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天秤①
しおりを挟む警戒心を嵩上げするリリアーナに気づいているのかいないのか、テントの入口から身を乗り出し片手をついた体勢のまま、エルシオンは首を横にかしげた。
「っていうか少し前から思ってたんだけど、キミってば収蔵空間は使えないの?」
「……だったら何だと言うんだ」
至らない部分を指摘されているようで少し頭にくる。
今の体には負荷が大きすぎるというだけで、全く扱えないわけではない。空間同士を繋げる狭い通路を開いたまま、時間をかければある程度の大きさの物なら引き出すことができる。
だが、エルシオン相手にわざわざそんな言い訳じみた説明をするのも癪だから、問いには答えず口を閉ざした。
「あ、やっぱりか。没収って言いながらそんなすぐ抜き取れそうなとこに隠すし。あの花畑で回収してきた石も、その鞄に入れてたよね。もう『魔王』じゃないから生前の収蔵空間は使えないにしても、新しく作るとかできないのかな?」
「……?」
何やら勝手な解釈をして話が進められる。
その何気ない言葉に妙なひっかかりを覚えるものの、あえて顔には出さないよう努めた。
「あれは空間を操作する魔法だから、もう少し成長しなければ体に負担がかかる」
「そっか。たしかにオレも、聖剣とか取り出せたのは十歳過ぎてからだったかな。魔法の知識だけあっても体が追いつかないんだろうねぇ」
おおむね、その通りだ。意識と記憶だけデスタリオラのものを引き継いでいたって、今の『リリアーナ』の体では大した魔法を扱えず、四肢を用いた戦闘行為も難しい。
魔法を使う力も、手足の長さも、体力も、何もかもが足りない。
あと何年、歳を重ねればこの不自由から脱することができるのだろう。
口を固く引き結ぶリリアーナを見て話題のまずさを悟ったのか、エルシオンは言葉を探すようにしばらく間延びした声で唸ってから、掴んでいるクッションの端でカミロをつついた。
「あのさ。カミロサンには収蔵空間から物を出してるとこも見せちゃったけど、ほんとは他人には内緒にしてるんだ」
「内緒にって、収蔵空間が扱えることを?」
「うん。魔王領への旅の最中も誰にも言わなかったから、ずっと一緒にいたオーゲンだって知らないし。ペレ爺は気づいてたかもしれないけど、人前で物を出し入れしたことは一度もないんだ」
こうして一晩野営するだけでも食糧や寝具など様々な物品が必要になる。荷物の多い長旅であればなおさら、収蔵空間は重宝したはずだ。
それを同行する仲間にも知らせずにいるなんて、かなり不便だったのではないだろうか。
リリアーナがなぜと問う前に、エルシオンは眦を細めて先を続けた。
「重さも大きさも関係なしに、状態を保ったまま物を運べるなんてさ、いくらでも便利に使い放題じゃん? ガキのオレでも人に知られたらヤバイなって思ったし、何代か前の『勇者』も中に手紙を残してくれてたよ。収蔵空間の魔法だけは内緒にしとけって」
手紙を収蔵空間へ残して次代へメッセージを伝える。
そういうのも有りなのかと、リリアーナは胸の内で密かに感心した。
確かに、これまでいくつも『勇者』の活躍を描いた伝記を読んできたが、異層空間に物品を保管しておく魔法の記述はなかったように思う。たまに見かけた「武器を呼び寄せる」だとか、「遠方より物を召喚する」といった描写がそれにあたるのだろう。
ヒトの文化圏では大量の武器輸送だとか、危険な薬品の扱いなどは法で厳しく定められていると聞く。そこに収蔵空間なんてものがあれば、人目を忍んで運び放題だ。
たとえ本人に悪用する気がなくとも、周りに知られれば断りにくい相手から頼まれたり強要されたりと、面倒なことになるのは想像に難くない。
自分も散々便利に使ってきただけに、改めて気づかされる状況の違いに息を飲む。
「そんなに……ずっと秘匿してきたものを、カミロに見られて良かったのか? あの召喚魔法だってあまり広く知られているものではなかろう」
「まあ、空飛ぶ手段に関しては、ちょびっと功を焦ったトコもあるけど。カミロサンなら大丈夫かなって思ったんだよ、だってリリィちゃんの身内でしょ?」
「ああ。カミロは無為に秘密を言いふらすような男ではない。明日になったらわたしからも、他へは漏らさないよう伝えておこう」
とは言ったものの、何もない空間から様々な物を取り出しても一切驚いた素振りを見せなかったカミロ。もしかしたら収蔵空間の存在をすでに知っていたのでは、と思わなくもない。
元々あまり表情の変化しない男だから、内心では驚いていたのかもしれないが。
昏々と眠るカミロの顔へ視線を落とす。いつもの眼鏡を外しているせいで、何だか別人のようにも見える。
本人の意図しない睡眠ではあったが、朝までゆっくり眠って少しでも疲れや痛みが和らぐといい。怪我をしていたという側頭部の髪にふれると、乾いた血なのか砂なのかわからないものがパラパラと落ちた。
光源から遠いせいか顔色が悪く見える。コートを被せた胸がわずかに上下している以外、全く動かないため本当に寝ているだけなのかちょっと不安になる。
「リリィちゃんさ、オッサンには生まれる前のことを話したのに、カミロサンには内緒にしてるんだね」
「え?」
眠る男の顔から視線を上げると、エルシオンが思惑の読めない表情でこちらをじっと見つめていた。
「ま、気持ちはわからないでもないけど。家族とか身内だからって、何でも打ち明けられはしないよね」
「……」
どうしてこう、度々痛いところを突いてくるのか。
家族や周囲の者たちに対し、秘密を多く抱えているのは物心ついた頃から悩みの種だった。
父も、兄たちも、カミロも侍女もみんな信頼できると思っているのに、どうしても生前の自分やその記憶を継いでいることは話せない。
果してどう思われるのか、無為に悩ませてしまうのでは、知られた後で何か変わってしまうかも。そう考えると、怖いのだ。
皆を大事だと思うからこそ、怖くて言えない。
この幼い『リリアーナ』の中身は、かつて死んだはずの『魔王』デスタリオラだった――なんて。
「いや~、なんつーか、こないだやり合って危うく封印されかかったオレとしては、弱くなったとまでは言えないけどさ、今のリリィちゃんは何かと制限が多い身の上じゃん? それなのに守りたいものとか大事な人ばっかり増えたでしょ。そういうのって、危ないと思うんだよ」
「危ないって、どちらが?」
「両方だけど、オレ的にはキミを心配してるわけ。どんだけ強い人間でも体はひとつだし腕は二本。何でもかんでも抱え込めるわけじゃない。それなのに、キミはその小さい体をめいっぱい伸ばして周りの全員を守る気でいる。……違う?」
否定はしない。エルシオンの言葉通り、自分の目の届く範囲だけでも守るつもりで今まで生きてきた。それの何がいけないというのか。
力不足を指摘しているつもりなら、今さら言われるまでもない。
現に領道の崩落では父とカミロを失いかけたし、コンティエラやサーレンバー邸で追われた際は、エルシオンに本気の害意があれば全員ただでは済まなかった。以前見た悪夢のように、目の前で大切な者たちを失うことになっていただろう。
常人ならぬ魔法を扱えようと、何でも叶うわけではない。
自分の手は小さい。かつてデスタリオラの手からすら零れ落ちた数々の命、こんな小さな手で守れるものがもっとずっと少ないことは、とうにわかりきっている。
「わかってる、知ってる、お前などに言われずとも。それでも、家族を守ろうとすることの何が悪い?」
「別に悪いとは言わないよ。ただ、昔と違って今はかよわい女の子なんだから、無茶はしないで欲しいなっていうか。今日だってお兄ちゃんを助けるために、自分の安全は度外視してたでしょ?」
「それは……」
「今日さ、飛竜を追う手段として極楽鳥を出した時、キミも一緒に来てくれたらいいなとは思ったけど。本当に来るって言い出したもんだから、実はちょっと迷ったよ。わざわざ危険な方に連れて行っても良いのかなって。……本心から言えば、キミには自分の身を一番大事にしてほしい。家族よりも、誰よりも、この聖王国にいる人間全員よりも」
さすがに誇張が過ぎる言葉も、真っ直ぐに射抜くエルシオンの目は隅から隅まで本気だと伝えていた。
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