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出立に至るエトセトラ
しおりを挟む手招きをしてそばに呼び寄せ、昨晩も椅子代わりにした岩へ腰かけさせると、カミロは深々と頭を下げた。毛先から垂れた水滴がひざの上に落ちる。
「私としたことが。朝から大変見苦しいものをお目にかけまして、誠に申し訳ありませんでした」
「まぁ、確かに珍しいな、お前があんな下らない言い争いをするなんて」
<…………>
アルトから何か物言いたげな気配が伝わってくるけれど、まずはカミロのことだ。こんな寒い中に薄着で、しかも髪を濡らしたままでは風邪をひいてしまう。
座らせたまま動くなと言い置き、使ったばかりのハンカチを開いて少し乱暴にカミロの頭を拭ってやる。
ちょっとだけズルをして魔法で水気を飛ばしたため髪はすぐに乾いたが、鳥の巣のようだった頭がさらに酷いことになった。癖のない細い毛が広がって別の生物みたいだ。慌てて手櫛で梳きながら丁寧に撫でつけると、残った湿り気のお陰でどうにか落ち着いてきた。
「いえ、構いません。お手数をおかけいたしました」
「ずるーい! オレもリリィちゃんに頭やってほしいー!」
「この辺に水場なんてないだろうに、なぜ髪が濡れているんだ?」
「……油断をした私の責任ではありますが。顔を洗うための水を用意して頂けると言うので近寄ったら、首から上を丸ごと洗われまして」
じっとりした視線をエルシオンに向ければ、男は釈明をするように両手を横に振った。
「いや、あれはオレも旅の最中によく使ってる魔法なんだってば、風呂とか入れない日もあるからさ、ちゃんとぬるい水にしてあげた心遣いをくんでほしいなー?」
「それならそうと、先に説明すれば良いだろうに」
どう考えてもエルシオンが悪い。ちくちくと視線で責めている間にカミロはテント脇へ吊るしていた上着に袖を通し、ポケットからタイを取り出して襟元を正した。
いつも整髪料で整えている髪を下ろしている以外は、普段通りの見慣れた装いだ。膝にのせていた外套とマフラーを差し出すと、礼を言ってそれらも身に着ける。
「何やら言い争っていたのも、そのせいか?」
「いや、あれは変装のことだよ。カミロサンってば見た目通りに頑固なんだもん。お堅い勤め人はこれだからイヤだよね~」
カミロが身なりを整え終わるのを待って問いかけると、たき火の向こうからエルシオンが口を挟んできた。
もう隠す必要もないため遠慮が抜けたのだろう、収蔵空間をあさって次々に食器や食材を引き出し、朝食の支度を始めている。
「必要がないと何度も申し上げたはずです」
「でもさ、もしバレたらリリィちゃんのおうち的にマズイわけでしょ? だったら出来る範囲の努力を惜しんでる場合じゃなくない?」
「一介の従者に過ぎない私を知る者は、町を統治する上層部くらいなものです。それらの目を避けて行動すれば問題ありません。あくまで目的は情報収集、町にいる商人らに話を聞ければ十分でしょう」
「そうは言ってもどこで誰に見られるかはわからない。身バレのリスクを抱えたままコソコソ行動するより、安全を取って変装のひとつもするべきじゃんって、オレは親切心から言ってるのにさぁ」
確かにエルシオンの言うことも一理ある。だが、カミロがそこまで頑なに変装の必要はないと言い張るなら、それなりの理由と根拠があってのことではないだろうか。
ハンカチをしまって隣に腰かけ、指先でしきりに眼鏡の位置を直す男を見上げる。どうやらレンズが割れただけでなく、フレーム自体も歪んでしまったらしい。
「着替えの手間ごとき惜しむわけもないし、カミロがこのままの服装でいるべきと判断したのなら、……誰かにバレる心配より、むしろこちらから身分を明かす必要が生じる可能性もある、とか、そういうことか?」
「さすがはリリアーナ様、ご慧眼です」
「ええー、本当に~? リリィちゃんに仕事着以外は見せたくないとかそーいうアレじゃないの~?」
語尾を伸ばしてそんな減らず口を叩きながらも、エルシオンの手元では朝食の支度が滞りなく進む。
取り出したパンを半分に割って直火で炙り、燻製肉らしきものと青菜を切りわけ、片手間にミルクを入れた小鍋で香茶を煮出す。忙しなさを感じさせない手つきは昨晩同様、野営での調理に慣れていることを物語っていた。
旅立ちから魔王城到達までの数年と、その後の四十年。宿に泊まらない日はこうして自ら野外での調理をして、食事を摂ってきたのだろうか。今の自分では想像もつかないほどの長い年月だ。
「リリィちゃん、ミルクティーにお砂糖はどうする?」
「そのままで良い」
「お口が小さいからパンに挟みすぎると食べにくいよね、これくらいかなぁ、そのぶんカミロサンにはてんこ盛りにするからたくさん食べて。あ、チーズも出しとこ」
絶えず独り言なのか話しかけているのかわからない言葉を漏らしつつも、エルシオンは手際よく支度を終え、それぞれに皿に乗ったパンとチーズ、湯気の立つミルクティーが配られた。
昨晩の食事に続いて味は申し分ない。小振りなパンは柔らかくて食べやすく、濃い目に味のついた燻製肉とミルクから煮出した香茶はしっかりと腹にたまって、体が中から温かくなった。
街でブニェロスを食べた時にも思ったことだが、屋外で食べる食事は何だか格別においしく感じる。
屋敷ではこんな風に、両手で掴んでかぶりつくような料理はまず出てこないけれど、アマダに頼めば何とかしてくれそうだ。天気の良い日にでも、裏庭に敷物を広げて昼食をとれたら良いと思う。この前ささやかな茶会を開いたサンルームのように、兄たちと三人揃って――
「リリィちゃん、お茶のおかわりいる?」
「いや、もう十分だ。少し食休みを取ったら出発しよう、支度に時間をかけすぎた」
「ここまで来たら焦ってもしかたないよ」
「わかってる。だが、アダルベルト兄上はこんな呑気に朝食を摂っていないだろう。食事だけでなく、今どんな状況にいるのかもわからない。早く見つけないと、もし取り返しのつかないことになっていたら」
万が一、攫われたアダルベルトの身に何かあれば。きっと、こんな風にのんびりと食事をしたり、ぐっすりと朝まで温かくして眠ったことをこの上なく悔いることになる。
空を飛んで追跡している時だって、相手が飛竜だからと油断しなければ旋回の異変に気づけたかもしれない。何か手を打って墜落を免れていれば、相手を見失わずに済んだし、丸一晩の遅れを取ることにもならなかった。
「もしも」を考えたってしかたないとわかっていても、そんなことばかりがぐるぐると頭の中を埋め尽くす。
「なんていうか、苦労性だねぇ。身の回りで起きること全部が自分のせいで、防げなかったり守れなかったりしたらそれも全部自分が悪いって、そんな風に思ってるでしょ。多才ゆえの傲慢だよね、世の中の何もかもがキミの一存でどーにかなるってワケでもないだろうにさ」
珍しく毒づくエルシオンの言葉ももっともだ。未だに『魔王』であった頃の思考が抜けていない。
いつの間にか下向けていた顔を上げると、何かを寄越せというように手が差し出されていた。遅れて理解し、空になった食器とカップを手渡す。
「そーいう悪い想像は、いったん置いとこ。一度囚われると、ただの想像なのにどんどん気分がへこんで行動に差し障るから。まずはひとつひとつ、決めたことをこなしてその都度判断をして、自分で最善だって選んだ道をまっすぐ行こう。どんな形であれ、その先に結果は待ってるよ」
「言葉尻は軽いのに意外と実感が伴いますね。年の功というものでしょうか」
「あのさ、オレ、今すごーくイイこと言ったよね、もっと他になんかないの?」
「普段の軽率な物言いがこういう時に足を引っ張るのですよ。よく理解できましたか?」
「なんでお説教に戻ってるのかな……話の流れがおかしくない……?」
また下らない言い合いを始めた男たちの言葉を聞き流している間に、いくらか胸の内は軽くなったような気がする。
ひとりでなくて良かった。
もしこの状況下にひとりでいたら、際限なく悪い想像ばかり働かせてろくなことになっていなかっただろう。想定を多く持とうとする余り、考えすぎるのは自分の悪い癖かもしれない。
岩から立ち上がり、パンくずの落ちたコートを払う。
まだ何も言っていないのだが、それを合図とばかりにエルシオンは食器類を軽く水で流してしまい込み、カミロはたき火の始末を始めた。テントや寝具などはまとめて収蔵空間へ収められ、あっという間に出立の態勢が整う。
まず向かうのは北。詳細な現在地点がわからない以上、しばらく進んでみて目印になるようなものを探すしかない。方角の案内はアルトに任せるとして、何を目印とするかはサルメンハーラを知っているカミロとエルシオンの知識があてだ。
アルトからの念話で向かう方向を確かめていると、そばに寄ってきたカミロが背中を向けて腰を落とした。
「リリアーナ様、背に乗って下さい」
「え? いや、どこも怪我をしていないし、自分で歩けるが……」
「長距離の移動になりますから。昨晩よりも熱が上っておられるでしょう、無理は禁物です」
「うっ」
こちらを気遣う言葉は柔らかいのに、言外に「背負われるのが嫌ならもう一日休憩していく」という二択にもならない選択を迫られているのがわかる。
どう文句や反論を並べたところで、カミロに敵うわけもない。早々に諦めて、大人しく広い外套の背につかまった。
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♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
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