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楽土へ招く幻想鳥
しおりを挟む前庭にいた者は全員、突如現れた巨大な鳥を見上げて絶句していた。
召喚魔法を使うと聞いて、さらには喚ぶ対象の見当がついていた自分すらも唖然としているのだから、それも当然の反応だろう。大きさに、色に、形状に、色々と思う所はある。
コメントに困ったリリアーナが隣を見ると、我に返ったファラムンドが憮然とした声を上げた。
「なんだ、このけったいな鳥は?」
「極楽鳥だよ、名前を聞いたことくらいはあるんじゃないかな。ちなみに本物デス!」
「前に本で読んだことはあるな……。善き魂を最果ての楽園へ連れて行ってくれる鳥、だったか? どうもイメージとは違うんだが」
「まぁ、良いように書いたおとぎ話なんて、実物のことはどーでも良いんだよね。それはそれとして、コイツ見た目もっさりだけど、タフで頑丈だから長距離飛行には向いてると思うよー」
得意げに手を挙げながら紹介をするエルシオンの向こう、当の極楽鳥は何が起こったのか理解ができていない様子で落ち着きなく周囲を見回す。
山の巣でくつろいでいた所から急にこんな場所へ召喚されれば、まぁそうなるだろう。「ブェェー」と妙な鳴き声をひとつあげると、長い首を回してリリアーナの方を見つめた。
「ん?」
<……とりあえず、私の方から簡潔に状況を説明してみました。ヒトに対する敵意は感じられませんので、頼めば数人の騎乗も可能かと>
「そうか」
黒く丸い目はポシェットではなくリリアーナの顔に向けられている。もしかしたら念話で話をしたのがアルトだとは分かっていないのかもしれない。
虹の輝きを持った羽根に興味を引かれ、巨体に近づいて手を伸ばすと、極楽鳥は自分から顔を下げてきた。
ふっくらした頬の部分を両手でつかむように触れば、綿毛の中に指が沈み込む柔らかさ。間違いなく、あのクッションに詰められた羽毛の主だ。
「リリアーナ」
羽毛に伸ばしていた手を横から掴まれる。膝をついて屈んだファラムンドが真剣な顔でこちらを見ていた。
「まだこの鳥が安全かどうかもわからん、お前は下がっていなさい」
ファラムンドの言葉が聞こえたのか、心外だとばかりに極楽鳥が再び気の抜けるような鳴き声を上げる。
その胴体に近づいたエルシオンは、翼を軽く叩きながら飛竜の追跡のため自分たちを背に乗せるよう説明を始めた。
奴は飛び立つのに魔法の補助が必要だと言っていた。サイズ的にも、こんな狭い場所からの飛翔が得意な鳥ではなさそうだ。住処がテルバハルム山脈であることを考えると、普段は高所から気流を使って飛び立つのではないだろうか。
それでもアルトの探査に加え、風の障壁や加速などを使って自分が手を貸せば、見失う前に追いつくことができるはず。
下手に刺激して飛竜が脚を離すと、もしくは爪に力を込めるだけでも捕まっているアダルベルトの身が危ない。
追跡だけでなく救助や戦闘にも魔法が要る、……きっとエルシオンだけでは手が足りない。
空に浮かぶ飛竜は未だ目視できる距離だ。リリアーナは決意を固め、父の顔を見返す。
「父上、無理を承知でお願いする、どうかわたしに行かせてほしい」
「リリアーナ、何かしたいというお前の気持ちは有り難いが、状況がわかるまで上の部屋で大人しくしているんだ。心配しなくても大丈夫だから、お父さんたちに任せてくれ」
「すまない、父上の言いつけであってもそれは聞けない。確かにこんな子どもでは頼りないだろうし、庇護される側だということもわかっている……でも、ここにはいられない。必ずアダルベルト兄上を連れ戻すと約束する、自身も怪我をしないと誓う。だから、どうか行かせてもらえないだろうか?」
この願いだけはどうあっても譲れない。
それでも、無理に振り切って飛び出すようなことはしたくなかった。身勝手ばかりだが、できれば父の許可を貰った上で追いかけたい。
安全な場所で大人しく待っているべき立場だということくらい理解している。無茶は承知の上。でも今は、緊急事態だからこそ自分の力を有効に使わなければ、何のためにここにいるのかわからない。
あの領道の崩落には、居合わせることができなかった。
事後にやれることしか残っていなかった。
だが今は違う、明確に自分だけにできることが、すぐ目の前にあるのだ。
じっと見つめる娘の視線を受け、これまでリリアーナには向けたことのない厳しい表情のまま、ファラムンドが問う。
「どうしてもか?」
「どうしても」
一歩も譲れない願いを伝えるため深々うなずくと、大きな手で頭を撫でられた。
宥めるでもたしなめるでもない、ただひたすらに優しい感触はとても温かい。父から向けられる想いをそこに感じ、何だかいたたまれなくて目を逸らしたくなってしまう。
間近にあるファラムンドの藍色の目には、自分の顔が映り込んでいる。いつだって、向けられる眼差しは優しい。
娘として慈しまれ、大事に扱ってもらっている。それなのに自分は、やりたいことのために親から向けられる親愛を振り切ろうとしているのだ。申し訳なさに胸が締め付けられるような思いがした。
「いつもは言わない我が侭をこんなところで発揮してくれるとは。一度言い出したら聞かない頑固さは、あいつにそっくりだな。いいよ、行っておいで」
「え?」
さすがにすんなり許可が出るとは思わなかったから、意外な言葉にぽかんと口を開けて驚いてしまう。
そんな自分の顔が余程おかしかったのだろう、頭から手を離したファラムンドはくつくつと小さく笑った。
「娘を危ない目に遭わせるのはもっての他だが。……お前がどうしてもと願うなら、たとえそれがどんな我が侭でも叶えてやるって。そう、ウィステリアと約束をしたからな」
その名を、父の口から聞いたのは初めてのことだった。
もういないヒト。
屋敷の中では名前を口にするのも憚られるような雰囲気を感じていたから、これまで自分も口にしたことはない。生まれてから一度も、その機会すらなかった。
彼女を想う誰もが懐かしげに、愛おしそうに思い出を語るのに、決して名前を呼ばない。
ウィステリア。
口の中だけで、リリアーナはその名を復唱した。
「母上が、そんなことを……?」
「うん。だからお前がそうしたいって言うなら、お父さんは何でも叶えてあげよう。ただし、さすがにひとりで向かわせるわけにはいかん。危ないし、危ない奴までいるし。……カミロ、お前がついて行け」
「妥当な判断です」
「何を偉そうに」
指名を待っていたかのようにうなずいたカミロは、ファラムンドの横を抜けてリリアーナの隣に立った。
父の後ろで従者と何か話したり、馬車と往復しているのは視界の端に見えていたが、もしかしたら自分が行くと言い出した時からついてくるつもりだったのかもしれない。
苦い顔のファラムンドは懐から何か小さなものを取り出して、カミロへ放り投げる。
「リリアーナに掠り傷ひとつでもつけたらタダじゃおかないからな」
「ええ、この首に賭けて」
そんな物騒なことを言いながら受け取った物を外套の内ポケットへしまい込み、肩にかけているマフラーをきちんと巻き直して杖をベルトに挟み込む。そうして簡易に身支度を整えたカミロは、巨大アヒル――極楽鳥に片手を伸ばしてもふもふと羽毛の感触を確かめる。
自分も何か必要なものを……と考えたが防寒具はしっかり身に着けたままだし、ポシェットの中にはアルトと、領道の花畑で回収してきたモノも入っている。余計な手荷物を増やすよりはカミロに任せたほうが良さそうだ。
そうして乗り込む人員と準備を整えたこちらに向かい、エルシオンは嫌そうにしかめた顔を斜めに傾けた。
「リリィちゃんが来てくれるのは大歓迎っていうか、元々そのつもりだったけどさ。お伴は要らないんじゃない、オレはふたり乗りって言ったよね?」
「私とあなたでふたり乗りですよ。リリアーナ様は羽根のように軽いですから、ひとり分には相当しないでしょう」
「ぅぐっ……それうなずくしかないヤツじゃん、ずるい、この人、ずるい大人だー!」
「狡くて結構。追跡ができなくなると困ります、早く行きましょう」
まだ納得がいかないのかぶつぶつと文句を漏らすエルシオンが、両手の指を前に組んで上体を屈める。
一体何だろうと思っている横で腰を落としたカミロは、「失礼を」と一言断るとリリアーナの体を横抱きにした。そうして数歩の助走をつけ、エルシオンの組んだ手を足場にして一息に極楽鳥の背まで跳びあがる。
腕を跳ね上げてカミロを跳ばしたエルシオンも、すぐに手羽元へ足をかけて乗り上げてきた。
鳥の背は羽毛で覆われてとても柔らかいが、首から後ろは意外と平らだ。そこにエルシオン、リリアーナ、カミロの順で腰を下ろす。
……正しくは、エルシオンの後ろにリリアーナを抱えたカミロが座っている。
「……あのさ、その体勢、ずるくない?」
「狡くて結構。リリアーナ様の安全確保のためです」
「正面を向いて座ったらお前が邪魔で前が見えないだろう。体勢はこれで良いから、そこで大人しく風避けになっていろ。わたしも障壁を張るのと探査観測くらいは手伝える。ほら、時間が惜しい、さっさと出せ」
そう急かせば、まだ何か言いたげに振り向いていたエルシオンは唇をとがらせながら【浮遊】をかけて極楽鳥を宙に浮かせた。
翼を広げもしていない、丸々した巨鳥が浮かぶのは異様な光景に映っただろう。難しい顔をしたままのファラムンド以外、前庭に残された面々がそろって驚愕の顔で見上げている。
「父上、どうか屋敷の方を頼む!」
「ああ、お父さんに任せとけ。リリアーナの方こそ気をつけるんだぞ、自分を最優先に行動しろ!」
庭を見下ろしそう言葉を交わしたのが最後、重力から解放された巨体は浮遊の魔法によって天高くへと持ち上がった。
かつて翼竜セトの背に乗って空を飛んだ時のように、見る間にファラムンドたちが、別邸が、コンティエラの街全体が眼下へ小さくなっていく。
デスタリオラであった頃以来、久し振りに目にする上空からの景色。羽根の感触と冷たい風。何とも言えない懐かしさのようなものが溢れてきて、少しだけ鼻の奥が熱くなった。
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