込め、弁解するように手を振った。
「いやいや、極端な話というか喩えというか、冗談だってば、そんな酷いコトしてないんだから信用してよって話!」
「お前の場合は実現可能な上に、しないという保証が何もない、心ひとつでその冗談とやらが現実になるのだからタチが悪い。それをわかっていないわけでもあるまいに、妙な言動を繰り返すから余計に信用をなくすんだ。もうお前の言葉など話半分にしか聞かんからな」
「えーん、信じてよ~、キミには何ひとつ嘘なんてつかないし、嫌がることもしないからさ~」
語尾を伸ばしながら情けない声を出す男を無視して、ポシェットの留め具をかちりと嵌めた。
目的のものを回収できたから、ひとまずこの花畑にはもう用はない。休憩小屋の中に戻って温かいお茶でも淹れてもらおうか。
そんなことを思って裾を払いながら立ち上がる。未だカステルヘルミの陰に隠れたままでいるエルシオンを見下ろす形になると、手に摘まんだ一輪の花に軽く口づけをした男は、それをこちらに差し出してきた。
柔らかい花弁が唇に当たる。
仄かに甘い蜜の香りがした。
<「なっ……!」>
アルトの思念とカステルヘルミの声がきれいに重なって頭と耳に響く。
「誓いのチュー?」
「?」
その手にはふれないように注意しながら、摘まれたナスタチウムを受け取る。瑞々しい花弁も青々とした茎も、盛りの春に花壇で見るものと変わりなく、今が冬の季ということを忘れそうだ。
水に差しておけば今しばらくもつけれど、根から分断した鑑賞用の花はあまり好みではない。持ち帰ることはせず、受け取ったばかりの細い茎をエルシオンの黒い髪、耳の上あたりに差し込んでやった。
「この花畑を荒らすと、精霊に呪われるそうだ。知っていたか?」
「えっ? あ、そういえば街でそんな噂も聞いたような……、っていうか本当にこの寒い時期でも花が咲いてるんだね、ちょっとビックリした」
「ここを通ったことがなかったのか?」
「こないだコンティエラから王都に飛ばされて、戻る途中でサーレンバーを通りかかったわけだし。この花畑を見るのは初めてだよ」
眉尻を下げ、髪に飾られた花を弄りながらどこか困ったように笑うエルシオン。
あの時、ノーアが適当に落とすと言っていた転移先は王都だったのか、とぼんやり考えていると、離れた場所から名前を呼ばれた。
壁役に徹して動かないでいるカステルヘルミの横から顔を出すと、フェリバが手を振りながら自分たちを呼んでいる。
「軽食の支度ができたそうだ、寒い中に付き合わせてすまなかったなカステルヘルミ。あちらへ戻ろう」
「えっ、あ、はい。あの……あれ? 彼はどこに?」
「あれは出たり消えたりする。気にするな」
「えぇぇぇ、気にするなと言われましても、……でもお嬢様がそう仰るのでしたら危険はないのですわね。わかりました、努めて気にしないことにいたします」
納得しかねるといった様子で難しい顔をしていたカステルヘルミだが、用意された湯気のたつ焼き菓子を前にした途端、機嫌も表情も好転したようでそれきり話題に出すこともなかった。すっかり忘れているだけかもしれないが、単純なのは彼女の美点だ。
エルシオンが自分につきまとうつもりだとか、自警団に入りたいとか言っている以上、この先も度々遭遇することになるのかもしれない。カステルヘルミとは一応の面通しができたけれど、できればエーヴィやフェリバには会わせたくないなと思う。
「……」
精霊たちの老廃物として生成される精白石とは成り立ちから異なる、精輝石。
物質未満のそれは石のような感触なのに、まるで重さを感じない。テルバハルム山頂の清浄な空気をそのまま固めて、六角形に切り取ったらこんな風になるのかもしれない。
これが手元にあれば、わざわざ聖句を唱えて周辺の精霊たちを集めずとも、大掛かりな魔法を使う際の補助となってくれるだろう。そうそう円柱陣を用いるような大ごとには遭遇しないだろうが、備えがあればいざという時にきっと役に立つ。
……とはいえ、さっそく空中で放り出されて身を守るのに使ったばかりだし。
……これまで自力では足りない「大ごと」に三度も直面しているわけだし。
……何となく、想定以上に活用する羽目になるような気がする。
裕福なヒトの娘として生まれたのだから、もっと平穏で安全にのびのびと暮らしていけるはずだったのに。どうしてこんなことになってしまったのか。
何でだろうなぁ、とソファにもたれて透明な石を覗き込んでいるリリアーナの傍ら、ポシェットごと中の宝玉が揺れる。
<あの、リリアーナ様……あ、あー……すみません、やっぱりいいです>
「何だ?」
<いえ、お知らせするべきなのかどうかな、と……>
「何か探知したのか? それなら報告をしろ、どんな情報であれ判断をするのはわたしだ」
報告を言い渋るアルトにぴしゃりと言い切り、手にしていた石をしまうために鞄のふたを開ける。中に収められた布袋越しに、思考武装具の宝玉は謝罪を伝えるように小さく震えた。
<その通りです、申し訳ありません、ご報告いたします。現在、この建物の西側正面の路地に怪我をした少年が近づいてきております>
「怪我人? 状態は酷いのか?」
<治りかけの傷も含めれば全身に、裂傷や打撲など相当の負傷をしておりますが。大きなものはほとんど治癒しているようなので、放っておいても命に別状はないかと>
「なるほど、それで伝えるのを躊躇ったのか……」
傷はそう酷くないと聞いて安堵し、起こしかけた体を元に戻す。
もしこの聖堂を目指しているなら、自身で礼拝堂に入って休息を取るなり好きにするだろう。あそこには来訪者のための長椅子や飲用水も置かれている。じきにマグナレアたちも帰ってくるから、下手に自分が降りて手出しをするよりも、治療院へ運ぶか手当てをしてやるかの判断は彼女らに任せたほうが良い。
これが知り合いだとか領民であれば話は別だが、余所に来てまで知らない相手におせっかいをするほど世話焼きではない。優先順位の問題として、今は大人しくしているべきだ。
そう思って持ち上げたポシェットを置き直そうとするが、アルトの報告にはまだ続きがあった。
<その負傷した少年ですが、ヒトではありません>
「え?」
<額に角が。おそらく、小鬼族です>
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