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再会の朝、知己の宣託 ✧

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 白く飾り気のない天井を、ぼんやりと見つめていた。
 カーテンの隙間から光の差す明るい部屋。
 見覚えがないから自室ではないのだろう。なんだか記憶の前後が繋がらない。起き抜けで頭が働いていないな、という自覚だけがあった。

<お目覚めですか、リリアーナ様。おはようございます>

「ん……おはよう、アルトか。ええと……朝……?」

<浴室でお眠りになられて、その後この部屋へ運ばれたのです。お体の調子はいかがでしょう?>

 その短い説明だけで、散漫だった寝起きの頭がかちりと噛み合い、昨晩までの出来事をはっきり思い出した。
 そうだ、マグナレアと一緒に風呂へ入って、心地よさと疲労からそのまま意識を手放してしまったのだ。体と髪は彼女が洗ってくれたのだろう、ほのかに石鹸のいい匂いがする。
 寝間着は服を貸してくれると言っていた通り、自分の体よりもふた回りは大きい女物を着せられていた。肌触りのよい生地だが、襟も袖も余ってぶかぶかだ。
 息を大きく吸いながら、腕を持ち上げ思い切り伸びをして、頭をすっきりさせる。

「はぁ。何だか最近、寝てばかりいるな……」

<それだけお疲れだったのでしょう。サーレンバーから帰還されて、ここまでゆっくり休める機会もありませんでしたから。やっとまともな寝具でお休み頂けて良かったです>

 確かに、馬車での旅を終えてからすぐに飛竜ワイバーンを追い、無茶な魔法を使った挙句に昨晩は野宿までした。体力のない幼い体へ負担をかけすぎたと自分でも思う。
 蓄積した疲れはもとより、そろそろ自室の柔らかいベッドが恋しい。
 目元をこすりながら周囲を見回してみると、サーレンバーへ向かう途中で寄った宿屋のような、こじんまりとした部屋だった。建築から間もないせいか木材の匂いが強い。
 衣服やコートは見当たらず、すぐそばのチェストの上にアルトの入ったポシェットが置かれている。

「聞き込みへ行く前に回復できて良かった。まさか聖堂に寝泊りすることになるとは思わなかったが、ここからが肝要だからな。飛竜ワイバーンの行方が判明したらすぐにでも追いかけなくては」

 あのまま真っ直ぐベチヂゴの森へ向かったか、それとも迂回に海へ出たのか。もし付近に着地したのだとしても誰かが目撃しているはず。
 兄が攫われて今日で二日になる。アダルベルトの安否を思うと、胸の内がじりじりと焦燥に焼けつくようだった。
 体は快復したし、魔法も以前よりはたくさん扱える。次こそ失敗はしない。
 ベッドの上に座り込み、寝起きで力の入らない両手を握り締める。

 そんな思いつめた様を怪訝にでも思ったのだろうか、金光の粒がふわふわとリリアーナの眼前を行き来した。
 てっきり朝だから明るいのかと思っていたが、部屋の中は汎精霊たちがそこかしこに漂い、淡い光を放ち瞬いている。普段は視えていてもそう気にはならないのに、ここの精霊はなんだか主張が強いというか、余所より活きが良いようだ。

「聖堂の中だから精霊たちが濃いのか? そういえばコンティエラの聖堂にもたくさんいたな、パストディーアーの像に群がって派手に光っていたっけ」

<この下にも同じような像がありますね。聖堂というのはどこも同じような設備なのでしょうか>

 三年前の五歳記の祈祷。まだ聖句のことを良く知らない頃で、言われるままに唱えたら細かな精霊たちが大喜びしていた。あれからもよく力の不足分を補ってもらっているから、聖句についてはもう少し根本的なことを知りたいと思う。
 マグナレアと初めて会ったのもあの日だ。位の高そうな衣装に身を包み、自分のことを厳しい目で見つめていた女。昨晩話した彼女とはかけ離れた印象と陰口、きっと何か事情があるのだろう。
 まだ子どもの自分には伏せられている、イバニェス家と聖堂の関係。ファラムンドが聖堂を良く思っていないという話も、理由は一体何なのか。

「聖堂のことは未だにわからないことが多いな。調べたくても大人たちはその辺の事情から遠ざけたい様だし。早くノーアの居所を突き止めて、遠慮なく質問をぶつけたいものだが」

 白い少年と交わした問答の交換条件、次にノーアと会えたらあとふたつどんな質問にも答えてくれるという約束だ。聖堂の高位にあるらしい彼ならば、自分の知りたい様々な情報を持っているに違いない。
 街で会って共に食べ歩きをしてからしばらく経つけれど、元気にしているだろうか。

(――……?)

 ベッドの上に座ったまま、あの細いかんばせを思い出していると、目の前へ霧が吹きつけるように視界が白く染まった。めまいや貧血の症状かと思ったけれど、体に不調はない。
 何事かと瞬きを繰り返し、明るいも暗いもない白色だけが埋め尽くすその視界に見覚えがあることに気づいた。
 既視感、前と同じだ。ベッドに座っていたはずなのに、そこに『居る』という感覚が全くない。触覚や嗅覚が働いておらず、感じ取れるのは今こうして眼前に広がる白、視覚のみ。
 目の前にある、自分には見える、と念じればそれに応えるようにして視界がぱっと開けた。





「ごぷょっ」

 対面に座った少年が、口に含んだ液体を噴き出した。
 突然のことで驚いたが、飲んでいたのは熱いお茶ではなくミルクのようで安堵する。やけどをしたり白い服が染みになる心配はなさそうだ。

(久し振りだな、ノーア。……と言ってもこちらの言葉は聞こえていないか?)

 感覚だけで片手を挙げて振ってみるが、果して手は動いているのか。そもそも、向こうにこちらの姿がちゃんと見えているのかもわからない。
 リリアーナが長い袖の中で指を開閉し、触覚が取り戻せないかを試している間に、傍らに控えていた侍女らしき女が慌てた素振りで布巾を出してきた。
 汚れたローブを拭おうとするその手を断った少年は、布巾だけを受け取ってカップを置く。

「……大精霊様の宣託が下りた、しばらくこの部屋には誰も近づけるな」

「かっ、かしこまりました!」

 顔を強ばらせた女が踵を返し、早足で部屋を出ていくのを横目に見送る。
 頭を動かしてみても視界は固定されたままで、横や後ろは見えないらしい。目の前にある窓を覗き込んでいるような感覚だ。
 自分の体、その輪郭を意識すると次第に実体としての感触が戻ってきた。見下ろせば袖の余った手もちゃんとそこにある。

(ふむ、視覚だけを飛ばしているのかと思ったが、少し違うようだな。声も聞こえるし、五感の一部を投影しているのか?)

「一体、何をしてるんだ君は……」

(お、何だ、こちらが見えているのか。となると姿も映しているわけだから転移を応用した複合的な投射か、器用なことをする。仕組みがわかればわたしでも再現できるかな?)

 改めてノーアのいる室内を見回してみると、以前に見た部屋と同じ場所のようだ。向かいの白い壁には蔦のモチーフの窓枠がはめ込まれた大窓がある。
 前回よりも少しだけ引きの視点なのだろう、ノーアがかけている椅子とテーブルは初めて目にするもの。あらかた空になった皿と白いカップ、そして飛び散ったミルクの水滴。

(朝食の最中だったのか、驚かせたようですまなかったな)

「驚くも何も、突然、どうやって、いやそんなことよりも君、なんて格好をしているんだ、そもそもなんで、いやとにかく服だ、ちゃんと服を着ろーっ!」

 何やらすごい剣幕でまくし立ててくるので、だらりと下がっていた長い袖を捲り上げ、開いていたボタンもきちんと一番上まで留めた。
 髪も寝乱れているだろうが、実際寝起きなのだから仕方ない。手でいくらか撫でつけてから「これでどうだ」とばかりに堂々向き直る。
 ノーアは頭痛をこらえるように額を押さえて俯いていた。

(どうした?)

「どうしたも……こうしたも……。まず、説明を求めたい、なんでこんなことになってる?」

(いや、わたしが魔法を使ったわけではないから説明は難しい。前回の五歳記の時と同じように、精霊たちが勝手にやったことだろう。前はお前の後ろ姿を見るだけで、こうして会話まではできなかったが)

 口でそんなことを返しながら、仕組みを解明するため観察に思考の大部分を割いていた。
 離れた場所にいる相手の姿を見たり、会話をすることが可能な魔法。もし同じことが自分で再現できればとても便利な連絡手段となる。

「まったく、悪戯好きにも程がある……。というか別に個人の趣味嗜好にまで口出しをするつもりはないけれど、寝間着としてどうなんだそれは。君の屋敷の侍女は仕事をしていないのか?」

(あぁ、これは借り物だから仕方ない。今サルメンハーラに来ていてな、昨晩は聖堂に泊めてもらった)

「ハァァ?」

 ノーアは素っ頓狂な声を上げてテーブルに身を乗り出し、はたと我に返ったように姿勢を戻した。
 朝から元気だなぁと眺める顔は、初対面の日よりも幾分血色が良くなっているような気がした。痩せすぎだった頬もほんの少し肉がついて、前より健康そうに見える。
 朝食に何を食べていたのかわからないが、空になった皿は数枚。ちゃんと食事を摂っているようで安心した。

(ふむ、健康に過ごせているようで何よりだ。前に会った時は痩せて顔色も悪かったし、一体どんな生活をしているんだと思ったぞ)

「別に、君にそんなことを心配される筋合いは……」

(わたしは日々たくさん食べてたくさん運動しているからな、先日もカミロに背が伸びたと言われたし。フッ……、直に会う際にはお前の背丈を越しているかもしれん)

「安い挑発だな、栄養状態の改善を試みたから僕だってまだ伸びる。次に会ったら見下ろしてやるから、せいぜい首を痛めないことだね。……って、そんなことはどうでも良いんだっ、なんで君がサルメンハーラなんかにいるんだよ!」

 ノーアは声を荒げるとこぶしで自分の膝を叩き、湿った感触に気づいたらしく眉を顰める。
 色が白いから染みにはならないだろうけれど、零したミルクはしっかり拭いたほうが良いと思う。親切心からそう指摘したのに、なぜか険しい顔でこちらを睨みつけて布巾を持った手を動かし始めた。
 前に会った時はもう少し落ち着いた少年だったという印象がある。よく食べるようになって、より元気になったということだろうか?
 予期せぬ再会を内心で喜びつつも、リリアーナは首をかしげてローブを拭う少年を眺めていた。

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