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間章・まもる魔王さまは涙を流せない⑥
しおりを挟むサルメンハーラ武装商団と名乗る一団は、衣服に金属製の鋲をつけているだけでなく、その馬車にも棘のようなものを無数に取り付けていた。
表皮の丈夫な魔物でなければ体当たりをするだけでダメージが入る。防御力と攻撃力を同時に高めるための工夫かと問えば、「この手の商売はハッタリも大事やから」と言って、ダイゴは荷台の奥にあった馬車用の衝角を見せてくれた。車輪の軸に取りつけ、並走しようとする相手の馬や荷車を突いて攻撃するものらしい。
その話を聞いてようやく、魔物相手の武装ではないのだと気がついた。どうやらヒトの住まう聖王国側も思っていたほど安全ではないようだ。
もちろん同族以外にも、道中で野犬や肉食の魔物に襲われれば自ら武器を取って斃すこともあるだろう。旅慣れており、戦闘もこなすことは体つきや手の皮を見てもわかる。
だがそれらを加味したところで、彼らの装備ではベチヂゴの森を踏破するには心許ない。
「別に引き止めるわけではないが、本当に良いのだな?」
「うぃっす。むしろ行かせてくれるの驚きってか、絶対ダメって言われると思ったから。長老も、魔王様が良いって言うなら好きにすれば~って」
「あの老爺とて、口ではそう言っても心配をしているはずだ。気が済んだらちゃんと帰って、元気な顔を見せてやれ」
「了解っす!」
鋭い爪の生えた手を挙げ、威勢よく返事をするコゲはいつもの軽装の上にフードつきの外套を被っていた。
五日間の滞在を終え、商談や荷車の修理が済んだダイゴたちを、聖王国側へと送り届ける任を自ら買って出たのだ。
無事に森を抜けるための護衛、兼、負傷して櫓で休んでいる馬の代わりに荷台を牽引するのだと言う。そうして森を抜けた後も、気の済むまで彼らに同行して聖王国を見てみたいというのがコゲの希望だった。
たしかに食糧と水を積んだだけの荷車なら、人狼族ひとりでも十分引いて歩けるだろう。
森の途中まではいつもつるんでいる二名もついて行くそうだし、普段から狩りのためベチヂゴの森を歩いているコゲであれば、危険なルートを避けながら森を抜けることもできる。森を出た後だって馬が負傷中なのだから、どのみち町まで荷車を引いて行く必要はあった。
……だが、一歩森を抜ければそこはヒトの文化圏。滅多に現れないだろう人狼族が見つかればどんな騒ぎになるのか、デスタリオラにも想像がつかない。
「好奇心旺盛なのは結構だが、くれぐれも気をつけてな。幻惑が付与されたローブとはいえ絶対ではない。なるべくヒトのいる場所には近寄らず、フードも脱がないように」
「大丈夫っす。バレそうになったら、ぴゅーって走ってすぐ帰って来るっす!」
「……まぁ、見送りに忠告ばかり垂れるのも無粋だな。彼らと共に見分を広めたいというお前の気持ちは、我にもよくわかる。ヒトの暮らしや、キヴィランタにはない様々なものを見てこい。土産話が聞けるのを楽しみに待っている」
「はいっす!」
尻尾を振りながら支度の済んでいる馬車へ駆けるコゲと入れ替わりに、今度は四角い箱を携えたダイゴが歩み寄って来た。
人狼族の集落の外れには、デスタリオラの他にも滞在中に何かと世話を焼いていた人狼族たちや、交易を了承した地人族も一行の見送りに集まっている。
既存の種族が新しく臣下に加わることはあっても、森の外からの来客は初めてだから物珍しいのだろう。アリアのような警戒心の強い一部を除き、付近に住まう他の種族らも遠巻きに様子をうかがっている。
そんな輪から離れたところに立つデスタリオラへ近づいたダイゴは、持っていた木箱のふたを外した。中に収められているのは、ラベルのついた濃い色合いのガラス瓶だ。
「……これは、酒か?」
「せや、とっておきの葡萄酒でな。もし旅しとる最中に死にそうになったら、これあけて皆で乾杯してから死のういうて、いつも馬車に積んどった一級品や。今の手持ちで礼になりそうなんはこれくらいしかのうて、申し訳ないんやけど」
「そんなに高価な品なら、地人族との交渉に使えば良かったではないか。彼らが酒好きなのはもう知っているのだろう?」
「それは次に持参するいう約束しとるんで。これはあんたさんへの個人的な礼や、色々と仲介してもろてほんま助かりました」
自分は飲食物を摂らないとすでに伝えてある上で、あえてこれを渡してくるなら断るのは野暮というもの。ダイゴからの感謝の気持ちの表明ということで、葡萄酒の入った木箱を素直に受け取った。
精緻な絵の描かれたラベルも、深緑色の瓶も見目美しい。栓を開ける機会はないだろうが、大事に収蔵空間へ収めておこう。
「世話になった上、色んな気ぃ遣わせてしもてえらい申し訳ないことしましたわ」
「我は大したことをした覚えはないがな、お前たちの世話をしたのはコゲたち人狼族だろう」
「それはもちろん。せやけど、最初の日にわしらを喰わないのか云々、わざと言いはりましたやろ?」
「別にあの話で予防線を引かずとも、人狼族は話の通じない相手ではない。我の招いた客であることを見せれば、誰も危害を加えたりはせんよ」
あの時の会話に応じたコゲですら、そんなつもりはなかっただろう。ただ、商団が食事をとる間も全く席を立たなかったところを見ると、それなりに心配を抱いていたのかもしれない。
古から続く『魔王』と『勇者』の対立は、誰もが知っている。
だから『勇者』を擁する聖王国側からの招かざる来訪者を、外敵と見なして攻撃する者がいたとしても何もおかしくはないのだ。
森の物見櫓からの報告に驚いたのも、それが一因だった。
見も知らぬヒトの集団。仮に人狼族が襲い掛かってそのまま殺したところで、デスタリオラは何も咎めない。
「コゲはんも、最初から助けるつもりはなかったんやと思います」
目を細めて笑いながら、何でもないことのようにダイゴは続ける。
「馬が倒れて、怪我人もおって、森の中で身動き取れんようなっとるわしらの前に、いきなりあのなりで現れたもんで。びっくりして必死の思いで剣なり槍なり向けたんやけど、まぁ、敵う相手やないのは一目でわかる。こりゃ死んだかな思うて、開ける間もなかった葡萄酒を惜しみながら覚悟決めましたわ」
「それでも、コゲはお前たちを助けたのだろう?」
「せやな。しばらくにらめっこしてたら、「武器をその場に捨てるなら手当てをしてやる。それが嫌なら十数える間に帰れ」言うてな、そのまますぐイ~チ、ニ~、サ~ンて数え始めましてん。立ってる犬がしゃべったーて驚く暇もあらへん、腹括って全員の得物を放らせましたわ」
「コゲの奴がそんなことを……」
手助けの提案をし、考える猶予を与えた上で相手の意思確認をきちんとしてから、櫓に連れ帰って自分への報告を寄越した。
もしダイゴたちが少しでも抵抗の動きを見せていれば、コゲはためらいなく鏖殺していただろう。
そうした割り切りの良さを知っているだけに、意外とものを考えているのだなと感心する。いつも本能だけで生きていると思っていた認識を改めなくてはならない。
「まぁ、多少は外敵という認識もあろう。遭遇したのがコゲで良かったな、化蜘蛛など気性の荒い者なら声すらかけなかったはずだ。それ以外にもお前たちの手に負えない魔物も跋扈しているし、あんな装備でよくベチヂゴの森を抜けようなんて考えたものだ」
「まぁ死んだら死んだで、運がなかったいうことですわ。わしら行商人はガッポリ儲けるために命張ってますねん。……ともあれ、次はもっと準備してきます。ゴビッグはん向けのモンと、あとはあんたさんにも売りつけられるような逸品を持ってきますわ、楽しみにしはってください」
「我とも取り引きを望むか、商人らしく強欲だな。確かに聖王国側の物品にも興味はあるが……お前たちの使う貨幣は出せないから、支払いは金や鉱石になるぞ?」
「いや、そちらさんは逆に欲がなさ過ぎて困りますわー、助けた礼にあれこれ貢げくらい言うてもええですのに。ま、今回は下手こきましたが次はきっちり商売させてもらいます、何卒よろしゅう」
顔中をしわくちゃにして笑いながら、ダイゴは右手を差し出してきた。手を出して同じくらいの力で握り返す。
挨拶に手を握り合う習慣は、知ってはいても少しだけ新鮮だった。
「地人族とはどんな物で取り引きをするか話し合ったのだろう。我には望む品を訊かなくても良いのか?」
「そら欲しいモン訊いとけば楽ですけど、注文聞いて持ってくるんやったら丁稚のおつかいと変わらへんやろ。商人魂にかけて、きっとあんたさんに欲しいと思わせるモン用意してきますわー……って、そうだ、兄さんの名前をまだ聞いとらんかった」
そういえば、初対面の時に名乗りそびれてそのままだ。答えるなら名前だけでも構わないかと考えてから、この男であれば、自分の立場を知ったところで態度は変えないだろうと思い直した。
「我の名は、デスタリオラ。『魔王』デスタリオラだ」
「……。あー、なんかそんな気はしてましたわ、度々「魔王様」って聞こえとったし。あれこれ思い返すと大変な失礼かましとった気がするんやけど、堪忍してください」
「構わん。次に持ってくる荷で我を満足させれば全て不問としよう。道中気をつけてな、コゲのこともよろしく頼む」
そうして人狼族や地人族たちと盛大に送り出したサルメンハーラ武装商団は、あっさり二十日後にまた森を抜けてキヴィランタへやってきた。
一緒に燕蜂の報告を聞いていたアリアはわけがわからないという顔をしていたし、きっと自分も同じような顔をしていたと思う。
次に来るのは一年後か、五年後か、それともコゲだけ戻ってきてダイゴたちはもう二度と来ないかもしれない。……そんなことを考えていたのに、棘や鋲の増えた馬車を伴い、ダイゴら六名は元気の有り余る様子で再び魔王城を訪れたのだ。
「生き急ぎすぎてはいないか……?」
「いやぁ、魔王さんにそんなん言われるのも感慨深いですわぁ。時は金なり、わしら人間はあっちゅうまにヨボヨボになって死にますやろ、そんなら悔いのないようにやりたい事は何でもやっとこう思います。そんで、どうやろね、今日これから時間空いてます? 出直しましょか?」
「森抜けてメシ食って荷台直して荷物積んで、すぐ戻ってきたんすよ、おれほとんどなんも見てないっすよ、いやまじ、土産話とか全然ないし、話が違うっつーか、え、一回こっきりとか言わないっすよね、またついてってイイっすよね? ね?」
「話ちゃうことあらへんやろ、ちゃあんと森を抜けるまで手伝ってもろて、近くの町まで行って、そんで戻ってきやんやから。約束通りや。もちろんまた同行してもらえるんは大歓迎やで、なんならお賃金も出そか?」
「やった! 魔王様、おれもっかい行くから、イイっすよね、ついてってイイっすよね、魔王様がそう言ってくれれば長老のじっちゃんも許してくれるし、今度はちゃんとお土産になるよーな話も持ってくるから!」
前回と同じく、城の架橋の手前で迎えるなり、ダイゴとコゲは口を挟む間もなくしゃべり続ける。
薄々感じていたが、ダイゴは相手が『魔王』だろうと何だろうと構わず押しが強い。商人というのは皆、こうも逞しいものなのだろうか。
「……いや、わかった、わかったから。いつまで立ち話を続ける気だお前たち。とりあえず、また人狼族の集落に滞在してもらって良いか? 今後も度々訪れるつもりなら、迎賓館のようなものを作っておこう」
放っておけばいつまでも止みそうにない会話を手で制し、ひっそり息をつくデスタリオラをよそに、「迎賓館とはまた豪勢やなぁ、人間用なら設計段階から協力させてもらいますわ、もちろんタダで!」「また新しい建物つくるんすか、すぐやるっすか、おれ面子集めますよ、どこにします?」と、旅疲れも見せずに騒ぎ出すダイゴとコゲ。
そして聞き耳を立てていたのか、周囲にいた人狼族や地人族、大黒蟻までもが集まってくる。
荷の積まれた馬車の周囲は様々な種族でごった返し、移動どころではない。
そんな中で唯一、困惑を漂わせながら耳を震わせる馬と目が合った。体中に古傷のある立派な体躯の馬は、これまで商団とともに様々な旅をしてきたのだろう。黒くつぶらな瞳でじっとデスタリオラを見てから、小さく嘶いた。
「……うむ。まぁ、ゆっくりしていくと良い」
そんな許可の声がはたして聞こえているのかどうか、人狼族たちは騒ぎながら馬もろとも囲んでいる荷台を押して集落へと運んでいく。
たまたま通りかかったのだろう、川魚の入った籠を手にしたウーゴが一体何事かと声をあげ、その後ろから追いついてきた銀加も同じように声をあげ、金歌にうるさいと頭を小突かれて、宙に浮くバラッドは頭上で無意味に回転し、さらに横からひょっこり顔を出したゴビッグはデスタリオラへ向かって「こんなこともあろうかと」と迎賓館の設計図を広げて見せた。
魔王領キヴィランタは今日も平和で、騒がしい。
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